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公主殿下の寵姫さま  作者: 有内トナミ
二章 茶会 編
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四十七、 狗亦不理(いぬもまたくわず)



「お見合いでもしてるみたい」

「こら、覗き見なんてしないの」

「だってえ」

「夫婦喧嘩の見物なんてするもんじゃないわ」

「気になるじゃない」

「だめ」

「けち」



 侍女二人が物陰に隠れて小声でそんな会話を交わしたことなど、部屋の中で向かい合う天香と麗瑛の耳には届かなかった。

 ひそひそとそんな話をされるほど、無言で向き合っていた。

 お互いの出方を探るような沈黙を破ったのは、麗瑛のほうだった。


「――さっきの話だけれど」


 一方の天香は、自分が口火を切らなかったことにすこし安堵を覚える。

 麗瑛の側に在るために、麗瑛との安寧のために、間違ったことを言ったつもりはない。だから自分から口を開くのはなにか違う。――それは、光絢に送り出されてからずっと考えていたことだ。謝ることがあるなら、それは自分一人で熱くなって感情をぶちまけたことで、その内容についてではない。

 だから、意地を張った。


「さっきって、何のことですか」


 少しだけ間をおいて、麗瑛が話し出す。

「わたしも、あなたに怒られてから少しは考えたの、だけど――」

「怒った……私が?」

「怒ってたでしょう。今だって」

「あれは、怒ったっていうかその、瑛さまに叱られて言い返しただけで、今もそんな――」

「えっ?」

「えっ?」

「わたし、あなたのことを叱ったかしら?」


 どちらともなく顔を見合わせて、二人は同時に言った。

「「えっ?」」



「なんか噛み合ってないみたいなのお」

「私は私とあんたの会話が噛み合ってないと思うんだけど」

 侍女はため息混じりに言いながら、その相手に裁縫道具を突きつける。

「覗きに、行くなと、言ったでしょう? お二人にもそう言われたはずよねえ、誰も近寄るな近寄らせるな、と」

「だって気にな――いふぁいほっぺやめていふぁいから」

「痛くしてるんです」



 一方、天香たちは。

「だって、言ったじゃないですか。洪妃とは付き合うなって」

「付き合うな、とは言ってないわ。肩を持つなと言ったのよ。叱ったわけじゃないわ」

「何が違うんです?」


 天香は混乱する。

 叱られたと思って感情的に言い返してしまって落ち込んで、居づらくなって光絢のところに逃げて、でもそもそも叱られてさえいなくて。

 じゃあ自分が叱られたと思ったのは何だったのか。


「無条件で味方になるなと言っているの。それと、あなたを叱ったわけじゃありませんからね」

「わかりました、叱ったわけじゃないのはわかりましたから」

「だってあなたはわたしに叱られたと思ったんでしょう?」

「瑛さまだって、私に怒られたと思ったと言いましたよね?」

「あなたの言い方が悪いんじゃない」

「瑛さまだって私にあんな――」


 言いかけて、そこで天香はどうにか言葉を止める。違う、今するのはそれじゃない。そうじゃなくて。

 息を吐いて態勢を整える。麗瑛も同じように思ったか、またそこで少し沈黙する。


「……じゃあ、私に怒られたと思ったのは?」

「だから、言い方が悪いのよ。あんなに洪妃の側にばかり立って話して」


 麗瑛の口調には少し拗ねたような色がある。それだけで、自分と同じように不服に思っているらしいとわかってしまう。お互い自分は間違ったことは言っていないと、けれど相手を怒らせたことは悪かったと、そう思っているのを。

 少し気が抜けた。さっきまで張り詰めていた肩の力がやや抜ける。

 しかしそういわれても、天香にも言い分はある。そもそも天香が直接言葉を交わしたのは洪妃だけなのだ。肩を持つもなにも、洪妃のことしかわからない。


「揉め事を起こして欲しくないと、天香に言われて考えたの。揉め事を収めればあなたもわたしも安穏とできる。それがわたしたちのためになる。そう思っていたんでしょう? まあ、確認するまでもなく天香が今そう言ったから確信できたのだけれど」


 考えただけで正解にたどり着ける麗瑛がすごいのか、それともそれくらいで見通されてしまう自分が浅いのか、と天香は考える。どちらにしてもはっきりしていることがひとつある。

 天香が考えても、麗瑛の考えていることにたどり着けない。

 ずるい。不公平だ。


「けれど、それをわかったうえで言うわ。やっぱりわたしはあなたに李妃と洪妃の間になんて入ってほしくない」

「どうして、ですか」

「必要ないから」

「だって……」

「言い直すわ。あの二人を放置しておいても、わたしたちには関係ないから」


 予想だにしないその言葉に天香は呆気にとられる。

 関係があると思ったからこそ声を荒げたのに。


「あの人たちが本当に欲しがっているものは何か。何のために張り合っているのか。わかっている?」

「……陛下の、寵愛、ですよね」

「わかってるじゃない。だったらそのもうひとつ向こうにも気づいてほしかったのだけど」

「もうひとつ、向こう」


 復唱して小首を傾げる。

 そんな天香の瞳に自分の瞳を映しながら、麗瑛は言う。


陛下おにいさまの寵を得たいあの人たちが、皇妹わたしに対して自分が不利になるようなことをすると思う? 茶会を開くという一報が入っただけで、彼女たちはこぞってわたしにそれぞれの品物を献上した。あれは、私を通してお兄さまに売り込むための点数稼ぎよ」


