九十四、 潜入・小間物屋 一
一連の顛末を聞いた友人は、息をひとつ吐いて言った。
「相変わらず仲がよろしいことで」
「今の話の反応がそれ……?」
もちろん天香も否定はしない。したくない。いやそもそも出来ないが。
だが、異存を申し立てようとしたところ、「だって、あなたのお友達に小間物屋の主人がいたじゃない」の一言で送り出された身としては、もっと他に何か言ってもらいたかったのも事実なのだ。
そんなわけで、ここがどこかというと、天香の学院時代の友人、宣玉晶の営む小間物屋だった。
ちなみに事情を説明することには麗瑛の了承を取っている。ただ、妃嬪が関与したとかいうところは省いて、単に盗品が流出している恐れがあるので、というところまでだ。
麗瑛に名指しされた格好の小間物屋の女主人こと玉晶はへーへーほーほーなるほどねと相槌を打ちながら。
「じゃあ、今日お求めなのはその小間物屋の情報ってわけね」
「ええっと、うーん、そういうことに――」
言いながら、お茶請けに出された干菓子を一つつまんで、口の中に放り込む。
「――なるのかな?」
件の小間物屋に直行せずに同業者であるところの玉晶の店に立ち寄ったのは、もちろんそれに先立って情報を集めるためもあった。
市は同じような商品を扱う店が近くに寄り集まっていることが多い。そんなわけで――麗瑛と一緒に来たときもそうだったが――装飾だったり布だったり小物だったりを扱う女性向けの品を商う店のまわりにはやはり似たような店が集まり、当然女性の姿が多い。――つまり、男性の御史は無駄に目立ってしまう。深いところまで探るのは限界があり、その点麗瑛の指摘は当を得ていた。
それに、客ではなく同業者からみての情報がほしかったというのももちろんある。
「ごめんなさい。品物が一番の目的じゃなくて」
「ま、おかげさまでそこそこには売り上げも出てるからいいわよ、それくらいは。……それで、実州屋ねえ」
采嬪から聞きだした店の名を、玉晶が繰り返す。
同業者とはいっても、玉晶の店と今回の目標である実州屋が店を出している市は場所が違った。鷲京にいくつかある常設の市のうち、正反対とは言わないが隣近所でもない。それで付き合いがあるのだろうかと思って玉晶に尋ねてみれば、実際直接の取引はないという。ただ、寄り合いで話に出たことはあったと思う、と答えが返ってきた。
「――良淳? 良淳!? そこにいるでしょう!」
「は、はい、なんでしょうかお嬢さ――いや、玉晶、さん」
玉晶が店の奥に呼びかけると、一人の若い男が顔を出した。風采は悪くないが、気弱そうな表情が顔に出ている。
天香は首を傾げて問う。
「こちらは?」
「うちの、まあ……番頭? あと許婚」
「はあ……えっ!?」
思いもしない言葉に反応が遅れてしまう。下働きの使用人かと思ったというのは言わなくてよかった。
「晴れて許婚になったんだから名前で呼びなさいって言ってるのに、いつまでも使用人気分が抜けないのよねえ」
天香の抱いた印象は当たらずとも遠からず、だったらしい。
詳しく聞けば、独り立ちの条件としてお目付け役を連れて行けということになり、以前から忍ぶ仲だった彼――良淳を首尾よくお目付け役にしたのだという。ちなみに前回は実家のほうと連絡に出向いていて不在だったとのこと。
「はー、へー、そういうことだったの……」
「まあ、そっちと似たようなものよ」
「そっち……瑛さ、殿下と私?」
「いちいち言い直さなくていいんじゃない?」
実はそれはすこし悩みどころだった。そもそも二人きりか心許せる人間だけの前でだけ呼ぶようにしていたはずだったのが、最近は他人の前でも関係がなくなりつつある。とはいえそこは一本線を引いておきたいところでもあって。
実際は、麗瑛が知ったら「最近どころかもっと前からでしょ」と平然と流すようなことだったのだが、天香そこまで頭が回っていない。
「ていうか、むしろこっちはいいわ。売り上げの数字さえ出ていれば何も言われないもの。あなたのほうはそういうはっきりした基準もないでしょう?」
「それはまあ……そもそも基準がつけられるようなものでもないし」
「だから、むしろあなたたちのほうが大変じゃないって話よ」
たしかに、後宮の差配に小間物の売り上げ計算みたいな絶対的な指標はない。商家生まれの玉晶からすれば、それがかえって不安に思えるらしい。
「ああそうそう、それで良淳、会行の寄り合いとかで、実州屋の話って聞いてるわよね」
「実州屋、ですか?」
会話がずれていっていることに気づいて玉晶が良淳に話を振った。
会行とは、同業者の組合のことである。業種ごとに、また取り扱う品ごとに別の組合があり、それぞれ情報を交換したり、折衝の場を作ったり、あるいは価格や商品の自主統制をしたりする。店同士の利益がぶつかりそうなときには会行の中で調整することもある――もちろんこじれることも多々あるけど、というのはいつだかに聞いた玉晶の談だ。
