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公主殿下の寵姫さま  作者: 有内トナミ
二章 茶会 編
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三十八、 茶会 ~妃嬪たち~



 さて、天香の仕事はといえば、麗瑛の給仕だ。

 求められたら茶や茶菓を運んでくるのが役目だ。茶は広間の隣の控えの間、茶菓は広間の中央に並んだ卓の上に並べられている。

 いまも、嬪の一人が給仕役に茶菓を指差して言う。


「あのお菓子は何かしら、あの左側の――」

「あれは山査子羹さんざしかんです。お取りいたしましょうか」

「ええ。できればその隣の干し杏子あんずも……」


 逆に言えば、それ以外の仕事はこの場にはない。

 そのほかの天香の仕事はむしろ始まる前の手配と終わった後の後始末にある。

 ということはどういうことかと言えば、麗瑛が茶を飲み話を交わしている間は周りを見ている余裕がある。

 自然と、その視線は歓談する妃嬪たちに注がれる。


 座席順はほかならぬ自分が一緒に決めたのだから、座っている場所を見ればそれが誰かはわかる。

 例えば麗瑛から見て左側の一番手前に李妃、その逆側に洪妃。李妃の父親が左大臣だから左側、という単純な理由だ。李妃自身それに気づいているのかいないのかはわからない。平然として茶を口に運んでいる。

 そんな李妃は青色の上衣にそれを薄めたような薄青の裙を着ている。濃い色の上衣に負けていない、やや派手系統と言っていい容姿だが、緩やかに波打つ髪と下がり気味の目尻が柔らかな印象も与える。


 相対するように座す洪妃は、色までも相対するかのような赤でその身を包んでいる。と言っても全身真っ赤なんてわけではなく、上半身は薄紅の衣、下半身は赤の裙。吊り目がちな、こちらは完全に派手な美人顔。これで年齢は麗瑛の一つ上、天香の二つ上の十九歳だというが、もっと大人びた感じさえ受ける。もちろん老け顔という意味ではない。ただ少しだけ残念なことに、ちょっと化粧が濃いように天香には思えた。


 目を引く、と言えばあの郭嬪の衣は更に派手だった。何と言っても緑色の地に大胆に深紅の花をあしらっている。南方系の華やかな意匠を好むと言う評は確かだったらしい。その明暗比というのか、とにかく目を引く仕立てだ。またそれが似合っている、少なくともそう思わされるのがすごい。穏やかに扇を仰ぎながら陸嬪と言葉を交わしている。話相手の陸嬪は橙の衣でこれも目は引くのだが、惜しいかな本人との組み合わせと言う意味では郭嬪に対して一歩どころか三、四歩くらい遅れを取っている。


 襦裙きもの以外で目を引くと言えば、その二人に向かいあう位置にいるひとりの嬪がそうだ。天香は頭の中の座席表と重ね合わせて答えを得る。劉嬪ことりゅう蒼姫そうき。北方州の貴族家の出身。後宮の妃嬪の中の最年長が彼女で、当年二十五歳である。

 そんな彼女の何が目を引くかと言うとそれは髪で、その髪はこの広間の中で唯一、明るめの栗色に煌いている。鼻は高く彫りも深く、その肌も色が抜けるように白い。賜っている舎を雪花舎せっかしゃというが、肌の白さとかけているのだろうか。その容姿は単に生まれが北だから、と言うわけではなく、彼女には胡人の血が流れているからだ。公路の先に住む多様な異民族を胡人と総称するが、彼女はその末裔だった。その蒼姫という名よりは濃い藍色の服だが、これが肌の白さを引き立てている。郭嬪と同様、自分の美しさを引き出す術を知っているひとだ、と素直にそう思えた。


 際立つのはこんなところで、実は李妃と劉嬪のあいだにはもう一人ねい嬪の席があるのだが、両側に埋もれてしまっている感じがする。決めた側の天香が言うのもなんだが、末席に行くほど印象は薄くなる。

