七十、 来訪 その一
お待たせしました。新章開幕です。
どうしてこうなるんだろう。
誰か説明してほしい。
呆気に取られたまま、天香はそう思った。
この日のためにあつらえた麗瑛と揃いの銀紗の婚礼衣装に、こんな間抜けな顔は似合わないのに。
予定していた披露宴の式次第は、主役二人の身分を考えるなら、とても単純なものだった。
最初からそうだったわけではない。
なぜなら、麗瑛が最初に考えたそれは変に込み入っていて。
「だから、こんなに着替える必要はないじゃないですか。それも私ばっかり」
「だってお色直しは必要でしょう?」
「回数が多すぎるって言ってるんです」
「いろんな天香を見たいし見てほしいじゃない!」
「それじゃ私は見世物じゃないですか!」
いや、披露される側なのだから、そもそも天香は見世物以外のなにものでもない。
それは自分でもわかっているし、自分で望んだことでもあるし、覚悟はある。
とはいえ、自分から進んでたくさんの人々に――まるで珍しい生き物でも見るような――好奇の瞳で囲まれたいと思っているわけではない。もともとそういう場が苦手だった白天香はそのままそこにいる。
「いろんな格好を見てほしいなら、これから時間をかけて見てもらえばいいじゃないですか。何も一度にこんな」
天香が食い下がっていると、横から英彩が口を挟んだ。
「お色直しは必要ですけど~、やりすぎるとお二人の気持ちが一つではないと思われてしまうみたいですよ~」
「一回にしましょうか」
「瑛さま?」
ひらりと前言を翻す麗瑛。
はあ、とため息をつけば、偶然にも則耀のそれと重なった。
疑問符を浮かべてそちらを見ると、
「申し訳ありません。英彩の言い方はあまり褒められたものではないですが――そもそも衣装が多くなりすぎるのも、当日の管理を考えますとあまり望ましいものではないな、と思っただけで」
「すみません……」
「いえ、妃殿下――天香さまのお衣装はむしろ少ないくらいですから、もっと増やしていただいても構わないのですが」
「えっ、だいぶん増えたように思うんですけど」
蓮泉殿に入ってからだけで、女官働き用の女官服も含めて何着も増えている。
さすがに二桁までは達していない、と思うけど。
「まだまだ少ないですよ。お衣装だけで複数の部屋を埋めて、それぞれ部屋ごとに専門の侍女をあてている妃嬪さまもおられますから」
「いや、さすがにそれは比較する相手が悪いのでは……」
綺麗な襦裙や装身具は人並みに好きだが、さすがに服道楽というほどではない天香は呆れ混じりで控えめに否定するしかできない。
そもそも、そんなにあっても着切れないだろうに。
「仕方ないわ。お色直しは一回にする代わり、その服のほうに手を入れましょう」
「まあ、それくらいなら」
麗瑛の提案に天香は同意する。
それに、披露宴などという舞台で想像を飛び越えるほど奇抜な服装をさせられるわけがない。
我が意を得たりと微笑んだ麗瑛が口を開くと、
「お揃いがいいわ。婚礼のときも同じだったけれど、あれはあれで天香の清楚可憐さがよく出ていたと思うけれど、今度はもっと人目を引くものの方がいいと思うの。といって派手なのは駄目よ。そういうのは陸嬪や郭嬪に任せておけばいいもの。天香のかわいさを引き立てるようなものがいいわね。あ、けれど衣装が同じで色違いというのもいいかしら。でももし色被りがあったら気まずくなってしまうでしょうし。紅? 少し古くない? そうするとやっぱり白かしら。でもそれじゃあ前と同じだし」
「えええ、瑛さま、落ち着いて。どうどう」
「人を馬みたいに言わないで」
大河のように滔々(とうとう)と流れ出した言葉を天香は止めようとする。ちょっと勢いがつきすぎた。
