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公主殿下の寵姫さま  作者: 有内トナミ
五章 重陽 編
109/113

百四、 重陽節 一日目 宴の二



 宴は和やかに始まっていた。


 開始の発声をとったのは主催者である帝、青元本人である。

 広間では楽が鳴らされ、中央で舞手が踊っている。彼女たちは宮妓きゅうぎと呼ばれる、歌舞音曲に通じたものたちだ。日々技芸の修得と向上に全霊をつぎ込んでいる練達者たち。その華やかな踊りは見ているだけで心が浮き立つ。逆に悲しい題材にもそれはそれで心揺り動かされる。

 ――いつも、なら。

 しかし、今の天香はそれどころではなかった。


「ええと、本日はお日柄もよく……」


 広間を望む、一段高くなった房。そこは主賓である范太后と、それを世話する公主とその妃――すなわち麗瑛と天香の席であり、つまりは宗室に属する女性勢の専用部屋といった感じになっていた。

 向かい合って座る范太后に、なにか話を振らなければいけない……と考えるあまり、天香は空模様のことなど口にしてしまった。

 隣で麗瑛が吹き出したのが見なくてもわかってしまう。


「そのような堅苦しい挨拶はなしにしましょう。――舞はお嫌いでいらっしゃる?」

「いえっ、そんなことはありません」

「なら、拍手ぐらいなさいな」


 反射的に応じた天香は、そこで曲が終わっているのに気づいた。

 ちょうど一曲が終わったところのようで、宮妓の一団が拍手を背に退出していくところだった。また別の組が入ってきて、次の舞の準備が始まる。そうやって次々に披露されていくのだが――うっかりと曲が終わったことさえ聞き落としていた。


「も、申し訳ありません」

「天香は緊張しているだけですわ、おばあさま。今日だってさっきまで何度も何度も服装に乱れがないか聞かれたくらいですもの」


 麗瑛が助け船を出してくれた。ただ、恥に恥を重ねるような気がしないでもないけれども。――と、息をほうとついた矢先の太后の言葉に、その息をもう一度飲みこむ。


「おや、そのようなことで公主の妃として勤まりますか。初対面だからとしり込みするようなありさまで」


 思わず身がこわばり、一気に冷や汗が吹き出したように感じる。

 天香が硬直してしまったのと入れ替わるように、麗瑛が語気を強めて言った。


「おばあさま、意地悪をおっしゃらないでください! 天香が怯えてしまいます!」

「おやおや、少しからかうくらいよいではありませんか」

「天香には刺激が強すぎます」


 麗瑛だってこういう刺激強めのからかいは何度もしているが……などとここでまぜっかえせるくらいの度胸は、今の天香にはない。麗瑛に感謝しつつ、からかいだと言った范太后の言葉にただ胸をなでおろす。実際に腕を動かしはしない。その代わりに、空気を吸って吐いて――下していた拳をぐっと握りしめる。


「た――太皇太后さまに、不躾ながらお尋ねしたいことがあります」


 頭を下げて、意気込んで言う。唐突な言葉に太后がどんな表情をしているのか、気になりはするけれども、そこまで窺う余裕もなく太后の返答を待つ。


「顔をお上げなさい。なんですか、突然に」


 恐る恐る范太后を見れば、何を言い出すのかと興味深げな視線と目が合った。その顔に険がないことが、天香には救いだった。


「で、何を尋ねたいと?」

「太后さまは私たちのことを、どう思っていらっしゃいますか」


 隣で麗瑛が何か声を上げかけるが、それより前に太后が落ち着いた声で返す。


「どう、とは?」

「――女同士の結婚など認められない、とは考えていらっしゃいませんか。臣のどなたかに降嫁させるべきだったなどとも」


 天香は一気に言い切って、肩で息をする。

 ついに口に出してしまった。けれど、口に出さずにはいられなかった。

 ずしりと重いものが頭の中に入っているような気分で、聞かずには落ち着いて話もできない。そんな状態だった。他のことを考えようとして、結局はそこに戻ってしまっていたくらいに。


「天――」

「ではわたくしがそう言ったら、そなたはなんとする?」


ため息交じりの麗瑛の声を圧して、范太后が問いに問いを返す。深みのある声を発したその口元はわずかに笑っているが、瞳は天香を真正面から見据えている。その視線を天香は真っ向から、逸らさないように見つめ返す。そして、喉からせり上がった言葉をそのまま口に出した。


「戦います」


 自分の口から手短にするりと抜け出した言葉は、思った以上に物騒に聞こえて、天香は慌て気味に言葉を続ける。


「あっ、えっとその、もちろん武器とか持ち出すとかそういう意味ではなくて、心構えというか、そういう覚悟で、意気込みで――」

「くっ、は、はははははははは」


 愉快そうな笑い声に、天香は目をぱちりと瞬かせる。その笑いは自分でも麗瑛でもなく確かに今対面している范太后のもので、彼女は扇を片手に持ったまま、口元も抑えずに笑っていた。麗瑛もまた、隣であっけにとられたように見ている。

