二十二、 たまには私が
お茶のひと時が終わってから何かを考えていた麗瑛がそれを口にしたのは、侍女たちも引き上げて二人きりになった、その夜の床の上だった。
「お茶会を開くわ」
唐突な一言に、天香は疑問を挟む。
「……って、今日も開いたばかりじゃないですか。それにいつもやってるでしょう?」
「違うの。そうじゃなくて――、各殿舎の妃嬪をすべて、全員集めた茶会よ。そうね、大茶会とでも呼びましょうか」
「大茶会、ですか」
「わたしはね天香、思っていたのだけれど」
ひとつ息を入れて、天香の目をじっと見て麗瑛は言った。
「あなたは何のために女官働きをしているの?」
「えっ? それは――その、ひめさまの隣に立つためです。ひめさまの、妃として」
「よかった。忘れられたかと思ってたわ。女官仕事がずいぶん楽しそうでいらっしゃるんですから!」
「え、もしかして拗ねて――」
「ません」
「あ、はい」
とはいうがやっぱり拗ねている。はた目にはそうは見えないかもしれないが天香にはわかる。
本人が言うように女官の件だけだろうか。他にもあるかもしれない。そうするとやはり迦鈴を勝手に蓮泉殿に招いたことかもしれない。いや招いたというか押しかけられたというか、でも許可してしまったのは自分だし。天香は悶々とする。
そんな天香に寄りかかり、そのまま褥子の上に一緒に倒れながら、麗瑛は言う。
「わたしはね、自分で思っていたよりもこらえ性がないみたいなの」
「え、ええ……はい?」
褥子に押し付けられ、ついばむような唇を受けながら、そんな告白をされる。
少なくとも自分に触れることについては特にこらえていないような気がするのだけれども。
「これでもじゅうぶん耐えているのよ? そうそう、あれから何度かすれ違った時があったでしょう、あの時も目を見るだけでは足りなくて――」
「あのひめさまその事なんですけど私の移動を見計らってわざわざすれ違ってるみたいだったって尚宮職で聞いたんですが本当でしょうか」
余計な言葉を差し挟まれないように一息で言い切った。さすがにちょっと息が苦しい。
そして沈黙。
見る見るうちに麗瑛の顔が鮮やかに朱色に染まるのをみて、自分の赤面を傍から見ればこう見えるのだろうか、なんておかしなことを考える。似たもの夫婦という言葉があるけれどこんな感じなんだろうかいやそれは違う、違うと思う。たぶん。
でもそうだったらいい。似たもの夫婦って響きがいい。
いや、そういう話じゃなかった。
その顔をどうにか天香から背けようとする麗瑛。天香はそれを覗き込むように追いかけて身を起こす。最終的に先ほどとは向きが変わり、枕の側に足を向ける形になった。行儀は悪いかもしれないけど、まあ誰も見ていないので許してもらおう。
「と、そ、兎も角、今は茶会の話をしましょう」
「くっ……ふふ」
取り繕いきれない言葉に緩んだ唇から息が漏れた。
ムッとした顔と不満げな声を作って、麗瑛がそれに反応する。
「ひどい目にあわせてあげましょうか」
「あとでお願いします。できればやさしく」
「やさしかったらひどい目にならないでしょう」
その通りだった。
ただし赤い顔が説得力を大幅に落としていたけれども。
「ええと、だからその……ね、わたしの隣に立つまで、その距離はあとどれくらい残っているのかしら。その道はちゃんとわたしの隣に続いているの?いえ、もちろんいつまでも歩き続けるなんて思っていないけれど……」
「わ、私も、もちろん。――ええと。つまり、私はどうすれば?」
「だから、その答えにしようと思ったの」
からだごと向き直って、麗瑛は意を決したように口を開いた。
「わたし主催の茶会を無事に取り仕切れれば、それはあなたの『勉強』の成果、ということになるのではないかしら」
勉強の成果。その言葉に、天香は少しだけ戸惑う。
いや、戸惑うというのは正しくないかもしれない。
突然査試の実施を告げられたような……のとも違って。
「茶会を取り仕切れなんて言われましても、わたしそんなに上手にお茶なんて淹れられませんし……」
そういうことじゃない。言いながら自分で思ったことを、ほかならぬ麗瑛に返される。
「誰があなたにお茶を淹れろと言ったのよ。それはその道の人間に任せておきなさい。前も言ったでしょう、人を使うことを覚えましょう、って」
人を使う側の人間なのだから、自分で動くだけでなく、周りの人間を動かさなくてはいけない。
納得はできていても、いざ指示を出す側になるとまだ慣れない。
というか、慣れるよりも前に女官勤めにも入ってしまったから尚更だろう。
