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公主殿下の寵姫さま  作者: 有内トナミ
二章 茶会 編
32/113

三十、 人手は確かに足りません



 天香がへやに入ると、書き物机の前の麗瑛が難しい顔をして紙に目を落としていた。


「殿下? どうかなさったんですか?」

「……いえ、ちょっと、ね」

「お手紙ですか?」


 天香は首を傾げる。

 麗瑛の手元を覗きこめば、そこには墨跡も鮮やかな文がある。

 筆跡ははっきりとした男文字。しかし前に見た青元のものに比べると流麗さに欠ける、と天香には思えた。

 皇族に限ったことではないが、身分が高くなるほど手紙や書簡は日々大量に届くものだ。だがそのすべてを本人が処理するということはなかなかない。まず雑文の類はふるい落とされ、差出人や用件によって仕分け・記録され、その中で直接応対しなければならないものだけが主の元に届く。

 だから麗瑛が目を通している文は、公主が直接応対しなければならないほどのもの、ということになる。もちろん、そんな相手や用件は限定される。そんな手紙を前にして難しい顔をしているのを見れば心配にもなる。


「左大臣よ。茶会の補佐に娘を使ってくれって頼んできたわ」

「左大臣さまの娘……つまり李妃さま、ですか」

「……天香、あなたはもう『さま』なんてつけなくてもいい身分なのよ?」

 少し不機嫌にそう麗瑛が言う。そう言われても、未だに侍女たちにさえ『さん』をつけて呼んでしまう天香なのだ。

「す、すみません。なんといいますか、落ち着かなくて……」

「少しずつでいいからお慣れなさい。――で、その李妃の件なのだけれど」

「補佐……していただくのですか?」

「そんなわけがないでしょう。李妃を補佐になんかしたら肩入れしてるように取られるじゃないの。一緒に届いたお兄さまからの文にも断っていいと書いてあったし。ていうか、お兄さまもはっきり断ればいいじゃない。わざわざこっちに振らなくても。どうせ格好をつけたに決まってるけど」

 最後は兄への不満になっている。

「――それに、補佐ならもうあなたがいますから」

 その言葉はすこし頬に血を巡らせていたように思えて、その様子に天香はほんのりと暖かさを感じた。


「それにしても、嫌なところを突いてくるわ」

「嫌なところ、とは?」

「補佐なんてさせたくはないけれど、いれば楽でしょう? 人手が足りないのは事実ですもの。腹立たしいことに」


 すこし悔しそうな顔をして、麗瑛は言う。

 その顔を見て天香は申し訳なさでいっぱいになる。胸が軽く締め付けられたような感覚。


「ごめん、なさい」

「……なぜあなたが謝るの?」

「私がもっとお役に立てていれば、瑛さまにそんな顔をさせずにすんだ……と思うと」

「もう、何言ってるの。そんなわけないでしょう? むしろあなたには悪いと思っているわ。何から何まであなたにさせてしまって」

「わ、私は、当然のことをしているだけで――」

「人を増やせばその分あなたも楽になるかなとは思うのだけど。人を使いなさいとは言ったけれど、他所の女官や侍女では限度もあるでしょうし……かといって妃嬪は使えないし」

「殿下……」

「本当は前回のような応対も献上品の記録も、それぞれ別の侍女にやらせるべきだったのよ。なのに、全部やらせた上に、――あなたの仕事に集中しなさい、なんて、よく言えたものだわ、って」

