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公主殿下の寵姫さま  作者: 有内トナミ
一章 入内 編
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十一、 尚宮職のお仕事 その一


「――で、豊寿さんったらね、……聞いてる?」

「あっはい、聞いてます聞いてます」

天咲てんしょう、疲れてるの? ま、あの鬼の女官長の直属なんて大変よねえ。だから侍女やってればよかったのに」


 そう言って心配そうに首を傾げるのは福玉ふくぎょく。天香を蓮泉殿の侍女と勘違いして、女官たちの休憩室に連れ込んだあの女官だ。


「鬼って……そんなに厳しいかたじゃないわよ?」

「天咲はまだ本性を知らないからそんなこと言えるのね」

「いや本性ってそんな悪そうな」

「本性がダメなら、えーと……とにかく、隠した顔よ」


 天香が丁夫人の部下として尚宮職しょうぐうしょくで働き始めてから、もう数日が経っていた。

 福玉が何度も呼んでいる天咲という名は、働くに当たってつけられた偽名だった。つけたのは麗瑛れいえいで、


「花が咲いて香る、って、本名とも繋がっていい名前だと思わない?」


 花が咲いているのは今のあなたの顔です、とは思っても言えなかった。

 とにかくそんなわけで天香は天咲という名前で女官として働き始めた。今はその休憩時間だ。


「何がそんなに鬼なの?」

「身だしなみに気を使えーとか、後片付けがなってないーとか、仕事中は私語禁止ーとか、行動はいつも五分前ーとか」

「それってふつうのことなんじゃ……最後のはよくわからないけど」

「そうだけど! そんなに何度も何度も細かく細かく言わなくたってみんなわかってるわよ」


 思わず二度ずつ繰り返すしてしまうほど言われるものらしい。

 何度も言われるというのは、つまり出来ていないからなんじゃないだろうか、と天香には思えるけれども。


「それに、妃嬪の方々にどんな要求をされても毅然と応対されてるところとか」

「それは、確かに……」


 尚宮職の仕事の中のひとつが、後宮のさまざまな場所から上がってくる要求に対応することだ。その中には妃嬪からの――わがままに近いような――ものもある。たいていは家具を入れ替えろとか楽団を呼べとかそういう程度なのだが。

 いまだに語り草になっているのは先帝のころの話で、なんとその当時の妃嬪の一人が自分に与えられた殿舎を建て増ししろと言ってきたのだそうだ。

 当時、その妃嬪が与えられていたのより広い殿舎は全て他の妃が使っており、さすがにそれを押しのけてまで移ることはできなかった。そこで殿舎を建て増せばいいと思いついたらしいが、それを丁夫人が阻止した。のみならず帝本人を前にして反論を述べたのだという。いわく、


