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公主殿下の寵姫さま  作者: 有内トナミ
四章 来訪 編
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七十九、 あとからくるもの



 月明かりの落ちる窓辺で腰掛に腰を下ろして、扇をゆらゆらとくゆらしながら、天香はひとり考えていた。

 夕立が降ったおかげで、夜風は涼しい。蚊遣りの煙の香りがわずかに漂ってくる。


「眠れないの、天香?」

「瑛さま」


 麗瑛は牀から下りてゆったりと歩いてくると、天香の脇に立つ。

 髪を解いて下ろしているその顔は歳よりもいくらか幼く見える。本人はそれが不満らしい。


「考えごと?」

「……もし、もし万が一、瑛さまか私が瓏音殿下のようになってしまったらどうしようって、思いはじめたら寝付けなくなってしまって」


 すこし口ごもって、そのあとで天香はそう打ち明けた。

 離宮で話を聞いていたときはそんなことは考えもしなかった。

 けれども、薄掛けにくるまって寝ようとしたとき、なぜかふいにそんな想像が脳裏を掠めたのだ。

 ふわりと香が漂った。背後からふいに麗瑛に抱きすくめられた、と気づく。

 そのまま後ろにわずかに抱き寄せられる。とはいっても背もたれがあるから背中は密着はしない。代わりのように、胸の辺りで組まれた腕がぎゅうと体を締めて、寝巻きごしにその腕の熱が肩から胸にじわりと伝わった。


「なんだか懐かしいわ。子供のころもこうやってあなたを落ち着かせて、それから一緒に寝たことがあった気がする」

「幽霊話を聞いたときは違いましたけどね」

「……抱くのやめようかしら」

「ごめんなさい」

 自分の気持ちをほぐそうとする軽口だとわかっているから、天香はそう軽く答えて少し表情を緩める。


「お話を聞いていたときはなんともなかったのに……なんで今になってそんなこと思ったのか、わからないんですけど」


 自分でも考え込んでしまった理由がわからない。

 考え込んでいたというより、おろおろと途方にくれていた。

 足場のない空中に浮かんでいるような感覚だった。


「受けた衝撃が大きいほど、それを見たそのときよりも、後でほっと気を抜いたときに不安が心に湧いてくるものなのですって。……わたしもね、お姉さまの事件があってからしばらくしてそうなったわ」

「例えば?」

「人形を抱いていないと眠れなくなった」


 不安の現れ方まで幼げでかわいいのはなんだかずるい。

 もちろんそれは身勝手な感想でしかなくて、麗瑛に言えば怒られるだろうけど、だからこそ天香は思う。不釣合いもはなはだしい。

 それを言えば今の姿勢だって。


「私、人形じゃないですけど?」

「これはべつに、不安だから抱いてるわけじゃないわ。わたしが抱きしめたいからやっているだけ」

「そうですか」

「ああ、でもそうね、天香がしたいって言うならしてもいいけど」

「え?」

「あなたの人形になってあげましょうか?」

 耳元にくちびるを寄せて甘くささやかれた声に、背筋の下のほうから腰のあたりがふわりとなった。


 腰掛けから移った長椅子の上で、腕の中に麗瑛を抱え込むように横になってみる。

 けれどもなんとなく座りが悪い。天香はもぞもぞと動いて、体勢を変えようと試みる。


「そんなにごそごそと動かれるとこっちまで気になるんだけど」

「に……人形が苦情を申し立てないでくれませんか」

「それもそうね」


 そんなことを言いながら、いちおう何とか座りのいい姿勢を見つけ出して、天香は麗瑛の胴に改めて手を回す。半身を天香に預けるようにして、麗瑛はおとなしく――人形のように、その腕の中に納まった。