婚礼の衣装には紅の布を使うのが伝統だった。昔は紅一色の衣装が良いとされていたというけれど、最近ではどこか目立つところに紅の生地が使われていればいい、くらいになっている。だから天香が後宮に入るときに着た婚礼衣装も、白絹に紅の帯の組み合わせだった。
更にそこに割って入る人間がひとり。
「恐れながら申し上げれば」
「何よ光絢」
「殿下は、お姉さまとの結婚を披露できるからって浮かれすぎです」
「浮かれたっていいじゃない。披露宴は女の晴れ舞台っていうのでしょう?」
「それを言ったらお姉さまだって女です。晴れ舞台というならお姉さまのお言葉ももっと聞いてくださいと申し上げているのです」
光絢の言葉に、二人で軽く目を見合わせて。
「だいぶ聞いてると思うのだけど?」
「だいぶ聞いてもらってると思うんですけど」
二人の声が重なった。
実際、すでに元々の麗瑛の案からかなりの部分を削っている。
楽団を配そうとか花を散らそうとかから始まり、あまつさえ馬に曳かれた車台で乗り込もうなどと言い出したときにはさすがに総出で止めた。ふたりの馴れ初めを劇仕立てでやったとか言う話を聞いたことがあるけれど、さすがに麗瑛がそこまで言い出していたら披露宴そのものを考え直したかもしれないとさえ思う。途中で頭を冷やしてくれてよかった。本当に。
そんな風に却下を繰り返しているわりには麗瑛の機嫌が悪くならないので、どこまで本気で言っているのか。天香は少しだけ疑ってもいた。
ともかく、口に出している言葉はそんな感じなのだから、光絢に浮かれすぎといわれても仕方ない。口には出さなかったけれど、天香でさえ思っていたくらいだ。
それに、ああでもないこうでもないとやり合っているのは楽しいのだ。
あるいはこんなこともあった。
だいぶ次第を削っていって、残ったうちの一つが、天香には気がかりだった。
「……本当に陛下にお出ましいただくんですか?」
「いいじゃない。お兄さまの許可があるってはっきり見せ付けられるんだから」
「それはそうなんですけど……だからってこんな、なんか劇みたいなっていうか、だまし討ちみたいなっていうか――」
青元が列席すること自体は別に天香も難色を示しているわけではない。麗瑛の言うとおり、自分たちの結婚を帝も認めているのだと誰にもわかるように見せられるし、それを青元直々に宣言されるのだから。
問題はその過程、段取り……というか、演出だった。
まず、公主の結婚が決まったので宴を催す、と青元が後宮の妃嬪全員を集める。
当然、集められた妃嬪の中から質問が出るだろう。
青元はそれに応じるように麗瑛と天香を広間に呼び込んで、そこを埋める満座の前で二人の結婚を認める。
――簡単に表せばそうだ。
「何が悪いっていうの? どれだけ驚かせることができるかにかかってるのよ、わたしたちのたくらみは」
たくらみとまで言ってしまう。
天香ももちろん麗瑛も、自分たちのような関係が、いかなる意味でも少数派なのはわかっている。
だからこそ、これまでのあれこれを一度で、一撃で吹き飛ばすような衝撃的なやり方で機先を制してしまおう。――それが麗瑛の考えだった。満座の妃嬪やそれ以外驚く顔を見て楽しみたいからという動機だけで動いているわけではない。ないはずだと思う。
そして天香は、それが衝撃的すぎて逆に予想もしない方向に跳ね返ることを警戒していた。不安でもあった。事件や噂には散々手を焼かされてきたのだ。
「国帝の認めた結婚を跳ね返すような度胸があるかしら」
「そういうのは度胸ではなく、短慮というのではないですか」
「それならそれでやりようがあるわ。――陳嬪や海嬪みたいにね」
そっと反論した天香に、麗瑛はそう言って微笑んだ。
彼女達と同じようにまた釘を刺す、あるいはそれ以上の――。そう言っている。
