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公主殿下の寵姫さま  作者: 有内トナミ
一章 入内 編
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五、 誰が誰の何ですって?

「陛下の正妃候補・・・・なの?」


 その一言に、天香は凍りついた。

 

「はい?」

「だっていきなり殿を与えられて――」

「公主殿下が傍に付いてらっしゃるのも丁夫人が蓮泉殿付きになってるのも、正妃としての心得を教えるためだっていう話で――」

「そういううわさがあるっていうだけだよ!」

 福玉があわてたように言葉を継ぐ。


 確かにそう見えてしまうのかもしれない。どこからともなく現れていきなり蓮泉殿を与えられた謎の妃だと、そう噂されているのなら。現在の妃嬪たちを飛び越して正妃とするために国帝が直々に迎え入れた妃だと思われているのなら。

 さっきの話で公主の話題が出てこないのも当然だった。少なくとも彼女たちの一部は、公主は麗泉殿の御方の教育係だと思っていたのだ。それに加えて、後宮の女官長たる丁夫人がそばについて監督しているのもそれを補強してしまったのだろう。


「正妃候補だなんてそんなこと、あるわけないです! 絶対に!」

 天香は心の底から強く否定する。

 たとえどう思われようとこれだけは強く強く否定しなければいけない。天香は公主の、麗瑛の妃であり、それ以外の誰に嫁いだつもりもない。麗瑛以外の誰であっても心も体も預けようとは思わない。たとえそれがこの国で一番偉い人間でもだ。だから。

「まだ後宮入りしたばかりで右も左もわかりませんが正妃なんてことだけはありえません。陛下が良君りょうくんであるというのは存じ上げていますが正妃どころか妃嬪の位すら思ってもみなかったことで。まだまだ何もわからなくてご迷惑をおかけすることばかりでそれでも陛下の妃なんて考えは最初からないんですだって、だって――」


 だって殿下がいるのだから。と続けようとして息が続かなくなり言葉を止め、そこで天香はふと我に返った。

 周りを見れば女官たちは何か気まずそうにお互いの顔を見合わせている。福玉も何か呆気に取られたような顔。隣を肘でつついている人もいる。

 

「ごめん」

「え?」

 最初に口を開いたのは豊寿だった。言葉だけでなく、手を合わせて頭を下げる。

「その、ええと、泣かせるつもりはなかったのよ?」

 その豊寿を皮切りにして、

「ちょ、ちょっと聞いてみただけって言うか」

「本当にごめんなさい」

「あなたがそんなに蓮泉殿の御方のことを思ってるなんて思わなくて」

「あなたなら主思いのいい侍女になれるわ」

 口々に謝られてその上何か励まされて返答に窮する天香。同時にその言葉で、改めて自分がいま蓮泉殿の侍女として話していたのだと思い出した。そして目の端に涙が溜まっていることも。あわてて涙を拭う。


 おかしなことを口走っていなかっただろうか。途中はほとんど頭の中が真っ白で無我夢中すぎて何も覚えていない。謝られ方からするとそんなに変なことは言ってないようだと思いたい、けれど。


「あ、あの、その、こちらこそ取り乱しまして……」

 演技でもごまかしでもなく申し訳ない気持ちでいっぱいになって、天香は頭を下げる。

 そのままなんともいえない空気になってしまう。それを払いのけるように福玉が

「じゃあもう終わり!」

「え?」

「お互いに謝ったんだから、この話はここでおしまい! ……って、それじゃ駄目かな? 私、都合よすぎる?」

 天香のほうを向いて首を傾げてみせる。

 天香としてはこの空気のまま別れてしまうのも気まずい。

「私は、それでいいですけれど……」

「豊寿さんたちも、いいですか?」

「いいと言ってもらえるなら、もちろん」

 頷く豊寿。その後ろで他の女たちも首を上下に振る。

 両者の様子を見て福玉は破顔して、そして高らかに宣言する。

「じゃあ、私はこの子送ってきますから!」

 言うなり、天香の袖をつかんで連れ出そうとする。それに引きずられるようになりながら、天香は室内の宮女たちに叫んだ。

「えっあのそのっ!? ――失礼します!」


 結局、福玉に途中まで送ってもらうことになった。

 天香は固辞したのだが、せめて途中までと食い下がられ、それならと受け入れたのだ。

 よく考えれば元々迷っているということで連れられていったのだから、送ってもらったのはむしろ良かったのだ、と天香は歩いているうちに考えを改めた。逆に固辞しすぎてはおかしいだろう。そんなことを考えながら歩いていると、福玉が口を開いた。

「ごめんね、なんか最後変な空気になっちゃった」

「いえ……こちらこそ、ごめんなさい」

「だから、もう気にしないで。こっちも悪乗りしすぎたのよ」

 それにね、と言葉を繋ぐ。

「あんな空気になっちゃったら、その場で謝って終わりにしないと次会ったときも気まずいままになっちゃうでしょ。そういうの嫌なんだ、あたし……わたしは」

 急いで言い直したところを見ると「あたし」のほうが素なのか。そっちのほうが似合っている気がする。そう伝えようかどうしようか天香は迷ったけれど、それよりも聞きたいことがあったのだ。