「……落ち着くかしら?」

「落ち着いたような、そうでもないような……」


 さすがに密着しているからといって胸が跳ね回るほどではない。こうするのだって普通のことだ。姿勢はいつもとは少し違うけれども。

 けれど、そのほうが余計なことを考えなくて済むかもしれないとは思う。


「なんとなくこうなる気はしていたわ。あなたはいつもこう。あとになってから泣くの」

「……否定はしませんけど、今日は泣きたかったわけでは」

「こんな風に怖がらせてしまうかもしれないと思ったから――心の準備もさせたかったし、だからできるだけ後回しにしていたのだけど」


 天香の否定を受け流して言って、まさか兄上たちに先手を取られるなんて、と麗瑛は付け足した。

 柳宗に食い下がっていたのはそういう理由か。

 それはそれでありがたいのだが。


「でも、いつかは知らなくちゃいけないことだったんですよね」

「それは、そうだけれど」

「いつ知っても、私は瑛さまを人形にしなきゃ眠れなかったかもしれませんよ」

「……そうかもしれないけど」

「だから……って言うのもおかしいけど、私は今でよかったと思います。それにそんな考えが夜になってから出てきてよかった」

「どうして?」

 天香はわずかの間ためらって、言う。


「だって、他の人の前では怖がりたくなかったから」


 背に回された麗瑛の手に力がこもった。胸元にぎゅううと頭を押し付けられる。

 不思議な人形もあるものだ。

 なんて、とぼけてみる。もちろんこれはこの前のと同じ、瑛さまの照れ隠しだ。

 その麗瑛の手が背中からだんだんと下のほうへ行くのを感じて天香は言う。


「……今、そういう気分じゃないんですけど」

「わたしもそうよ」

 しれっと言ったようだが、口は半分胸元に押し付けているような姿勢なのでそのぶんくぐもって聞こえる。

「……照れ隠しでそういうことするのって、なんだか蔡王殿下みたいですよ瑛さま」

「ひとをあんな中年親父と一緒にしないでちょうだい!」


 ばっと顔を上げて麗瑛は抗議した。

 その勢いに、天香は思わず吹き出してしまう。


「殿下といえば――柳宗さまの言っていたこと、どうお考えですか」


 いい時機と思って、もうひとつの心懸かりについて触れてみる。

 ひどく言いづらそうに麗瑛は言う。


「……正直に言って、あまり考えたくはない可能性ね」

「私もそうです。当然ですよね。――『皇族が犯人か、あるいは手引きをしたかもしれない』なんて」


 柳宗はここにいる人間だけの秘密にしてくれと言った。あくまでもこれは自分が心の中で考えていることでしかないから、とも。

 彼はこの数年、独力でゆっくりと調べを進めていたらしい。

 そしてその結論に至ったのだと、柳宗は言った。


「兄上が言っていたように、証拠も何もないわ。もちろん誰かもわからない。……けれど確かに、いくら帝の代替わりに浮き足立っていた時期とは言っても、後宮に易々と侵入者を許してしまうのはおかしいもの」


 ならば内部の犯行なのではないか、と柳宗は疑った。それもある程度自由に出入りできる人間の仕業ではないか、と。

 疑念を抱いた理由はもうひとつある。瓏音のことを知っていた人間はそれほど多くない。天香でさえ、その存在じたいを知らなかった。知っているのは後宮の、それもある程度深くまで入り込んでいた人間だ。

 つまり、皇族か、高官。


「そんな人間がまた同じことをしたかもしれない、とまで言われてはね」

「でも……それこそ、証拠もないことだと思うんですけど」


 同じこと、というのはあの下女の一件のことだ。

 正確に言えば、帝を騙って下女を孕ませた人間と、数年前の凶行に及んだ人物が同一人物かもしれない、とまでは柳宗も言わなかった。不届きな者はいつでもいるのだと、ただ話の引き合いに出しただけ。

 だから、瓏音と下女の件が同一人物の犯行というのは、さすがにそれは飛躍がすぎると天香は思う。

 だが麗瑛の覚えた危機感は、天香の感想とはやや違っていた。


「証拠とかそういう話ではなくて、よ。後宮を好き勝手に出入りできる人間が、あるいはそれを手引きしている人間がもしいるとしたら、それはわたし達だけではなく、後宮全体の大問題よ」


 好き勝手に出入りする方法を知っている、そんな人間が、もし帝に――青元に反旗を翻したら。

 後宮の女たちの差配がどうこう、なんて話ではなくなってしまう。


「湘王殿下が陛下にもう伝えられているのでは……?」

「兄上がそれとは別にわたしたちに教えたということは、わたしたちにも対策をしろってことよ」

「対策……対策――どうやって……? 言うだけ言っても、なかなかできない……ですよ?」


 鸚鵡返しに天香は呟く。

 髪をさらさらと弄られながら、ぴたりと密着した薄布越しにじわりと体温を感じながら。

 天香はくあ、とひとつあくびをする。

 正直な話、少し前から目つきがとろんとしてきていた。


「眠くなった? 牀に行きましょうか」

「いえ……ここで立ち上がったら……また目が覚めてしまいそうで……」

「でもここで寝たら、身体が痛くなってしまいそうよ?」


 布は張ってあるし墊子クッションはあるけれども、長椅子は基本的に木でできている。

 もちろん熟睡するための家具ではない。


「目が覚めたら行きますから、瑛さまは先に牀……に――ぃ」


 ふっと引きずり込まれるような、落ちるような感覚とともに、天香は眠りに落ちた。

 しばらくして、麗瑛は天候の頬を軽くつまみ。


「抱きしめたままで寝ておいて、先に行けもないわ」


 そしてこてん、と天香の胸に頭を預けると、間もなく寝息を立て始める。

 おかしな場所で寝た二人が、途中目覚めもせずそのままの姿で起こされたのは、翌朝のことだった。



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