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公主殿下の寵姫さま  作者: 有内トナミ
五章 重陽 編
112/113

百七、 登高・二 押し掛け

3か月以上間が空いてしまい本当に申し訳ありません。


「まだいる?」


 光絢が話しかけると、幕のそばに立っていたりんがこくりとうなずいた。

 あまり口数が多くなく、というよりはっきり言って無口な鈴がどうやって女官に採用されたのかは蓮泉殿ではちょっとした謎だった。――などと関係ないことに気を取られていると、改めて光絢に袖を引かれる。


「あの人です」


 厚い幕の隙間から外をうかがえば、小径こみちの端に人影が見えた。

 濃い色の襦裙を着て髪を結いあげていて、たぶん女性で、顔はよく見えない。時折身動きをしてはこちらを見ている――ような気がする。背は低い……ようにも見えたけれど、そうではなくておそらく何かに座っている。持ち運べる小さな腰掛椅子か何かだろうか。


「どうしましょう」

「どうしましょうって……どうしましょう」


 光絢も困惑しているようだが、天香だってそれは同じだ。

 

「声、かけてみたほうがいい……と思う?」

「それでお姉さまをお呼びしたんです」


 光絢の言葉に、それは確かにと天香は思った。

 もっと見るからに不審者、といういで立ちならそれこそ侍衛に追い返されるだろうが、そうとも思えない。それなりに身分のある女性ではないかと思われるから、なおさら扱いが難しい。

 とはいえ、このまま見ているだけではどうしようもない。覚悟を決めて、天香は幕から外に打って出た。



「あの……何か御用でしょうか」


 おずおずと天香が近寄って訪ねると、くるりとこちらを向いた。

 そこで初めて、天香は真正面から彼女の顔を見た。

 年のころは五十にはまだ手がかからないというところ。目鼻立ちはともかく、白粉がべたりと塗られたような肌と紅すぎるような気がする口紅が浮き気味で、一言でいうなら顔立ちに比べて化粧が派手である。結い上げた髪を彩る飾り物も、品の良さよりも綺羅綺羅しさが先に立つ。目を引くといえば目を引くが、どちらかと言えば悪目立ちに近い。

 そんな顔に険しい表情を乗せて、彼女は重々しい動きで小さな腰掛から立ち上がった。同年代の小母さんなら「どっこいしょ」とか掛け声を出しそうな感じのあれだ。そこまで肉付きがいいようには見えないのだけれど。

 そして引き結んだ口から、開口一番出てきた言葉が。


「遅い」

「はい?」

「まったく、宮中の質も落ちたものです。このように気の利かぬ人間ばかりでは、太后さまもさぞご不便であろうな」

「まったくでございますね奥さま」


 後ろに控えていた侍女らしい人がすばやく相槌を打つ。その手には回収したらしい主の腰掛があった。

 いきなりそんなことを言われてどう答えたものやら。と天香が答えあぐねると、彼女はさらに勢いを増しながら言う。


「そのようなことで宗室の方々のお心にかなうか。周りで常に先を見て整えるのが当然の務め。そういう心構えがなっておらぬのです」

「その通りでございますね」


 よくわからないが、自分がなぜか叱られているらしい、ということは理解できる。そんなやたらと上から目線で言われる筋合いもないと思うのだが。

 むしろ言いたいのは、そもそも貴女はどちら様ですか。だ。


「それで、太后さまはどこに? 早う案内あないせよ」

「……え?」

「ここに太后さまがいらっしゃるのはわかっておる。こちらに入って行かれるのを見たのだから、間違ってはおらぬはず。わたくしは太后さまのもとに参らねばいけないのです」


 問いかけようとした天香の機先を制するように、唐突に彼女は言った。

 范太后に会いに来たらしいとはわかるけれど、だからと言ってはいはいそうですかと通すわけにもいかない。


「ええと……先に太后さまとご約束がおありですか?」

「有難いことに、太后さまからはご信任を受けておってな」

「……はあ」

「お住まいの宮にもよく上がっては、こまごまとしたことまで何くれとなく、太后さまより話をさせていただくのです。ゆえに、太后さまにお目にかかって挨拶をせねばいけない」


