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公主殿下の寵姫さま  作者: 有内トナミ
四章 来訪 編
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七十七、 秘密の場所



「ここは――」


 天香が二人に連れられてやって来たのは、見覚えのある場所だった。

 侍女たちばかりか侍衛の燕圭さえいない。本当の三人きりだ。

 そこは、あの幽霊騒動のとき、雨華舎うかしゃの侍女丹慧たんけいが幽霊を見たと訴え――その実は恋人と共謀して幽霊を見せていた、まさにあの場所だった。

 柳宗が落ち着いた声で問う。


「この先に何があるか、御存知ですか」

「禁足地……ですよね」


 途中で横に入れば女官房への抜け道だが、そのまま進めば禁足令の出ている禁足地。

 と、あの時光絢に教えてもらった。


「そう、帝の許可がなければこの先に進むことは許されない。そしてその許可を私は持っています。――蓮泉公主もね」

「えっ」


 ばっと裳裾を翻して、天香は麗瑛のほうに向き直る。


「だって瑛さま、あの時は祠があるとしか言わなかったじゃないですか?」

「ええ、あの時は他の人もいたでしょう。あちらの侍女だって……それに、お兄さまのお許しもなかったから」


 言いにくそうにぽつりぽつりと麗瑛は言う。

 表に出してはいけないことだったから、言えなかった。と。

 思い返せば、あの時の麗瑛の声は、それまでの弾んだような態度とは違って平板だった。あれは、言えない事を言わないように押し隠した、その態度だったのだ。

 そして今も、まだ納得が行かないような表情をしている。


「ですけど……」

 天香は口を尖らせる。

 自分だけには言ってほしかった。それこそ耳打ちでもいいし、事前にでもいい。

 侍女たちにさえ言えなくても、自分には言えるはずだ。そう思うのは、我侭だろうか。


「問答はそこまでにしましょう。その時は出来なかった、しかし今日は出来る。……それで十分では」

「……」

「……わかりました。瑛さまを問い詰めるのは今度にします」


 柳宗と黙ったままの麗瑛を見て、天香はしぶしぶ頷いた。



 禁足地の側にしばらく進むと、やがて門が現れた。

 宮中の他の門がそうであるような朱塗りと白壁の門ではない。大きさはさほど大きくなく、長身の柳宗でもかがまずに通れるか、というくらい。しかし古びてやや黒ずんだ、見るからに厚そうな木材で出来た門扉がそれ以上にいかめしさを放っている。

 その門の前に年かさの女官が二人立っていた。二人は一行の姿を見て拱手して頭を下げる。片方の女官が扉に近づいて何かをいじると、どこかでからからと音がした。


「お待ち申しておりました。湘王殿下」

「――では、参りましょう」


 柳宗は女官たちに礼を返すと、振り返って言う。

 招かれるままに門をくぐる。その後ろで、女官の一人が外に残って門を閉じた。

 六分は景色に、四分ほどは麗瑛と繋いだ手に気を向けながら、天香は歩く。

 道そのものは石で葺かれていて歩きづらさはない。雑草が石の間から吹き出してもいない。けれどその両脇には木が繁っていて、まだ日も高いうちというのにやや薄暗く感じられた。門の外側よりも、よほど幽霊が出そうに思えるほどだ。

 道の脇には木の板で組んだ細工物――鳴子が吊ってある。

 綱を引くと板同士がぶつかって音を立てる仕掛けで、それが細めの綱で結ばれて延々と続いている。

 先ほど鳴っていたからからという音はこれだ。音を立てることで来客を知らせるのだろう。


 女官に先導されて行き着いた先、木々の合間から姿を見せたのは、祠ではなかった。

 それは、小ぶりだがしっかりと建つ一軒の殿舎だった。

 木々の合間から涼しい風がすっと吹いて、天香の首筋をなでた。


「こちらへ」

 小柄な体に似合わぬ低い声で、女官が導く。

 彼女に従って、天香たちは殿舎の中へと入った。

 ここもまた薄暗い廊を抜ける。しんと静まり返った殿舎に足音が小さく響く。

 殿舎の大きさに比べても女官の数が少ないことに天香は気づいた。蓮泉殿も多いほうではないが、それよりもなお少ない。

 薄暗いというか、活気がない。海嬪の雨華舎も似ていたが、それでもまだ精気はあったのだ。

 ここにはそれもない。

 庭院なかにわには日が照っているというのに、影の中は妙に寒々しく感じる。


 ひとつの房室へやの前で女官が足を止めた。そこが目的地らしい。

 柳宗を見ると、彼は天香に頷きを返してきた。その端麗な顔に笑みはなく、しかし緊張や不安も感じられない。恐ろしいものが待ち構えているわけではない、ということなのか。


「もう一度言っておきますが、ここで見たものは他の人間には話さないよう。貴女のどれだけ信頼する侍女でも、です」


 それだけを言って、柳宗はくるりと背を向ける。

 一足先に房室に入った柳宗を追って、蓮泉殿のものと似た間取りの居室を抜けた先、臥室しんしつらしいほうへと足を踏み入れる。そこは予想通り臥室で、ベッドの上で半身を起こしていた人の姿を天香は見た。

