三十五、 準備を進めましょう
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光絢が加わって、茶会の準備は本格的に進みはじめた。
進み方も早くなったが、それよりも一人ひとりの負担が軽くなったのが最大の変化だ。
天香個人で言えば、自分ばかりが各所を駆け回っていたのが楽になった。もちろんそれはそれで理由のあったことではあるのだ。なんといってもそんな自由が利く人間が天香しかいなかったので。
ともかく、ぐっと落ち着いて進められるようになったのはいいことだった。
光絢の司厨からの転属も、天香が思っていたよりもすんなりと進んだ。
司厨の責任者、司厨長の李夫人は天香に向かって豪快に笑って見せた。
「あんたが天咲さんかい。あの子から聞いてるよ」
「あ、あの、今回はその、急にこのような形で引き抜くようなことになってしまって申し訳ありません」
光絢が自分のことを女官名で伝えてくれていたことにホッとしつつ心の中で感謝して、天香は李夫人に詫びた。急な人員転換はどんな職種でも基本的に好まれるものではない。本人になにか問題があって、なんていうならともかく光絢は少なくともそんな子ではないだろう。
「うちは人数も多いしね。一人くらいはなんとかなるもんさ。そこらへん、殿付きとは違うだろうけどね」
「そう……なんですか?」
「まあ、残念といえば残念だけどねえ」
司厨の下女は調理担当と配膳担当に分かれ(ちなみに洗い物は手分けして行う)、光絢は配膳のほうだったそうだ。天香とあの時まで行き会わなかったのは担当していたのがまったく別の殿舎だったからで、もし蓮泉殿やその近くだったらたぶんもっと早くに再会していたのだろう。
まったく迷惑がなかったといえば嘘になるだろうが、それでもこの通り笑って流してくれることに天香は謝意を示す。
町の食堂のおかみさんといった容姿の李夫人の、その容姿通りの言葉遣いに天香は少し懐かしさを感じた。城下に暮らしているときはそんな店で食事することもあった。
しかし、こう見えても彼女は後宮の食を一手に預かる司厨長であり、その手から生み出される料理は宮廷で供されるに足る、見た目も味も一級のものだ。技も舌も知識も秀でていなければとても務まらない。一方で後宮で働く大勢の人間の食事も担当する。こちらは限られた時間で量を作らなくてはいけないからとにかく効率が求められる。そのふたつを兼ね備えて下女たちを指揮する技量が司厨長には求められる、ということだ。
その司厨長に向かって、天香は足を運んだもう一つの用事を切り出す。
その内容は、本当なら光絢と再会した日に李夫人と話し合うはずだったことだ。茶会のことはもう――光絢の移籍話よりも前に――耳にしていたらしく話は進み、その上で天香はある提案をしてみる。
当日の茶菓についてだ。
「城下流の茶菓を出したい、だって? そりゃあ出来ないことはないけどさ、なんでまた?」
「妃嬪の皆さまの中には市中の出身の方もいらっしゃいますし、そういう方には親しみがあって、そうでない方には目新しく、両方の話題になれば、と思ったのですが……」
それを思いついたのは妃嬪たちからの献上品を見たときだ。
それぞれが自分の推す――個人的な好みというよりもそれぞれの出身地の特産物であったり繋がりの深い商家の扱う上級品だったりする――品を献じてきたが、やはりそれぞれの出身によって違いに富んでいた。
金針鳳華のような最上級品を献上してきたのはさすがに郭嬪だけだったけれど。
もう一つの理由は迦鈴だ。彼女もあれで育ちのいいお嬢様で、街中の菓子には馴染みがない。いや、なかった。それを餌付けしたのは公主院時代の天香自身だ。いや餌付けなんて自覚していたわけではないけれど結果的にそうなったし、今に至っても彼女はそのときの素朴な菓子を気に入っている。
そんな風に、それぞれに馴染みのある菓子を出せば話が弾んだりしないだろうか。それをきっかけに交流が生まれたりしないだろうか。そう思った。もちろん虫のいい話だとわかってはいる。けれど、公主が茶会の席でそういう態度を示すことが重要なのだと、麗瑛と話し合ってそう決めた。
