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公主殿下の寵姫さま  作者: 有内トナミ
一章 入内 編
21/113

二十、 女官長の審問 下


 先に結論から言ってしまえば、公式な処罰は誰にもなかった。


 諍いを起こした侍女と女官の双方が、同じひとつの部屋でこうべを下げている。

 侍女の列の先頭には年かさの筆頭侍女、女官の列の先頭には背の高い若い女官の姿がある。天香――天咲が諍いの現場に割って入ったとき、その一番前でたがいに張り合っていた二人だ。他の侍女や女官は交えず、あの場にいた者だけを集めたのだ。

 それぞれに並んだ列の間に開いた微妙な間が、文字通りの隔意の表れだった。


 尚宮の女官を横に連れた淑玉が、広間の前で立って第一声を放つ。

「双方、顔をお上げなさい」

 上げたその顔に浮かぶ表情は、人によって濃淡はあるが不安・不審・不満のどれか。

 不安の色は女官の側に、不審の色は侍女たちの側により濃い。不満は侍女のその更に一部にとくに濃かった。

 不安と不審は、この場を設けたのが女官長の淑玉だということが原因だろう。後宮の管理を担当する尚宮職が揉めごとの仲裁に入ったり、裁定を下すのは別段珍しいことではない。しかしその長である女官長が直接こういった場を設けることは実はあまりない。女官長自身の多忙もその理由のひとつで、不審に思うのはそういう機会の少ないものを見る目だ。

 もうひとつは、こと女官に関しては、この場での裁定が最終的な決定になるからだ。女官長という通り名のとおり、後宮の女官の最高責任は女官長にある。ゆえに、女官長直々の審問とその結果は覆せない。不安の色が女官の側に濃いのはそういうことだ。


「双方とも、なぜ集められたかわかっているとは思いますが――、侍女長、まずこれを」

 本来侍女長という呼びかけはふさわしくはない。が、この場にいる中でその名前で呼ばれるのはただ一人しかいない。秋薫舎の筆頭侍女だ。その侍女長、年かさの侍女が困惑の表情で進み出た。

 淑玉は隣に控える女官が捧げ持つ盆の、その上の薄紗うすぎぬを取り払うと、そこにあるものを示す。

「これは、陳嬪様のものですか?」

「そ、それは……間違いなく陳嬪様の御箱にございます」

 ためらいがちな侍女長の言葉に、侍女の側でざわりと空気が揺れた。

 それを無視するように、淑玉は続けて言う。

「中身も確認なさい。すべて遺漏なく揃っていますか」

 その言葉に従い、侍女長は箱を開けるとその中にあるものをひとつずつ恭しく取り出す。侍女が一人それを手伝った。侍女長となれば主人(あるじ)の持ち物などすべて覚えていなくては務まらない。特にそれがその身辺を飾るものならばなおさらだ。

 しばし間があってから彼女は顔を上げる。

「全て、確かに揃っております」

「この中身、すべて陛下より賜ったものと言うのは真ですか」

「はい、真でございます。しかし、なぜこれが……」

「では――今回の諍いで秋薫舎方が言う盗まれた箱とは、これに相違ないですか?」


 淑玉のその言葉に、侍女長は凍りついた

「……は?」

「箱が盗まれたと確かに言っていたと、尚宮(こちら)の女官がはっきりと聞いていたのですが。――そなた、なぜ盗まれたものが陛下より賜った品だと申し出なかったのです? 尚宮職で調べさせるまでそのような話はなかったと聞きますが?」

「いえ、あの……その……し、知らなかったのです!」

 搾り出すように言うその言葉に、淑玉は眉根を寄せた。

「知らぬ? 盗まれた物が何かもわからず盗まれたと騒ぎ立てた、と?」

「わ、私がその場に入りましたときにはすでに、その、相手が自分たちの物を盗んだと聞いただけで」

 その相手、つまりは女官たちから不満の声が上がった。

「では――その管理に当たっていたのは誰です?」

「そ、それは……」

 侍女長の視線が侍女たちの間をさまよい、そのうちの一人で止まった。釣られるように周囲の侍女の視線もそこへと集まる。


「お待ちください!」

 視線が集まったその本人が、そこで初めて声をあげた。

 細面にすっと上がった眉、美人ではあるが険のある顔立ちだ。

 淑玉は知らなかったが、それは天香が事情を質したまさにその相手だった。

「そなた、名は」

桂嬉(けいき)と申します。女官長には――」

「前置きはよい。直截(ちょくさい)に述べなさい」

「では、御箱がわれわれの元から盗まれてここにあるのならば、まずその箱を持ち去った不心得者がいるはず。そちらに対する罰はどうなるのです? それとも、その犯人も不明と申されるのでしょうか?」

