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公主殿下の寵姫さま  作者: 有内トナミ
四章 来訪 編
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七十二、 来訪 その三



 玉柚の声は大きくはなかったけれど、静まり返っていた大広間の隅々までよく通った。

 そしてそれに対する反応は、鈍い。

 当惑の目配せをしあい、あるいは最初から意味がわからないと言いたげな素振りを見せる。

 その中で、李妃が何とか我に返ったように、玉柚に尋ねた。


「お待ちになって鄭姫どの。つまり……陛下の新しい妃がいらっしゃるの?」

「ですから主上の妃ではありませんよ。公主殿下がお妃さまを迎えられるのです。ねえ、陛下?」


 玉柚は同意を求めて青元に視線を送る。

 それを受けて、青元は天香たちを招き入――


「ん、ぐ……」


 ――入れないで、言葉にならない追い詰められたような声を出しながら、彼は間口のほうに視線をチラチラとやる。あまりにもわざとらしく見え透いたその姿は、そこに誰か、もちろんこの場合は麗瑛がいると妃嬪たちに教えているようなものだ。

 目ざとく――そうでなくても気づいたと思うが――気づいた妃嬪の幾人かが、青元の見やっている入り口に視線を送る。


(――言わないんですか!? そこで紹介して呼び込むところでしょう!!)

 その入り口の陰で、天香は義兄をささやくように罵っていた。

 堂々と宣言してくれなければ、自分たちが胸を張って出て行けないというのに。良い機会だったのにそれをみすみす逸した義兄に、いちおう帝相手といえど、恐れ多くも苛立ちを覚える。

 まったく同じような顔だった麗瑛が、諦めのため息をひとつして小さな声で言った。


「仕方ないわ天香。あの方がどうしたいのかわからないけれど――彼女の誘いに乗ってあげましょう」

「瑛さま? でも、陛下に呼び入れられないままで出ては」

「だからって、あんな不様な姿を重ねて晒させるわけにはいかないわ」


 仮にも帝に、妃嬪の前で。と麗瑛はささやく。


「だから、天香――」


 麗瑛は天香を見上げて、右手を差し出す。

 その手と眼差しが、口よりも物を言う。

 言葉は要らない。

 自分は麗瑛の妃なのだから。

 だから天香は出来るだけ力強く見えるように頷いて、その手を取ってしっかりと握り合わせた。


 最後にお互いの顔をもう一度だけ見つめ合って、二人は広間へと進み出た。

 揃って一歩目を踏み出した瞬間、広間の空気がざわりと波打った。楽師が慌てたように管弦を奏でだす。

 薄紗ベールを被り、銀紗の煌くような上衣。下の裳は白絹の薄い紗織を三重にも纏って、腰には鮮やかな赤の太帯。女官達によってまるで着せ替え人形のようにして飾り立てられた婚礼衣裳だ。

 薄紗に覆われた髪に差したかんざしや結い紐までそっくり同じ婚礼衣裳を身につけた二人が、しゃんと打ち鳴らされる鈴の一鳴りごとに、一歩ずつ、歩みを進める。

 ざわざわと落ち着かない空気の中を、天香と麗瑛は玉座の前まで進み出て、青元に向かってこうべを垂れた。



 その様子を見ている李妃は、落ち着いてというより、いまだに展開を把握し切れずといったふうに疑問符を浮かべていた。

 対して洪妃は、初めこそ似たような表情だったものの、二人が近づいていくにつれて明らかに驚いた顔になる。薄紗の下に半分ほど隠れていた天香の顔を近くで見て、それが幾度か言葉を交わしたことのある相手だとわかったようだった。とはいえ、いつかのように声を上げることはぐっとこらえている。

 そのほかの嬪たちの反応は大きく分けて二つに分けられた。ぽかんと呆気に取られるか眉をひそめる者が多数派の中に、面白いものを見るような顔をしているのが何人か。


 長くはない行路の途中に盗み見た限りでは、妃嬪とその侍女女官以外の数少ない列席者も、だいたいは似たような表情だった。天香はその中に湘王柳宗の顔を見つける。彼はどちらかといえば驚いたような顔のほうで、隣に座っている天香の知らない中年男(彼は男性陣の中では珍しく面白そうな表情にやけがおを浮かべていた)に何事か耳打ちされていた。

 なお天香からは直接見えなかったが、別嬪の中に混じって元から知っていたただ一人だけは、表情ひとつ動かすこともなく。

「……くぁ」

 と、扇の向こうで小さくあくびを漏らしていた。



「あー、うん、見ての通りである」


 わざとらしい咳払いをして、青元がそう切り出した。放り投げるような言い様に、麗瑛が不服そうにわずかに唇をとがらせる。それを天香は視界の端にちらりと見る。

 気づいているのかいないのか、青元は口上を続ける。


「余の妹、蓮泉公主麗瑛は、ここに在る白天香と婚姻の契りを交わした。これは既に余が認めたものであり、今日は改めてそれを皆に披露したいと、二人からのたっての願いによってこの場を設けた。――少しばかり手はずと違う、慮外のことが起きたがな」