玉晶の名代で出席することもあるという良淳は、すこし考えてから、ああ、と手を叩いた。
「客側からの評判は知りませんけど、会行の中じゃあちょっと評判が良いとは……」
「押し売りするとか、態度が悪いとか?」
天香は聞く。
思いついたのがそれか、と自分で思わなくもない。
「いえいえ。ただ、出店するときに周りと揉めたらしいとか。それでまあ、負けた格好になった店から文句がついてるって話で」
「その話はこっちでも聞いたのよね。ま、違う市の話だからよくわかんないんだけどさ」
「出店で……揉めた?」
「そそ。出店するときの決まりっていうか、まあそういうのがあってね」
玉晶が言うには、市に店を出すにはまず市の顔役に話を通さなければならない。そこから市の店主の集まりに諮り、決まれば市を管轄する市令という役人に届出をして、それでやっと店を開くことが認められるのだ。
屋台や、よくて小さな屋根だけ立てている露天商の場合はそこまで細かいことは言われない。日にいくらかの決まった金を顔役やそれぞれの地区の長に支払えば済むが、本格的に店を一軒構えるとなるとそれなりの手続きが必要になる。
要約すると、くだんの実州屋はその手続きの途中をすっ飛ばしたという話で、それに一部の商人が文句をつけたらしい、という話だった。
国一番の大都市である鷲京の市である。新しく店を出したいという人間は少なくはない。空きがあるなら自分こそが――と思う人間はいつでもいるらしい。
「でも、お店は今もやってるのよね」
「天香の話の通りならね」
「……手続き飛ばして、お店ってできるものなの?」
「うーん……」
腕組みをしながら、あんまり大きな声じゃ言えないんだけど、と前置きして玉晶が声を潜めた。つられて天香も顔を寄せる。
「どうも、後ろにお大尽――どこかの貴族さまがついてるんじゃないかって話さ」
「貴族? ……どこの誰が?」
「そこまではわからないよ。ただの噂だし。でも、そんな横車を押せる人間が貴族以外にいるのか、ってね」
手続きを途中で圧力をかけて飛ばさせ、批判を圧殺した人間がいるのではないか。そうささやかれていて、そしてそれはある程度ありそうな話だと思われてもいるらしい。
商人の側からすれば市の中の規則、または秩序を乱すそんな貴族の横車を快く思っていない、思えるわけがない、という話でもある。少なくとも玉晶の口調からはそれが伝わってきた。
しかし、実際にどこかの貴族の後押しで小間物屋を開いたとして――それと今回の一件が繋がるのかどうか。よくわからない。疑おうと思えば何もかもが疑わしく思えてしまう。全く関係がないのかもしれないのかもしれないし、そうでないかもしれない。
「怪しい連中が出入りしている、とかではないのですね?」
と、天香たちの輪とは別の側から声がかけられた。
壁際にもたれて存在感を消していた糸目の男――御史室長・高栢里が、学堂での挙手のようにひらりと片手を挙げて発言したものだった。
今まで影のように徹して一言も発していなかったが、彼が今回天香に同行してきたのである。なお、ここでは御史室長ではなく単なる監察御史と名乗っていた。
ちなみに彼が同行すると知った麗瑛が「ではこちらからも見張りを」と光絢を同行させたので、じつは彼女もその隣で、主に栢里の方を警戒している――というか睨んでいる。麗瑛に何を吹き込まれたものやら。だいたいのところは見当がつくけれど――ならばそもそも自分を行かせる必要がないんじゃないか、とか天香は首をひねる。栢里はそんな光絢の視線を受けてもそ知らぬ顔で茶などすすっているわけだけれども。
「いや……そういうことは、ないと思う」
怪訝そうな顔をして玉晶の婚約者の良淳氏が言った。視界の外からいきなり話に入ってきた相手がまさか御史室長とは思いもよらないのだろう。こちらもあなたを下働きの人だと思っていたので引き分けではいけませんか。って、そういう問題ではない。
「ではまあ、天香さまを向かわせても危険はなさそうと判断していいと」
「市の中で荒事なんてしようもんなら、顔役のところの若い衆が出張ってくるよ」
「市の中なら、ね」
玉晶の言葉に、栢里が平然と返す。
市の外に――あるいはそれよりもっと離れた場所では、いかに腕自慢の若い衆でも手など出せない。そもそも彼らの仕事場ではない。そう返されて、玉晶が口を尖らせた。
「さて、では天香さま、そろそろ宜しいですか」
「あっ、はい」
栢里に促され、天香は腰を上げる。言葉こそ丁寧だが、いつまでもここで喋っているわけにもいかない、とせっつかれたのだ。
――この人も、忙しくないわけがない身のはずだしね。
そう思ってから、そんな人間がなぜ自分にわざわざ同行しているのだろう? と天香は心中首を傾げた。
玉晶、第一章お忍び編以来の登場。
当時は出番をカットされた婚約者さんに出番が(あってもなくてもあまり……)