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公主殿下の寵姫さま  作者: 有内トナミ
一章 入内 編
18/113

十七、 事情聴取、というもので。


「申し訳ございませんでした……!」

 小柄な体をさらに縮こまらせて、少女女官は平伏した。


 見習いとして用具の手入れやその他の雑用ばかりをやっていたはずの津清が、迦鈴にその姿を覚えられるほど何度も秋薫舎のまわりで見かけられていたのはなぜか。

 そう問われて、津清は額を床にこすりつけるように、いや実際にこすりつけて床面に伏した。


「そんなに平べったくなられても困るわ、ねえ、天咲てんしょう?」

「はあ……」


 天香は戸惑いながらその言葉に答えた。

 ここは蓮泉殿の、そのいくつかある空き部屋のひとつ。

 本来ならひとつの殿には妃とその侍女、殿付きの女官、それぞれの見習いなどが起居している。それに応じて房の数も多くなるのだが、現状の蓮泉殿にはあるじが二人と侍女が数人だけ、殿付きの女官はいない。だからそれだけ部屋も空いている。


 そのうちのひとつを津清から事情を聞くために使おうと天香が提案したのは、単に他の場所を思いつかなかったからだ。

 単純に他に人がいては話しづらいだろうと思ったのだが、だからといって内密な話ができそうな場所というと、広い後宮の中にはこれが意外と存在しない。いやもっと正確に言えば今は使われていない舎であるとか、倉庫の類ならいくらもある。けれど誰かが通りかかるかもしれないし、またそういうところでは出入りが目立ってしまう。

 結果としてこういうことになった。……のはいい。そこまではいい。

 でもだがしかし。


「……なぜ殿下がここにいらっしゃるんでしょうか?」

「だってここはわたしの蓮泉殿なのよ? 何かあったら困るわ」

「何かって、何があるって仰られるんですか」


 ため息交じりに目をやれば、片手に持った扇で大げさに口元を隠してみせる。二人きりのときには見せないその仕草で、これは仕事態勢だと言外に主張している。

 それは天香もわかっている。だから一応先ほどから公主と元侍女という言葉遣いをしている。

 していると思う。

 できているはずだ。

 たぶん。


「それに、あなたはあなたはわたしの侍女だった・・・人間でしょう。どういう仕事をしているか監督する義務があるわ」

「どういう理屈ですか……」


 とは言ってもいつまでも殿下とじゃれ合っていても事情が聞けない。天香は話を切り出すことにする。

「さて、津清さん――」

「はっ、はいぃ」

「何が申し訳なかったのか、聞かせてくださるかしら?」

「殿下、それ私の台詞です」


 立会人が尋問に加わってどうするつもりか。

 ともかく、その言葉に応じるように、津清は切れ切れに話し始めた。



 ある日津清は先輩の女官から、その女官が置き忘れた道具箱を取りに行くように言われたのだという。

 その先が秋薫舎であり、その先輩女官はその日、秋薫舎の侍女達と小競り合いのようなものを起こしていた、らしい。


「だから顔を合わせにくいじゃない。お願い、津清。ああ、でも面と向かって忘れ物取りに来ましたーなんて言ったら、今度はあんたがなんか言われちゃうからね、道具箱さえ取ってくればそれでいいのよ? さっと行ってさっと取ってさっと帰ってくればあっちも気にもしないでしょ」

 そんな風に言われたらしい。

 お願い、とは言っても断る選択肢なんてないのだから命令みたいなものだ、と聞いた天香は思ったが、ともかくも津清は言われたとおりそれを取りに行き。

 取ってくる箱を間違えたのだ。

 しかも、もともと忘れた道具箱はもう他の女官が回収した後だったらしい。


 ごめんごめんと申し訳なさそうに謝る先輩女官を前に、津清は女官服の袖に覆うように持っていたその箱を出すこともできずに、自室の、といっても数人で寝起きする相部屋だが、そこにある自分のひつに入れてしまった。

