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公主殿下の寵姫さま  作者: 有内トナミ
四章 来訪 編
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九十三、 捜査会議っていうんでしょうか



「む、む、む……無断外出だとお!?」


 青元の執務室に、大声が響いた。


「お兄さま、うるさい」

「大問題ではないか! これが声を上げずにいられるか!」

「だからこそ声を抑えてください。外に漏れてはそれこそ一大事です」

「む……しかし、しかしだな――!?」


 義兄は苦々しげに唸った。妹婦妻ふさいにたしなめられて一旦はやや声を落としたが、それでも抑えきれないという感じだ。

 例の髪飾りの一件について、采嬪はやはり嘘をついていた。

 最初はあくまでも侍女が買ってきたと言い張っていたのだが、突き詰めていった結果、それを買ったのは彼女自身だと自白した。しかも買ったのはもとの言い分どおり、鷲京の城下の市場だったという。――つまり、采嬪は黙って後宮を抜け出していたのだ。

 もちろん、妃嬪が許可なく後宮を出ることは許されていないし、一人で抜け出せるほど甘くもない。

 侍女たちと謀り、その上もしかすると門番にも手を回していた、ということだ。

 天香もまさかそこまでの大事おおごととは思っていなかった。だからこそ、采嬪を問い詰めるのにあまり大仰なことは言いたくなかったのだが――こうなってしまうと、脅すような言葉も決して大仰というほどではなく思えてしまう。もちろんそれは結果そうなっただけなのだけれど。


「そちらについては追い追い問い詰めましょう」

「追い追い、だと? こんな大問題を――」

「お兄さま。わたくしたちはまず何について調べていました? 盗まれた髪飾りの件だったのではないですか」


 青元が不服そうに声を上げたものの、また麗瑛に推し留められ、うぐっと言葉を飲み込んで沈黙する。

 盗難の一件も、無断外出も、どちらも大問題である。――主に後宮の警備という意味でだ。

 内官長や侍衛部門の長のほうの進退にも関わってくるかもしれないほどの問題だが、麗瑛や天香はそちらに関わることはできない。任されているのはあくまで後宮内の差配であって、警備に命令を出すことはできないからだ。幽霊の一件でも、男のほうの処罰を直接命じてはいなかった。