 あの人たち、彼女たち。繰り返されるその言葉が指しているのは二人ではなく十二人、正確には迦鈴はあの通りなので除いた残りの十一人のことなのだと、天香はようやく気がついた。話した限りでは郭嬪もあまり正妃には興味がなさそうではあったけど、まったく狙っていないとも言ってはいなかった。


「わたしたちを敵に回せば正妃への道が断たれる。そう思わせていれば、どれだけ反目が激しくなっても、わたしたちへの飛び火は抑えられる。だから、あなたがわざわざそんなところに割って入る必要はない。それだけは言いたかったの」

「じゃあ、瑛さまが私を叱ったのは」

「どちらかに肩入れするのはやめなさい、といったの。叱ったわけじゃないって言ったでしょう。……まあ、理由はもうひとつあるけれど」

「え?」

「だってあなた、そういう空気が嫌いでしょう? 実際に手が出てなくても、言葉さえ飛んでいなくても、険悪な空気の間にいるだけで体がすくんでしまうんですもの。そのくせそういう雰囲気をなくそうと必死になるの。昔からそうだったんだもの」


 思わず聞き返した天香のその反応を待ち構えていたかのように、にやり、とあまり公主らしいとは言えない笑みを浮かべて麗瑛は言った。

 わたしにわからないはずがないでしょう、と彼女は微笑む。

 言われる側からすると、まさにその通りで異論も挟めない。


「わたしは、そんなところに自分から飛び込んでいこうとするような、そんなことをあなたにしてほしいわけじゃないの。そんな無理をしないでと言っているだけなのに」

「無理なんかしてません。やれる範囲でやろうとしてます……ました! それとも瑛さまは、私を信用してくれないのですか?」

「信用してないなんて言ってないじゃない!」


 今度は麗瑛が反射的に口調を強める。間が空く。

 天香が言い直したことですでに負けを認めていたようなものだが、天香も麗瑛もそれには気づかない。

 間は長くなく、すぐに麗瑛が口を開いた。


「だってあなたが悪いんじゃない。少しでも目を離すとすぐどこかに行ってしまうんだもの。わたしはあなたが心配なの、ここにいない間ずっと気が気じゃないんだから!」

「どこに行ったってここに、瑛さまのところに帰ってきます。子供じゃないんですから!」


 売り言葉に買い言葉というには鋭さに欠けるだろうか。思わず口から出た言葉に、麗瑛の動きがなぜか一瞬びくりと止まって、言い返そうと一度開いた口が細かく動いて閉じる。

 天香はそこにたたみかける。


「私の帰ってくる場所はここにしかないんです。でなければ実家ですけど……だって私は瑛さまの妃じゃないですか。だから、ここに帰ってきます。子供じゃないんだから、自分の帰るべき家くらいわかってます! そりゃあ、来てすぐのころは道に迷いもしましたけど……でも、今はもう大丈夫ですし?」


 一気に言った。途中からだんだん尻すぼみになってしまったけれど。

 言われた側の麗瑛は、何だかぽかんとした顔をしている。言葉をさらにいくらか繋げようとした天香は、麗瑛の意外な反応の遅さに疑問符を浮かべて問いかけた。


「だから……あの、瑛さま?」 

「え、ええ。そうね」

「……何がですか?」


 要領を得ない返答に、ますます疑問符が大きくなる。

 じっと見つめられて、みるみる麗瑛の顔が朱色に染まる。

 ばさ、と。衣装を翻すように、麗瑛は天香にその身を預け、抱きついた。


「子供扱い……してた、かしら。してたと思われてもおかしくない、のね……」

「瑛さま、あの?」

「ごめんなさい」

「え、ええ?」


 首元で告げられた、予期してもいない謝罪に天香は驚く。

 こんな風に聞き返すのは今日いったい何度目だろう。そう思いながら。

 そんな天香の首に頬を寄せて麗瑛は口を開く。首同士をこすり付け合う小動物のように。いや、そんな大きさじゃないのだけれども。


「結婚――する前は、少しくらい離れていても大丈夫だった。いえ、離れているのが普通だったから、そんなこと考えもしなかった。でも、そのときよりこうやってもっと近くにいるのに、今のほうが逆に不安なの。前よりもずっと。自分でもおかしいと思う、けれど……」

「瑛さま……」

「――でも、だからと言って、あなたを子供のように扱ったのは間違ってた。……お兄さまに話し合えと言われた時ね、子供じゃないんだから、そんなこと言われなくてもわかってるって思ったの。いちいち子供扱いされて嫌だったのに――あなたにも、同じ想いをさせていたのかと思うと」


 かすかに震えるその声に、天香は涙の分子を嗅ぎ取る。

 慌てて身を離せば、麗瑛の目じりには涙の珠。

 内側のどこかから来るような衝動に動かされて、天香はその目じりにくちびるを寄せた。



 * *


「なんか、聞いてて疲れたー」

「だから言ったでしょ。見物なんて時間の無駄よ、夫婦喧嘩は犬も食わないんだから。――それよりも? 隙を見てはたびたび聞き耳を立てに行ってる暇があるのなら、この繕い物を是非やってほしいものなんですけれど、ねえ?」

「でもさ」

「何よ」

「二人とも女なんだから夫婦じゃなくて、んー……婦婦ふーふ喧嘩じゃない? 婦って字を二つ重ねてさ」

「余計なこと言ってないで、あんたは、仕事を、しなさい」

「はあい」




また間が開いてしまいましたが、これで二章茶会編完結です。

次回は二章登場人物の紹介になります。


物語自体はまだ続きます。三章ではあの人が……出るかな?出てくれるといいな。

そんな感じです。


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