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公主殿下の寵姫さま  作者: 有内トナミ
一章 入内 編
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四、 うわさ話

「えっ、あの」

「見かけない顔ねえ。もしかして新入り?」

「あ、はい、そうです」

 嘘はついてない。後宮の新入りという意味では。

 しかし彼女はそれを疑問に思う様子もなくにこにこと話を続ける。

「そっかあ。私は明梅舎めいばいしゃ福玉ふくぎょくよ。あなたは?」

「れ、蓮泉殿の……あっ」

(やっちゃった)

 天香は自分の血の気が一気に引く音を聞いたように感じた。自分がこんなところを一人で歩いている上に他の舎の女官と対等な口をきいてしまっているのは、二重の意味で良くないのではないかと思ったのだ。


 いまだに自分が慣れていないとは言え、本来後宮とは厳然な階級社会なのだ。ある意味では外界を上回るほどの。女官と妃が(あまり自覚はないが天香は妃という身分なのだ。なってしまった)対等に気軽い口調で喋ってしまうのもよろしくないし、そういうことを気軽にしてしまう女が公主殿下の妃であると広まれば、それは公主の外聞にも差し障る。先ほどの会話を聞く限り、公主と他の妃嬪との仲は良いとはいえないような雰囲気だった。そういった空間では周りにいる人間、身に着けている物でさえ攻撃材料となることを天香は知っている。

 だが、だからといって一度言ってしまったことは取り消せない。何か大きな音でも響いていれば、あるいは宮妓たちの音楽の練習でも聞こえていればその音で聞き間違いだとごまかせたかも、などと天香は考えるがすぐそれを自分で打ち消す。いや無理があるしそもそも他の殿舎の名前を挙げてもその内バレてしまっただろうし。じゃあどうすれば。

 思考の迷路に入りかけた天香を現実に戻したのは、今まで相対していた福玉だった。


「もしかして、あなた蓮泉殿の御方おかたの侍女なの!?」

「え」


 ……あれ。

 蓮泉殿の御方というのは、ひょっとして、いやひょっとしなくても自分のことだろうか。殿下のことなら敬称がつくと思うし。でも御方だとすると本人なのに本人に思われずにその侍女だと思われたということでこれはその、なんだろう。


「そ、そうなの! 蓮泉殿の侍女で……道に迷ってしまったみたいで……」

 天香は彼女の勘違いに乗ることにした。道だけ教えてもらって逃げてしまおう。とりあえずここさえ凌げば――。

「そうなんだ! じゃ、ちょっとついて来て」

「あ、はい」

 親切に連れて行ってくれるらしい。近くまで行ったところで、もうわかったからと礼を言って立ち去ってしまえばいいかと思って、天香はその後に従う。


***


 甘かった。

 甘く見ていた。

 天香は自分の甘すぎる見立てを呪った。

「さあさ、これも食べて。今お茶も淹れるから!」

「あっ、はい……」

 目の前には大卓と椅子、そしてその周りに並ぶ数人の女たち。大卓の上には小鉢に盛られた干し果物などが並んでいる。どうやらここは使われていない舎の一室を宮女たちの休憩用に改装したものらしい。なぜそんなところにいるのかと言われれば、福玉の厚意を無碍むげにするのも心苦しくその案内に従っているうちに、あれよあれよとここまで連れ込まれてしまったのだ。


(不覚……適当なところで断っておけば……)

 内心そんなことを考えているとは知りもせず、福玉やその他の宮女たちはあれこれともてなしてくれる。もちろんただの親切心からだけではなく、何か対価を要求されているのだろうと察しはつく。蓮泉殿の侍女と思われてここに連れ込まれたと言うことは対価と言うのはつまり。


「――で」

「は、はいっ」

 話題が切り出されることを予期して思わず身を固くする天香に、女官たちが微笑んで言った。

「緊張してるの?」

「何も取って食べようって言うんじゃないんだから」

 食べる人もいるかもしれないじゃないですか主に蓮泉殿とかに、と言うのはもちろん思っても言わない。

「初対面の人大勢に取り囲まれたらそうなりますってー。はいお茶ね」

「連れてきた本人がよく言うわ」

「だって知りたいでしょ? 蓮泉殿の御方についての有力証言者ですよ」

 とりなすように入ってきた福玉のその言葉に、何人かがうんうんと頷く。

 そして同時に天香はああやっぱりそう言うことかと納得する。

「あの、蓮泉殿の御方って言うのは」

「もちろんあなたのご主人さま」

「で、ですよねー」

 できるだけ曖昧な笑顔、笑顔、と頭の中で唱えながら天香は微笑みの形を作る。もちろん主人と言っても殿下、ではなく天香自身のことを聞きたいのだろう。

「そんなに有名なんですか?」

「そりゃあ後宮入りするなりいきなり殿を与えられたんだもの。注目の的よ」

「何日も前に後宮に入ったあと一度も公の場に姿も見せないし」

「お目見えどころか蓮泉殿の外にも出た気配のない謎の美女!」

 なんかすごいことを言われているような、というかそれより。

(私がひとりで蓮泉殿を賜ったことになってないか、これ?)