「それから、呪詛の件もですよ、瑛さま」


 天香は口を挟んだ。

 もともとの話をするのなら、そちらのほうが先だったはずだ。


「そういえばそっちもあったのよね」

「密告した人間が呪詛もしてたんじゃないのか?」


 青元が疑問を呈した。単純に考えればありえる話のように聞こえる。

 だが、それはなさそうだと天香は思っていた。


「密告という手段が取れる人なら、最初から呪詛なんてするでしょうか。だって、呪詛よりも前に密告すればいいんですから。実際陛下は密告だけで御史を動かされましたし」

「悪かったから、そう当てこすってくれるな」


 苦い顔で言う青元。

 天香としてはそんな気持ちはすこしもなかったのだが――まあ、そう聞こえてしまうのはやましいところがある自業自得ということにして、話を続ける。


「じゃあ天香は、呪詛と密告は別の人間がやったと思うのね」

「そうじゃないかな……とは思うんですけれど。呪詛、いえ、脅すってことは、その相手に異議を唱えられない人なんじゃないかって」

「脅す?」


 麗瑛が小首を傾げた。

 呪詛のていを取ってはいるが、本当に呪い殺そうと、あるいは不幸を願おうとしているのではないのではないか。そう話していたのは鄭玉柚だ。

 ああ、そういえばこのことは話していなかったのだった。


「玉柚さんが言ってたんですけど、あの呪詛は『采嬪に見せるための呪詛』だって言うんです。わかりやすくいえば脅しだって」

「へえ」

「もちろん呪詛も込められているんでしょうけど、同時にそういう人間がいるんだと宣言しているんじゃないか、だとか――」

「ふうん」


 あれ。

 麗瑛が打つ相槌に、違うものを感じて天香は麗瑛を見る。


「あんな女のところに行ってたのね、わたしが目を離してる間に」

「まるでそんな浮気みたいな言い方はちょっと……」

「痴話喧嘩してる場合か」


 青元が呆れたように言った。

「でもねえ天香、密告も呪詛も、今は考えるだけ無駄だと思うの」

「と言うと?」

「思い出して? あの蝶の髪飾り、わたし達のところに来た時だってつけていたのよ。その前の茶会でもつけていたし、他のときにつけていてもおかしくはないわ」

「ええっと……つまり、盗まれたことを知っていた人が見たら、その時点でわかる?」

「そうよ。だから無駄と言ったの。侍女かもしれないし下女かもしれないし、侍衛や内官かもしれない。真犯人を捕まえればはっきりするでしょう」

 容疑者は男または女、若いかもしくは年寄り、みたいな話だ。漠然としすぎていて手がかりもない。


「何よ、結局何も解決してないってことじゃないの」

 麗瑛の一言が、現状を簡潔にまとめた。


「手がかりが得られただけでも前進だ。采嬪から聞き出した店の場所と名はわかっているんだろう? ならばやることは簡単だ。栢里、そこに御史を向かわせて店主を捕えよ」

「いえ、待ってください」


 青元が御史室長に――そう、発言はしていなかったけれど彼はずっとその場にいたのだ――命じようとしたところに、天香は再び口を挟んだ。


「なんだ。まだ何かあるのか?」


 またかと言いたげなその口調に、天香は真正面から返した。

 そういえば今日の義兄は何か言うたびに口を挟まれているような気がする。


「恐れながら陛下は、采嬪さまのときと同じあやまちをされかけています」

「そろそろ兄と呼べというのに」

「お兄さま、それは今関係ないでしょう? ――天香は、そのお店に踏み入るには証拠を集める必要がある、って言いたいのね?」


 青元の軽口を麗瑛がたしなめて、それから天香の言葉を補足した。天香は頷いて肯定する。

 十まで言わずともすくい取ってくれた事に、我知らず胸がじわりとなった。


「証拠ならあるだろう、この髪飾りだ」


 言いながら、青元はわしっと布包みごと髪飾りを持ち上げてみせた。


「しかし、そこで買ったと証言しているのは采嬪さまだけです」

「……お前たちは、采嬪が盗みに関わっていたとは考えにくいと思っているのではなかったのか?」


 天香の言葉に、青元は一瞬呆気にとられた顔になったあとで言った。盗難事件に関しては天香だけでなく麗瑛も、正確には麗瑛のほうが強く、采嬪を無罪とみていたからだろう。無断外出の件については、もちろん今更なかったことにはできないから、今後何かの処分を言いつけることになると思う。

 けれども、一つの証言だけを手がかりに行くのでは先の密告で踏み込んだのと変わらない。ほとんどないことだとは思うが、もし采嬪が自分の罪を誰かに転嫁しようとして適当な商人の名前を挙げただけだったなら、それは今度こそ青元の拭いきれない瑕疵になる。


 青元は気負いすぎているところがあるのではないか、と天香と麗瑛は話したことがあった。

 落ち着いているときや元から決めていたことを実行するときは落ち着いて事に当たれるが、浮き足立つとちょっと見落とすことがある、と。そんな青元の登極したときの手際のよさは、つまりそういうことだったのだろうということになるが。けれど、そこは天香や麗瑛が口を差し挟むべき領域ではない。そのおかげで今はこうして二人暮らしていられるのだから。

 話を戻せば、そんな暴君のような振る舞いを許しては――なによりこちらが平穏に過ごせないではないか。

 

「だからこそ、念を入れるべきではないかと思うのです。それに、店主を捕らえても下手人まで芋づる式に捕らえられるとは限りませんよね?」


 青元はわずかに考え込んだ。

 ここで考えを戻せるところがいいところなのだろうな……と思う。

 ややあって、国帝は視線の向きをぐるりと変えて問いかけた。


「どう思う、栢里」

「いやあ、私の言いたいことはほとんど公主妃殿下に先に言われてしまいました」


 頭に手を当て、糸目の目じりを下げて御史室長は言う。

 まいったまいったとでも言いだしそうな格好ポーズだ。そんなに感心されるようなことを言った覚えはない天香は、これはどう取ったらいいのかと悩む。額面どおりに受け取っていいのか、それとも見くびられていたのだろうか。

 本心が見えない人相手は気疲れする。と、さきほども話に出た鄭玉柚のことを思い出す。


「まあ、主上のそういう直情なところは佳いところと思ってはいますがね?」

「何の話だ」

「臣としましても、拙速にこだわるべきではないのではないかと愚考いたします」

「そう思うなら先に異を――いや、いい。……では、どうすればいい?」


 手を組んで礼をする御史室長相手に青元は口を尖らせかけ、言ったところで自分の失策が元々だと気づいたらしい。

 途中で言葉を打ち切ると、気恥ずかしそうに話題を転じた。


「簡単じゃない。現物を知っている人が見に行けばいいのよ」

「内偵というわけですね……まあ、それが一番確実ですか。出来るならそれをそこに持ち込んだ人間も含めて一網打尽にできればいいのですが――そこまでは望みすぎというものでしょう。では、確認でき次第、店主を問い詰めさせましょう」


 麗瑛の提案に、栢里が同意する。

 それだけではなく、その後の段取りまでもさっと組んでしまった。


「ところで瑛さま」

「なあに天香」

「瑛さまは重陽節の準備があるんじゃなかったんですか。すっかり乗り気みたいですけど、その内偵に自分が行くとかおっしゃらないでしょうね」


 麗瑛が天香の言葉を十まで言わずに汲み取れるように、自分にもそれくらいのことは読み取れるのだ。

 いつになくわくわくとしている、ように見えたし。


「かといって、御史は男ばかりじゃない。女物の品を扱う店には悪目立ちしすぎるわ。御史室長はそれに使える人材でもお持ちなの?」

「……いえ、残念ながら」


 これは栢里の言。御史の中に女官吏がいるとは確かに聞いたことがない。

 それを受けて麗瑛が言う。


「それになにも、私が行くなんて言ってないじゃない。そりゃあ行きたいけれど、時期的に難しいのも承知しているわよ」

「それなら――」

「だからあなたが行きなさい」


 間。


「……はあ!?」


 天香は思わず声を上げていた。




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