三十六、 招待状とその返事
招待状を書くのも茶会の大事な準備の一つだ。
というか、最後の仕上げといってもいい。天香はそれを初めて知った。
考えてみれば、天香は正式な社交というものを経験したことがない。後宮に来て初めて経験している。護衛侍女の燕圭を除けば侍女たちはみな社交を含めて経験豊富だし、麗瑛だって天香に比べればそうだ。残る光絢はというと、これも実家の関係上接待役なんかをやったことがあるという。
こまごまとした段階を踏み決まりをこなさなければ正式な社交というのは成立しないものなのだと、実際に経験して初めて理解できた。
「今頃気づいたの?」
「今まで経験する機会もなく……って、そんなこと殿下はわかってるはずじゃないですか!」
「たしかに、経験する間もなくわたしがさらって来てしまったのだものね」
さらわれて来た身としては言葉もない。
いや、あれはあれで正式な手順を踏んでいたはずなのだけれど、その正式な手順とやらのおかげで天香は入内の当日までしばらくの間麗瑛の顔が見られなかったし、その間の儀式めいたあれこれは指示されたとおりに動いただけでよく覚えていなかったりする。
「光絢、あなた字上手いのねえ」
「それに比べてあなたは練習が必要みたいね」
隣で帳面に書き込んでいる光絢の字を褒めたら、麗瑛から自分の字を引き合いに出された。
「なぁっ!? わ、私のはその、じ、自己流でえっ。それにこれは自分用の帳面で、わかればいいって言うかっ」
「心を落ち着けて書けばいいのよ。ほら、こうやって……」
肩越しに麗瑛の吐息が首筋をくすぐって、落ち着けといわれても心が乱れる。筆に手を伸ばす横顔は真剣で、今回はからかわれているようには思えない。だから逆に軽く受け流すわけにも行かず、天香は背すじを引きつらせる。
「聞いて――」
いるの、と続けて問いかけようとしたのか、麗瑛が天香の顔を見て、そこでその顔色に気づいたらしい。
背後から抱えるような姿勢のまま、ふふ、と含み笑いをしながら。
「そんな甘えたような顔をしてなにを待ってるのかしら?」
「待ってるとかじゃないですからほんとにもうそのいいですから大丈夫ですから殿下あの」
内心を見透かされた動揺に、滅裂な言葉しか出てこない。甘えた顔って何だそんな顔した覚えはない。そんな天香を見て、麗瑛のその口元が魅力的に歪む。ふぅっ、と首筋をめがけて息を吹きかける真似までして見せて。
「ちょっ……やめてっ! ください!」
身をよじるがいつの間にか手が両肩に添えられている。回り込まれてしまったとでもいうか、そんな感覚。
その光景を間近で見て、光絢があっけに取られたように呟く。
「おっ、お姉さま?」
「いつもこんなものですよう。光絢ちゃんも慣れないと身が持たないですよ?」
「はあ、まあ……ってちゃんはやめてください。子供じゃないんですから!」
「とは言ってもわたしよりは年下ですし? それよりもぉ――光絢ちゃん、なにか狙ってるものが有ったんじゃなかったんですかあ?」
その声を耳にした天香が、英彩さんやめて変な煽りいれないで、と声を上げる間もなく。
「あっ……お姉さま、綴り方ならわたしも教えて差し上げます!」
そう言って、光絢まで綴り方教室に参戦してきたのだった。
涼亭の完成とともに正式な日取りが決まると、麗瑛直筆の招待状を携えて、天香以下侍女が総出で妃嬪の殿舎をそれぞれに回って各殿舎の侍女に手渡した。その返事は日を改めた上で返すというのが礼式に則った決まりだった。
礼式的に良いとはされないのは知ってはいるが、招待状を届けたその場で返事を貰えば話が早いのにと思う。
同じ後宮の中にいると言うのに直接やり取りすることもできず、面と向かって会うにはまず侍女が先触れとならなくてはいけない。こうやって手紙を送るのでもやりとりする妃嬪が自分で受け取ってはいけない。必ず侍女が相手の侍女に渡して、その返事をまた相手の侍女がこちらの侍女に手渡しに来る。略式ならその場で待たされて返答の手紙を持ち帰ることもあるが、今回は礼式に則ったやり取りをしなければいけないことになっているのでこうなる。
天香にしてみれば面倒くさいことこの上ない。
なお、楊嬪こと迦鈴は礼式などどこ吹く風で、天香の見ているその場で返答を直筆した。
「はい」
「はい、って……」
渡されたのは紙一枚で、走り書きのように『行きます』とだけ書いてあり。天香ですらさすがにどうかと思ったが、侍女たちも止めに入ってこないところを見るとそういう風に受け入れられているのかもしれない。さじを投げられているのだとは思いたくない。
ちなみに迦鈴の住む逍霞舎の侍女たちも天香が迦鈴と顔見知りだったことを迦鈴本人から知らされているので、直答にも何も言ってこない。迦鈴には口止めしてあるから、侍女には公主妃であることまでは知らされていない。そのはずだ。
「口ではだめだから。これのほうが早いし」
直接口頭で返事するのはいけないとされている、だからあくまで手紙(一言だけを手紙というのならば)でやった。礼式通り日が変わってから返すのでは遅いし面倒だからやった。よって礼式を二つまとめて破ったわけではない。と言いたいらしかった。公主院のころからそうだったが、『礼式を二つ以上まとめて破るのは良くないが、一つならば良い』というのが彼女の規則らしい。破るのは同じような気がするが譲れないらしかった。
それにしてもこんなに端的な話しかたで侍女や妃嬪や、青元――は、心配する必要も義理も天香にはないが――とちゃんと意思疎通できているのだろうか。天香自身がそうであるように、慣れれば問題ないのかもしれない。侍女はともかく定期的に義務的に来るだけのあの帝がそこまで慣れることがあるのかどうか、疑問に思ったりもする。
とまあ、そんな礼式破りはさすがに迦鈴だけで、その他の妃嬪からの返事は礼式通り日を改めて戻ってきた。当然というか、招待された人間全てが出席の返事だ。その筆跡も、個人の癖はあるものの全員が平均以上に美麗だ。天香は一人赤面する思いになって麗瑛に慰められる。
「あなたも練習すればこれくらいにはなれるわ」
「そうでしょうか」
「まあ恥ずかしがっているあなたもか――「かわいらしいと思います!」
公主の言葉を途中で横取りしたのは、やってやったとでも言いたげな光絢だった。
非礼といえば非礼なのだが――なんとも怒るに怒れない。麗瑛が苛立ちでも見せればともかく、その麗瑛もなんとなく笑って許しているような感じがするのでなおさらだ。そんな麗瑛の反応が天香には少し不思議だった。この前はあんなに蹂躙されたっていうのに。
ともかく天香たちはそれぞれの殿舎から届いた返事を整理しながら席順を決めていった。決まったそれを光絢が帳面に書きとめる。
席順は後宮の中での地位、後宮に入ってからの期間、それがほぼ同期間ならば本人の年齢、と言う順で決めていく。
主催者である麗瑛が一番の上座。その両側に李妃と洪妃、さらにその他の嬪たち……と続いていって、最年少・一番の新顔・かつ同年齢の楊嬪こと迦鈴と陳嬪が一番の末席となった。




