二十八、 売り込む方々 中
「ご自分を売り込みに来たのではない、と申されますと……?」
天香の問いに、秀芳はころころと笑って答えた。
「浅州名産だけでなく、南部の諸処物のご用命はわが浅州屋郭家によろしくお願いいたしますね、と、まあそういうことを」
天香は少し、呆気にとられた。
あのような――茶会で青元の正妃を決めるなんていう噂が流れていて、もちろんこのひともその噂を聞いてここに来たはずなのに、正妃候補としての自分ではなくその実家の名を売りに来たと言うのだ。
もちろんそれがすべて真実であるとは限らない。そういうことを言って最終的に自分を売り込むことに繋げるのもなんらおかしくはない。
しかし天香にはその言葉が本当はどちらなのかを判断することは出来なかった。名前は知っていたとはいえ初対面だ。秀芳の為人など、伝え聞いたことしかわからない。
いわく、気前はよくて鷹揚。押し出しは強い。南方系の華やかな意匠を好む。それから、唐突に嘘か本気かわからない言葉を口にする。
他にもいくつかあったが、どれも先の言葉の判断材料にはならなそうなものばかりである。
「そ……れで、よろしいのですか?」
「まあ、あの方ほど切羽詰ってもいませんので」
少しだけ針も出してみせる。
華やかな美貌とも合わさり、目を離せなくなる人間も多かったんじゃないか。なんて天香は思う。
切羽詰っている、と言うのは、はっきり言ってしまえば年齢のことである。
秀芳の言うあの方、陸嬪こと明鳳は当年で二十四歳。天香にはよく理解できないしきたりとやらによって後宮妃嬪は国帝よりも年下と定められており、後宮妃嬪の中に彼女よりも年上なのは一人しかいない。市井ではまだまだ余裕のある年齢だが、一人の男の寵を争う後宮の中のこと、本人の心情としては穏やかならぬものがあるのだろう。そこまで焦らなくても大丈夫だろうと、多少ではあるが事情を知っている天香は教えたくもなる。けれどそれを伝えてどうこうなるものでもない。
ちなみに現在の最年少は天香と同じ年の迦鈴、それにあの陳嬪だ。これにも理由はあるらしいが、天香は詳しくは知らない。
「つまり、切羽詰ったら売り込む、と?」
ついぽろりと天香がこぼしてしまったのは、公的な身分差を考えれば失礼以外何物でもない、人によっては咎められても文句も言えないそんな言葉だった。けれど秀芳はころころと笑って応じる。
「先読みをするのが商家の常、とは言えど――さすがにそんなに先のことは、なってみないとわかりませんわね。陛下のお気持ちもありましょうし。それにしても、ふふっ、あなたさっきの言い方は少しばかり――」
「申し訳ありません、失礼を致しまして」
「愉快な方ね」
愉快、といわれても反応に困る。
「では、こちらが献上する御品ですわ。蓮泉公主殿下に宜しくお伝えくださいね」
会話が途切れたところで、そう言って秀芳は木箱を取り出した。正確には、後ろに控えていた侍女らしきひとが持っていたものを受け取って差し出した。
天香は正直言って今の今まで彼女の後ろに侍女が従っていたことに気づかなかった。妃嬪に限らず高貴な女人が侍女もつれずに出歩くことはそうはないのに(迦鈴のようなのは例外だ)。そういえば陸嬪の侍女はどこだろう。控えの間かもしれない。それはともかく。
やっぱりこのように静々と付き従うのが侍女の姿であって、女官とやりあうのは違うよなあ、と天香は思った。
「えっ、あの、直接殿下にお会いしなくてよろしいのでしょうか?」
「ええ、あの様子ではお疲れでしょうし、そんなときに商談をしても色よい返事はもらえませんもの。それに、さっきも言ったとおり、わたしは直接お目にかかって頂くために参ったわけではありませんし」
言葉の端々に商売っ気が出ているのは商家育ちと感心すべきか、それとも抜け目なさを警戒すべきなのか、天香は判断に迷った。
「そ、それでは、郭嬪さま献上品と、いちおう記録しなければなりませんので、品名をお教えいただかなくてはいけないのですが」
天香の侍女としての言葉に、ああそうですね、と軽く頷いて、秀芳はこともなげに言った。
「金針鳳華、と申します」
「……こ、これ、これが!?」
思わず天香も声を上げる。
侍女にあるまじき振る舞いだと自覚しているが、それでも驚きを隠せない。
その名は、茶六類のなかでも最も希少とされる黄茶の、その中でも貴重と名が挙がる銘茶のものだった。
「ご存知ですか?」
「な、名前だけは……し、失礼ながら、郭嬪さまはこれを普段から嗜まれて……?」
「後宮に上がるなら、このような押し出しの強いものもあれば便利であろう、と持たされました。もちろん自分で飲んだことをないものを人に薦めるわけにもいきませんけれど」
普段遣いではないが、折につけ飲んではいると言うことだと、混乱する頭の中で妙に冷静に天香は考える。
