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公主殿下の寵姫さま  作者: 有内トナミ
五章 重陽 編
107/113

百二、 観月 下 天香の冀望



「ごめんなさい。また見苦しいところをお見せしちゃった」

「い、いえ」


 舟が岸についた後で、昭華にそう頭を下げられた。香陽が下りて行ったあとで、麗瑛もそちらに応対しているので船の中には二人しかいない。

 どう返したものか、少し困る。

 ただ、自分が悪いと思えばこうやってすぐに頭を下げられる、洪妃のそういうところはそんなに嫌ではない。


「ええと、お二人ともずっと黙ったままでいられるよりはまだよかったですというか」

「……あなた、結構言うのね」


 昭華は目をぱちりと瞬かせて言って、あのね、と続ける。去っていく香陽に万一にも聞こえないようにと思っているのか、声は抑え目で。


「どうしてもなんていうか、イライラするのよ、あちらのかたを見ていると」

「はあ」


 引き続き返事に困る天香。

 それはそうなんでしょうね見てればわかります、なんて返すわけにもいかないわけで。

 ただ、イライラするというのにはやや頷ける所もあった。


「李妃――香陽さまは、はっきりと物申される御方ではないですからね」

「そう、それなのよ」


 目を輝かせて同意された。


「今日だってそうじゃない。改めて話そうとしたのにいつの間にかあんなことになっちゃって。だいたいあの人って、わたしと話す気があるのかどうかさえわからないんだもの。――そう思わない?」

「まあ、なかなか核心に触れていかないという感じは」

「そうそう。はぐらかされてるというか、相手にされてないって言うか。ああいうのが貴族の振る舞いってものなのかしら」


 昭華は我が意を得たり、というようにうんうんと頷いている。

 諸手をあげて賛同したわけじゃあないんだけどな、と天香は思う。自分ももちろん麗瑛も、二人のどちらかに肩入れするつもりはない、と釘を刺しておくべきなのだろうか。いや、昭華も香陽も今のところ、そのあたりの事で自分を誇示したことはないが。


「本当に、あれは何をしに来たのかしら」


 天香にだけ聞こえるような声でぼそりと呟いたその最後の言葉は、茶会のときのように苛立たしげ――ではなかった。

 むしろそれは困惑、あるいは少しばかり意外なことに、心配しているようにさえ聞こえた。


 ◇  ◇  ◇



「心配、ねえ?」

「そんな殊勝な性格かしら、とか思ってますね」

「よくわかったわね」

「瑛さまの事ですから」


 自分で言っておいて照れくさくなった。それを隠すように言葉を続ける。隠せてないだろうと自分でも自覚はある。

 ちなみに今いるのは蓮泉殿の臥室(しんしつ)、もっと言えばそのベッドの上。湯浴みも終えて寝巻きに着替えた姿だった。麗瑛も同じような格好である。


「でも、改めて目の前で見ても反りが合わないんですね、あのお二人って」


 どちらも話しにくそうというか、探り探りの会話だったと思う。洪昭華が李香陽に対して苦手意識を持っているのは間違いないけれど、その逆は――どうなのだろう。どちらかというと、あれは。


「仕方ないわよ、何もかもが違う二人だもの」

「育った家も貴族と軍人、片方は元々入宮を前提に育てられてて、もう一方はほんの数年前までは考えもしてなくて――」


 天香は指を折りながら数えてみる。

 おっとりとした態度の李妃に対して洪妃はせっかちなところがある。常に穏やかな表情を変えない李妃に対して、ころころと変わる洪妃。どこか薄絹に包んだような話し方の李妃に、はっきりした物言いを好む洪妃。

 周囲の嬪との関係もそう。主君と臣下のような関係を受け入れている李妃に対して、洪妃はむしろ派閥など組むつもりもなかったとこぼしていた。そういえば化粧に気合を入れすぎるところも違うな、と付け足しのように思う。

 折る指が増えていく。見ていればわかることも、洪妃自身から聞いたことも入っている。

 あとは――。


「それに、色の好みも正反対」


 最後にそっと麗瑛が手を伸ばして、天香の指を包んで折り込んだ。その指を見ながら天香は思わず吹き出してしまう。同じ事を考えていたことと、それをなにかの儀式のようにもったいぶってやった麗瑛の動きに誘われて。


