八十四、 鄭玉柚
「あのときもお芝居みたいな口上だと思ったけれど、つまり本当に芝居だったのね、あれは」
「まあ、そうなるかな」
招き入れられた安秀舎の一室。
臥榻に体を半身だけ起こして、彼女はだらりと相槌を打つ。
瓦の上にいたときは顔の半分以上を覆っていた髪の毛を、臥榻の後ろに回った侍女が結んでから退出していった。のけられた髪の下から現れた整ったその顔は確かに、披露宴の直前に声をかけてきた鄭姫のものだった。
あのとき、と話題に出ているのはその披露宴の時のことだ。
芝居がかった口調と態度だと、麗瑛も天香も、その場に居合わせた誰もが思った。
そういえばあのときの彼女もやはり、黒を基調にした裙を着ていた。
「黒がお好きなんですか?」
「ん、別に? ……ああ、確かにあのときも黒いのだったか」
「ええ。なので、お好きなのかと……」
「いや? 汚れてもわからないだろ、黒とか灰色いのは。だから着てる」
納得できるような、できないような。
少なくとも高位貴族の一角をなす家の当主姫の言うことではない、と思う。服の汚れをいちいち気にするような身分ではないはずだ。と言って韜晦しているような素振りでもない。
「それにあの場所でもそんなに浮くような服じゃなかったからさ、いいんじゃないかな」
「服はともかく、いきなり披露宴に現れたのはちょっと浮いてたと思うわ、ねえ天香?」
麗瑛が蒸し返し、同意を求められて天香は首を何度も上下に振る。
ちらりと視線を送った鄭姫は、弁解するように言う。
「本当に? だってさ、こんな雑な口調になるわけにもいかないじゃあないか。宮中、しかも仮にも披露宴の場なんだし」
「今の砕けた口調のほうがよっぽど魅力的だと思うけど。あ、魅力的と言ってもそういう意味じゃあないですからね天香」
「わかりますから」
そんなところまでいちいち食って掛かるほど、天香だっておぼこではない。
だいたいそんなことまで気にしていたら、麗瑛が常に人をけなしているほうがいいなんてことになってしまうじゃないか。そんなのは御免蒙る。
誰かを意味もなくけなしつづける麗瑛なんて、願い下げだ。
天香は話題を変えようと、
「私たち相手なら、雑な口調になってもいいと思っていただけた……と?」
「……そうだね、まあ、いまさら取り繕ってもしょうがないんじゃないかな。少なくともあの場所で自分から話しかけてきたのは、両殿下だけだったのだから」
「お褒めに預かり光栄ね」
「どういたしまして。――ただ、あれはいただけないかな」
気取った発音で礼に礼を返して、さらに彼女は言う。
「あれ、とは?」
「門の陰からちらちら様子を窺ってただろう? 事情がわからないから先に探ろうって言うのはわかるけど、そんなことをせずとも最初から割って入って『説明しなさい!』と一言迫ればよかったんじゃないかなってね。あそこから人目を盗んで帰ることなんてできないだろうし、そもそもああいう喧嘩の仲裁はお二人の本来のお仕事のひとつでは? ねえ公主殿下」
そこまで見ていたのか、とわかった瞬間、ぞわぞわと首筋の毛が逆立つような落ち着かない感じを覚える。
天香は問いかけずにはいられなかった。
「……いったい、いつから見てたんですか?」
「実のところ、一番最初に君たちが目に入っただけなんだけどね」
「腰掛けた瞬間に?」
「いや、そこに木があるだろう。ちょうど足を掛けやすい位置に枝があるんだ」
天香は二の句が継げなくなる。
確かに示されたほうを見れば、立派な枝振りの木が枝を伸ばしている。その太い枝を辿れば、彼女の言うとおり塀の上に登れないこともなさそうだった。とはいえもちろん襦裙では登れるはずもない。褲を穿いていればこその荒業だった。
代わって、麗瑛が涼やかな声で後に続く。
「まあ、あなたがどうやって塀の上に登ったかはこの際いいとして。そろそろ本題に入らせていただいてもいいかしら、鄭姫?」
「どうぞどうぞ、こっちにどうこう言う権利はないんだから。ああそれと、ぜひ玉柚と呼んでくれ。鄭家の姫なんて呼ばれたら、まるでワタシがワタシじゃない別の誰かになったみたいで、嫌なんだ。公主妃殿下もそう呼んでくれて構わないよ」
「そうね。わたしも帝姫と呼ばれるのは好かないもの。じゃあ――」
一度言葉を区切って、麗瑛は一瞬目配せを送る。
話を切り出す役目を渡されたと、天香はそれを正しく理解した。
「では、玉柚どの。――あなたはいったい、何をしにここに来たんですか?」
麗瑛も天香も、これを聞きたかった。
いい機会と鄭姫――玉柚を呼び止めたのも、それを問いただしたかったからだ。
「いちおう言っておくと、疑問に思っているのはわたしたちだけじゃないのよ」