どこかで改めてそういうことに慣れておかなければいけない。そしてこの茶会はその絶好の機会だ。
それは天香にも理解できる。できるのだけれど。
「あなたがどう思っているかはわかっているつもりよ? あなたのことなんですから」
「……私は、まだまだ至らないところが――」
昼にもお茶を飲みながら言ったそれは本心だった。それは変わらない。
けれど、麗瑛にここまで言わせてしまうほど待たせているというのも、やはり天香には心苦しい。
その天香の言葉を途中でさえぎって、公主殿下は言う。
「わたし、少しだけ待ちくたびれかけているのよ」
「それで、こらえ性、ですか……?」
桃の季節に蓮泉殿に来て、気づけば月が替わり新緑が揺れる時節だ。
「こういうのを、無茶振りが過ぎます、って言うんじゃないですか?」
「わたしは無茶なんて思っていない。だってあなたをそれくらい信じている……違うわ、あなたならできると知っているの」
まっすぐなその瞳が、真正面から天香の瞳を射抜いた。
天香だって、いつまでもこのままで、なんてもとより思ってはいない。
女官の仕事に不満があるわけではもちろんない。だが、自分で望んだこととはいえ、結果としてそれで麗瑛を待たせてしまっていることに呵責の思いはある。先に歩みだしたい思いもないわけではない。たとえ、多少至らなくても。
そしてわざわざその機会を作ろうとしてくれる、麗瑛のそんな気持ちは心からありがたい。
だから、そう希われれば自分の答えは、その深奥はひとつしかない。
「……お受け、します。したいです」
「天香」
「でも、もし失敗したらかえって御迷惑が、と思うと」
ぱあっと音がするようにその顔を明るくした麗瑛が、続く言葉にそんなこと、と一笑に付した。
「あなたにつけられるなら、わたしは泥だってなんだって構わないのよ。一緒に泥まみれになったら、次は一緒に洗いあって落とせばいいでしょう? だってわたしたちは主従じゃなくて」
「夫婦、ですからね」
麗瑛の言葉を引き取って天香が言い、そしてふたりは顔を見合わせてくすくすと笑いあった。
不安でも、自信がなくても、麗瑛の言葉はいつでもそれを上から塗りつぶしてくれる。
自分の言葉もそうなれる日が来るといいと、そう思って。
「でも、その……失礼ながら、殿下はほかの妃嬪のかたがたとは折り合いがよろしくないのでは……?」
茶会という提案をされたときに気になったことを、天香は思い切って尋ねてみた。
しかしその問いに、麗瑛は不思議そうに首をかしげて。
「え? 誰がそんなことをあなたに吹き込んだの?」
「いえ誰かがとかではなく、あのう……私がこちらに来てから何日かして、嬪の方が来られましたよね?」
「采嬪のこと? それとも梁嬪でしたっけ?」
「さ、采嬪さまで……すいません、そのときのお話を、隣の部屋で聞いてしまって!」
そのまま居ても立ってもいられなくなって殿を飛び出し、彷徨ってたところを福玉と知り合い……の、あのときに話していた相手がその采嬪だった。立ち聞きしていたことなど今まで誰にも、もちろんその当事者である麗瑛にさえ打ち明けていなかったことだ。
「あー……ああ、そうね」
「あの、ひめさまのあんな怖いお声は初めて聞いたので、仲がお悪いのかと……」
「だって、当然でしょう?」
何を言っているのこの子は、とでも言わんばかりの真面目な顔で公主殿下は。
「後宮に慣れていないあなたを誰かの前に出して、攫われでもしたらどうするの。誰の目にも触れさせたくないって、あのあと言ったでしょう?」
そう、のたまわれたのだった。
当然、の意味についても問い詰めたいし、そもそも自分を攫おうなどと思う人が麗瑛以外にいるのかとも問い詰めたいが。
頬の熱を感じながら、天香はため息混じりに言う。
「ひめさま……考えすぎです」
「い、今はそんなこと少しも思っていませんからね? 思っていたら差配などさせるものですか。本当によ?」
わかっていますよ、という言葉を口にしようとして、天香は一度思い直し。
床の上で向かい合う、その公主殿下の唇に、自分から唇を合わせた。
そんなこといつもはしないけれど、というかだいたい唇は奪われる側なのだけれど、今はこうやって自分から奪いに行くのが一番の返事になると、そう思った。
そんな想いが通じたのかどうなのか、麗瑛もまた、満足げに笑って瞳を閉じた。
天香は気づいてませんが、公主殿下わりとわがまま放題言ってます。
天香は気づいてませんが。
次のエピソードから章が変わります。お茶会編です。