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公主殿下の寵姫さま  作者: 有内トナミ
三章 後宮 編
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五十二、 乱入する国帝



「これはなんだ?」


 それが、部屋に招き入れられた青元が漏らした第一声だった。

 応接用とはいえそこまで広くはない部屋だ。そこに女官長と内官長に宰相げっしょう、だけでなく妹公主れいえい義理の妹てんこうまで揃っているのを見ればそんな感想も漏れるだろう。


「これは陛下、わざわざお渡りいただきましてありがとうございます」


 部屋の主でもある女官長が一同を代表して、恭しく拱手して頭を下げる。


「ああ、女官長……いやそれより、なぜこの部屋に集まっているのだ? 麗瑛、お前まで」

「お兄さまこそ、何しにいらしたの?」

「いや、余は女官長が話があるというから――」


 青元は落ち着かない様子で視線を丁夫人に投げる。


「確かにそうお伝えしましたが、後で奏上に上がると申し上げたはずですが。まさかこちらにいらっしゃるとは思いもいたしませんでした」

「いや、だが、気になるではないか」


 すると、麗瑛が天香に耳打ちしてきた。


「怒られるとでも思ったのかしらね」

「子供じゃないんですから」

「でもあなたも思ったんじゃない?」

「そんな、少しだけですよ」

「聞こえているぞ麗瑛、そして天香」


 天香も声を潜めて返していたのだがそこは広いわけではない部屋の中、限界はあった。

 というか麗瑛は半分くらいわざと聞かせようとしてたんじゃないかと天香は思う。


「まあまあ、陛下、まずはお座りください。お話はそれからでもよいでしょう」

 内官長がとりなすようにそう言った。


「で、なぜ麗瑛に天香までこの場にいるのだ?」


 女官長に代わって上座の椅子に座りながら、青元は麗瑛に問う。

 はっと気づけば、天香はこの中で最年少かつ一番の新参者だった。自分は立っていたほうがいいのでは、と反射的に席を立って麗瑛の後ろに控えるいつもの姿勢を取りそうになる。

 が、腰を浮かしかけたところで麗瑛の腕が服の袖をしっかりとつかんでいたので逆戻りした。


「あら、後宮の大事件なんですもの、わたしがいて何かおかしいことがありまして、お兄さま?」

「大事件……?」


 怪訝そうに言う青元を意に介していないように麗瑛は続けて。


「そしてわたしがいるところには天香もいるの」

「わ、私やっぱり立ってたほうが……」

「そこにいなさい」

「はい」


 そんな犬に命令するみたいに言わなくても。

 と思いつつ悪い気はしないのが天香の悪い癖である。

 自覚はしている。


「大事件とはなんだ。教えろ」

「言われなくても今からたっぷりと教えて差し上げます。ねえ皆さま」


 麗瑛の言葉に、丁夫人は顔色一つ崩さず、遼大夫は困ったような微笑みで、絡宰相はしかめ面のまま胸の辺りに手をやって――胃が痛いのかもしれないと天香は思った――それぞれに応じた。




「待て! 余が下女に手を付けたとはどういうことだ!?」


 かいつまんで手短に話を聞いた青元が、思わず大声を上げた。

 ちなみに、その前に隣室、尚宮職の執務室からは人払いをしてある。

 素早く手をまわした丁夫人の機転、というか予想力に天香は感心する。


「余は下女に手など――」

「それはもうみんなわかっています。女官長と内官長のお手柄でね」


 火を噴きかけた兄を冷静に即時鎮火させる妹。

 それ以外にも色々と好き放題言っていたことはおくびにも出さない。天香も言う気はないけれど。


「それで、今はこれからどうするかを話していたところです。おわかりいただけましたか」


 妹に問われた兄は、語気を少し強めて答えた。


「ならば話は早いではないか」

「どうされるおつもり?」

「その下女のところに余自ら乗り込んで問いただしてやる。なぜそんな虚言を吐くかとな!」


 そう言いながら、がたり、と音すら立てて立ち上がる。


「それは!」

「やめたほうが……」


 そのまま飛び出していきそうな青元を止めたのは、ほぼ同時に口を開いたわりに、見事にお互いを補ったような台詞が飛び出た妹たちの声だった。

 ちなみに先に叫んだのが天香、あとから補ったのが麗瑛だ。


「なぜ止める」

「わたしたちは虚言とわかっているからいいのですけれど、他の人間は、特に下女や女官の中にはどちらかわかってない人たちもいます。そんな中でお兄さま本人がその下女に迫ったらどうなると思っていらっしゃるの」