つまり、妃嬪が対立することを公主は望んでいない、という姿勢を見せるために。
「それは、公主殿下のお考え?」
「私が考え付いたことです。あ、いえ、もちろん殿下にもご承認いただいていますが」
ふむ、と李夫人は考えこむ。
その様子を見て、殿下の考えですといってしまえばよかったかな、と天香は一瞬考える。
少し間を置いて李夫人が言葉を切り出した。
「んん……まあ、面白いかもしれないね。ただ、貴族のお姫さまには口に合わないかもしれないよ。それでもいいんだね?」
「ええ、その点についても全て」
「そうかい? ならいいんだけど……」
ところで、と言って李夫人は声を潜めて言う。
「あんたと光絢の関係って一体なんなんだい? みんなが聞いたんだけど、あの子ったら見事にはぐらかして答えなかったんだよ」
「こ、光絢はいったいなんて……」
「あー、なんか、私はお姉さまの元に馳せ参じなくてはならなくなったのです、とかなんとか言ってたっけねえ。……で、お姉さまってのはあんたなんだろう? 馳せ参じる関係ってどういうことなんだい?」
「え、ええと……」
興味津々のその様子に、ああ、この人も一般に違わぬ後宮の女官のひとりなんだなあ。と、少し引きつりかけた苦笑いをしながら天香は思った。
それとさっきは少し感謝したけど前言撤回。あとで光絢は問い詰める。そう決めた。
* * *
準備が進展したといえば、茶会の会場となる涼亭も完成した。
予定よりもわずかにかかったが、出来上がったそれを見て天香は目を丸くする。
東徽苑の池に少し張り出すようにして作られたそれは、周りを囲む石垣や石畳、単純な四角形ではない間取り、綺麗に貼り合わされた石床が敷かれた茶会には十分に広い広間、その空間を支えて並ぶ太い朱塗りの柱、隅が跳ね上がった橙色の瓦屋根と、どれを取ってもとても仮の建物とは思えないものだった。よく見れば壁にも鮮やかな
「どうだ、驚いたか?」
ここまで妹たちをさんざんもったいぶって案内してきた青元が自慢げにそう言う。言葉だけでなくその表情も軽く胸を張った姿勢も自慢げだ。
「あ、あの陛下、……どう見ても仮って感じじゃあないんですけど」
「ああ。仮というのももったいないだろう。それと、ここに涼亭があっても悪くないなと思うようになってな」
つまり計画では仮だったのを常設の涼亭にしてしまったということだ。
確かに仮はもったいないとか天香が言ったような気もするけれど、それを常設の建物にするとは思わなかった。
青元はさらに言う。
「もちろん妃嬪なら誰でも好きなときに使っていい、というつもりだぞ。お前たちでもいいが」
「常の建物とするには時間がずいぶん短かったのでなかったのではないですか、お兄さま?」
「そこは色々と頑張ったからな」
「頑張ったのはお兄さまではなく現場の工人たち、そしてこの期間で出来たのはその人手にものを言わせて、でしょう? ――皆さま、わたくしと兄の自儘に応えて頂きありがとうございました。お礼申し上げます」
涼亭の露台、地面から二段ほど高くなっている場所から工人たちに向かって麗瑛が頭を下げた。公主に言葉を掛けられるまでは予測していても、まさか頭を下げられるとまでは思っていなかったのか、工人たちが慌てた様子でいっせいに膝を突いて礼をする。
工人の組頭らしい一人が一同を代表するように、膝を突いた姿勢のままで声を上げた。
「こ、公主殿下御自らのお言葉とはかたじけなく!」
「あー、妹に先を越されて情けないかぎりではあるが、余からも礼を言おう」
「も、も、もったいないお言葉でございます!!」
公主のみならず国帝にまで直接言葉をかけられて、工人たちはさらに畏まる。
その様子を見ながら天香は、麗瑛が工人たちに示した気遣いに見惚れつつ同時に。
「どうかしたの、天香?」
「えっと……陛下って、その、それっぽい振る舞いも出来るんですね」
わりと失礼なことも考えていた。
補足説明的なもの
単純な身内のお茶会なら天香たちがしていたように自分たちで茶菓を用意します。
でも今回は公主主催の公的なお茶会なので、茶菓を司厨に作ってもらうことになった、ということ。




