十四、 事件現場で?が増える
また感想をいただきました。
ありがとうございます!嬉しいです!
麗瑛とのつかの間の逢瀬(?)を経て幾分落ち着いて。
尚寝職の女官に従って天香が案内されたのは、舎のうちの一つだった。
秋薫舎。舎を与えられた妃嬪は陳氏。下の名前はとりあえず省略。
中位の貴族の娘だったはずだ。
つまり、容疑者――そう言ってしまっていいと思う――の可能性をこの殿舎の侍女・女官に広げないといけない。さすがに陳嬪が直接やったとは思わないけれど。
少し気が重くなる。
その可能性を想定していなかったわけではない。しかしいざそうなってみると。
(どうしろってのよ……)
女官たちの間の揉め事やいたずらで済めばまだ楽だ。
しかし、侍女はそれぞれの妃嬪に個人的に雇われている存在、ということが問題をややこしくする。
事情を聞こうにも、まず妃嬪の同意が必要になる。
罪状が明らかならば強制も出来るかもしれないが、容疑という段階では「協力」を頼むしかない。そして妃嬪が拒否したら、丁夫人から命じられているとは言え女官でしかない天香ではどうしようもない。
最悪なのは妃嬪が積極的に関わっていた場合で――それはもう考えるだけ悩むのが無駄かもしれない。
しかも陳嬪の実家は中位とは言え貴族。
世の中の問題の八割は貴族が絡むと何割か増しで、酷ければ倍は面倒くさくなるのだと、父親が愚痴るのを聞いたことがある。そのうちのいくつかは実例を聞かされたこともある。面倒のほとんどは問題よりもその後処理だ、とも。
だから気が重くなる。
うじうじと考えてしまっていたのだが、いや?、とそこで天香は閃いた。
そう言えばたしかに、丁夫人からは『手に負えなくなったら報告しろ』と言われている。あれはこういう可能性を見越してのことだったのか。
むしろそうならない可能性のほうが低い、ぐらいまで考えていてもおかしくない。
なにしろ丁夫人だし、と思う天香。
その思考を本人が知れば、過大評価に眉をしかめたかもしれない。
だが、そう思ったことでとりあえず天香の気は楽になった。
ありがとうございます女官長。
その一方で、 『公主妃』であることをおおびらにできていたら違ったのかな。と心の片隅で思う。
少しでも早くそうなれたら、丁夫人の手を煩わせることもなく、なによりももちろん麗瑛の力になれる。
そうならなくちゃ、と思う。
それに、ついさっきのように秘するような目配せを送りあうだけじゃなくせるわけだし。
いや、あれはあれでドキドキしたから悪くないかもしれないんだけど。
ともかくも、重さの抜けた足取りを一歩踏み出す。
舎廊のあたりに人だかりが出来ているのが見えていた。
よく見ると衣装の違いで二つの、いや正確には三つくらいの集団に分かれているようだとわかる。
もうこの時点でそれぞれがどういう集まりか、天香にはだいたい判断できてしまった。
一つは陳嬪に仕える侍女たち。それぞれ色合いの違う衣装を着ているので目を引く。もう一つは色合いの揃った女官服を身に着けた尚寝の女官たち、そして両者から少し脇に離れて落ち着かない様子でおろおろとしている女官服がこの秋薫舎付きの女官、というところだろう。
数が一番多いのは尚寝の女官たちで、他の二組は人数的にはそう差はないように見える。
「先に……されたのは――」
「……そちらが――」
「――さまの……をお騒が――」
「……げるものを――」
切れ切れに聞こえてくる声からも、とても友好的な雰囲気ではない。
感情的に大声を上げる人間がいないのはさすがに後宮女官と侍女と言うべきところなのだけど、庶民育ちの天香にとってはそれがむしろ逆に怖い。
天香を待ち受けていたのはそんな空気だった。
(うわもう勘弁して)
天香はこういう雰囲気が苦手だった。
子供たちが遊び場をめぐってにらみ合いになると、その雰囲気に気おされて泣いてしまう子供がいる。天香はまさにその類型だった。
成長するとそのにらみ合いが性別ごとになって、更には同性同士で似たようなにらみ合いが起こるようになって。
泣くことはとっくになくなったけれども、今だって苦手なのは同じだ。
常に上の立場でい続けなくてはいけないと思い込んでいる、そういう張り合いの空気。
今もまたそんなピリピリとした、一言で言えば嫌な雰囲気だ。
だから、本音を言えばこういうときは声とかかけたくない。出来るだけ遠巻きにしていたい。
いやそんな選択肢がもうないのはわかっている。なんといってもお仕事だ。
だからなるべく負担が少ない方法を、天香は選ぶことにした。
こういう場合、外側を取り巻いている女たちに一人ひとり声をかけても意味はない。結局それを繰り返すことになるし、声をかけたのがどちらの勢力かでまたひと悶着あることもある。
最初の一撃を、一番力をこめられる一撃を、一番効果のあるところに。
それは天香が公主院の護身術の講義で習ったことだ。
応用の場面がおかしい。
人だかりの一番中心。今の場合はその最前列。
近づくにつれ、それぞれの集団を背後に二人の女が向かい合っているのがわかってくる。
つまり、狙いはそこ。
年上の侍女と、それよりも若く上背もある女官だ。
その横に立って、天香は二人に同時に呼びかけた。
「ご両所とも、いったんお引きください!」
「あなたは?」
「あんた誰?」
二つの集団の先頭で、それぞれを代表するようににらみ合っていた二人(仮に侍女長と班長としよう)は、そこでやっと天香の存在に気づいたように声を上げた。
その他の女たちは少し前から天香の姿を認めて「誰?」「何?」などとざわついていたのが聞こえていた。でもこの二人はそれぞれ対峙する相手に集中していたらしい。
「尚宮職より、丁夫人の言いつけで参りました。天咲と申します」
「尚宮職ぅ?」
「丁夫人はこの度の連続紛失に関して心をお留めになり、わたくしに状況を調べるように仰せになりました。尚寝職にて魏夫人にお話を伺っておりましたところ、こちらでの騒ぎを聞きつけ、魏夫人に了承の上で参った次第」
慣れない言い回しでなるべく丁寧にと心がけてそう言った。変につっかえなかった事にほっと胸をなでおろす。
とにかくこれで、両者ともこの場で言ったことは丁夫人に直接伝わること、加えて尚寝側には魏夫人もそれを認めていることが伝わったはずだ。
「ちょうどいいわ。私たちがいわれのない疑いをかけられていることを、丁夫人にも理解していただけましょう」
「確かに。埒が明かないと思ってたのよ。はっきり判じてくれるって言うなら大歓迎だわ」
侍女長(仮)と班長(仮)が口々に賛意を示す。
周りの侍女・女官たちからもいくつか同意の声が上がった。
いや、裁定に来たんじゃなくてただ何があったか聞き取りに来ただけなんだけれど、とは言い出せない雰囲気になってしまった。息苦しい。
「それで、いかがなされましたか?」
天香のその問いに、返ってきた言葉は、二つの口から一つ。
合わさった言葉のそのあとで苦りきった二人の顔を見れば、意図して口をそろえたわけではないことは明白。
それは。
「「箱が盗まれたのです」」
「……え?」
天香、思わず間の抜けた声を上げてしまった。
落ち着け落ち着けよく考えてまとめよう。簡潔に。
―― 盗まれた箱が、増えました。
なんだそれ。