 その声は自信で満ちていて、釈明や言い逃れに付き物の恐怖や心配で震える声とは全く違う。そういう物言いを先にしてくるというその反応に、淑玉は覚えがあった。

 それは自分の行動に一片の疑いも抱いていない、間違ったことをしたとは思っていない人間が示す態度だ。

 息をふうと吐いて、淑玉はそれに答えを返す。

 ある意味で予想通りの反応だ。用意は出来ていた。

「犯人――ええ、彼女を犯人と呼ぶのならそうでしょうね。彼女はこちらの調べに箱を取り違えただけだと答えましたが」

「取り違えるような箱を持ってきたと申されるのなら、その彼女とやらは女官でございましょう? 違いますか?」

「――いいえ、違いません」

 いったん張りつめた空気が、その返答にざわり、と波打った。やっぱり、とかそれ見たことか、という声が侍女から上がる。いっぽうで女官たちからはため息ともうめき声とも付かないざわめきが。


 その答えにもっとも満足げな反応を見せたのは相対している桂嬉当人だった。

「ならば話は簡単にございます、女官長さま。その者に罰をお与えください」

「……ほう? なぜ罰を与えようと言うのです?」

「おかしなことを。今まさにその間違いを犯したとお認めになったではありませんか。我ら秋薫舎の者はそれがために迷惑をこうむった、つまり被害者です。罰を与えて何が悪いのです」

 その言葉に今度は、「何が被害者よ」「一方的な」のようなささやきが女官の側から漏れる。しかしその言葉は先ほどに比べれば小さい。名こそ出ていないが自分たちの同僚が犯人と明かされいくぶん後ろめたくなっているのだろう。

「そのうえ、通り一遍の過ちではありません。何しろ取り違えたものは陳嬪さまの所有物、しかも陛下より賜った御物なのですから」

「――なるほど、過ちを犯したものは罰せられるべき、と言うのですね」

 当然です、と頷き返す侍女・桂嬉。

「では、そなたたち侍女が尚寝より勝手に持ち去った道具箱の件についても、同じく罰しなければいけませんね」

「心外な! なぜ(あるじ)を思った我々が同じ罰を受けなければいけないのですか」

 その言葉に反射的に顔を抑えた他の侍女を二人ほど、視界の隅に淑玉は認めた。

 どれだけ白々しくてもその言葉自体を否定して、知らぬ存ぜぬを決め込んでいれば追いつめきれなかったかもしれない。確固たる証拠は無いに等しい、いや、等しかったのだ。


「だからといって、同じ事をやり返して違う罰を受けたのでは不公平でありましょう?」

「こちらは余計な騒ぎになってはいけないと動いたまで。そもそもどこの誰かが取り違えなければそのようなことをしなくても済んだのです」

「それではそなたに同じ事を聞きましょう。なぜ、最初に無くなったときに即刻尚宮職われわれに訴え出なかったのか。女官の犯行と断定できるほどの事情があったのなら、我々も最初からそう念頭において動いたものを」

 ぐっと言葉に詰まる桂嬉。

「尚宮職が信じられませんでしたか? それとも信じられなかったのは女官長わたしでしょうか?」


 もともと尚寝の女官と秋薫舎の侍女は折り合いが悪かったのだと、天香の報告にあった。

 そして訴え出られなかったと思われる、その理由も。

 だから、先に女官の側に非があったと認めるような発言をした。その上で罰の話につなげれば、まさにあのように振舞うはず。折り合いが悪かった相手を更に落とし、次いで自分が上になるために。そう予想して。

 その通りに動いてくれたのは一面でありがたいが、一面でつまらない。思いもかけないことをやってくれるほうが――いや、いけないいけない。

 平穏にあって波乱を望み、乱にあっては平穏を望むのはよろしくない。

 女官長としては、後宮の平穏をこそ望まなくてはいけないのだ。

 淑玉はそう自戒する。


「わ、我らは主を思ってやっただけのこと! それが悪いと、そう女官長さまは仰るのですか」

「そなたたちの忠心を否定はしません。そう望むのであれば、見上げた心懸けと褒めもしましょう。しかし、ならばなぜ、その自分たちの行為がその主に逆行するとは考えは及ばなかったのですか。

