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公主殿下の寵姫さま  作者: 有内トナミ
一章 入内 編
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八、 そしてお兄さまの事情

 結論から言ってしまえば、帝は別に不能というわけでも子の成し方を知らないわけでもなかった。

 国帝こと青元(せいげん)蓮泉殿(れんせんでん)を訪れそこで天香(てんこう)に問い詰められたのは、あの会話をしたそのすぐ翌日の朝のことだった。


「陛下って……御子の成し方をわかってらっしゃるんですか?」

 瞬間、青元が口に含んでいた茶を吹き出して盛大にむせた。

 せっかく則耀(そくよう)さんに淹れてもらった美味なお茶なのに。

「もったいない……」

「お兄さま、汚いわ」


「おっ、ま……」

 なんとか咳き込みを押さえ込んで、国帝陛下は妹公主とその妃の視線を真正面から受け止めた。

「……なんだ、その話は」

「いえ、先日そういう話になりまして」


 しれっと答える天香に、青元は苦虫を噛み潰したような顔を向ける。

 先日の話とやらがどういう話だったかはわからないが、朝議(ちょうぎ)の後の朝餉を妹たちと摂ろうとわざわざ蓮泉殿まで赴いた青元には、食後の茶を飲みながら真正面からこんな風に聞かれなくてはいけないような心当たりなどない。

 そういえば昔もこんなふうに真正面から聞いてくる子供だったなと思い出す。

「なんとなく昔のような気分になったな」

「いやそんなのはどうでもいいんですけれど」

 確実に可愛げは無くなっていると青元は思った。


「誰に何を吹き込まれた。妃のどちらかか、それとも嬪の誰かか」

「何を、とは?」

「余が――()が子を望んでいないとでも言われたのか」

「理解していただけて、話が早くて助かります」

 妃賓ではなく公主と女官長の会話からだとは言わない。それくらいは悩んでいただきたいと天香は思う。


 言われた側の帝はしばらく頭をかきながら何事か考えていたようだったが、やがてぼそりと口を開いた。

「望んでいないわけではない。ただ、今はまだその時ではない」

「その時?」

「――正妃だ」

「はあ」

「正妃にふさわしい者がいれば、子を望んでも支障はないだろう」


 妃賓たちが正妃たるにふさわしい人間かどうかを判定していたと言いたいのか。

 確かに、妃嬪ならともかく国帝の正妃となればただの女というわけにはいかない。血筋や容姿は当然として、帝の横に立つにふさわしい人格、挙措、教養、知識その他、正妃に必要なさまざまな条件を満たさなければいけない。何も考えていない小娘が公主妃になるよりも障害物(ハードル)は高い。

 妃賓は称号だが正妃は地位なのだと言われる所以はそこにある。


 これが東宮妃(とうぐうひ)であるならば話はいくらか簡単だっただろう。通例なら東宮が帝として即位するにはいくらか時間があり、正妃の位に就くまでの間にそれらを習得する機会は多くあったはずだ。

 だがこの帝にはその期間はなかった。それが現在の後宮事情の一端を形作っている。


 早い話、現在の妃嬪では正妃としては不満である、というわけだ。

「月に二度や三度会っただけで妃嬪方の資質を把握できるの?」

 全く同じことを天香も思っていたが、麗瑛(れいえい)に先を越されてしまった。

「いや、だから妃自身の資質だけではなく、だな……」

「ではやはり、妃嬪以外のところに問題があるとお考えなのですね」


 妃嬪以外のところがどこかといえば、それは実家だろう。

 つまり外廷おもてがわの政治的な話ということになるわけだ。めんどくさい。

「たとえ正妃がいなくても、子を成すだけなら問題は無いと思うのだけれども、ねえ?」

「私もそう思いますけど……」

 その感想に天香も同意する。正妃を先に定めて子を産ませ、順序を確定させてから他の妃とも子を成す。そうすれば嵐は起きないのだと青元は思っているらしい。しかし。


(それはちょっと、純粋が過ぎるんじゃないだろうか)


 天香はそう思う。

 なんせここは後宮である。その一言で説明が済んでしまう。


「では陛下は、子種をばら撒くことを良しとされていないと」

「お前子種とか作り方とかばら撒くとかな、もうちょっと伏せた話し方はできないのか?」

「できますがしたくないだけです。相手が子供ならともかく」


 そもそも単刀直入に聞きたかったから聞いただけだ。別にきらびやかな言葉で飾る必要はない。いい年をした男相手に持って回った言い方をしても話が無駄に遅くなるだけである。