「ということは陛下も、か」
「ええ、御史室を動かして、あなたの家を調べさせているそうよ」
麗瑛の明かした言葉にも、ふうん、と、気があるのかないのかわからない相槌を打ちながら、目線を流すようにして遠い目になる玉柚。
その流し目が、一瞬どきりとするほど艶っぽい。
「当主、当主ねえ。……まあいいか。それにしても御史室ねえ。たしか室長は高栢里だったね? 彼ならそろそろ調べをつけてる頃合じゃないのかな。かなりな切れ者だからなあ、彼」
「あら、お知り合いなの?」
「いや? 会ったこともない。でも知ってる」
彼女は親しげに、楽しげに御史室長の名を呼ぶ。
それでいて知り合いではなく、顔も見たことがないという。
にも関わらず、天香もよく知らないその人の名前と、彼が切れ者であることをも知っている。宮中の主だった人間の名と有能無能の程度まで、みな記憶しているとでも言うように。
そんな天香の思案をよそに、へらりと笑みを浮かべて鄭姫は麗瑛に言う。
その切れ長の瞳が、弓なりに弧を描く。
「いちいち聞きに来るなんて手間をかけなくても、彼に任せておけばそのうち詳細な報告書が届くんじゃないかな。兄君に頼んで見せてもらえばいい。頼まなくても、あの陛下なら見せてくれるかもしれないけどね」
「嫌よ」
一言で、麗瑛は撥ね付ける。
玉柚の言うとおりだとしても、それなら最初から報告されるのを待つ。
しかし麗瑛ももちろん天香も、それでは嫌だったから、こうして問いただす機会をうかがっていたのだ。
「あなたの口から直接聞きたいのよ。だからこうして質しているわ。御史室長がどれほど有能なのかわたしは知らないし、あなたの人を食ったような言い回しに手を焼きそうだけれど、でも、こちらのほうが早いし正確だわ。違って?」
「ふむ」
短い相槌を打って、考えこむような素振りをする。
そのひとつひとつの動作が、やっぱりどことなく芝居がかっている。
けれどそれは陸嬪が目立とうとして気を引こうとしてするような身振り手振りの大きいものではなく、ごく自然に、普通に振る舞った結果がたまたまそうなっている――そんなふうに思えた。
「そうだね、話してもいいが……うん、じゃあこうしよう。交換条件だ」
「交換――」
「――条件?」
天香と麗瑛の口にした言葉は、打ち合わせたわけでもないのにきれいに分かれていた。
その様子を見て、玉柚は面白そうに唇を吊り上げる。
「いいねえ」
「何がかしら?」
「いや、君たちの仲だよ。それでそう、交換条件。力を貸してくれるなら、こちらの目的も教えようってことさ」
麗瑛と天香はもう一度目線を交わした。
探るように、麗瑛がそろりと口を開く。
「それは、わたしたちに出来ることなのかしら? 出来もしないことをやれと言われても困るわよ。立場上とても首を縦に振れないものも」
「もちろん。そこまで卑怯な手に出るつもりもない。そもそも断られたところで、あと幾日もしないうちにわかることなんだから」
「別に秘密にしたい話ではないということですか?」
「違う違う。話しても話さなくても同じなら、こちらに有利な条件をつけたほうが得だって話さ」
それはあけすけに、やたらにさっぱりとした言い方だった。
「……それで、わたしたちに何をしてほしいというの?」
臥榻から起き上がって膝をそろえ、彼女は言う。
「力を貸してほしい。味方になってほしい」
「いや、えっと……事情もわからないのに、はいそうですかと言うと思いますか?」
「だから、引き換えだ。事情を話す代わりに、助けてほしい」
「口先だけで、承ったと言うかも知れないわよ?」
「言っただろ、有利な条件をつけたいだけなんだ。話すこと自体はもう決めてる。その上でもし口約束を反故にされても、、それはワタシが君たちを見誤っていただけだ。――でも」
すっ、と、麗瑛と天香を見つめる。
「一度話しておけば、君たちならそれを気にしてくれるはずだと踏んでるけどね」
にやり、と笑みを浮かべる。
麗瑛と似た、なにか悪いことを考えているときのそれだ。
本家のほうは、軽くため息をついて。
天香はといえばなんだか疎外感を感じる。二人はなんだか通じ合っているようだ。
嫉妬、ではない。ではないけれども。取り残されたような気持ちだった。
「ずるい人ね。聞いたあとでどうしようと勝手と言いながら、そんな言い草をされてはこちらにもう答えるすべがないじゃないの」
「成立、と思っていいかい?」
「ええ、結構よ。受けて立つわ」
交渉の成立というより戦争の開始を告げるように、麗瑛はそう言い切る。
それに応じる玉柚もまた、戦いに臨む女将のように笑みを閃かせた。
「それじゃあ話そう。――ワタシはね、後宮に、逃げてきたんだ」