 自嘲気味に、机に目を落として麗瑛は言う。

 その表情を見た瞬間に、天香の身体は自然と動いていた。

 膝を折り、椅子に座る麗瑛の首にぶら下がるように、ただし体重はかけずに、うつむき加減のその首元に、腕を回して顔を寄せる。


「私は、そう思っていただけて、それをこうやって言ってもらえるだけで嬉しい、です」

「天香……?」

「心配されていても、それを変に隠されたら不安になります。でも瑛さまはこうして、何でも仰ってくれます。だから私も、もし辛ければ隠さずそう言います。――約束します」

 その体勢のまま目を上に向ければ、惑う色を浮かべた麗瑛の眼にぶつかる。

 お互いがお互いの瞳を絡め取りながらいくらか見つめあったあとで、その視線から惑いの色が薄れたのを天香は見て取る。


「大丈夫、なのね?」

「今はまだ、ですけれど」

「本当に?」

「本当に」

「隠し事なんて、絶対に許さないんですからね」

「……出来るなんて、思ってません」

 自然と微笑みがこぼれた。その表情を見て、麗瑛もまた満足そうに目を細める。

 天香は今度こそ麗瑛の側に体重をかけて肩に頬を寄せ顔の角度を変えて、そして。



 戸口からこちらを覗きこむ英彩と目があった。


「ええ英彩さん、いい、いつからそこに?」

 反射的にびくりと身をすくませて

「ええとーそのー、仲睦まじいお二人を邪魔してはいけないと思いましてえ、そのう、機会を窺ってはいたんですけれども」

「申し訳ありません両殿下。そろそろお茶が冷めてしまいます」

「英彩さんだけじゃなかったんですか!?」

「どっちか一人なら良かったの?」

「いや、そうじゃなくて」

 人数の問題ではない。

 ただ二人きりだと思い込んで完全に油断して体を預けていたところだったから取り乱しているのだとそう自分ではわかっているけれど顔には血は昇るし意味もなく焦るし衝動的に何かをわめきたくなるけれど何を言えばいいのか分からないので。

 白天香、見事に取り乱している。


「誰に見られたってかまわないじゃない」

「私は誰かに見られたくないんですっ!」

「なら少しずつ慣れさせてあげればいい?」

「何を口走ってるんですか殿下!?」

 見慣れた咲き零れるような笑みが怖かったと、のちに天香はそう語る。



***


 とは言ったものの、人手不足なのは紛れもない事実だ。

 体力的にも精神的にも辛さや疲れはない。けれども人手はあればあったでいい。それは天香も認める。

 しかしそうそう侍女や女官を増やせるかといえば、それもまた難しい。

 誰でも良い、というわけにはいかない。少なくともまだしばらくは、最低でも天香が妃であると後宮全部に明かすようになるまでは、口が堅く能力的にも高く身元もしっかりしていなければいけない。特に最前、口の堅さが一番の条件。


 そんなことを考えながら、天香は司厨しちゅうにたどり着いた。

 司厨はその名の通り厨房を担当する部署である。なぜ天香がそんな場所を訪れたかといえば、茶会で出す茶菓の相談だった。天香たちが作るわけにもいかないので、もちろん当日も司厨が作ることになる。その打ち合わせのつもりだった。


「ご不在、ですか?」

「申し訳ありません。さい夫人は食材の検分に出ておられます。今日は夕餉の時間までお戻りになりません」

「そうですか……困ったなあ」

 采夫人と話すように、と言われてやってきたので他の誰かに言っても意味がない。

 今はまだ昼をわずかに過ぎた時分だった。ちょっと待たせていただきます、というわけにもいかない。

 あきらめて一度蓮泉殿に帰るしかないか、ときびすを返したとき。


「お姉さま?」

 からんがらん、と何かを取り落とす音が背後で響き。

「……え?」

「おねえさまああああああああ!!」

 腰の辺りに強くぶつかってきた何か――いや、誰かに強く押されながら、天香は廊の上でたたらを踏んだ。


「わっ、たっ、だっ、誰!?」

「お忘れですか!? 貴女のいもうと、光絢こうけんにございます!!」

「妹? 妹なんて私には――――えっ、こっ光絢? しゅ光絢!?」

「はい! お姉さまにお会いするために常県じょうけんより参りました、朱光絢です! ここでお会いしたのも天香お姉さまの――むぐ」


 天咲ではなく天香と、そう名を呼ぶ彼女の口を慌ててふさぐ。慌てて周りを見回す。幸いこちらに注意を払っているような人間は――あっなんかこんなの前にもやった気がする。あの時よりも声が大きかったのでその分慌ててしまったけれど。

「ちょっと静かに!」

「むむぐむぐぐ」

 なんと言ったかわからないがとりあえず静かになった襲撃者を見下ろせば、確かにその顔には見覚えがあった。


「本当に、光絢……?」

むみはい



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