 いかに良き心から出たことであれ、結果としてこの後宮に波風を立たせたのは事実。それが陳嬪さまの瑕疵となりうること、わからなかったわけではありますまい」


 侍女にとって、主人が寵愛を得ることと自分たちの栄達は一体かつ不可分のものだ。真に主を思ってやったのか、自らの保身を考えてのことなのか、そこを気にしても始まらない。どちらがより大きかったかなど、もはや当人でも判らないだろう。

 そこを切り崩し、自分たちの行為が罰せられるべきものであると納得させるには、その主人に矛先を向けるしかない。

 とはいえその矛はあくまで向けるだけで、実際にそれを振り下ろすなどしない。そもそも女官長や尚宮職が妃嬪の一挙一動にいちいち点数をつけて報告するなど、今の帝が即位してからはもうやってもいない。まあ、あったとしてもあの国帝には意味のないことだろうけれども。

 もちろんそれを彼女たちには伝えない。矛先をいつでも振り下ろせると思ってもらっていたほうが都合がいいからだ。


「わ、我らは――」

「もうおやめなさい、桂嬉」

 その言葉を発したのは、黙り込んでいた年かさの筆頭侍女だった。

「この度の事の発端は、あなたが陳嬪さまより預かり給ったものを不用意に放置していたことも一因。つまりあちらの女官の行為を落ち度として罰するならば、あなたもその発端を作った落ち度の罰を受けなければならない。女官長がおっしゃっていることはそういうことです。

 しかも、あちらで関わったのはあくまで取り違えを起こした女官ひとり。翻ってこちらは――あなたひとりでは、ありませんね?」


 少なくとも二人は確実に事情を知っていた者がいる。淑玉は彼女たちが頭を押さえるのを目にしたからはっきりとそう言える。それを見ていなくても桂嬉が単独ひとりでできるようなものには思えないだろうし、彼女も事実そう思ったのだろう。だからそれは質問ではなく、確認の言葉だった。

 罰の内容の如何にかかわらず、女官ひとりに対して侍女は少なくとも三人、おそらくはそれ以上。

 そして罰を受けたという事実は残る。侍女と女官双方がどう思っていたとしても、後宮の人間を管理する尚宮職にその記録は残る。そう決まっている。

 そんないわば汚点を、それも複数持っている妃嬪への周囲の、そしてなによりも帝からの視線がどうなるか。

 筆頭侍女としての彼女はまずそう考えたのだろう。だからこそこの時機を見て声を上げたのだ。


「この通り伏してお願い申し上げます。我が身の不行き届きを謝し、併せて他の者たちにはどうか、寛大な御処置を」

 そして彼女は淑玉に向かってその身を伏し、言った。

 息をひとつ吐いて、淑玉は彼女に答える。

「そなたに辞められては、それこそ他の侍女たちを御せる人間がいなくなりそうですね」

「ですが」

「そなた、いえ、ここにいる全員が勘違いをしているようですが――」

 顔を上げた侍女から視線をはずして、淑玉は広間を見渡した。固唾を呑んで成り行きを見守っていた二つの集団の、その視線が淑玉に集まる。

「私がただ罰を与えようとして、そのためだけにこのような場を設けたと思っているのですか?」

 答える言葉はない。答えられるような問いでもなかった。


「わたしたちは、そなたたちの諍いを決着させるためにこの場を設けたのです。罰の軽重を決めるためでもなければ、どちらに責任があったかを問い詰めるためでもありません。

 侍女も女官もこの後宮にいる限りは等しく後宮に仕える身。その諍いをそのままにしていたのではそれは他の妃嬪の皆様、そして何よりも畏れ多くも国帝陛下への障りでしかないのですからね」

 ですが、と続けて淑玉は結論を口にする。

「双方共に、私の裁定を受けなければ諍いを決着させられないというのなら――女官長丁淑玉の名をもって、次のとおり発する。

 両者ともに同じ罰を受けるか、それとも共にこれ以上の咎め立てをせず手打ちとするか。その選択の権利は秋薫舎にあるものとする。そして、今後同様の事態が起きた時は即座に尚宮職に訴え出るように。不服あるものは今ここで声を挙げよ。……以上」


 選択を委ねたことで女官の側の落ち度を認め、しかし侍女の側がその上で更に罰を望むことは出来ないと理解させ。

 公式な罰を与えることなく、諍いそのものを手打ちとさせる。

 それが、淑玉の結論だった。



 異議不服の声は、上がらなかった。




長くなったうえに説明とか持って回った言い方ではっきりしてくれません。反省です。

あと主人公たちの出番がなくていちゃつかないとこんなに筆が重くなるのか……(今更)。

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