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公主殿下の寵姫さま  作者: 有内トナミ
一章 入内 編
19/113

十八、 箱の中身は



 程なくして、津清はその箱を小脇に抱えて戻ってきた。


「英彩もお疲れさま。なにか問題はあって?」

「いいえー。特に何事もなく」


 英彩と麗瑛のやり取りを背に、天香は津清の持ってきたその箱を確かめる。

 なるほどその箱は尚寝の道具箱と大差ない大きさだった。蓋がかぶせてあるのも同じで、重さはこちらのほうが軽いかもしれない。そのほかの違いといえば、日々の仕事に使う道具箱のように飾り気のない質素なものではない、ということ。その表面も滑らかに磨かれている。

 とはいえ漆塗りで見るからに高級とか、なにか精緻な細工がしてあるとか、飾りつけがしてあるとかではない。つまり、誰か他の人にこれ見よがしに見せびらかすためのものではないのではないか、と天香は思う。


「これを、間違えたの?」

「あの日はもう日暮れが近くて……それに、焦っていて――」

「それはもういいでしょう。……開けますよ」


 身を低くして津清が答える。公主に直答しているということ自体に緊張を解ききれないでいるようだった。

 言っていても始まらないので、天香は口を挟みつつ箱に手を伸ばしてその蓋を開ける。


 そしてすぐ閉じた。


 そんなどこからどうみてもおかしな行動に、麗瑛が首をかしげる。

「どうしたの天咲? 何が入っていたの?」

「あ、いえ、あの……」

 どう説明したものか、天香は口ごもる。

 ……いや、口で言うよりも見せてしまったほうが楽だし早い。

 説明を放棄して天香は麗瑛に向き直り、ささげ持つようにして蓋を開けてその中身を見せた。


「あら、これは……」

 扇で口元を隠したままで、麗瑛はそうこぼし――おもむろに手を箱の中に突っ込んだ。

「殿下!?」

 思わず声を上げてしまう天香。その声を気に留めた様子もなく、麗瑛は箱の中からそれを取り出した。

 薄紗に包まれたそれを手のひらに載せて紗を広げていく。

 公主の手のひらに現れたそれを見て、どこからか息を大きく吐く音が聞こえた。


 それは、貴石を使った首飾りだった。



「つまりこれって、秋薫舎の陳嬪さまの装身具入れ、ですか?」

 いくつかを取り出してみれば、首飾りだけでなく指輪や髪飾りも入っていた。

 そんな品々を見て英彩がおっとりと言う。

 そのとおり、陳嬪の身を飾り立てる装身具(アクセサリー)を仕舞ってあった箱なのだろう。どれも悪い品にはとても見えない。後宮の妃嬪を飾る品物なのだから。その事実からもこれが実は侍女の誰かのものだ、なんていう可能性は低い。


「天っ、咲さんは、開けただけで分かったみたいでしたけれど?」

 天香と呼びそうになったのか、英彩の言葉が変に詰まった。

「いえ、私が見たのは、薄紗に乗った指輪だけで」

 比較的――あくまで比較的だが――価値の低いものか、それとも薄紗で包まない理由があるのか、単純によく使うからそうしていたのかもしれないけれども、蓋を開けただけでわかる位置に指輪がいくつか並んでいた。

 それを見るや否や反射的に蓋を閉めてしまったのも、こうなってしまえば何かおかしい。

 要するに動揺したのだ。


「それでだいたい察した、と」

「でも、ますますわかりません。こんなものがなくなったなら、それこそ盗まれたとか大騒ぎしたっておかしくないでしょう?」

 天香はそう疑問を口にする。その疑問に答えるために箱の中身を確かめたというのに、それでまた疑問が生まれてしまった。

 ちなみにこの箱を持ってきてしまった張本人の津清はといえば、箱の中身を知った瞬間に気を失ってしまい、今は長椅子に寝かせてある。まだ目を覚ましてはいないが、そんな状態だから英彩も天咲と呼ぶか天香と呼ぶかで迷ったのだろう。

 それにしても、部下とはいえそんなところまで尚寝さまに似なくてもいいのに。そんなことを天香は思ってしまった。


「その手がかり、というよりこれね、答えは」

「……それは?」

「読んでみる?」

 箱の中から取り出した一片の紙片を見ながら、麗瑛がどこかおもしろそうにそう言う。

 天香が首を傾げると、そのままそれを渡された。何か文字が連なっているのが見える。流麗だが力の籠もった書体。そして――。


「男文字、ですね。ええっと、なんですって……美しいあなたへ、当夜の思い出、を、贈……えええええ!?」

 装身具が盗まれても騒がず。

 箱の中からは男の書いたと思しき書き付けが見つかり。

 そしてその文面がこれで。

 そこから導き出されるのは、書いて二文字読んでその倍の、しかし帝の後宮にはあってはいけない、

「こ、これ、もしかしてみ、みっつ……殿下?」


 そこまで導いて、血の気の引くような感覚を覚えたところで、天香は麗瑛の異常に気づいた。

 彼女の最愛の公主殿下は。


 公主殿下は御腰を折り曲げるようにして御腹を抱えられていて、天香と目が合うと――「ご、ごめんなさい、もう限界」――高らかにお笑い始めになられた。




「ひどいです」

「ごめんなさい天こ、じゃなくて天咲、だ、だってあなたの、くくっ、か、顔が」

「ひどいです」

「だ、だからごめんなさいって」

「ひどいです」

「本当にごめんなさい……っくっ」


 天香は怒っていた。

 三度繰り返した同じ言葉が、少しずつ大きく震えていく。

 それは笑われた事にではなく。


「これが国帝陛下の御手跡しゅせき)だってわかってたなら! そう言ってくださればいいじゃないですか!」


 そう。

 不義密通の手紙ではないかと、後宮最大の罪を見てしまったのではないかと、天香が一瞬でもその回答にたどり着いて怯えたというのに、それを見ていた麗瑛にはわかっていた。

 天香が見ていたその書き付けに記された文字が、自身の兄であるところの当代の帝、青元のものだということが。

 わざともったいぶった言い方で書き付けを手渡したのもそれを読んだあとの反応を見てみたかったからで、結局自分は見事にその手のひらの上で転がされてしまったのだ。ずるい。


