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公主殿下の寵姫さま  作者: 有内トナミ
一章 入内 編
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二、 赤縄 後

 顔が熱い。炙られていたと思った熱は、自分の内側から出る熱だったらしい。

 自覚する前から赤かったはずの頬がより熱を帯びてくるような感覚に陥りながら、天香は麗瑛に従って殿舎の中を進む。

 ふと風が頬をなでれば、そこは中庭の池に面した廊だった。

 あれ、公主殿下の住まいに中庭、それも池のある中庭があっただろうかと、天香はさっきまでより幾分か冷静になった頭で考える。後宮の離れといっていい舎の一つを、専用の住まいとして与えられていたと記憶していた。それどころか何度も訪れた事もある、が。


「あの、殿下」

「なあに?」

 導かれるまま池を臨む部屋のひとつに入り、用意されていた場所に麗瑛と並んで腰を下ろしてから、天香は横にいる彼女に問いかけた。二人の前には膳が置かれており、その上には皿ごとに取り分けられた料理が用意されていた。案内についていた女官はすでに退いている。

 問いかけに応じて、花を思わせる麗瑛の笑顔が天香の顔のやや下で咲く。まぶしい。

「こんな池、ありましたっけ?」

「やっぱり、さっきは聞いてなかったのね」

「え?」

「言ったじゃない。『わたしたちの蓮泉殿にようこそ』って」

自分でも間が抜けていると思う質問にも、微笑みとともに答えが返ってくる。

そしてその答えの中身を噛み砕くように理解できる冷静さも今度は戻ってきていたが。

「蓮泉殿……って、五殿、の?」

 理解した瞬間、冷静さがまたどこかに飛んでいった。


 内廷六殿のうち、国帝その人の住まいである青円殿(せいえんでん)を除く五つの御殿が後宮五殿(ごでん)と呼ばれ、さらにそのほか大小の舎すべてを合わせて俗に『琳国五殿九舎(きゅうしゃ)一千房(いっせんぼう)、東西名花が揃い咲き』と言われる威容を誇る。字面どおりにへやひとつに一人妃嬪がいると仮定しても千人以上、侍女、宮女、下女の数を合わせればその十倍では利かない人数がいることになる。とはいえ現在は一千房の大半は空き部屋である。そもそも一千房というのは「たくさん」というたとえでもある。

 その後宮に殿舎を与えられるのは国帝の妻である妃嬪(ひひん)と決まっている。五殿九舎とあわせて呼ばれていても、実際には『舎』は九つどころではなく、帝の意向によって増減する。嘘か真かおそらくは前者だが、百を超える舎を作らせた帝がいたという話すらある。しかし『殿』は時代や帝によって増減することはなく、たとえ都の位置が変わっても後宮で妃嬪に与えられる殿は五つと決まっているのだ。

 天香だってそれは知っている。基礎知識といっていい。そもそも後宮に出入りしていたのだし。

 だから何の疑問もなく、自分は麗瑛のもともとの住まい――あれも舎だった――に暮らすことになるのだと信じ込んでいた。その舎でさえ天香の実家の母屋と大して変わりのない大きさはあった。


 それがいきなり蓮泉殿。本来なら帝の妃となる女人に与えられるべき殿に招き入れられたのだ。驚くのも当然だった。

「天香、帰ってきて? 天香?」

 天女の声かと思ったら殿下の声だった。お前は何を言ってるのか。

 ぺちぺち。

 頬を軽く打たれて天香は我に返る。

「どういうことですか殿下」

「天香、落ち着いて」

「わたしはいつから帝の妃嬪になったんでしょうかそれともいつの間にか殿下が陛下に即位されていたのでしょうかもしくは考えたくもない事ながらわたしは陛下の」

「それ以上言うな、聞いてるこっちが傷つくわ」

 割り込んだのは男の声。後宮たるこの場所の、それも殿上に出入りできる男は限られている。それ以前にその声には単純に聴き覚えがあった。

「久しいな、天香」

「……陛下っ!?」

「なんだ、昔のように(せい)兄様とは呼んでくれないのか」

 二人の座っている場所の横手側、先ほどまではすだれがかかっていた場所に、一人の男が端然と座していた。琳国当代国帝、こう 青元(せいげん)。当年で二十六歳の若き帝であり、麗瑛の兄だ。

