三十七、 茶会 ~始まり~
最後の数日を忙しく過ごし、茶会の日がとうとう来た。
天香は衣装の着付けをするために麗瑛の後ろに立っていた。
いつもは他の侍女がやっていることだけれど、今日は自分でやりたかった。
麗瑛が纏った内衣の上から無地の裙を腰に巻き、細い結び帯でこれも留める。上に薄黄色の襦を着て内衣と同じように留める。その上に小花模様を散らした薄緑の裙をさらに腰に巻き、これに帯をきっちりと結ぶ。二重の裙が麗瑛の下半身をふわりと包んで柔らかい陰影をつける。
襦の上から背子を羽織って、前を緩やかに開いて留める。鮮やかな黄色の背子には花をつけた枝があしらわれている。
最後にひらひらとした空色の領巾を肩から腕に掛けて仕上げだ。
領巾を掛けたところで、麗瑛が口を開いた。
「天香、あれを持ってきて?」
「ええと……?」
「一緒に買ったじゃない、あなたの友達のお店で」
「あっ、はい」
「かんざしじゃなくて首飾りのほうよ? もちろんあなたの分もね。首飾りなら服の下にしまえるでしょう?」
念を押された。
つまりお揃いでつけたい、ということらしい。
かんざしは見咎められる可能性がある。後宮ではそのあたりが目聡い。たぶん一般的な女性の平均よりも。玉をいくつか繋いだあの首飾りなら、上手く生地の下に押し込めばそういう心配はない。
茶会を直前にしたこの場で自分と揃いのものを身につけたいと言われて、天香はうれしくなってしまう。
公主ご所望の首飾りを首につけて、自分のぶんを同じように首に当てたところで、機嫌を損ねたような麗瑛の表情と視線が合う。
「なんであなたは全部自分でやってしまうのかしら?」
あ、と天香の口から音が漏れた。
首飾りを麗瑛に渡す。
先ほどとは逆に麗瑛が天香の後ろにまわって、その首筋に手を伸ばして首飾りをつけた。
「さ、先に言ってくれれば――」
「わたしにつけたから次は交代、と思ってたら自分でつけ始めるなんて、普通思わないわ。でしょう?」
でしょう、と言われても困る。着付けの最中だったのだ。交代でつけ合うなんて考えもしなかった。
専属の侍女が麗瑛の貝粉を薄くはたいていく。そんなものなくても色白で可憐な顔なのだ。薄くでいい。麗瑛本人も厚化粧は嫌いだしもちろん天香もだ。婚礼のときもそこは全力で押し通したくらいだった。その代わりそれ以外はされるがままだったけれど。
更にかんざしや小さな玉のついた歩揺を髪にあしらう。これもあまり派手でなく控えめに。
すべての支度が整った頃合いに、光絢が戸口に立った。今日の彼女は妃嬪の案内を務めていた。
「妃嬪の皆さま、お揃いで御席にお付きになられました」
「お膳の準備は?」
「出来ています」
くるり、と麗瑛がその場で一回りする。裾がふわりと舞う。衣装におかしなところはない。
それを確認して、麗瑛は天香に向き直って口を開く。
「それじゃあ、行きましょうか」
「はい」
短くうなずき返すと、天香は麗瑛のあとに従って一歩を踏み出した。
***
侍女の先導を受けて先に麗瑛が、その後ろに続いて天香が涼亭の広間に入ると、そこには色とりどりの花が競い合っていた。
もちろんそれは麗瑛の発案で司花に揃えさせた花々だ。
牡丹には少し遅いかもと言う話になり、かわりに芍薬に杜鵑花や薔薇、涼亭の立地――池の畔になぞらえて水辺の花ということで、燕子花に黄菖蒲、珍しいところでは公路渡りの風鈴草の小ぶりの青紫の花などが顔を揃えて飾られている。
しかしその花々を圧倒するように競い合う色があった。
それは、妃嬪たちの衣装の色だ。
青、赤、緑に橙、藍等々。濃いもの薄いもの明るいもの逆に暗色のもの。とりどりの色の末席に良く見知った顔を見つけて、天香は少し安堵する。
この中に混じってはあまり目立たない胡桃色の衣を着た楊嬪、迦鈴は、天香を見て少し首を傾げてみせた。