「こうしてみると、似ているところの方が少ない気がします」


 ため息混じりに天香は言った。

 あの二人はそういうもの、と言われてしまえばそういうものなのだろう。

 けれどそういう細かいところのひとつひとつが気になり始めてしまったら最後、どんどんと積み上がっていってしまうものでもある。気がついたときにはそんなものがうずたかく積みあがってしまって――苦手になる。嫌いになる。

 そこまで誰かを嫌いになったことは天香にはない。けれど、なんとなくわかる。


「今日はなぜか同じ舟に乗ったけど。そういえばそんなことも今までなかったんじゃないかしら。李妃が何を考えてたのかはわからないけど」

「私は――すこし、わかる気がします」

「え?」


 天香の返事に、麗瑛は意外そうに目を覗き込んでくる。

 違和感があった。舟の上で李妃の言葉を聴いていたときからずっと。その理由に、いま指先が届いた、と思う。


「洪妃さまと同じことを思いました。なんで李妃はこっちの船に乗ってきたんだろうって。でも彼女はなんとなくとかわからないとか、はっきりとは返してくれませんでした」

「ええ、それで洪妃はご立腹だったんでしょう? はぐらかされたとか、まともに取り合わない気だとか」

「でも、おかしいんです。それならもっと(もっと)もらしい理由を言っておけばいい。なのに李妃さまはわからない、わからないって繰り返すだけでした」


 途方にくれたような表情。ひとつもはっきりしなかった返事。

 やや乱暴な言い方になるけれど、李妃は礼儀作法や知識や、その他貴婦人として必要とされていることのすべてを幼いころから叩き込まれて育っているはずだ。将来の妃候補として育てられるというのはそういうことだから。

 そういう点において、官吏の家に育った白天香よりも軍人の家に育った洪昭華よりも、途中まで公主として育っていない江麗瑛よりもなお、李香陽のほうが貴婦人としては『正しい』教育を受けてきただろう。

 ――その教育の中に、あんな受け答えの仕方はないはずだ。

 付け焼き刃ながら、天香も公主院や宮中でざっくりと学んだ。上流階級の会話で最上とされるものは、その場にあわせた当意即妙な受け答え。都合の悪い話題は正面から受け止めない。その他暗黙の了解があれこれと。

 字面だけなら似ているように思えるけれど、今日の李妃は――あれは、単に何にも答えられなかっただけ。本来ならば、切り返すなり話題を変えるなり、彼女はそれができるはずの人なのだ。


「だから考えたんです。李妃は自分がどうしたいのか、どうしたらいいのか、本当にわからないんじゃないかって」

「わからないままで同じ舟に乗ってきたの?」

「本当にあそこで思いついて実行に移したんじゃないでしょうか。李妃派の人たちとか侍女まで驚いてたくらいですから」

「それは、李妃らしくないわ」


 小首をかしげながら、麗瑛はひとことこぼす。

 侍女も連れず一人で行動する。それは上流階級の女性にはまったくありえないと思われそうな行動だ。それこそ教育に反している。


「だから李妃自身、どうして自分がそうしたのかわからなくて途方にくれてたんじゃないか……って」

「だとしても、じゃあ李妃は何を考えて、いえ、考えてはいないけど、ええいめんどくさい」

「今の状況を変えたい、その現われだと思いたいです。つまり、洪妃さまとか私たちと話したかった、とか」


 李妃の心の奥底で何が起きているのか、起きていたのかはわからない。自分が考えたこともしょせんは推測、いや、想像でしかない。根拠もないのだから、妄想と言ったほうがいいかもしれない。