「まさに慮外者というわけですね」

「自覚があるなら黙っていろ、鄭玉柚」


 無作法にも帝の言葉にくちばしを挟んでまで玉柚が言った、駄洒落にもならない一言を青元がばっさり切り捨てる。どこからか誰かが吹き出す音がした。

 青元はもう一度咳払いをして、決まり悪げに一度衣を引っ張る。そして。


「余、いや私は、今日ここで、二人の婚姻を改めて公に認め、白天香を公主麗瑛の正妃として立てることを宣言するものである。また二人の住まいとして蓮泉殿を与える。……以上だ」


 この場の誰にもはっきりとわかるように、青元は方々に視線を送りながらそう、広間の隅々に聞こえるほどの声で言った。

 居並ぶ妃嬪と侍女女官が、そして少数ながら参加している男たちが、いっせいに頭を下げる。

 衣擦れが重なって、まるで波音のように響いた。



 ― ― ―


 披露宴とは言っても、肝心の二人はそう長いこと宴に出ているわけではない。

 市井では一般的に、結婚の祝宴で参列者が飲めば飲むほど、食べれば食べるほど、騒げば騒ぐほど夫婦は幸せになると言われていた。夕刻から始まった宴は夜通し続いて明け方に終わる。もちろん宮中でそんな常軌を逸した大騒ぎになるはずもないけれど。

 その宴の一番最初、集まってくれた列席者の前に出て初盃をひとつ酌み交わせば、結婚した二人はあとはいつ退席してもよいとされていた。誰もそれを止めてはいけない。その後は、まあ二人をそっとして、という流れになる。


 そんなわけで、天香と麗瑛は蓮泉殿に戻ってきていた。

 くたりと崩れるように寝台に横になって、天香は大きく息を吐く。

 すでに婚礼衣裳から寝着に着替えていた。


「なんか……疲れました」

「わたしもよ……」


 麗瑛もぐったりとした様子を隠さずに同意する。

 広間で立ったり座ったりしていた時間はそう長いものではなかった。だから身体の疲れというよりも、精神的な疲れが大きい。

 自然と、話はその疲れの元凶になったある人間のことに向く。

「いったい何がしたかったんでしょうね、あの玉柚という人」

「結局、わたしたちが退席するまで何もしてこなかったわね」


 何もしてこないというか、招かれてもいない宴にしっかり参加して飲み食いしていたのだから、そういう意味では何かはしているのだけれども。

 もしかしたら主賓の二人がいなくなってから、つまりまさに今このときに何かをやっているのかもしれないけれど、今からそれを確かめに行けるわけもない。


「あんな人が来るだなんて思ってもいなかったし……色々と面倒そうな人だったけど。何が一番腹に据えかねるって、わたしと天香が考えに考えた披露宴が台無しにされたことよ。せっかく後宮の妃嬪がたの度肝を抜いてやろうとしたのに」

「瑛さま、言葉が乱暴すぎます」

「あなたしかいないのだからいいでしょ。それでね天香、驚きっていうのは滝みたいなものなんですって」

「はあ」

 何を言い出したのかよくわからず、天香は相槌を打つ。


「つまり、度肝というのは大きな落差があってこそ効果的に抜けるってこと。だのに、それをあんな邪魔が入って二段に分かれて落ちてしまっては、せっかくの驚きも半減だわ。迫力がないじゃないの。それか、邪魔が入ってももっと派手だったら良かったんじゃないかしら? ああいうのはやっぱり最初が肝心だと思うし」

「なんとなく言いたいことはわかりますけど……」

 最初が肝心って、それで自分に何をさせようというのか。


「でも、これで胸を張って皆さんの前に出られますし。私はそっちのほうが、その、うれしいです」

 慰めるというよりは話の向きを変えようと、天香はそう言った。にこりとするつもりが力のない、にへら、という感じの笑みになってしまった。

 そういう意味では、ずっと胸につかえていた重いものがすっとなくなったような、そんな爽やかな気持ちがしている。そんな気持ちのときに、麗瑛に機嫌を損ねられてしまうのは、いやだった。

 毒気を抜かれたように麗瑛はひとつため息をつくと、人差し指で天香の頬を軽く押しながら言う。


「それはそうと天香。まだやり残していることがあるのよ」

?」


 やるべき宴の次第は、少なくとも自分たちが関わらなければいけないことは全部消化したはずだ。

 ぽかんとしていると、目の前に「はい」と差し出されたものを手に取る。

 それは、両手を合わせたよりは少し小さい朱塗りの盃だった。



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