 どうだ、という顔を見せるけれども、しかしそんな顔をされても困る。

 そもそも約束があるかどうかをまず聞いたのに、それにさえまともに答えていない。もしものことを考えて、一応は聞いたというのに。


「というわけであるから、早う案内を」

「そう申されましても……」

「あまり煩わせると、そなたたちも太后さまからお叱りを受けることになる――そう言わないとわからぬか?」


 どうやらここを范太后の陣幕だとすっかり思い込んでいるらしい。

 太后本人が入って行くのを見かけたとはいっても、確認もなしに訪ねてくるのはどうかと思うし、そもそも先触れも出さずにこちらが声をかけるまで待っていた、というのもどうなんだという話でもある。

 火急の要件でもない限りは、誰かを訪ねるときには先触れを出す。後宮ではそうだし、貴族同士の家の行き来でもそうだと聞く。天香も一般庶民の出として最初は面倒くさいように思ったけれども、それが礼法というものだし、慣れればそういうものかと感じるようにもなった。

 いきなり家に行って相手が不在でしたとか、今取り込み中で応対できなくてとか、そんな無駄足を踏むこともない。逆に、突然来られて迎える準備が出来てなくて気まずいということもないから、考えてみれば気が楽でもある。

 そういう意味では、なによりもいきなりやって来ておいて『自分は取り次がれるのが当然』という感じなのが、天香には一番苛立たしいし釈然としない。のんびり待ちくたびれていたあたりから急を要する事柄でもないようだ。そのうえ、范太后の威を着るような物言いがそれに輪をかける。

 天香が返答しないのをどう思ったのか、彼女は胸をそらして目を細め、焦れたように扇を揺らめかせた。


「ですが、そもそもこちらは太后さまの幕ではありませんから」

「何を言う。太后さまがこちらに入って行かれるのを見たと言うに。そうであろう?」

「は、はい、奥様」


 後ろに従えた侍女に同意を求める。

 ――人の話は最後まで聞いてよ。

 思わず長々とした溜息をついてやりたくなるけれど、それこそ礼法にそぐわないものだからぐっと我慢する。

 どうにか表情をつくろって、天香は返す。


「勘違いされていらっしゃるようですが。こちらの幕陣は蓮泉公主殿下のもの。太后さまは殿下を訪ねていらっしゃっただけですので。――お目にかかりたいのであれば、改めて公主殿下に先触れを送られてはいかがでしょうか」


 そう言いはしたものの、こんな用件で麗瑛の手を煩わせたくはなかった。それに何というか、この人を陣幕の内に入れたくもなかった。できればこの場で追い返してしまいたいくらいだが、それはそれで面倒なことを引き起こしそうな予感があった。なにせ、范太后を見かけたというだけで押し掛けてくるような思い込みの強い女人である。

 そういえば、未だにどこのだれかわからないのだけれども。


「蓮泉公主……? あの市井育ちの?」


 ぴくり、と頬が引きつる。

 「あの」が「どの」かは知らないが――その言葉は、麗瑛に好意的な響きではなかった。この場で即座に食って掛かれるほどの言葉ではないけれど、少なくとも天香にとっては、心の中の帳面にしっかりと刻み付けておくべき代物である。

 天香の心中などもちろん知らないまま、扇を開いて眉をひそめるようにしながら、どこかの誰かさんは言う。


「公主殿下の幕というならわかるようにしておくか、そもそもが先にそう明言しておればよいではないか、紛らわしい。まったく、やはり気が利かないこと」


 口を挟ませなかったのは誰だと言いたいが、聞くような人間でもなさそうだとも思う。どちらにしても、そこまで言われる筋合いなどない。

 次はどんなことを言い出すか、そう身構えた天香の前で彼女は口を開いて、そして。


「お伺いを立てずともよろしい」

「は?」

「そういうことなれば、こちらも太后さまにお目にかかりたいだけなのだから、公主殿下にわざわざお手数をかけていただかずとも結構。それでは」


 言うだけ言ったかと思うと、突然くるりと背を向けてすたすたと歩み去って行ってしまう。

 その姿を、天香と光絢、それから鈴はぽかんと、呆気に取られて眺めた。


「何よあれ」


 脱力感に襲われながら天香が思わずつぶやいた言葉は、その場にいた全員の同じ感想だっただろう。


 このもやもやは、すべて麗瑛に吐きだそう。

 そう決めて、天香は幕の中に戻った。




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