「根も葉もない嘘を嘘だと言って何が悪い」

「主従揃って同じことを言うのね」

「何?」


 天香が見れば、その主従の従のほうは額に手を当ててため息をひとつ。そして。


「下女に手をつけた上、子が出来たら力でもって黙らせた、と言われるかもしれない、と」

「月勝! お前までそのようなことを!」

「私が陛下と同じように言ったところ、女官長どのからそう言われたのです」


 そんなやり取りがあったのはついさっきだ。

 憮然、としたように宰相が言い、ぐぬ、と青元が言葉に詰まる。

 下手に根も葉もない嘘を潰そうとして、かえって悪評を得ることに繋がらないか。

 それを危惧して、宰相は件の下女を即捕縛することをあきらめた。

 もうひとつ、と麗瑛がさらに畳み掛ける。


「例えばその下女に、確かにあなたと情を交わしました! とか、直接引見したその場で言われたら、お兄さまには反論できるの?」

「当たり前だ。会ったこともない女だぞ」

「……麗瑛さまは、それを私たち以外の人間にも納得させられるのか、と言っているのです」

「天香? どういうことだ」


 天香はつい口を出してしまった。

 麗瑛は兄妹の語らいを楽しんでいるのかもしれないが、話が遠回りになってしまっている。


「つまり、宰相さまが尋問されても、女官長か内官長が記録をもとに問い詰められても、あるいは陛下が直接ご下問されても、それを力で黙らせたのだ、という人は出てくるでしょう。……ですから、誰にも否定できない形で見せなくてはいけないんです。いわばその――それをやっていないという証しを」

「情を交わしたという言い分をひっくり返せるだけの、ね」


 麗瑛が付け加え、青元が怒鳴る。

 『やっていない証し』など、どう立てろというのか。


「そんな無茶な話があるか!」

「その無茶な話をどうするかというのが、まさに我々の悩んでいたところなのです」


 女官長がぽつりと、しかしはっきりと言う。

 全員がその言葉を声色以上に重々しく受け止めた。


 否定するだけならたやすい。

 なにせこちらには国の頂点に座る帝がいるのだ。

 こんな小さい空間で憮然と座っていても、この人はこの国の帝なのだった。

 しかし――だからこそ、その権力を軽々しく振り回すわけにはいかない。

 青元自身がそう自戒しているし、腹心たちもそれをわかっている。

 だから、対処に迷っている。


 やがて、青元がぼそりと言った。


「こちらにも証拠がないように、その下女にも俺と情を交わしたという証拠はないではないか」

「証拠なら彼女のお腹の中にいるでしょう」

「それが俺の子だという証拠があるのか? それとも育つまで待てというんじゃないだろうな。いつまでだ、育っても父上には一向に似ませんねえ、とか言われるまでか?」


 すっかり一人称が俺になってしまっている。出てくる言葉も微妙に後ろ向きだ。

 ちょっと面白い。いや面白がっている場合じゃないのだけれども。


「待てよ、下女とやらが孕んでいるのが事実として、ではその父親は誰だ?」


 顔を仰向けて顔の上半分に片方の手のひらを載せていた青元が、呆然と漂ってやっとそこに行き着いた、というように上げた疑問。それに宰相が食いついた。


「問題はそこも、なのです。陛下」

「なんだ月勝、これ以上まだ何かあるのか。もうなるべく聞きたくないぞ」

「あなたの後宮に入り込み、あなたの名を騙り、あなたの女官を犯した者がいるやもしれません」


 む、と少しの間考え込んでから青元は声を発する。


「なるほど、その下女が余たちを騙そうとしている可能性と騙されている可能性、両方あるというんだな」

「少しは落ち着いてきたみたいね、お兄さまも」


 説明を入れなくてもそこにたどり着いたことを指して、麗瑛が軽くあてこすった。

 しかしその程度など意に介さないというように青元が月勝に問いかける。


「しかしその件は後回しだろう。お腹の子の父親を教えろと言っても聞くわけがない。騙されているにしろいないにしろ、どちらにせよ父親は帝だというに決まっている」

「確かに」

「なら、今考えるべきは私の身の潔白を証明する手段ではないか?」

「そうは言われますが……。やはり、ある程度人目のある場所で尋問を行う、ですとか――」


 月勝が難しい顔で――まあ基本は同じしかめ面なのだけれども――言う。


「いくら衆目に晒しても、その場に居合わせなかったものから突拍子もない雑言が生まれかねません。かといって後宮の全ての人員をひとつところに集めるわけにもいきません」

「女官長はそう仰るが、ある程度までは許容しなければいけないのでは」

「噂というのなら、その人目からもやっぱり噂は流れるのではないかしら?」

「しかし噂というのは形のないものでございますからね、公主殿下の仰るように都合よく動いてくれるとは」

「でもね内官長――」


 そんなやり取りを聞きながら、天香は会話に口を挟めないでいる。

 挟む時機をつかめなかったし、挟む言葉がなかった。

 だから飛び交う言葉をあれこれと聞き比べていた。


 ふっと交わされていた言葉が止んだその刹那。

 天香の頭の中で、何かが閃いた。

 まわりを窺い、一様に難しげな顔をしている中で、そーっと挙手をして言う。


「あのう」

「どうしたの天香。いい案?」

「いい案かどうか……その女官が本当は騙されているのかどうかがわかればいいんですよね。出来れば彼女自身にもわかるように」

「そうね」

「では、こういうのはいかがでしょ――」

「そうね、そうしましょう」


 即答。

 提案の言葉さえ言い終わってもいないうちの、あまりにも食い気味の反応。

 がくり、と青元が態勢を崩した。


「まだ何も言っていないだろう!」

「だって、天香の提案ならわたしが無下にするはず無いでしょう?」

「ならせめて中身を聞くまで待て! で、どうするのだ天香」


「あ、ええと――」


 気の合った芸人みたいだ。ほほえましい兄妹の姿である。

 なんて、実際少し不敬なことを思いつつ、天香は口を開いた。



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