 そして麗瑛と同様、天香にとっては幼い頃から知った仲でもあった。青兄様とは幼少期の天香が呼んでいた名だ。当時のことを思い出し、幾分照れながら顔を伏せて天香は応じる。

「陛下、お戯れを。もうあのころの私ではありません。……お久しぶりでございます」

「そうだな。城に戻される前だからもう十年は前か? 妹と隣の家の幼女と一緒に気楽に遊んでいられた時だった。そうそう、お前はうちの庭の――」

「お兄様、そんな思い出話をしにいらしたの?」

 変な回想に入ろうとした兄を、麗瑛が突き放す。

「話があるから来たのですよね?」

「む、無論だ」

 最近妹から変な迫力を感じますどうすればいいでしょうか二十六歳国帝より。そんな内心を押し込めて青元は言葉を続ける。

「さて、改めてだ。麗瑛、そしてその妃」

「妃!?」

「お前は麗瑛に嫁いだのだろう。皇族に嫁いだなら妃だ。何も間違ってはおらん。……あー、ともかくもだ」

 仕切りなおし再び。しまらないなあと天香は思う。いや、しまらなくしたのは自分だったのだけども。

「我が妹、麗瑛公主とその妃、白天香、両名の婚姻祝いとしてこの蓮泉殿を下賜する。女官下女は追って沙汰するが……(てい)夫人!」

「ここに」

 廊の物陰に待機していたらしい女官が一人進み出た。簡素だが上等の女官服。上級女官ということだろう。年の頃は……よくわからない。三十と言われれば三十にも、五十と言われれば五十にも見える。