「あのー、福玉……さんも」

「福玉って呼んでよ。同い年くらいでしょ? 私は十七」

「あ、同じです」

「やっぱり。なんかそんな感じがしたんだよねー」

「……福玉も、そう思う?」

「そうって?」

「その、蓮泉殿の御方が本当に正妃候補だって」

「んー、半々かなあ」

 おずおずと切り出した天香の言葉に、少し考えるしぐさを見せてそう答える。

「半々?」

「うわさだけを聞いてたらそんなこともあるのかもって思ってたんだ、実はね。だけど、さっきのあなたの剣幕は嘘をついてるような感じじゃなかったし。だから半々」

「半々……」

 半々だとしても、頭から全て信じられているよりはましなのか。それとも誤解を徹底的に解いたほうが良いのか。

 いまの天香には判断できなかった。




「どこに行ってたの、天香?」

 蓮泉殿に戻った天香を待ち構えていたのは、にっこりと笑みを浮かべた公主の詰問だった。

 いつもの笑顔を花とすれば今日のそれはどこか猫か何かに似ている。どちらにしても魅力的な笑み。絶大な威力だ。この場では主に天香に。


「わたしは采嬪と気の進まない会話をしてたというのに、私のお嫁さんときたらその間どこかへお出かけになっていて」

 恨めしげに言う公主の言葉を、くすくすと笑いながら英彩が補足した。

「殿下、さっきまでとっても落ち着かなくていらっしゃったんですよお」

「英彩!」

 押し殺した声で叱責するがその声には力がない。

 天香がそっと見れば、麗瑛は表面上取り澄ましたような顔をしつつも、その頬にさした赤みは本心を隠しきれていない。

「……心配だったもの」

「はい」

 ぽとりとこぼす本心が嬉しくて、天香はつい笑みを抑えきれなくなってしまう。

「いま欲しいのはその笑顔じゃないのだけど」

「心配をおかけして申し訳ありません」

「……もういいわ」

 毒気が抜かれたように麗瑛は言った。


「で、どちらへ行かれてたんですか?」

「あの、その」

 あの場で交わされた会話を思えばそれをありのままには明かしにくい。長いとはいえない時間だったが親しげに会話を交わした女官たちに要らない迷惑がかかるのも申し訳なく思う。あまり会話の内容までは踏み込まないようにしつつかいつまんで話すことにした。

 途中から麗瑛の笑みが険しくなったのに天香は気づかない。


「そう。わたしが心配してたのに、あなたは女官たちとお茶会してたのね」

「はい?」

 いやこちらもお茶会しようとしてしたわけではなくてなんとなく流れというか。そういえば淹れてもらったお茶に手もつけずに(へや)を後にしてしまった。失礼だったかもしれない。

「あの、殿下?」

「知らないわ」

 ぷいと顔を背けられてしまった。

 わたしの公主様はどうやら拗ねられてしまったみたいです。

 拗ねた顔も可愛いと、心中で天香は思った。



***


 夜。

 天香は(ベッド)の中で昼間のことを考えていた。目の前では麗瑛が安らかに寝息を立てている。

 あのあと麗瑛の機嫌を取るだけでかなりの時間を要した。最終的には床の中でまで宥めなければいけなかった。最後のほうはなんかもう二人ともそれが面白くなってしまっていた感じもするけれども。

 それはそれとして。


 昼間の女官たちとの会話を思い返せば思い返すほど自責の念に駆られる。

 麗泉殿に入って数日、つまり嫁いで数日。その間ただ公主との毎日に溺れていた。

 このままでいいと思っていた。

 不都合はないと思っていた。


 そんなことはなかった。

 それは公主が、他ならぬ麗瑛が自分を覆い隠していてくれたからだ。


 自分がもっと後宮の中について詳しく知っていたなら、知ろうとしていたのなら、もっと早くそれに気づけたのだ。


 目の前の寝顔から目を背けて、身体の向きを入れ替える。

「――てん……こ……」

 姿勢を変えた瞬間にそんな言葉が投げかけられ、背中に触れる感触に一瞬びくりとしたが、それはそのまま規則正しい寝息に変わった。寝言のようだった。

 背中で寝言を聞いたとき、天香の胸中に沸きあがってきたのは不安と恐怖。このままではいつか公主にとって良くない汚点を付けてしまうのではないか。あるいはその原因になってしまうのではないか。

 自分が恥をかくことには耐えられるかもしれない。だがその結果、自分のせいで公主が恥をかくかもしれない。天香はそのほうが何倍も何十倍も怖かった。


 平穏な生活を望んでいた。

 平穏は向こうから与えられるものではない。

 自分で得るものだ。

 得なければいけないものなのだ。


 ――だから、天香はそれを勝ち取ることにした。



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