「誰も子供が欲しくないなどと言ってはいない。だが、正妃にふさわしい者がいたらの話だ!」

「なるほど。つまり、妃賓方のどなたが正妃にふさわしいか、を私たちが調べたら良いのですね」

「どうしてそうなる!?」

「だって先ほど言われたばかりではないですか。月に二、三度会うばかりでは資質などわからない、と」

「いや、そこまでは言っていない」

「でも実際わからなくて悩んでいらっしゃいますよね?」

 返る言葉は無い。そもそもこれまで後宮をろくに顧みなかった報いである。これくらいは言っていいはずと天香は勝手に判断する。


 前にも思ったことではあるけれども、本音を言えば正妃が誰になろうが子を何人産もうが、自分と麗瑛がその周辺の争いに巻き込まれなければそれでいい。逆にふたりの平穏を乱すのなら誰だろうとそれにはきっちりと対処しなくてはいけない。今はあくまでその前段階で、誰に対処して誰を放置するべきかを確認することが最優先だと天香はそう思っている。

 だからこの提案は純粋に下心からしか出ていない。


「月に二、三度しかお会いにならないどこかの殿方よりは、私や麗瑛さまのほうがお人柄などははるかによくわかるでしょう」

「そうね天香、このお兄さまにはそれくらいしなくちゃ駄目ね」

「私たちの平穏な生活のためにも!」

「ええ」


 互いに手をしっかりと取り合う二人を見て、国帝陛下は毒づいた。

「なんでそうなる。俺の意思はどうなる?」

「お嫌なら、もっと早くに寵妃の一人も作っていただいていればよかったのです。あ、今からでも良いですよ?」

「おい瑛、お前の妃だろう。何とか言ってくれ」

「わたしのことを第一に考えてくれる妃に不満も何もありませんわ、お兄さま?」

「……し、しかし瑛、他の妃嬪に天香を見せたくないと蓮泉殿(ここ)に隠しているそうではないか。それでどう調べるのだ」

 駄目だこいつら。青元は思ったがとても口に出せる雰囲気ではなかった。せめてもの反撃にと皮肉交じりで問いを投げた青元は信じられない言葉を聴く。


「ご心配なくお兄さま」

「女官長の下で教えを乞うことになりましたので」

「誰がそのようなことを……」

「丁夫人が許可くださいました」


 信頼を置いて後宮を任せている女官長直々の決定だと、そこに至った流れも含んで簡潔に説明されて、帝はもの言いたげに沈黙する。相手が国帝であっても容易には信念を変えぬ女――それが彼の丁夫人への評価だった。


「でも、よく今までお子が生まれなかったものですね」

 天香はそこを疑問に思っていた。後宮を顧みなかったとはいえ、一応平等な寵愛と取り繕える程度には各妃嬪の元に足を運んでいたのだから。


「李妃様や洪妃様が後宮に入られてからどれほど経ちますか?」

「即位から間が無いといって、半年くらいは要求を全て跳ね除けていらしたわね」


 縁者――娘か孫か姪か、だいたいそんなところを後宮に入れて欲しいという貴族たちからの頼みを断っていたのだという。だがそれも断りきれなくなり、即位に際して功のあった二者の娘をまず妃として迎え――その辺りは以前も触れた。


 いまは今上帝青元の治世三年の春であるが、実際には三年を経過してはいない。なぜかというと、即位した時点から治世一年のいつと数え始めるからで、青元の即位は夏の終わりであった。それから半年は後宮への入内を断っていたのだから、受け入れ始めたのは二年の春。同時に入内したとして長くてもそろそろ丸一年というところか。


(ねや)を何回共にされましたか? その間好日(こうじつ)は何日ありました?」

「そんなことを聞いてどうする! それと好日とは何だ」

「好日は女体が子を孕むのに適した日取りのことです。失礼ですが陛下」

「話の最初から平然と失礼だっただろうが。今更なんだ?」

「子種はちゃんとあるんでしょうね……痛っ」

 指で額を突かれた。さすがに言い過ぎたか。

 まあ、好日などという言葉を気にかける男が少ないのは予想がついていたが。


「お兄さま、わたしの天香に今何を?」

「今のは帝に対する侮辱だろう! これくらいで許すのはむしろ度量の」

「お兄さまの度量の大きさではなく、わたしの天香に断りもなく触れたことを責めています」

「……すまん」

 青元が素直に謝罪したのは、兄は妹に弱いものという定型からだけではなく――口元だけはにこやかだが目は全く笑っていなかった麗瑛の顔を直視してしまったからだった。




閑話


「そもそもお前はそういうことをどこで知ったのだ」

「そういうこととは」

「子を成すための日取りとか」

「公主院で」

「そ、そうか」


「公主院は何を教えているのだ……」

 青元は二人に届かぬよう小さくつぶやいた。



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