 ――ええと。

 一瞬、反応に迷う。

 そこにいたのは、若い女性だった。柳宗よりは若く、麗瑛よりは年上だろう。身に着けた衣装は生地も仕立ても申し分のない品。寝巻きの上から薄い生地の短衣を羽織っている。

 黒く染めた絹のようにすべらかな髪を流して、整っているというよりほかに言い様のない麗人が、どこか麗瑛に似たかんばせを窓の外に向けていた。だが、その顔には精気や表情というものが欠けていて、人形のようにも思えた。

 魂魄こんぱくが抜けているようというのは、こういう様子を指すのか。

 なによりも、こうして三人、女官を含めれば四人がぞろぞろと部屋に入ってきたというのに、そちらを見たり何かを口にする様子も見えない。


 天香はうろたえる。

 どうすればいいのか。そもそも彼女は誰なのか。

 そんな天香をさらにうろたえさせたのは、柳宗の行動だった。

 彼は迷う様子もなく彼女に歩み寄って体を下ろすと、力なく布団の上に投げ出されている手を取る。そしてそれを自分の口元に運んで、そこに口付けた。


「来ましたよ。お加減はいかがですか」


 そんなことを柳宗は話しかけている。しかし彼女はそれに応じない。

 彼女の手を取ったまま、柳宗はさらにいくつか言葉をかける。そしてどれひとつにも彼女が反応を返すことはない。表情も動かさず、手を握られていることにも、もしかしたらそこに彼がいることにさえ。

 助けを求めるように、天香はおろおろと麗瑛を見た。

 その視線をまっすぐに受け止めて、麗瑛が口を開く。


「彼女の名前は瓏音ろういんというの。――わたくしの、異母姉にあたる方よ」

「お……お姉さま、ですか!?」

「そう。そして、湘の兄上の恋人でもあった。ううん、今もまだ、恋人だと思うのだけれど……」

 泣くのを我慢しているような表情で、麗瑛はそう言った。



 柳宗を臥室に残して、二人は居間に移った。ここまで案内してきたのとは別の女官――いや、瓏音公主の侍女が、冷茶を運んできた。彼女もまたある程度年かさの侍女だ。

「さて、と」

 冷茶をひと口ふた口飲んでから、麗瑛は口を開く。

 ついさっきのそれに比べるとややすっきりとした表情になっている。

「あれがわたしのお姉さまよ。天香」

「瑛さまにお姉さまと呼ぶ人がいたなんて、全然知りませんでした……」


 帝を継ぐかも知れない世子や公子に比べて、帝の娘――公主の存在が広く知らされることはあまりない。隠されているというわけではない。親族であるとか天香と麗瑛のように個人的に縁があるとか、そういう事情でなければ気を払われないだけだ。降嫁の告知があってはじめて知ることすらある。

 けれどそれだけではこんな殿舎を別に一軒建てるなんて大掛かりなことはしないだろう。と、落ち着いて考えれば当然わかる。

 それに、彼女のあの振る舞いは。


「もう気づいていると思うけれど、瓏音お姉さまは御正気ではいらっしゃらないわ」

「……でしょうね」

 天香ならずとも見当はついていた。そして、正気を失ったことそれ自体か、あるいはその原因になることがあって、こうして人目から隠されているのだろうということも。

「どう話せばいいか……短くはまとめきれないのだけれど」


 前置きして麗瑛は語り始める。

 麗瑛と青元が宮中に戻ったとき、それを暖かく迎えてくれたのが柳宗だった、という話は前に聞いた。その数少ない人間のうちの他の一人、それが瓏音だった。


「そのころからかどうかはわからないけれど、いくらか経ったあとにわたしが気づいたころには、湘の兄上とお姉さまはお互いに慕いあっていらしたわ。……はっきりと聞いたわけではなかったけれど」

「見ていればわかった、と」


 片やその辺を歩くだけで語り草になるほどの美男、片や先ほど垣間見ただけでも目を奪われかけるほどの麗人だ。今よりいくらか幼かったことを差し引いても十分絵になる。

 そこに青元を加えた三人が、麗瑛の後宮での実質的な保護者だった。その温かいふれあいを通して、最初覚えていた心細さもいつしか消えていたと麗瑛は言う。

 そのままの時間が続けば、青元は兄太子の即位ののちそれなりの封土を得るか宮中の高官になる。柳宗は今と同じように父から湘王を継ぎ、そして瓏音を王妃に迎えるのだろう。――幼い麗瑛はそう思っていた。


 しかし、そうはならなかった。


 それは青元が登極したことが原因ではない。むしろ青元は即位と同時に瓏音を降嫁させてもいいと思っていた。しかしそれは、ほかでもない柳宗本人の言葉で延期になった。

 青元の治世が落ち着いたところで華燭の典けっこんしきを挙げたい。と柳宗は言ったという。


「今にして思えば、青が正しかったのです。あのとき、言葉通りに降嫁を受けていればよかった」

 臥室から出てきた柳宗が静かな声色でそう言った。

「何かが、あったのですね……?」


 問いかけなくてもわかること。けれど、問いかけずには、確認せずにはいられなかった。

 天香の問いに、麗瑛と柳宗は一度何かを確認するように目線を合わせて、それから言う。



「瓏音……公主殿下が、不埒者の手に掛かったのですよ」




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