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公主殿下の寵姫さま  作者: 有内トナミ
三章 後宮 編
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五十七、 幽霊一件 その二



 そんな天香の願いもむなしくと言えばいいのか、意外なことにと言ったほうがいいのか、丁夫人から止められることもなければ渋い顔もされなかった。あっさりと許可が下りてしまった。


「なんで……?」

 首をひねりながら天香は麗瑛に従って歩く。その行き先は雨華舎。

 英彩が話を聞いたという、侍女の勤める先の舎だ。


「天咲、しゃんとなさい」

 麗瑛に見咎められ注意される。

 そういえば、こうやって麗瑛に付き従って他の妃嬪の殿舎を訪ねるのは初めてだった。

 初めてならもっと、その……いや、そういう話じゃなかった。


 雨華舎の入口で、麗瑛一行――麗瑛とお付きの天香、光絢、それに先導役の英彩と護衛役の燕圭――は舎の主の出迎えを受けた。


「公主殿下、わざわざのご足労ありがとうございます」

「海嬪さま、そう畏まらないでくださいな。今日来たのはわたくしもお仕事半分、自分の興味がもう半分というところですもの」


 にこやかに微笑む麗瑛に少し緊張を解かれたのか、海嬪かいひんと呼ばれた女人が軽く頭を下げる。

 海嬪。本名を海霞かいか。通例に従えば李嬪と呼ぶのが自然に思えるが、李妃こと香陽かようと同じ姓であるため、こうした場合は格下の海霞のほうが名前から一字を取って呼ばれることになっている。

 年はその李妃よりひとつ下の二十一。顔立ちといい立ち姿といいどこか影の薄さを感じさせる人品タイプで、どちらかといえば派手で押しが強い妃嬪が目に付く後宮の中では珍しい。一歩下がって立つ派とでも言おうか、麗瑛と言葉を交わしている今ですら気後れのようなものさえ感じさせる。


 先だっての茶会にも海嬪はしっかりと参加していたはずなのだが、天香の中での印象は薄い。たしか席順表では陸嬪の隣だった。おそらく灰色――いや、銀鼠ぎんねず色の上衣だったと思うのだが判然としない。橙色の隣だから目立たなかったのか、それとも他の出来事が強烈過ぎたのか。


「お話は、幽霊の件と言うことでしたが」

「ええ。わたくしも侍女から聞いて、気になってしまって」

「申し訳ありません、こちらの侍女がそのような不確かなことを触れ回って……」


 この人自身が幽霊と言われても暗がりでは信じるかもしれない。失礼かもとは思いつつ、天香はそんな感想を抱いてしまう。まさかその侍女という人も自分の主を幽霊と間違えたなんて話はないだろうけれども。


 雨華舎の一室に案内されて、麗瑛は椅子に腰を下ろす。天香たちはその後ろに控えるような格好になる。室内の様子は派手さはなく品良くそつなくまとまっていて、主人たる海嬪の性格が現れているように思えた。そう思うと同時に、やはり後宮ではある程度押し出しが強くなければいけないのだなと思い知らされる。舎の中は全体的にひっそりとしていて、よく言えば落ち着きがあるのだが悪く言えば活気がない。帝の渡りが途切れがちな殿舎はこのようになると、天香は聞いたことがあった。

 他の殿舎の侍女を蓮泉殿に呼びつけるというわけにもいかないので、直接話を聞こうと思えばこうやって出向いてくるほかなかったのである。


「早速ですが、その侍女にお話を伺いたいのですけれど」

「そうでした。丹慧たんけいをここに」


 海嬪に呼ばれてきた丹慧という名のその侍女は、公主を前にして恐縮したような様子で丁寧な礼をする。少しだけ気の強そうな表情が印象に残る顔立ちだった。

 挨拶もそこそこに、麗瑛が話を切り出した。

 まるで気になって気になってしょうがない、というような表情と口ぶりで、丹慧の話に相づちを打ったり質問を挟んだりしつつ、話の先をうながしていく。その様子が天香には少しだけ引っかかった。こんなに怪談に食いつくような人だったろうか。そういう話を振ってくることもあるがこんなに生き生きとした様子になったことはなかったと思う。

