二十一、 好きにしてとは言ったけれど
秋薫舎の侍女と女官たちの諍い、その結末の話を仕入れてきた英彩がその話題を出したのは、昼下がりのお茶どきの出来事だった。
天香が丁夫人と話した日から、すでに数日が経っている。
「っていう感じみたいですよお」
「――結局、大勢は天香さまの見たとおりだったわけですよね。女官長のお言葉通り、天香さまが裁いてもよかったのでは?」
話があらかた終わったところで、最後にそう言って英彩の話を引き取ったのは則耀だ。今日のお茶ももちろん彼女の熟練の手際で絶妙の温度と味と香りと口当たりを引き出されている。早い話がとてもおいしい。
平等に罰を与えないことで幕引きとする。それは天香にとっては想定外で。
「い、いえいえそんな。今回のことで、自分がまだ至らないと言うのはわかりましたから……。断ってよかったです、本当に」
天香は口に出してはそう言い、口には出さないが、
(女官長というのは、やっぱりいろいろとものを考えていなくては務まらないもの、なんですね)
そうも思う。
悪いことをしたのだから何かしら罰を受けるべきだ、と、自分は何の疑いもなく考えていただけだった。その天香とは違う視点から、丁夫人は決着をつけてしまった。その辺りの喧嘩を両成敗にするような天香の答えでは、決着はつけても納得はさせられない。そんな解答を示された。
ぽりぽり、もぐもぐ。
「――で、まあそれはいいんですけど……なんでわたしがあっちを泣かせたみたいな話が広まってるんですか?」
「あら、そんな話が?」
苦い口調の天香に、大げさに驚いてみせる英彩。
その話はこれも例によって福玉から知らされた――というより、探りを入れられた、というほうが正しい。
丁夫人の命を受けて諍いの調査に当たっていた『とある女官』が侍女と女官の両方を厳しく問い詰め、最悪この後宮からの追放もあると迫って証言を引き出し(その過程で尋問を受けた者たちを数人泣かせ)、その通りに女官長に事のあらましを報告。報告を受けた女官長は『格別の配慮』で追放を選ばず、諍いを起こした双方を集めて懇切に諭して解決させた――。
そんな噂だ。
まだ天香を尚宮職の女官・天咲だと思っている福玉たちからすれば、そんな天咲の同僚のはずの『とある女官』が誰なのかと知りたがった。ちなみにその時の言葉にいわく、「鬼の部下はやっぱり鬼なのか」など。
もちろん自分が調査に当たった本人ですとも言えず、そもそも泣かせた記憶などあるわけもなく、いや津清は涙ぐんでいたがあれは泣かせたなんてものじゃないだろうしええと。
結局、「丁夫人の密命で誰が調べたかはわからないんです。わたしまだまだ新入りですし」みたいなことを言ってあいまいに笑って、なんとかその場はごまかした。
「その話なら、わたしも夫人から直接に聞きました」
「えっ、殿下が? ……直接って、丁夫人からですか?」
「ええ」
思いがけない言葉に天香がその顔を見ると、麗瑛は取り澄ました顔で口にお菓子などを入れ、ゆっくりと茶を口に含んで飲み下し。
「あの、そんな焦らさないで教えてくださいー……」
「おやめなさいな天香」
「え?」
「あまりかわいい顔をするといじめたくなるじゃない」
「殿下ぁ……」
天香は自分でも情けないと思うような声を上げてしまった。袖を引っ張る感覚に、菓子をひとつつまんで差し出しながら。
ぱく。
「それで、丁夫人は何と仰ってたんですか?」
「そうそう」
ぽりもぐもぐもぐ。
「『好きに扱っていただいていい』と言われたので、好きに扱わせていただいたまでです。って」
確かにそんなことは言った。言った覚えはあるが。
「……いやっ、その、確かに言いましたけど、あれはあの箱の話で。っていうかそれ、噂を流したのはもしかしてご本人ってことでは……」
証拠としての箱を好きなように使ってくれと。そう言ったはずだけれど。
「『何を』好きに使ってほしいとは言われなかった。とも言っていたわね」
「なにそれひどい」
ぱくぽりぽりもぐもぐもぐもぐ。
「――まあ、それはいいのだけれど」
「よくないですよ」
「いいのよ」
「でも」
言いつのる天香に向けて、麗瑛は有無を言わさぬ笑みを向ける。
「それよりも、重要なお話」
「はい?」
「それは何?」
麗瑛の視線は天香の顔から下に移動して、その手の辺りで止まった。