 宮女たちの関心に公主は入っていないのかもしれない。あくまで妃嬪が最優先なのだろう。こういうお茶会で得た情報を使って、自らの仕える妃嬪を他の妃嬪より先んじさせれば翻って自分たちにも見返りがあるのだろうし。

 ――まあ、それでなくてもこういう話ってのは大好物、だよね。

 天香だってそういうものが嫌いなわけではないのだ。それよりも優先するものがあっただけの話で。妃嬪や侍女たちは歌舞音曲を楽しめても女官たちはなかなかそうはいかない。娯楽に乏しい宮中の女官たちの間で、しかも新しく後宮入りした女なんて、それはうわさ話の一番のネタにならないわけがない。

 とは言え蓮泉殿は殿下と共に賜ったものだ。他ならぬ国帝陛下本人からそう言われたのだからそれが本当のはずだった。それがなんでこういう話になっているのだろう。考え込む天香をよそに、宮女たちのうわさ話はエスカレートしている。


「えー、でも隠れてお出でにならないのは顔に傷があるからって聞いたよ」

「陛下に気に入られてるのよ。そんなわけないでしょ」

「そうかなあ」

「それでも陛下に是非にと望まれたのかも、みたいな話で」

「誰よそんなこと言ったの、名佳めいか?」

「あの子そういうお話好きだもんねえ」

 ここにいない誰かの話が始まりそうになってちょっとホッとする。というかそっちの話に行かなくても傷の話には戻りませんように。

 幸い、顔に傷がある説はそれほど関心を引かなかったのか元の話に戻る。結果的に天香にとってはちっとも幸いじゃない。


「ていうか、見たこともないのになんで美女ってわかるのよ」

「だって今までの妃嬪様たち見たらだいたい察しつくじゃない」

「そうよ、李妃様も洪妃様も美女なんだから。陛下は面食いなのかも」

「あれは重臣の方々の推挙って話じゃない。陛下の好みは別かもよ?」

「えー、そうしたら逆に飽きたときに見たいとか?」

「そうかも」

 すいませんとくに絶世の美人じゃないです。崩れてるとも思わないけど平凡ですごめんなさい。

 陛下の好みってなんなんだろう。聞いたことないな。興味もなかったけど。

「じゃあ体型スタイルも?」

「それこそ飽きたときに見たいとか!」

「あり得るー!」

 あり得るのか。ていうかじゃあってなんだ。李妃も洪妃も『そう』なのか。会ったことないけど。天香の思考が関係ない方向に落ちそうになったところで、福玉が手のひらを打ち合わせた。

「そこまで! いつものお喋りで新人さんが引いちゃってるでしょ」

「ごめんごめん、ついうっかり」

 苦笑いしながら居住まいを直す宮女。この集団の中では彼女が一番年上に見えるが、一番話に興じてしまうたちらしい。逆に年少の福玉のほうがいつもこういう場を取り仕切っているのかもしれない。


「さ、じゃ教えてもらいましょうか、蓮泉殿の御方について」

「はあ、まず何から言えば」

「じゃあ……」

「美人?」

 まず先陣を切ったのは先ほどの一番お喋り好きらしい宮女だった。天香としてはある意味一番答えづらい。自分の顔をどう言えばいいというのか。

「ええと、そうですね、なんと言えばいいか、華やかな美人って感じではないと言うか……」

「妃嬪の方々にたとえると?」

「わたし、他の妃嬪の方の顔をまだ拝見していないので……」

「そっか、新人だもんね。仕方ないか」

「でもああいう感じじゃないってことはわかったわよね」

 だからああいう感じってどんななんだと気になるが、どうやらこの件は勘弁してもらえたみたいだ。と思っていると第二陣。

「じゃあ背の高さは? 高い? 低い?」

 取り立てて高い、と言われたこともないが低いわけでもない。とりあえず殿下よりは高いけど、則耀さんよりは低い。なので。

「ふ、普通……かな?」

「何よおぱっとしないわねえ」

「こら! 失礼でしょ!」

 あまりに直接的な感想を漏らしてしまった一人にすぐ叱責が飛ぶ。まあ身長は個人でどうなるものでもないわけだし。

「ていうかそもそも御方さまって何歳なの?」

「あ、そうだそれ聞くの忘れてた」

「十七歳、だったはずです」

「えっ、思ってたより若い」

「誰よ陛下と同い年とか言ってたの!」

「でもさすがにそれだとさあ」

 帝と同じ歳なら二十六歳。適齢期とされる頃は過ぎつつある。民間ならともかく、帝の後宮に入るのには遅すぎるだろう。


体型スタイルは?」

「わ、悪くはないと思いますよ? 崩れてたりとかはないです」

「そりゃそうよねえ」

「だいたいその歳で崩れてたら後宮入りできないって」

 そうよねーと笑いあう宮女たちに、わたしなんでここにいるんだっけ……と気が遠くなるような感覚を覚えた天香だった。これじゃ話が終わらない。その後もいくつか御方さま情報を、つまり自分自身の情報を聞かれた。出身とか好物とか趣味とか好きそうな色とか花とか。いくつかには本当のことを、いくつかには曖昧な答えを返しておく。なんとなく全て真実を答えてはいけないような気がしたので。

「あなたあんまり核心的な情報持ってないのねー」

「すいません、まだお側に付いてから日が浅くて……」

「ごめんね、気にしないで。私たちが期待しすぎちゃったんだから」

「そうよ。豊寿ほうじゅは自分がお喋りだからって他の人にも求めすぎ」

 福玉がすかさず謝ると、他のひとりもそれに合わせた。豊寿と言うのが最年長に見える彼女の名前のようだ。

 話が上手い具合に切れた。撤退するなら今だ。歴戦の将軍のような気分になって、話を切り上げようと天香は口を開く。

「じゃあ、私はそろそろ……」

「あー、ごめんねえ。最後にもうひとつだけいい?」

「あ、はい。……本当にもうひとつだけですよ?」

 ちょっと含み笑いを見せてみる。終わりが見えて精神的にも少し余裕が出てきた……と思った次の瞬間だった。


「蓮泉殿の御方って……陛下の正妃候補なの?」


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