二十五、 工人たち
さて文字通り仮にも建物を一つ建てるとなると、もちろん後宮の女官たちだけで建てられるわけがない。
建物の日々の手入れは尚寝部の女官が、程度の軽い修理修繕は司工という部署の女官が行うのだが、さすがにそんな範囲は超えている。
ということで六部のうちの一つ、工部直属の工人たちが工事に当たることになる。
その工人たちが、いままさに天香の視界の中で作業に励む男たちだった。
とはいえ、いきなり柱を建てたりし始めているわけではない。
市井の工人とは違って、工部に直属する彼らはすなわち熟練の専門家、一流の職人ぞろいだ。仕事にかかるや否や、ある一隊は完成までの最短の工程の計算を始め、他の一隊はまず建設予定地――東徽苑の水辺を歩き回ったり、縄や棒を動かして何かをやっている。天香から見れば何をしているかよくわからないが、これからまず土台を固めそれから上に建てていく、その事前調査をしているのだという。東徽苑を管理している園官や、司花の庭師と女官たち数人がそれに混じっている。
司花は後宮の庭園を維持管理する部門で、そこには女官だけでなく男性の庭師も所属している。庭木庭石の類も扱い、ときには植え替えなども手がけなくてはいけないから、女手だけでは扱いきれないというのがその理由だ。
その作業の様子を望みながら、青元が天香に語って聞かせる。
「だから、ただ贅沢というわけではないというのはな、彼らは工部、つまり国の金で働いているのだ。それはひとたび彼らの出番となったとき、『わたしたちではこの工事は出来ません』などと言えない立場、ということだ。つまり、いついかなるとき、どんな命にでも応じられるだけの力を備えていなければならない。……ま、そういう意味では日々の教練や演習を繰り返している軍兵と同じだな」
「――つまり、定期的に工事があるほうが望ましいのですか?」
「と、月勝は言っていたかな」
「つまり今のはぜーんぶ宰相閣下の受け売りということですわね」
天香の質問への回答に対してすかさず入れられた麗瑛の茶々に、天香は軽く吹き出しかける。
月勝こと宰相・絡月勝は青元よりちょうど一回り年上の三十八歳。青元が即位する前からの一番の近臣であり、懐刀である。もちろん青元の信頼も篤い。
しかし帝との距離の近さを私事に使うことは断じて拒否し賄賂を拒絶するなど、硬骨漢としてもまた知られている。
――というのは天香の知識であって、実際には顔を合わせたことはほぼない。少なくとも天香にはその自覚はない。だから本人を表すには麗瑛を経由した言葉でしか表現できないが、いわく『いつもしかめ面でうるさ型』らしい。
「しかし意外だな」
「何が、ですか?」
青元がその言葉通りの感情と表情でこぼした一言に、天香は首をかしげた。
「いや……お、余はてっきり、瑛のことだからな、『わたしの天香を男なんかの目に触れさせるものですかー』くらいのことは言うのかと思っていたんだが……そうでもなさそうだな?」
「何を言っていらっしゃるのお兄さま? わたしが天香をみすみす男に奪われるとでも? それとも、お兄さまはもしかして、天香の姿を見たという理由で庭師工人を全員手討ちにするような妹をお望み?」
妹たち相手ということもあってつい俺と言いそうになったか、途中で言いなおして青元が言い、言われた麗瑛は自信満々という表情でそれに物騒な答えを投げ返す。その自信満々の顔も天香には愛おしい。
ちなみに手討ち云々はそういう嫉妬深い男がいたという昔話から出た、ただの冗談だ。
天香自身麗瑛にそんなことはして欲しくない。
「それにお兄さまは何か勘違いされているみたいですけどね、わたしは理由無く殿方が嫌いなわけでは無いわ? 私が嫌いなのは天香に色目を使う人間全部よ」
「でっ、殿下、人前で……」
「どうせみんな忙しくてこちらなんか見てもいないわ。距離もあるし」
その言葉の通り、いま天香たちがいるのは建築作業、正確にはその前準備をしている現場からいくらか離れた場所だった。
帝の臨席というと一度作業を止めさせなくてはいけなくなるので、それを嫌った青元はその場に入っていくのではなく、離れたところから見るだけにとどめたのだ。その判断は正しいと思う。
側近くにいるのはいつもの蓮泉殿の侍女たちに丁夫人、尚宮の女官数人という面々である。
「丁夫人、言うまでもないとは思うが――」
「はい。涼亭を作るため、完成までは妃嬪のかたがたおよび侍女、ならびに用のない女官の立ち入りを禁じるとの旨、本日付で周知公布させる手筈となっております」