「それはそうかもしれませんけど」
「過ぎた心配をしないの天香。正義は我にあり、よ」
正義がたくらみをするのか? という疑問は棚に載せておいて。
そんな感じに、大から小まで、いくらでも話し合うことはあって。
不安ないっぽうで、わくわくもしていたのは否定できなくて。
仮縫いを繰り返して仕上がっていく衣装に袖を通すたび、だんだんとそれは強くなって。
同時に緊張感もまた高まって。
あっという間に、その日は来てしまった。
「いいわね、天香」
「はい、瑛さま」
青円殿の広間の前で、天香は麗瑛が差し出した手をそっと握った。それだけで、強張っていた身体の緊張が解けるのを感じる。やっぱり瑛さまはすごい。
あとは、義兄青元が二人を呼び入れるのを待つだけだ。
と、そこで麗瑛がひとつ息を吐いた。
「瑛さま?」
「あなたの手を握ったら、震えが止まったわ」
「えっ」
思いがけないことを言われて天香は思わず聞き返す。
「震えて……たんですか?」
「ええ。大丈夫と思ってても、緊張はしていたみたい。……天香はすごいわ」
「わっ、私だって今までがちがちに強張ってて……すごいのは瑛さまのほうで、アレ?」
どちらともなく、ふふっと軽く吹き出す。
「わたしたち、二人ともすごいのね」
「……そう、ですね」
「まーまー、お熱いのは大変結構でございます、け、ど」
「誰か!」
脇の辺りから急にかけられたのんびりとした発音の声に、思わずその方向を振り向く。
側についていた燕圭が声を上げる。
天香と麗瑛、燕圭だけでなく、周りに控えていた青円殿の女官や侍女たちの視線を一身に受けながら、そんな視線を何ひとつ感じていないような、やや小首を傾げた風体で、その女性はそこに立っていた。
淡い色に小花を散らした上衣、細くいくつかの線のような模様の入った黒の裙。なによりも目を引くのは、結い上げるのでもなく付け根で軽くまとめただけで、夜の大河のように自由気ままに流れ落ちる漆黒の髪。所々でほつれ丸まっていなければ高級な織物にも見えるかもしれない。肩に回した白絹の領巾をがその髪をより浮き立たせて見える。
切れ長の瞳に小ぶりな鼻とくちびる。皮膚のその下が透けそうなほどに白い肌。立ち姿は余計な力はひとつも入っていなくて、もしその姿を絵に起こすならば白と黒だけで表せそうな、水墨画から抜け出たような佳人。
そんな彼女を、天香はこの後宮に入って以来、見たことがなかった。
少なくとも妃嬪のうちの誰かではない。その侍女にいたのならそれこそ目に付くはず。衣裳の仕立てや物腰からして、それ以下の者たちではありえない。
同じように判断したか、燕圭が問いを投げる。慣れていない人ならわからないほどわずかに腰が落ちたのは、何かあればすぐ動ける姿勢。
「どうやってここまで通ってきた。ここをどこだと思うて――」
「ちゃんと正規の手続きは経ております、よ?」
広間の中に声が漏れないように少し声を落として詰め寄る燕圭の言葉を途中で遮って、彼女は何か書き付けのような物を燕圭の鼻先に差し出した。
少しのけぞるようにそれを見て、燕圭が不承不承といったていで姿勢を正す。
追及を弛めたのは、書き付けが彼女の言葉を証明するものだったのだろう。
「それで、なぜここに――」
「あら、私はただ、お祝いを申し上げに参っただけでございます」
「何?」
燕圭の問いを無視してふわりと体の向きを変え、彼女はこちら側に――つまり天香と麗瑛の側に一、二歩歩みを進めて、深々と一礼した。
そして言う。
「ご結婚おめでとうございます。蓮泉公主麗瑛殿下、そして――公主妃白天香殿下?」
「あなた、いったい……誰ですか?」
天香は、そう声に出して返すのがやっとだった。