 その時点では、時機を見て返しに行くつもりだった、と言葉に詰まりながら彼女はそう話した。


「すぐ、返しに行っておけばよかったんです、そうすればっ」

「あら、そうしていたら――あなた単なる盗人にされていたわよ」

 津清のこぼした後悔に、麗瑛がさらりとそう返した。あまりな言いように天香はついたしなめる様な口を挟む。

「れっ……殿下!」

「だってそうでしょう。元から女官と折り合いを欠いていて、悪いほうにしか取らない侍女たちなのでしょう? 女官側の落ち度となればそれこそこれ幸いと騒ぎにしてもおかしくなかったと思うの」

「それはそうかもしれませんけど……」

「そうなれば女官を辞めさせられて済めばまだいいほう、罪人として刑を受けることになっていたかもしれないわ」

 そう麗瑛が続けると、津清は芯紙のように顔を白くした。

「そんなっ、それだけは……! わ、私、まだ見習いで迷惑ばかりかけて、今回のことだって……。でも尚寝さまにもみんなにもよくしてもらってるし、いつか恩返ししなくちゃって……。や、やめたく、やめたくないです……っ」

「ですってよ、天咲?」

「いや、そう言われましても……」


 天香も、次第に泣き声交じりになっている津清を気の毒に思うし、なんとかしたいとも思う。

 しかし今の天香はただの女官でしかない。処分があるとしても、それを最終的に決めるのは上司――女官長の丁夫人だ。だから今の天香にできることはそんな事情を考慮した上であらましを伝えることくらいしかない。

 問題を先送りしているだけで、自分でも歯がゆい。かといって何か名案を思いつけるわけでもなくて歯がゆさが倍だ。


「……今は少し脇に置いておかせてください」

 そういうのが精一杯だった。

 それにまだ事情を聞き終わったわけではなかった。疑問も残っていた。

 騒がれてもおかしくはなかった。その麗瑛の言葉が、天香の中では同じく麗瑛の昨日の言葉と簡単に結びついていた。


『やれない理由があった、ってことではないの?』

『もしくは、どうしてもやり返したかった理由とか』


 昨晩の話の中、不審を抱いた天香に麗瑛は言った。

 津清の取り違えが一連の紛失事件の発端だったとするなら、『同じことをやり返した』のは侍女の側。つまり、訴え出なかった理由が侍女の側にはあるのだ。訴えるよりも、箱を取り返すことを優先した理由が。

 では、その理由は何なのだろう。


「その理由、秋薫舎に聞いても素直に話すかしら」

 麗瑛の問いに天香は思い出す。まさにその理由を尋ねるために、今日自分は秋薫舎に行った。

 そこで受けたのは拒否、あるいは拒絶。そして、


『訴えなんて出したら――』


 その後を、彼女はなんと続けようとしたのか。

 訴えること自体が自分たちの不利になるかのような、そんな態度で。


「……間違えたというその箱を、見せていただけますか?」

「えっ?」

「いまさら箱を見てどうなるの? 取り違いで持ってきてしまったことには変わりないんでしょう?」

「訴えなかった理由が――箱のほうにあるのかもしれません」



***


 思いつきを口に出したその瞬間は、天香が付き添って津清の使っている女官部屋まで行くつもりでいた。が、それは麗瑛に止められた。

 麗英は侍女の英彩(えいさい)を呼んで、津清について行くように命じる。


「私が行けばいいのでは――」

「だって、あなたがこの騒ぎについて丁夫人からの命で調べていることは、もうみんな知っているのでしょう? だったら、当事者の一方のこの子があなたと一緒に行動していたら、余計な考えをめぐらせる人がいないとも限らないのではないかしら?」

 この子が、のところで津清に目線を送りながら、麗英はそう言った。

「余計な考え?」

「一方に肩入れをしているとか、ね? 例えばだけど」


 言われてみれば、確かにそれはありそうなことだった。

 事実かどうかは関係なく、そんなことが口の端に上るだけでもやりにくいことになりそうだという意味で。


「そもそもそういう目を避けたくてここで話を聞こうとしたんでしょう? わたしの侍女となら、たとえ何か言われたとしてもお仕事の関係で、って言えば済むのよ。英彩は当たりもやわらかいし、それくらい気も利かせてくれるわ。――あ、則耀(そくよう)、お茶のおかわりをお願いね」

