二十七、 売り込む方々 上
二十七話の投稿にあたって、二十六話後半に加筆修正を行いました。
影響はそんなにない(つもり)ですが、気になる方は目を通していただければ幸いです。申し訳ありません。
天香が覚えたそんな予感は、蓮泉殿に帰るやいなや姿を持って現れた。
「というわけで、殿下の茶会にはぜひともこのお茶を使っていただければ幸いであると、そう思いましてここに殿下に献上すべく持参いたした次第でして、そもそもこの茶葉はあの茶房譜にも特記される銘茶の――」
「あの、陸嬪?」
「殿下、いやですわ鳳嬪とお呼び下さいと申し上げておりますのに」
「あー、じゃあ、……鳳嬪」
「なんでございましょう?」
「あなたのお気持ちは嬉しく思います。此度の茶会でも有難く使わせていただくわ」
「嗚呼、ありがとうございます。それでは続きを――」
「いえ、それはもう十分に聞いたから」
「まだ途中でございます。お品の素晴らしさを最後まで伝えずに客を帰してはいけないというのが我が家の教えでして、これは我が父祖の――」
滔々と流れるように言葉を繋ぐ声とそれを制しようと試みて挟まれる声が、廊にいる天香の耳にも聞こえてきた。前者のほうが後者より倍ほどとも思われるくらい大きく通る声だ。
後者はたとえもっと切れ切れでも天香にはわかる麗瑛の声だったが、前者には聞き覚えがなかった。
「あ、おかえりなさいませ天香さま~」
「英彩さん。あの、殿下にお客さまですか?」
「ええ、ご覧になります? 面白いですよ」
面白いってなんだ。そう思いつつ、天香は英彩の誘いに乗ってしまう。
客間の衝立と柱に隠れるようにして覗き込んだ先には、美々しい女性が腰掛けていた。纏っている襦裙は上質の機目細やかな絹布をふんだんに使っているのが近寄らなくてもわかる。あちこちにきらりと光るのは金糸を織り込んであるのか。手も金もかかっているのだろうということが簡単に推測できた。紋様は控えめだがそれを補って余りある綺羅綺羅しい衣装だ。また着ている彼女もそれに負けない顔立ちなのだが。
「あれは?」
「明梅舎の陸嬪さまですよう」
「ああ、あの方が……」
「一番に売り込みに来られてからずっとあのご様子で」
天香はさっきまで一緒にいた友人のことを思い出す。つまり福玉は彼女の舎に勤めているのだ。
記憶の中の名単をめくる。陸嬪、名を明鳳。鷲京を本拠にする商人の娘だ。商人だけに出足の早さも当然、といったところだろうか。
柱から身を離して、二人は廊に一度出る。
「売り込み? お茶をですか?」
「どちらかといえばお茶そのものよりもー、ご自分をじゃないですか」
「……あ、正妃選びの」
「天香さまもご存知でした?」
茶会の噂を聞きつけて押しかけ、いや、茶葉を献上しに来たらしい。
一番に茶葉を献上したことで評点を稼ごうという腹積もりなのかもしれない。英彩もあの噂を知っていてそう判断したようだった。陸嬪が噂を信じていたようだったと福玉から教えてもらったとおりだ。
実際には麗瑛はそんなことはひとかけらも考えていない。そのはずだ。
でも青元に業を煮やして叱咤したというのは当たらずとも遠からずの話ではある。
「それにしても早すぎるでしょう」
それが天香の率直な感想だった。そもそも反応の速さから見て、噂を耳にしてから即座に茶を用意したのだろうとしか考えられない。
普段から明梅舎で献上品にふさわしいような銘茶を嗜んでいた可能性もあるが、それにしても使いかけの茶葉を献上品に使うなんてことはしないだろうから、同じ銘柄の未使用品を取り寄せたのだろう。実家が鷲京の城下にある優位を活かした形だ。とはいえ実家が同じく城下にある天香が同じことをしようとしても出来るかどうか。出来たとしてももっと時間がかかってしまうだろう。実家が大商家ゆえに出来る芸当だ。それに比べれば天香の実家など小役人である。
いや、別に張り合っているわけでもそんな必要もないのだけど。
「あら、先を越されてしまいましたか」
そんなことを考えていた天香の背に、また別の声が投げかけられた。
周りを見ればいつの間にか英彩の姿はなく、かわりに立っていたのは仕立てのよい襦裙を着こなした、華のような女人だった。
陸嬪のそれは意匠ではなく生地や糸そのもので目を引くつくりだったが。それに比べると生地などももちろん悪くはないものだが、こちらは花を大胆にあしらった意匠がなによりも目を引く。やや彫りの深い華やかな顔立ちとあいまって、大輪の花のような立ち姿だと天香は思った。
「あの、どちらさまでしょう」
「あら、殿下の侍女の方? それとも女官かしら」
「あ、ええと、どちらでもあってどちらでもないというか、どちらかというと前者……です、けども」
対外的な立場としては、今の天香は麗瑛の侍女ということになっている。いちおう。
天香が身に着けているのは女官服に近い飾り気のない服だが、仕立てと生地は支給品の女官服よりも数段上のものだ。もちろん麗瑛の指示による。普通に考えればこの場でそのような衣裳を着ていれば侍女と思われるだろう。
「? よくわからない方ね。……まあいいわ。わたくし、秀芳と申します。陛下より皓月舎を賜っております」
彼女が名乗ったその名前を聞き、舎の名の終わりまで聞くよりも前に、すでに天香は相手の名を記憶の中から見つけ出していた。皓月舎の嬪、郭秀芳、当年とって二十二歳。南部浅州の、こちらも音に聞こえた商家の娘である。
慌てて天香は非礼にならない範囲で頭を下げる。
「か、郭嬪さまでしたか! 失礼をいたしました!」
「ああ、いいえ、こちらに参るのは初めてですから、ま、これで顔を覚えていただければ安いものと言いますか」
「申し訳ありません。……それで、先を越された、とは」
「わたくし、浅州のしがない商人の出でして、実家が茶も扱っておりますので、このたびのお茶会にぜひ使っていただけないかと献上に上がりました」
先に触れたように浅州は琳国南部に位置する土地で、そして名の通ったお茶の産地でもある。
しがないと謙遜しているがその地では名うての大商家であることを天香は知っている。ならば茶も扱っているだろうし、その娘がそれを献上するのも不思議ではない、が、ひとつだけ引っかかる。
浅州は遠い。城下とは比べ物にならないほどだ。
茶はかさ張らないものではあるが、それにしたところでこの速さで用意できたのだろうか。
「浅州からわざわざお取り寄せに?」
「あ、いいえ。自分用にいくつか取り置いていたもので。本来ならば実家より改めて取り寄せるべきところ、まずは他のかたがたより先んじて売り込もうかと――と、失礼」
「あ、はあ」
「ああ、勘違いなさらないでいただきたいのは――わたしは、あちらの方のように自分を売り込みに来たのではないということ、ですの。直截に言ってしまいますけれど」
あちらの方、と言って不調法にならない程度に指し示したのは客間の方向で、言わずとも陸嬪のことと知れる。
公的には下の身分である侍女相手にも丁寧な言葉遣いを崩さない穏やかな振る舞いの裏に、同じ嬪への対抗心をすこしだけ覗かせて、彼女――郭嬪は微笑んでみせた。
その人当たりのいい微笑みに惹かれるように、天香は疑問を投げかけた。
「ご自分を売り込みに来たのではない、と申されますと……?」