 やがて笑いを収めた范太后は、その麗瑛に話を振るった。


「面白い。麗瑛や、そなたの妃はなんというか、大変に面白いですね。まさか最初にそのような話を持ってくるとは思ってもみなかった。その上に、戦うとまで言いましたよ」

「……わたしが何度も大丈夫と言ったのに、まだそんなことを思っていたのね」


 麗瑛が拗ねたように――いや実際拗ね気味に言った。


「瑛さまが信じられないとかそういうことじゃなくて――太后さまには失礼かもしれませんが、どうしても、直接お聞きしたかったのです」


 言い訳のように聞こえてしまうかもしれない、そう思いながらも天香は頭を伏せる。


「私は……今瑛さまといられるのが幸せです。私にとって一番大切なのは瑛さまといられることです。だから、もしもそれをやめろと言われても、絶対にやめません。やめられることでもありません。ですから、どうか――」

わたくしの真意を確かめたかったと」


 姿勢を元に戻す。

 その視線の先、范太后は口元に扇を当ててゆるりと笑んだ。


「面白いだけでなく、大事なことをちゃんとわかっている。いい嫁を貰ったようです」

「は、はあ」

「意識しないところで理解しているのならなおよい」


 大事なことと言われてもとっさには思い当たらずにいると、さらに彼女は満足げに微笑んだ。


「誰かの意向を人づてに尋ねるほど頼れないものはない。どうしても聞きたいのであれば当人に直接訊く――もう、似たようなことを後宮ここで経験しているのでは? だから今回も単刀直入に突き込んできた、と、そういうわけではないのですか?」


 その言葉にはっとなる。

 思い当たるふしは、もちろんいくつもある。

 後宮に嫁入って以来の、このたった半年かそこらでどれだけのうわさ話を聞いてきたか。耳ざといわけではないと自覚している天香の耳に入ってくるほどのうわさに限ってのことだから、それ以外のものはどれほど乱れ飛んでいるのか想像すらつかない。

 そのうちのどれだけが真実を言い当てているのか、まったく根も葉もないものなのか、などと言うことに至ってはそれ以前の問題である。

 范太后も同じようなことを経験してきた――いや、そういう経験は桁がいくつか違うくらいに、それこそ単純に比較などできないほどにあるはずだ。天香とは違って、彼女は妃嬪そのものだったのだから。そしてそこから正妃に進んだのだから。


「それでよいのです。およそこの後宮で、人の口を介した言葉などどれほど信じられるものか――この老婆から教えて差し上げられるのはそれくらい。あなた方はまた、少し違うお立場でしょうけれどね」


 天香は深々と頭を下げる。


「ご教授、ありがとうございます」

「公主は不服そうですけれどね」


 その言葉に慌てて頭をあげてみれば、麗瑛が頬を膨らませていた。


「で、殿下?」

「つまり、わたしが何度も言ったのは信じられなかったことには変わらないわけよね」

「だからそういうことじゃなくてですね」


 ご機嫌斜めになった公主殿下の面倒くささはもちろん身にしみているが、同時にこれが本気で腹を立てているわけではないのもわかる。からかいを含むというよりは、どちらかと言えばこれは。


「照れ隠しもほどほどになさい、麗瑛」


 思っていたのと同じことを、太后が先に麗瑛に言ってしまった。


「て、照れてなどいません。わたしは天香に文句を」

「そんな振る舞いでは、いつか妃殿下に愛想をつかされてしまいますよ」

「「そっ、そんなことありえません」」


 二人の言葉が一音一字一句までぴたりと揃って、再び太后は愉快そうに笑い声をあげた。頬の赤さを自覚しつつ麗瑛のほうを見れば、同じようにこちらを見ている表情に正面から相対する。

 扇を口元にあててそんな様子を見ながら、范太后が話しかけた。


「先の質問に答えていませんでしたね、妃殿下。確かにそなたの言うとおり、公主などは降嫁させるか、あるいは他国に送るか、もちろんどちらも考えなかったとは言いません。けれど」


 そこで言葉を切って。


「けれどね、実は――妾は、孫娘には弱いのですよ」


 わざとらしいほどに声を潜めて、秘密を打ち明けたかのようにいたずらっぽく太后陛下は微笑む。

 その微笑みにどこか麗瑛と通じるものを見て、やはりこの二人は祖母と孫なのだ、と天香は思った。


「それに、表舞台から退いた隠居のばばひとりがあれこれと言ったところで、どれほどの力もないでしょう。主上が認めたというものをひっくり返せるほどの力は、婆のこの枯れた腕にはとてもありません」


 枯れたのなんだのと言うほどには、ちらりとめくって見せたその腕には皴もよらず、年波など感じられない。

 つまり。これは、自分を安心させようとしてくれているのだと思う。その心遣いがただありがたい。


「不躾なふるまいをお許しください。ご不快に思われましたら、その責めは――」

「何を勘違いしているのです? そなたも、今の話をお聞きになったと思うのだけれど」

「は――」

「つまり、そなたも妾の孫でしょうに、ということですよ」


 その言葉が、じわりと天香の胸にしみ込んだ。

 孫の嫁なのだから、と。――すなわちそれを、義理の孫というのだ。


「っ……ありがとう、ございます」


 天香は今度こそ、頭を下げて平伏した。

 こみあげてくる何かをごまかすように。



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