向き直って口にした青元の言葉を最後まで言わさずに、丁夫人が拱手して応じる。
その答えに満足したように、青元は、ん、と肯きを返した。
庭師、更に今回の場合は工人たち。
彼らは男でありながら後宮に出入りすることを許可された、例外的な存在である。
許可されてはいるが、やはりその範囲は彼らが仕事をする現場の周辺だけ、さらに衛士たちの監視が付く。もちろんそこから出た場合は前にも話に出たような罰を受けることになるのも変わらない。
ついでに言えば妃嬪と直接話をすることも禁止である。例外は帝が同席し、帝自身から直々のお許しがあった場合のみ。
だから、そもそも接触そのものを断つために女たちにはこの周囲に立ち入りを禁じる(司花の女官は除く)のは当然の措置でもある。庭園のひとつに立ち入れないことで何人かの妃嬪と侍女は不満になるかもしれないが、あくまで期間は限定なのだから我慢してもらうほかない。
後宮を統制する側の丁夫人としては、当然そういうことも配慮していて、帝自身の命令に先んじる形でその手筈を整えていた。その確認であり、報告だった。
女官長たるものこれくらいのことは出来て当然という態度だし、実際なにか言われればそう返すのだろう。と、経験上なんとなくだが天香は察する。
と、そこでふと麗瑛が声を上げた。
「そうだわ天香。わたし良いことを考えたの」
「なんですか突然」
「あのね、仮の涼亭とはいえ、やっぱり何の飾りもなしでは目に寂しいのではないかと思っていたのだけれど、でもお兄さまが言っていたとおり、今から彫り物をというのは難しいと思うの。それで――考えたというのはね、その席に花を飾るのはどうかしら」
「花……いいかもしれませんね。この時期なら――牡丹は少し遅い、でしょうか」
涼亭の宴に花を飾るというのはあまり聞かないけれど、そう言われればたしかにいい考えに思えた。
牡丹は百花の王とも言われる大輪で壮麗な花で、麗瑛にはよく似合うと天香は思う。しかしまだしばらく間が空くから盛りを少し過ぎてしまうかもしれない。
「あなたに任せるから、司花まで行って相談してきてくれないかしら」
「わ、わかりました!」
即座に返答して、天香はきびすを返した。尚宮で働いている間にそれぞれの女官房の位置は覚えている。
その後姿を見送って、青元は妹に話しかけた。
「天香ひとりで行かせてよかったのか?」
「どういうこと?」
「いや、お前さっき色目がどうこう言ってただろう。司花には庭師もいるんだぞ?」
「燕圭、天香についていってあげて」
その瞬間ハッと顔色を変えた麗瑛は振り返ってそう命じ、有能な護衛侍女は無駄口を叩かず了承の一礼だけを返して天香の後を追う。そんな妹の反応を見て青元は呆れ混じりにこぼした。
「なあお前、天香のことになるといつもより間が抜けるのはなんなんだ……?」
「そんなの決まっているでしょう――惚れた弱み、ですわ、お兄さま」
「……そうか」
本人がそれでいいなら青元としてはいい。いいのだが。
はあ、と吐いた溜息は思っていたよりも大きく出てしまった。
***
余談
-司花局にて-
「公主殿下主催のお茶会、かあ」
「優雅ですよねえ。まあ、私たち殿外女官には関係のない話ですけど」
「菓子もたくさん出るんだろうなあ」
「そっち? そっちですか!?」
「だってあたし甘いもの好きだしい?」
「おすそ分け的なもの、もらえないですかねえ……」
「……なんだなんだここの女どもは揃いも揃って花より団子かよ?」
「男だって同じでしょ」
「違いねえ。しかし今日来た侍女の子はなんか他のとは様子が違ったな」
「そうですか?」
「なんていうの? こう、普通の侍女とか女官はさあ、なんかとっつきにくいっていうか。妃嬪さまがたに至っては近づくどころか直視も出来んところに来てだ」
「男ってばそんな話ばっかり。その点、迅さんは違いますよね、ねえ?」
「あ? 確かに、あー……庶民的、か? でも、あんな子侍女にいたっけか?」
「……迅が女に目をくれた……しかも見分けが付いてるだと!?」
「……ついに春がきたのねー……」
「よかったですわね先輩!」
「あの子、新入りの女官らしいですよ。いや侍女だったかな?」
「最悪侍女と庭師でもだ、可能性はなくもないよな、迅!」
「――ああ、そう……いや違う、違うからな! ってかお前らさりげなく失礼だな!」
ごめんその子侍女でも女官でもなく公主妃なんだわーー。
司花の人たちの再出演の予定は今のところございません。