その迦鈴と向かい合うように座る葡萄色の服が、席順からして陳嬪――陳淑英だろう。どこか津清に似た雰囲気を、顔立ちとかそういうのではなくもっと全体的な雰囲気に、似たものを感じる。失礼を承知であえて言うなら小動物的なところが似ている。なにか少し皮肉だと思う。
そのほかに天香が顔を見たことがある妃嬪は、実は采嬪、陸嬪、そして金針鳳華の郭嬪くらいしかいない。迦鈴とあわせて後宮の妃嬪、その三分の一だ。
残りはここで初めて顔を見る。出来れば顔を覚えて名前と一致させなければいけない。そのうちのどれか、もとい誰かが正妃になるかもしれない人間だ。――すなわち、天香と麗瑛の平穏にとって大切な人材。
広間いっぱいに敷かれた厚手の緋毛氈の上、その一番上座の位置に麗瑛がしなやかにたどり着く。天香はその斜め後ろ、侍女の位置にそっと付いた。
麗瑛は二列に向かい合う妃嬪たちに頭を下げる。
「皆さま方、今日はわたくしの茶会にお越しいただいてありがとうございます。お茶とお菓子とお話を、たっぷりと楽しんでくださいませ。わたくしも楽しみにしておりました」
ちらり、と麗瑛が目配せをすると、隅に控えていた英彩が心得たように頷いて侍女たちに合図を送る。その合図を受けてそれぞれに茶膳、小ぶりの茶杯を載せた小さな膳が各人の前の卓に置かれた。
「お茶は各種取り揃えてございます。言うことではないと思いますが、茶酔いなどなさらぬよう――」
ふふ、とひそやかに笑い声が上がる。
茶酔いとは一度に大量の茶を飲むと起きる悪心のことだ。天香はまだ飲んだ事はないが酒の悪酔いに似た症状が出るという。
量だけでなく、いくつもの種類の茶をまとめて飲んだときにも起きることがある。自分の身の丈に合わない飲み方をするとそうなる、と信じられていて、よって一日に飲む茶は多くても三種か四種までが良いとされている。もちろん後宮の妃嬪がそんなはしたない真似をするとは誰も思っていないので、場を和ませる冗談と取られただろう。
最初の一杯だけは主人、つまり今回は麗瑛が飲んでほしいと思う茶が、それぞれの杯に注がれる。それを飲むと、以降はその都度それぞれに好きな種類の茶を侍女に運ばせる。茶菓を取りたい時も給仕役に茶菓盆から取らせる。そうしながら話に花を咲かせるというのが大まかな茶会の流れである。
自分で取ったほうが早いのに。などと天香はあるまじきことを思う。しかし、いつもの気負わない茶会ならいざ知らず、これが公式で大掛かりな茶会のしきたり、礼式と言われればそういうものかと思うしかない。
何事にも持って回った、という言い方が悪ければ順序に沿った、あたりでもいい。そういうやり方が宮中の方々は好きなのだ。たぶん。
「それでは――あれを」
合図に従って、磁器製の柔らかな曲線を描く茶海を捧げ持った侍女――則耀が入ってきて、茶杯にその中身を注いで行く。妃嬪全員分でそれなりの大きさであるというのに、熟達の手さばきは重さを感じさせない。もちろんその中身を淹れたのも則耀だ。
「わたくしより皆さまにお出しする一杯目は……郭嬪より献上の特等茶、“金針鳳華”――」
歌うように麗瑛が口にすると、広間中からざわり、と声にならないざわめきが上がった、ように思えた。
茶六類のうちいちばん生産量の少ない黄茶の中でも、更に絶品と名高い銘茶の名。ただ淹れるのにも技量が要るといわれるその茶に、幾人かは手に持った杯の中身を覗き込み、中にはその香りを嗅ぐものもいる。郭嬪に視線を送るものもいる。
麗瑛の左右、最前列にいる二人の妃、李妃と洪妃はさすがにそんな真似はせず、李妃はそれが当たり前かのように平然と、洪妃は型どおりに整った姿勢で端然と座している。その一事だけでも格というか質というか、違うのだろうと思わせるような佇まいだった。
銘茶を任された則耀が、最後に麗瑛の茶杯に静かに金針鳳華を注ぎいれて退出する。
そして、茶杯を軽く掲げた麗瑛が告げる。
「それでは皆さま――ごゆるりと」
茶会が始まった。
やっと茶会が始まりました……