「麗瑛は知っているだろうが、女官長の丁夫人だ。暮らし向きが整うまでは蓮泉殿に付いてもらう」

「丁淑玉(しゅくぎょく)にございます。殿下、そして白妃様、御婚姻おめでとうございます。女官長としての職務も兼ねますが、微力を尽くさせていただきます」

 膝をついて頭を垂れる。その挙措はまったく乱れる事もなく、型どおりに美しい。

「さま、様って……私が」

「妃だろう。お前はこれから人をまとめる側に立ってもらわねばならないのだから」

「わ、私は」

「我が妹に嫁した身なれば、その為に十分に働いてもらう。……麗瑛を頼むぞ、天香」

 国帝らしい格式ばった口上を続けていた青元が、その時だけは妹を思う兄へと言葉を変えていた。

 それを聞いて、天香は国帝に対して頭を下げる。

 つまりこれは天香と麗瑛の婚礼だ。

 ならば、天香の返事は決まっている。

 今日この城に上がる前から、麗瑛の求婚を受け入れたときから、その心は決まっている。

「この身と心が荒河こうがに散るまで」

 それは、結婚する相手とその家族に宣誓するための言葉。

 荒河はこの鷲京を流れる川であり、死人を灰にして流す川。

 死ぬまで相手と添い遂げる決意を示す、その定型文だった。

「わたしも、この身と心が荒河に散るまで、あなたとともに在るわ」

 同じ言葉を麗瑛が返す、その顔が華やかに赤らんでいる。それを見て天香もまた、自分の顔の熱を再び自覚した。


「よし。これにて二人は夫婦と……女同士でも夫婦でいいのか?」

「どう呼ばれようとわたしは構いません。天香とともに在ることには変わりありませんから。ね?」

「も、もちろんです!」

 ね?と小首を傾げた麗瑛の可憐さに少し見とれていた天香もあわてて頷く。

「ならば、これで二人は正式に婚姻を結んだ。国帝青元がこれを承認する。あとの事は丁夫人、頼んだぞ」

 はい、と丁夫人が応じるのを見て、青元は座を立った。

「あらお兄様、もうお戻りに?」

「あとは若い二人に、というやつだ。それに帝というものは存外忙しい」

 自分だってまだ青年の只中にあるはずなのに妙に年を経たような口ぶりだった。

「が、どれだけ忙しいとしてもだ、妹の婚礼に来ない兄がいるか?」

「貴き御方々では特に珍しくもないと聞きますが」

「余は貴きお育ちではないからな」

 庶子に生まれ、城に戻され、ついには皇帝となった男はそう言って笑った。

 そのまま踵を返して立ち去るかと思いきや、廊に踏み出したところでもう一度振り返る。

「ああそうだ。さっきお前が言いかけた事だがな、もちろんお前に手を出そうなんて思ってもいないぞ。余も妹が怖いし自分の身が可愛いからな!」

「いやですわお兄様。わたしがお兄様を害するような事があるとでも?」

「はっはっは、だってお前あの時あ痛ぁっ」

 突如声を上げて天を仰ぐ青元に、天香は奇異の目を向けた。

「え?」

「なんでもないわ天香。天罰よ」

「はあ」

「人罰だろ……」

 青元のそのぼやきは天香の耳には入らなかった。何があったかを解説すれば、麗瑛が皿の上の干し杏を取って投げつけたのである。幸か不幸かそれは青元の額の真ん中に命中したのだった。


***


「それでは、明朝改めてお伺いいたします」

 そう言って丁夫人が退出すると、今度こそ天香と麗瑛の二人きりになった。

 青元が退出し、用意された膳を食べ終えた後に案内された居室――寝室である。

 

 整えられたベッドの横、テーブルの上に、白い布に覆われた角盆に乗ったものが置かれていた。白を透かして薄くその下の朱色が見える。

「殿下、これは?」

「天香、赤縄せきじょうを知らなかったの?」

 意外そうな麗瑛の声、さらに続く言葉に天香は呻く。

「耳年増だと思っていたのに」

「みみどっ……殿下、そういう言葉は」

 一応公主なのだから。

 それに耳年増というか、知らないことを知ったら調べようと思うのは当然ではないか、と思う。

 まあ余計な知識が付いてしまっているとも思うし、それが後宮で役に立つのかどうかは自信がない。

 とにかく、赤縄というものに天香は聞き覚えがなかった。読んだのが市井向けの本だったからだろうか。そもそも結婚とかそういうことにはあまり興味がなかった公主院時代の自分を呪いたい。もう遅いけど。

 布をよけると、呼び名の通りの赤い縄がとぐろを巻いていた。長さが両手をいっぱいに広げたよりは少し短い程度。

「婚姻を結んだ最初の夜を迎えるときにね、互いが互いの足首に結びつけるのですって」

「……あの、あまり強く絞めては痕が残ってしまいませんか?」

 手に取ってみる。細めの縄とはいえ手触りは(こわ)く、自分のせいで彼女の肌に傷をつけてしまうかと思うとあまり乗り気にはなれない。そんな天香の脳裏にふと名案が閃いた。そういえば衣装箱の中にいいものがあったはずだ。

「そうだ、絹帯では駄目なのでしょうか。あれなら――」

「寝ている途中で解けても良いのならね。でも、その程度の想いなのね」

「きっちり締めましょう。ぎゅっと!」

「……ちょっと痛いわ、天香」

 ちょっと力を入れすぎた。

 それから麗瑛も同じように天香の足首にそれを結びつける。床に腰掛けた自分から見て足元に公主の頭がある、まるで跪いているように。その事実にまた顔に血が集まるような感覚。今日何度目だろう。さっきまでは自分がその姿勢だったんじゃなかったか。

「できたわ。天香。……また真っ赤になってる」

「あ、あの、えっと」

 上目遣いは卑怯だと思う。

 とっさに言葉を続けられない天香を見て、麗瑛がまたにっこりと微笑んだ。

「かわいいんだから」

「え」

 飛びつくように抱きつかれて、そのまま後ろへ、褥子(敷布団)へと倒れこむ。

 押し倒されるみたいだ。そんな風に天香は思って、いや事実押し倒されているのだと思い直した。

 顔を上げれば、天井の灯りを背にした麗瑛と正面から視線が合う。

「でん――」

「ふたりきりよ、天香?」

「ひめ……さま」

「二年、待ったわ」

 一度離れた二人が再会した、それが二年前。公主院の書庫。今と同じ、桃の花降る時期。

「二年分、しっかり払ってね」

「……はい」

 微笑んだ顔が近づいて、唇同士が押し当てられた。



――――――――


朱氏文書は記す


青応帝三年春

 白天香、請われて後宮に入り、公主と共に蓮泉殿を賜る


――――――――

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