 迦鈴などはむしろそのほうがいいのだろう。しかし、それ以外の末席集団(仮称)に属する嬪は公主に顔を繋ごうとその機会を窺っているのか、隣り合った嬪同士で話しながらも時折ちらりちらりと視線を飛ばしてくるのが見える。その視線の行き先は自分ではなく公主だとわかっているはずなのに、なにか居心地の悪さを感じる。


 と、天香はそのうちの一人に目を留めた。

 自分でもなぜ目が留まったのかわからなかったが、少し見るうちにその理由がわかる。

 ほかの嬪たちは公主のほうを気にしている。しかし彼女だけはそれをしつつも、むしろ他の方角を、下座と言うよりも広間の出入り口のほうを気にしているのだった。

 天香が疑問符を浮かべて首をひねっていると、麗瑛に呼ばれた。妃嬪たちの手前、女官名のほうで。


「天咲?」

「あっ、はい、申し訳ありません」

「なにか気になることでもあったの?」

 近づいた天香を見て麗瑛が小首を傾げる。

「いえ、その、なんでも」

「そう? じゃあ、お茶のお代わりを持ってきてくれるかしら」

「どれにいたしましょうか?」

「そうね、『俊善しゅんぜん』をお願い」

「お菓子はどうしましょうか」

「今はいいわ」

「承りました」


 紅茶の銘柄を告げられて、その用意のために席を立つ。

 ちらりと見ると、例の嬪は何事か考え込んでいるように見えた。



 茶杯を載せた盆を両手で運びながら控えの間から広間に入る。その時、入口のところで中座したらしき嬪とすれ違った。薄緑の衣は、先ほど目を留めた嬪のものに違いなかった。

 気になる。

 もちろん用足しに席を外したのかもしれない。そわそわとしていたのはその表れだったのかも。そう天香は思おうとしたが、どうにも気になった。

 普段は特にそんなことは思わないのにだ。


「ありがとう……やっぱりなにか気になることを見つけたのね。そういう顔してる」

「え、あの、その……通りです」


 茶杯を渡しながら至近距離に顔を寄せれば、顔色を難なく読まれてしまう。

 扇で口元を隠して妃嬪からの視線を上手くさえぎりながら、そう問い詰められた。人に聞いてもらいたくない話をしているのかと思われそうだが、仕方ない。

 やっぱり殿下を上手くごまかすのは無理だ、とあきらめて天香は潔く彼女の問いを認めた。


「行ってきてもいいわよ?」

「え? しかし……」

「気になるのでしょう? しばらくは大丈夫だと思うし。……けれど、何があったかはちゃんとあとで教えること、いいわね?」


 お見通しなんですからね、と麗瑛のその目が言っている。

 天香はありがたくその厚意にすがっておくことにした。


「ありがとうございます」

「あ、その前に」

「はい?」

「そこのれんらんをお願い」

「承りました」

 すりつぶした香草と砕いた蓮の実を生地に練りこんだやわらかい焼き菓子をいくらか麗瑛の茶菓盆に置いて、天香はその場をひとたび離れた。



 探し人は、案外とすんなり見つかった。

 控えの間は茶を用意する一つだけではなくいくつかある。その一つの前に立つ薄緑の上衣を見つけた。

 用足しではなかったのか、それとも考えにくいが迷ったのか。入った店から出るともう方向がわからない、みたいなすごい方向音痴の可能性だってある。

 声を掛けようとした天香は、しかしその薄緑の嬪の向こうに唯一の部下の顔を見つけた。


「あなた、光絢……よね?」

「え、もしかして、碧桃へきとう……さん? お、お久しぶりです。なぜここに?」

「そうよ、本当にお久しぶり。貴女こそ、こんなところで宮女きゅうじょ勤めをしているなんて思わなかったわ。さっき見かけて、やけに似てる人がいるなーって思ったの。本当に貴女だったなんて! わたしなんてね、今ではじょ嬪さまー、なんて呼ばれているわ」