産地であれば都よりも入手はしやすいだろうが、それでも貴重なものには変わりはない。もちろんその値段もだ。
いまだ衝撃から抜けきれない侍女こと天香に、くれぐれも殿下によろしくと言い残して、大輪の花のような立ち姿は影のような侍女を従えて廊から去っていく。
そして、あとには最高級茶を抱えて呆然とする、公主妃だけが残された。
そして一両日のうちに、蓮泉殿には献上品がいくつも届けられた。
それは茶葉であり、茶菓であり、一部には茶器さえ含まれている。
それぞれの別嬪が、あるいはその実家がこれぞ、と選んだことは明白だった。
「馬鹿にされてるのかしら」
「そんなことは……ないと思いますけど」
「だって茶葉に――金針鳳華みたいな希少品は別としても――、それに茶菓に茶器。わたしたちは何も持ってないと思われてるんじゃないかしら。なんてね」
「では処分いたしますか?」
椅子の肘掛けに頬杖をついて、そうぼやいてみせた麗瑛の冗談交じりの言葉に、則耀が生真面目にそう返す。
いや口調こそ生真面目だったが、その口はわずかに笑みの形を作っており、結局こちらも軽口らしいと天香は判断する。後宮入りした当初の自分ならそうは思えなかっただろう、というほどの変化にすぐに気づけられるぐらいには馴染んでいるのだと、わけもなくすこし嬉しくなった。
「貰えるものは貰っておけばいいのよ」
「ですが」
あっさりと言う麗瑛に天香は口を挟む。
そう言われても、天香としては彼女たちを無下にも扱えない。天香に限らず侍女たちもそれは同じだと思う。
「噂だってあるんですよ。このたびの茶会の結果で陛下の正妃を決める、そのための茶会だ――、って」
「それはそれでいいじゃない」
知らず知らず力がこもってしまった天香の言葉に対して、麗瑛はこともなげに言い放った。
「いいじゃない、って、殿下?」
「その噂、まんざら間違っているわけでもないわ――だからこそ性質が悪いのだけれど。ほら、あなただってお兄さまに啖呵を切ったでしょう」
「殿下と一緒に、ですけどね」
「まあ、それは横に置いておいて。どちらにしても、いつかは決めなければいけないこと。それは変わらないじゃない?」
横に置いて、と身振りで表すしぐさが可愛らしい。という天香の感想はそれこそ横に置いておいて。
ここまで言われれば、天香にもなんとなく麗瑛の言わんとするところが掴めてきた。
「判断の、ええと、材料にする、ということですか」
「良い機会ですから、ね」
良い機会と言えば良い機会だろう。それはわかる。
ただそれ以前にこの茶会には天香の進退も、いやそこまで大げさではないけれど、ともかく天香の評価もかかっている、そんな機会でもあるわけで。
手に余る、と。
正直に言ってそれが天香の感想だった。
「手に余る、と思っているでしょう」
完全に言い当てられて、びくりとそれに反応してしまう。そんな自分の身体が恨めしい。
「あなたはあなたの仕事に集中しなさい。いえ、違う、集中していてほしいの。あなたの『成果』を見せてほしいから。その上で、わたしは妃嬪をふるいにかける良い機会だとも思ってる。そのことはあなたにも知っておいてほしかった。――そこでわたしが迷ったら、そのときは手を貸して、ね」
「殿下……」
「心配させたかしら。いえ、させたわよね」
ひとかけらも考えていないなどと、そう思った自分の考えが全くの間違いだったことに、天香はようやく思い至る。英彩も噂を知っていたのだから、麗瑛も知っていておかしくなかったのだ。そんなことにも思い至らなかったし、ましてそこから材料を得ようと思っていたなどとは。
「ならば逆に、受け取らないほうがよかったのでは? 献上品が正妃選びに影響したかもなどとまたあらぬ噂を――」
はっと気を取り直してそんなふうに心配する、その天香の不安を麗瑛はまたひと息で払う。
「だって天香、まさかその品の優劣でお兄さまの正妃を決めようなんて思ってはいないでしょう?」
「と、当然ですよ」
「でしょう。それをわたし達は知っている。わたし達だけが知っていればいい。だから、貰っておくだけ貰っておけばいいの。だって、献上品で正妃の座に近づけるだなんて、そんな勝手な勘違いをしているのはあちらなの。こちらは何も言っていないというのに、ねえ?」
「そ、そうです、ね」
むしろそんな勘違いは減点対象にするべきなのかもしれない。
そう考えると、逆に何か出来すぎな噂のようにも思えてきてしまって。
「まさか噂を流したの、殿下じゃないでしょうね」
「わたしは流れてきた噂を利用しただけよ。……天香あなた、わたくしがそんなことをやるって本気で言ってるわけじゃないでしょうね?」
「だってひめさまですし」
「てーんーこーう?」
きゃいきゃいとじゃれあう公主とその妃の様子を眺めつつ、英彩が微笑み、則耀が軽く肩をすくめ、それぞれに顔を見合わせたのを、じゃれあう二人は気づいていなかった。
 