 と、そんな流れで津清が英彩と一緒に箱を取りに殿を出て行った。



 則耀がお茶を運んできたところで、天香から話を切り出した。

「殿下、脅かしすぎですよ」

「脅かす? 何のこと?」

「盗人とか刑罰とかのあたりですよ。あんなに脅かす必要はなかったと思うんです、けど……」

「あなたが昨日言ったことよ。訴えて騒ぎにしてもおかしくないって」

 確かにそう言った。言ったけれども。

「だからちょっと揺らしてみたらなにかきっかけがつかめるかと思って試してみたのよ。ほめてほしいくらいだわ」

 そういいながら麗瑛は、顔は椀のほうにうつむけて息を吹きながら、視線は天香の顔を捉えて離さない。


「そんな上目遣いになられても……ご褒美待ちの犬じゃないんですから」

「あなたの犬にならなってもいいわ。だからご褒美ちょうだい?」

「私にあげられるご褒美なんてないです」

「じゃああなたがご褒美ってことで」

 間髪いれず返された言葉に、顔に血が上るのを自覚する。

「今まだ仕事中、仕事中ですよ!」

「けちー」

「かわいく言ってもダメ!」

「これがかわいいって言ってもらえるなら、また夜にやるわね」

「瑛さま!!」


 そういう問題じゃない、そういう問題じゃないのだけど、実際かわいいから困る。だからそうじゃなくて。

 と、例によって例のごとく悶々としてしまう天香である。


「でもまだ分からないままね、侍女が訴えなかった理由」

「そこなんですよね……」

 箱を見ればなんて言ったけれど、本当にそれで理由がわかればいいとは思う。わからなかったら……どうしたらいいのだろう。

 ひとくちお茶をすする。今日も則耀さんのお茶はおいしい。

 そこで今度は麗瑛が口を開いた。


「天香」

「はい?」

「あなたはもっと人を使うことを覚えたほうがいいと思うわ。全部を一人でやろうとしないで」

「はあ」

「人の上に立つ人間が何でも自分で動いてしまっては、周りの人間はどうしたらいいのかわからなくなるじゃない。人を使わなくてどうするの。あなたはわたしの妃になったのだから。……そういうことも含めて、女官長はこの件をあなたに任せたんじゃないかしら。わたしはそう思うのだけど」

「そう、ですね……」


 言われてみればそうなのかもしれないと天香は思う。そもそも自分が丁夫人の下に付くことになったのも、後宮の中での動き方を身につけようとしたからだ。

 逆に言えば、自分はまだまだ勉強が足りていないのか。こんな調子ではいつになれば胸を張って妃と言えるようになれるのか。と悄然としてしまう。

 そんな天香の気持ちを見透かすように、麗瑛が言葉を続けた。


「それでなくても、あなたの周りにはたくさんの人がいるんだから」

「殿――、瑛さま、も?」

「当たり前でしょう。というより、一番最初にわたしを頼ってほしいものだけれど。頼りすぎなくらい頼ってくれても私は一向に構わないわ? ――あなたの犬ですからね」

「なんでそこでさっきの蒸し返すんです……っていうか、頼りすぎたらまたここに来たころみたいに身の回りのお世話全部を殿下にさせることになりますよね?」

「わたしは楽しかったわ」

「だからあれは私が嫌なんですってば!」

 心地はよくてもそのまま深みに沈んでいって、気が付いたときには溺れてしまいそうで。

 それにそれは妃ではない何かだと思う。

「もしあなたが深みに沈んでも、口移しで空気を送ってあげるから大丈夫だからね」

「いやそう言う話じゃなくて――」


 そんなふうに軽口を言い合っていると、やがて戸が軽く叩かれ、英彩が入室を求める声が届いた。





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