 ああ、光絢の知り合いだったのか。と天香は安堵する。そして記憶の頁をめくる。

 徐嬪・徐碧桃。寿楽舎じゅがくしゃを賜っている。光絢と同じ尤州ゆうしゅうの出身とは聞いていたが、顔見知りだったとは知らなかった。年齢は洪妃と同じ十九歳のはず。同い年でも落ち着きはまったく違うな、と思う。

 そこで声を掛けてもよかったはずだが、なんとなく天香はそこにあった衝立の陰に隠れた。久しぶりのようだし、邪魔するのも悪い。それに――。

 わざわざ茶会を中座してまでする話を、部外者じぶんのいる場でするとは思えない。


「そ、それは失礼致しました。」

「ああ、頭なんか下げないで。わたしは今でも藍柴らんさい領の碧桃のつもりだもの。……いきなりだけれど、貴女、私たちの応対をしていたということは公主殿下にお仕えしているのよね? お目通りもできるんでしょう?」

「え、あ、はい。確かに、蓮泉殿に勤めておりますけど――」


 勢いに抗しきれないように光絢はそれを認める。

 別に隠してもいないことだ。おかしいことでもない。

 様子をうかがうと、がしり、と音が出そうな勢いで碧桃――徐嬪は光絢の手を取った。


「頼みがあるの。同じ尤州の出として、協力してくれないかしら、ね?」

「た、頼み?」

「ええそうよ。難しいことじゃないし悪さを働けなんていうつもりもないの。ただほんの少しわたしのために働いてもらいたいだけ。それだけなの。誓って、けっして悪いようにはしない。約束よ」

「は、はあ?」


 戸惑ったように光絢が声を上げた。


 一方で天香は思いを巡らせている。

 まあ、光絢に声をかけた大体の予想はつく。

 公主の好みを聞きたいとか、最近の様子が知りたいとか、そういうことを聞き出そうというあたりだ、おそらくは。

 彼女の言葉通りなら、席に案内されるときに光絢を見かけ、そこから今までの間に思いついて実行に移したということらしい。まあまあ行動が早い、と言っていいのだろうか。基準がわからないけれど。

 お近づきになりたい相手れいえいに近づくために、使えるだけの伝手は利用しようとしたのだろう。

 別に怒る気はしない。末席に近い嬪が上を目指すなら当然だとも思う。縁故でもなんでも使えるなら使えばいい。効果があるかどうかは別の問題なだけで。

 けれど、正妃としてはどうなんだろうな。天香はそう思った。

 天香の思案など放置して(そもそもほかに人がいると思っていないのだろうから当然だ)、徐嬪は熱弁を続ける。


「そうしてくれればわたしも面目が立つのよ。あなたも公主殿下をその、裏切るとか、そういうわけではないのだし」

(んん?)


 引っ掛かりを覚えた。裏切るという物騒な言葉にではない。

 誰に対して面目が立つのか。

 誰に対して誇りたいのか。

 自分自身に? そんな言い方ではない。

 上を目指す、今の二妃を越えるというよりも、今の言葉はその二妃のどちらかに面目を立てたい、という意味ではないか。

 思案している間に言葉をいくつか聞き飛ばしていたような気もする。


 そういえば今隠れている衝立は、用意したはいいけれど余ってしまったものだったはずだ。妃嬪たちの出入りするところではないのできちんと片付けなかったのだろう。

 天香は誰かの手抜きに感謝する。身を隠す壁になってくれたことと、態勢を整える余裕を持たせてくれたことに。

 息を一つ大きく吸って吐いて、天香はその場所から外に出た。

 困っている部下を救うのも、上の者の仕事だと思った。


「その者が、なにか粗相を致しましたでしょうか、徐嬪さま」



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