 でも、と天香は思う。

「しかし殿下、これは陳嬪の持ち物ですよ。妃嬪が陛下からの文を持っていて、何が問題なんですか?」

「別に持っていることは不思議でもないし問題でもないわ? でもね」

「この御文が出てきた箱が、今ここにあることが問題なんですよねえ」

「え? ……あっ」

 その言葉に天香は思い至る。その表情を見て取って、それでも麗瑛が先んじて答えを口にした。

「つまり、この箱は陛下から――お兄さまから陳嬪に贈られたものを入れてあった、ってことでしょう? それを無くした、盗まれたと、そう思ったのね、彼女たちは」

 それぞれ別の人から送られた品物と文を同じ箱に入れておくなんてことはまずしないだろう。

 否、もっと雑に扱われているならその可能性もなくはない。けれどもこうやって薄紗に包んだりして手をかけて保管しているのだから、つまりそういうことなのだろう。


「陛下から賜った品を紛失したなんて、もしわたしが陳嬪さまの侍女でも明かせませんでしょうねえ。自分たちの責任を問われる事にもなりますし……」

「管理不行き届きである、と?」

「それと、侍女の問題はその主人の問題でもありますから」


 いつものようにやわらかく伸ばされた語尾で英彩はそう言う。 

 侍女の不祥事はさらにその主人である陳嬪の責任になり、それはそのまま陳嬪自身の後宮内での評価につながる。ただでさえ女官たちに差をつけて扱われていると思っていたという秋薫舎の侍女たちにとって、それは主人の、ひいては自分たちの栄達を妨げる出来事でしかない。

 後宮内での評価が下がれば帝の来訪度合いにも影響するのではないか、いやするに違いない、しないわけがない。そう思い込めば軽々しく訴え出なかった理由もわかる。まして訴え出るべき相手の尚宮職の仕事は妃嬪の管理だ。その一環としてそういった評価を帝に直接伝えていると思われているわけで。

 後宮内の評価なんて今の帝には関係ない。ただ単に各妃嬪をできるだけ平等に巡っているだけだ。だが侍女たちはそれを知らない。天香だって本人と会話出来る関係――義妹(ついでに昔馴染)だから知っているだけで。


 そんな状況で無くしてはいけない物を無くし、それを誰にも報告または相談できないならどうするか。

 探すしかない。自力で。

 そしてその探す視線の先には、かねてから不仲の女官たちの姿があり。

「もしかして、尚寝の道具箱の紛失は――」

「……『取り返した』ということかしらね。確証はないけれど」

 天香の言葉の先を引き取って、そう麗瑛が言う。


「あー、もし、万一仲が悪くなかったとしても……自分たち侍女以外で殿舎に出入りしていた人間で、しかも似たような箱をいつも持っていて……。って、疑いますよね」

「たとえ故意でなかったとは言え、それがなまじ合ってしまっていたから始末が悪い、わね」

 顔を見合わせて、どちらともなく公主とその妃のため息が重なる。

 思いがひとつになっても、こんなことじゃそんなに嬉しくはない。


 最初は道具箱の置き場所からそれらしい箱を持ち去っていたのかもしれない。さらにそれで成果が上がらなかったから(当たり前だ、そんなところにはなかったのだから)、実際に使っていた道具箱に手を伸ばして、そこから先日の口論に繋がったのか。

 ずいぶんと、どころか掛け値なしに乱暴なやり方だ。そもそも道具箱の部屋でひとつひとつ中を確認すればよかったのではないか。いやそれ以前に、同じような箱が並んでいる中に明らかに別な箱があればそれはそれでわかりそうなものだ。

 そんな判断が出来ないくらい、すでに平常心を失っていたのか。


 卓に置いた箱を見下ろして、麗瑛は天香に問うた。

「で、これをどうすればいいかしらね?」

「そうですね、とりあえず――」



「預かって、いただけるのですか?」

 目を覚ました津清に箱を預かると告げると、彼女は目を瞬かせてそう答え、言葉の内容を解した瞬間そのまま平伏した。

「ありがとうございます! もう怖くて、その、いつ誰かに見つかるんじゃないかとドキドキしてて、でも誰にも言えないし、どうしていいかもわからなくて怖くて、あの、……本当にありがとうございます、公主殿下!」

「そう、大変でしたね」

 発案も伝えたのも私なのに。と釈然としない天香を置いて、麗瑛が鷹揚に頷いてみせる。その顔に浮かぶ微笑みに、津清はもう涙さえ浮かべている。

 ねぎらいの言葉をかけるその顔は、ついさっき大笑いした人と同一人物とは思えない。


「差が激しすぎると思いません?」

「あら、そう言うところもお好きなんでしょう?」

「……遺憾ながら」

 英彩にはあっさり見抜かれていた。



―――――

余談。


英彩に伴われて津清が部屋を去っていったあとで。


「とりあえず殿下」

「なにかしら?」

「……きょ、今日は、おあずけですからね! おふざけの罰!」


 一瞬後。

 響いたうめき声は、麗しき公主殿下の尖らせた口から出たとは思えないほど不満に満ち満ちていた。



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