「妃嬪の方々の全ての殿舎を自儘じままに建て増しさせるを良しとされるなら、ついには後宮のみならず帝城全てが殿舎となってしまいましょうが、それでもよろしいか」


 これには当時の帝も思わず黙り込むしかなかったという。

 というか当時も女官長で今も女官長なのだとしたら、本当に丁夫人って何歳なんだろう。と、今更ながら天香は怖くなる。


「そういうのに対応しながら女官の様子もちゃんと見てるんだよね……」

「尚宮職のほかの仕事だっておろそかにしないんだもんね……」


 尚宮職の本来の仕事である備品の管理や女官たちの監督、その合間には天香への講義も入っているのだ。

 その上ちゃんと休憩もしている。休憩中に持ち込まれた案件は休憩を終えた後でないと取り掛からない。


「休みと仕事の区切りをしっかりとつけることが質のいい仕事の第一歩なのです」

 丁夫人はそう言う。天香もそういうものなのかもしれないと思う。公主院時代の勉強だって時間を区切ったほうが頭によく入ったような気がする。


「あんなふうになれるのかな……」

「えっ、福玉、女官長になりたいの!?」

「いや、そうじゃなくて、あたしってどん臭くていっつも怒られてばっかりだしさ。女官長みたいにこう……パッパッと仕事終わらせられたら怒られなくなるかなあって」

 頭に手をやりながら、すこし決まり悪げにそう言う福玉。

 ちょっとそこつな所がある、みたいだ。

「ああ、そういうこと」

「天咲は女官長の近くでなんかこうさ、極意みたいなのを教わったりしてないの?」

「極意……って、私まだ働き始めて少ししか経ってないじゃない。あったとしても、そんなのまだまだ教えてもらえないよ」


 入門数日の初心者に極意をいきなり教えるような人はたぶんいない。まずは地道に基礎からだろう。

 『休みと仕事の区切り』は極意というより心構えみたいなものだと思うし。


「そういえば福玉、私が尚宮職で働き始めたとき驚いてたけど」

「だって侍女と女官なら侍女のほうが楽じゃん」

「そうかな」


 実際働いてもそんなに大差はない気がする。

 最初に丁夫人の部下として明梅舎を訪れたとき、偶然応対に出てきた福玉は天香の顔を見て驚いていた。侍女から女官に転身するのは珍しいらしい。

 まあ正確に言えば天香は転身ではなく掛け持ち、それも公主妃と女官の掛け持ちなわけで、珍しいどころか前例なんて無いと思う。


「だって侍女って私たちみたいにバタバタ走り回らなくてもいいじゃない。急な用事頼まれることもなさそうだし」

「そういうものでもない、と思うけれど……」

 福玉からみるとそういう風に見えるものらしい。というか走り回るのってあんまり良いことじゃなかったような気がする。

 また丁夫人に怒られるんじゃないの?


「ものの例えよ。走らない程度に急がなきゃいけないじゃない?」

「あ、うん、そうだね。……あ、逆ってあるの?」

「逆? 走る程度に急がない?」

 吹き出してしまう。口の中にお茶が入って無くてよかった。

「そっちじゃないよ。だいたいそれ意味おかしいでしょ……。そうじゃなくて、私の逆、って言うか」

「……ああ、女官から侍女? あるある。そんなに多いわけでもないらしいけど」

「あるんだ」

殿舎付きあたしたちってやっぱり、妃嬪さま本人とか侍女の人たちとかと直接やり取りするじゃない? だから、侍女が急にやめるーとか、そんなときにはお声がかかることもあるって」


 一言で女官と言っても、福玉たちのような殿舎付きと、丁夫人や天香のような役職付きに分けられる。

 殿舎付きの女官たちはそれぞれの殿舎で妃嬪のそばにつく。と言っても妃嬪本人の身の回りの世話は侍女たちが担当するからその他、侍女の身の回りと主に殿舎の維持管理が仕事になる。それ以外の仕事を頼まれることも多いという。

 役職付きの女官たちは三職四所さんしょくししょというそれぞれの役職に分かれ、決められた職務を分担する。天香の尚宮職は三職のうちのひとつで、同時に後宮とそこにいる人間――妃嬪、侍女、女官、更に警護の衛士や庭師なども含めた全て――の管理が仕事だ。

 丁夫人が後宮の中を学ぶのに最適と言った意味を、今の天香は理解している。


 女官から侍女のほうも、急な欠員が出たときにいちいち人を募集して選んでと手順を踏むより、ある程度身元もしっかりしている後宮の女官から選んだほうが楽ということもあるのだろう。後宮女官の募集や試験を担当しているのももちろん尚宮職、というか丁夫人である。


「侍女は知り合いとか縁者からって限定してる人もいるらしいけどね。……何? それこそ他の殿舎付きから侍女になりたいとか」

「そんなわけ――!」

「あるわけないよねえ。天咲は蓮泉殿の御方が大好きだし?」

「ちょっとお……」


 にやにやと笑う福玉の顔を見て、からかわれたのだと天香は察する。さっきの勘違いの小さな仕返しのようだ。

 彼女の言う蓮泉殿の御方とはほかならぬ自分自身のことを指しているので気恥ずかしいことこのうえない。

 まあ天香が大好きなのは蓮泉殿の御方のもう一方こと麗瑛なのだけど。



「あらあなたたち。休憩中でしたか?」


 そんな会話をさえぎって突然かけられた言葉に二人して揃って飛びのく。

 さっきまで話題にしていたその本人、女官長丁夫人が廊下から不思議そうに二人を覗き込んでいた。


「なんですか人をお化けか何かみたいに」

「げっ、おっ……女官長! いえ、少し驚いただけで! 休憩はそろそろ終わりにしようかと!」

「硬くなりすぎでしょ……」


 ガチガチになっている福玉に天香は小さく声をかける。

 しかもげっとかおっとか、女官にしてはちょっとアレな言葉遣いになっている。

 ていうか今もしかして鬼って言いそうになったの?


「お?……まあいいです。終わったのならちょうどいい。福玉はそのまま仕事に戻りなさい。天咲」

「あ、はい!」

「あなたに頼みたいことがあります。ついて来なさい」

「はい」


 頼みごと?



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