 それとも自分が苦手だから配慮して、いやそういうことでもないはずで、確かあれは――。


「では、その幽霊を見たのはあなただけではないのですね?」


 麗瑛のそんな問いかけがふと耳を打って、天香は思索から引き戻された。それまでの話はだいたいのところで英彩に聞いていた話と同じだったから聞き流していたのだけれど、ここで違う情報が入ってきたようだった。


「ええ、同じこの舎の侍女も……その、私が怖がるので一緒についてきてくれた折に」

「あなただけは二度見ていると?」

「……はい」

「そう」

 麗瑛は相づちを打って少し考え込むようなそぶりを見せて、それから口を開いた。


「もしあなたがよろしければ……本当に良ければ、よ? 無理を強いているわけではないから断ってもらっても一向に構わないし責めもしないけれど、出来ればその場所に案内していただきたいのです……駄目かしら。話だけではどういうものかよくわからないし、自分の目で見てみたいわ」


 麗瑛はしつこいほどに念を押してそう切り出す。別の殿舎の侍女なので配慮してみせるのが必要なのだとあとで天香は聞かされた。無理やりにということになるとあまりいいものではない。たとえさせたのが長公主・麗瑛であってもだ。

 その甲斐もあってか、丹慧は同行をすんなりと承諾した。



 道中、麗瑛の後にまた並んで歩いていると、英彩が天香に話しかけてきた。

「幽霊って、なんの幽霊なんでしょうね?」

「なんの……って、幽霊は幽霊でしょう?」

「だから、あるじゃないですか。戦で命を落とした兵の幽霊とかー、悲恋を嘆いて命を絶った女官の幽霊とかー、他の妃嬪への嫉妬に狂って憤死した妃嬪の幽霊とかー、疎まれて殺された幼い皇子の幽霊とかー」


 指を折りながら、明らかに楽しげに英彩は例をいくつもあげていく。

 まあ、城だしそういうのもあるんだろうけれど。それよりも天香が気になるのはほかの事で。


「英彩さん、楽しそうですね……」

「だってわくわくするじゃないですかー。でも蓮泉殿の子たちはあんまり乗ってきてくれなくて」

「……わくわく?」


 天香にはなかなか同意しづらいことをいつもどおりの柔らかい声で言う。

 則耀の言っていた大騒ぎとは怖がってではなく、好きで騒ぐほうだったようだと天香は気づく。


「しません? 何かが起きるかもしれないとか、ちょっと不思議なものが見たいとか。それに気になるじゃないですか、なんで幽霊になったのか、なにか心残りがあるのかなあとか。そうじゃないですか、丹慧さん?」


 と、英彩は先導する雨華舎の侍女にまで話を向ける。というかその人は怖がっていた人でしょうに。怪談が好きな人から同意を求められても困るんじゃないか。と天香が思っていると、その案に反して彼女は反応した。


「私も嫌いではなかったのだけれど、実際この身で見ると違うもので」

「そんなものなんですかねえ」

 そのわりには話にあまり怖さを感じなかったんですけど、と英彩は天香に聞こえるくらいの小声で言う。



 そのうちに、幽霊に遭ったというその場所に着いた。

 後宮の中でも片隅のほう、城壁も近いようなところで、なるほど道の片側には手入れもあまりされないのか木が鬱蒼と繁っている。逆側は後宮の建物、たしか倉庫か何かに使っていたはずのもの。