「これは……、お菓子ですけど?」
「そうじゃないでしょう? そのお菓子をあなたの手から直接食べてるその子は、誰?」
天香は、自分の膝のあたりでもぐもぐと菓子を頬張っている少女を見下ろした。
迦鈴だ。いや、後宮での呼び名に従うならば、楊嬪という。
なぜここにいるかと言えば、例の揉めごとの最中に偶然再会して、今度お菓子をあげるからと約束したからだ。
もちろん今唐突にそこに現れたわけではない。このお茶どきの最初からそこにいた。
天香を除けば初対面のはずだが、勝手知ったるという風情で天香が渡す菓子を口に運んでいる。
「楊嬪? 梨清舎の? あら珍しい」
「ご存じなかったんですか。っていうかそんな珍しい生き物見たわー。みたいな言い方はどうかと……」
「『籠もりの君』ですからねえ」
「こもりのきみ?」
英彩の言うところによれば、梨清舎の楊嬪といえばめったにその姿を見せないことからそんな異称を奉じられているのだという。梨清舎の侍女や女官はそれに不快感を示すわけではなく、かといって同調することもなく淡々としているため、それもあいまって少し遠巻きにされているような現状らしい。
他人にどう思われているかを気にしない、少なくともそう見えるように振舞うというのは侍女たちばかりでなく楊嬪本人、つまりここにいる迦鈴その人も同じだ。というかそんな迦鈴だから侍女もそうなったのかもしれない。そこらへんどうなのか聞いてみようかと迦鈴を見れば、また菓子をもぐもぐと口に運んでいる。
「口に合うかしら。じゃなくて、合いますでしょうか、楊嬪さま」
「大丈夫。おいしい」
「そう、よかった。燕圭さんにお礼を言わなきゃ」
合うかしらなどと問わなくても、その小さい口に詰めるように口を動かしているのを見れば気に入ってもらえているのはわかる。
茶菓、お茶うけ、あるいはおやつといえば、ありふれているものはまず南瓜や向日葵の種を炒ったものだ。だが、友人とはいえ仮にも後宮の妃嬪にわざわざ贈る菓子としては手軽すぎて、あまり適度とは言いがたい。
そこで最初は天香が自分で買いに行こうとしたのだが、それは残念ながら阻止されてしまった。そこで燕圭が使いに走ることになった。
結果、彼女が買ってきたのは最近新しく売り出されたという、新作の揚げ菓子だった。
飴がけされてカリッとした歯ごたえの外側と、ふわっとした内側の生地の対比がなかなかに美味だ。
しかし揚げ菓子なので食べ過ぎないようにしなくては。天香は自分を戒める。
「でも前にもらったのもいい」
「え、どれ?」
「さくさくしたやつ。食べたことなかった」
「んー、……あー、あれか」
端的な答えだけれど、だいたい見当はついた。麦や米を膨らませてから水飴で固める菓子で、高級品というわけではなく市中ではありふれたものだ。更に花生やその他堅果を混ぜてあるものもある。けれどもそういえばこの迦鈴もいいところの娘さんだから、あまり口にしたこともなかったのかもしれない。
相変わらずの会話を繰り返す迦鈴と天香を見ながら、ひとつため息をついて麗瑛が言う。
「天香、あなたの院生時代のお友達はあと何人いるの?」
「何人、というと」
「この間の小間物屋の店主のつぎは妃嬪。次はだあれ? 女官や侍女の中にも混じってて、ある日突然『まあ天香お久しぶり』なんて出てくるんじゃないでしょうね?」
「そんなこと仰られましても……」
そう言われても、その玉晶との再会も迦鈴との再会も予期していないものだったのだから、答えようとしても答えられるものじゃあないです、と天香は言いたい。
そもそも公主院の卒業生の進路として女官や侍女は少なくない、むしろ多数派かもしれない。だから今の冗談めかした――冗談だと思うけれど、その台詞も可能性としては無いとは言いきれない。
後宮よりは圧倒的に小さい公主院のこと、全く顔も知らないという人間は多くはない。その中で親しく付き合った人間はさらに限定される
「あなたを野放しにしていると、わたしの知らないあなたを知っている人間ばかりが集まってくる気がするわ」
「そ、そんな――」
言いかけてふと迦鈴のほうを見れば、彼女も麗瑛の言葉にこくこくと頷いている。
「迦鈴までなんで頷いてるの……」
異議を唱えたいが唱えられない。そんな天香の様子を見て麗瑛がころころと笑った。