「あまり通りたくはない所ですよね……必要がないなら無理して通らなくてもいいのでは」

「このまま進むと禁足地ですもの。行く必要がないというより行ってはいけない場所ね」

 天香の感想に、こともなげに麗瑛が応じた。禁足地とは名前の通り立ち入り禁止の場所だ。

「なんでこんなところに?」

「代々のことだから詳しくは知らないけど、祠か祭壇か何かがあるとか聞いたわね」


 天香の背後で平板に麗瑛が言う。

 それは怪談話の舞台にもなりそうだし、実際そんな雰囲気がある。


「そんなところに何の用事が? 仕事に支障が出そうなところにも見えないんですけど」

 天香の疑問に答えたのは、丹慧ではなく光絢だった。

「ああ、ここは裏道なんですよ」

「でも禁足令が出てるんでしょう?」

「だからそれはこの少し先です。そこの手前の辺りで右に入れば禁足令の場所にも、それから妃嬪の方々の殿舎の表側も通らずに抜けられるんです、女官房のほうに」

「なるほど」

「下女働きの短かった私でも知ってるくらいだから、他にもわりと使ってるんじゃないでしょうか」


 光絢の言葉に丹慧のほうを見れば、首を縦に振って同意を示している。

 基本的に侍女は殿舎、女官は女官房で寝起きするのだが、その間を仕事の関係や個人的な付き合いで往来すること自体は、殿舎ごとに違いはあるとはいえ、ないことではない。丹慧たちはその都度遠回りを強いられるし、普段なら近づかない殿舎の近くを通ると色々とまた揉めることもあるのかもしれない。前にちらりと聞いたような、陣地争いじみたことをやっているというし。

 元通りにこちらを通るようにさせるかそれとも事情を明らかにして遠回りを認めさせるか、どちらにしても幽霊の件が邪魔をしている、ということか。


「ううん、幽霊とやらを本当に見られればいいんでしょうけど、でも真夜中にこんな――」

 頭をかきつつ(行儀が悪いとわかってはいる)天香がそうこぼすと、光絢が意気込んで言う。

「お任せください! 私ならお姉さまのこともしっかり守って見せます!」


 そんな挙手自薦に、麗瑛がなぜか念押しするような言葉を被せる。

「光絢は大丈夫なのね?」

「はい!」

「じゃああとは……この話を持ってきたのは英彩なんだから見届けなさい」

「わかりましたあ」

 軍隊のような挙手礼をしてみせる英彩。


「それから燕圭」

「じ、自分ですか!?」

 突然話を振られ、控えていた燕圭がびっくりしたように声を上げる。というか少し身が引けている。

「あら何、近衛このえが幽霊を怖がるの?」

「怖くなどありません。で、ですがその……幽霊ですよ?」

「苦手なんですか?」

「だって、――幽霊と言ったら刃も矢も棒も効かないらしいじゃないですか!」


 凛々しいといえる顔に汗を浮かべて、燕圭はそう主張した。

 ――そこなのか、問題。

 全員の感想が一致して、無言が場を満たす。

 武官としてはそういう発想になるのか。天香にはよくわからないけれども。

 気を取り直したように麗瑛が言う。


「残念な発想は置いておいて。二人に何かあったらどうするの。幽霊が出なくても、侍衛の中には男もいるんですからね」

 先の件以降、少し神経質なほど後宮は警戒態勢に入っている。勤務する男性諸氏には少しお気の毒かもしれないがこればかりは致し方ない。


「ほ、他の侍衛を呼ぶとか、私は殿下のお側を――」

「話を通すよりあなたについてもらったほうが早いでしょ。それに、幽霊を見張りたいから侍衛を貸せなんて言えないわ」

「うう……」


 げんなりとする燕圭の姿に、お察しします、と心中で労う天香。

 と、今度は光絢が言い出しづらそうに挙手する。


「あのう殿下、二人ということは、お姉さまは、一緒では」

「なに言ってるの光絢。怖がりなこの子を置いていけるがはずないでしょう。あなただって行く気はないでしょう?」


 麗瑛に目配せされた。

 まあ、そんなことはもちろん思ってもいないので天香はこくこくと首を縦に振る。

 麗瑛は視線を光絢に戻して。


「あなたは自分で名乗りを上げるくらいなんだから大丈夫なのかもしれないけど」

「そんなあ……」

 がくりとうなだれる光絢。そんな二人に英彩が明るく声をかける。

「二人とも、頑張りましょうね!」


 ――そんな会話が交わされた後、麗瑛は丹慧が幽霊を見た時の位置や行動をその場で確認していった。しかし、当たり前だが先ほどまでの話と何か大きく違うこともなくただ確認するだけで終わってしまう。麗瑛も途中からは露骨に気が抜けたようだった。麗瑛が自分で言っていたように、真昼から怪談話をしても特に怖くもないんだから当然じゃないかと天香には思えてならなかったのだけれども。

 現場を見るだけ見て満足したのか、最初の勢いとは裏腹に麗瑛はあっさりとその場を引き払う。それから一度雨華舎に戻り、海嬪とその侍女に礼を言ってから蓮泉殿に戻った。


 そしてその夜、肩を落とす二人をひとり元気な英彩が引きずるようにして出かけて行ったのだった。



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