 どちらかというならば、そうだったらいいな、という希望的観測。


「それは天香の希望が入りすぎじゃない」

 麗瑛が言ったのはまさに自分が考えた同じ言葉。自分でもそう思う。まして麗瑛は、だろう。


「でも、本当にそうなったらいいと思いませんか? 李妃は洪妃と話したいし、洪妃は李妃を心配しているし、私たちがそれを後押しできれば――」

「天香、天香、落ち着いて」


 麗瑛が身じろぎして、我知らず身を乗り出すようになってしまっていたのに気づく。


「つまり天香はあの二人を和解させる、もしくは歩み寄らせる、その後押しをしたいって言いたいわけね。性懲りもなくあきらめも悪く、ずっと思ってたってこと」


 少し意地悪そうな目になって、麗瑛が上目遣いに見てくる。その眼差しはずるい。面白いおもちゃを見つけた猫のような瞳だ。

 両妃を和解させる、それは今思いついたことではない。麗瑛が言ったとおり、前々から考えていたことだ。どちらの妃にも、それぞれの派閥を含めた後宮にも、もちろん自分たちにとっても悪いことではないと思う。ああ、それと青元あににも。

 ただ二人が少しでも歩み寄りを見せた、そんな今この時期が一番の好機だと思った。


「わっ、悪いですか」

「悪いだなんて言わないわ。天香がそんなに意気込んでると思わなかっただけ。そこまでやる気ならやってみたら、と言ってあげたいんだけれど」

「け、けれど?」


 なんとなく不穏なものを感じて聞き返した。

 身をこわばらせる天香に、麗瑛はあっさりと言う。


「もうすぐ重陽節なのだけれど、忘れてないわよね?」

「…………あっ」


 重陽。それは宮中では一二を争う大きな祭事であり、催事である。お茶会や観月の宴など比較にならない、七夕節や春の桃の節句よりもなお盛大なそれに、観月の宴が終わった後はかかりきりになる。……うっかりにしてはあまりにも、大きい。

 思わず漏れてしまった反応に、麗瑛が例の眼差しが半分呆れが半分で言う。


「なあんだ、いやに張り切ってるから、重陽までにケリをつけようとしてるのかと思った」

「あの瑛さま、ケリとかあんまりいい言葉では」

「今更何よ」

「はい」

 今更すぎた。

「少し様子を見ても大丈夫でしょ。年単位でやり合ってた二人なんですもの。そんなにすぐ解決するわけないじゃない」

「はい……」

「喧嘩した子供を仲直りさせるんじゃないんだし。ただでさえ女同士の喧嘩の仲裁なんて骨が折れるの、天香ならわかるでしょ」

「はい……」


 いちいち御説ごもっともとひれ伏すしかない。

 すっかりがっくりとした様子をさすがに見かねたのか、麗瑛が手を伸ばして天香の頭に触れた。そのまま優しく撫でられる。そのひと撫でごとの感触に心が静まっていくのだから、自分でも単純だと痛感する。


「重陽が終わっても二人があんな様子だったら、そのときはあらためて一緒にやりましょう、ね?」

「はい……。――あの、ところで瑛さま、そろそろこの格好やめません?」


 言葉遣いがどうこうよりも、ある意味でよっぽど今更なことを天香は切り出した。

 説明するならば――先に言ったとおり、今の二人は牀にいる。

 その牀の上で、天香の崩したひざの上、どちらかといえば腿の側に、麗瑛の頭を乗せていた。

 そう、ここまでずっとこの膝枕のまま会話していたのだった。


「だってわたしの前であんなに洪妃と楽しそうにしてたじゃない」

「そ、そんな嫉妬の仕方って……」

「それにさっきは途中で終わっちゃったのだもの。満足するまでこうさせてもらうわ」

「あっ、あれは時と場合をわきまえてほしいという意味で……私だってしたくないわけでは……でもお二人の前でしたし、しめしがつかないというか!」


 途中からもごもごと不明瞭になりつつ、言っているうちに頬に血が上るのを感じる。ぷるぷると指先も震えている。

 気づくと、麗瑛がぽかんとした顔になってこちらを見上げていた。


「えっと……?」

「やっぱりやめたほうがいいわね。しめしがつかないものね」


 一瞬前と正反対のことを言い始めた麗瑛に、今度は天香がぽかんとなる番だった。


「えっと、いえその、私はいいんです、けれども……」

「だって今の天香とってもかわいいもの。他の人の前でそんな顔させたくない」

「私どんな顔してたんですか!? 鏡! 鏡をください!」

「だーめ」


 ああまたさっきの眼差しになっている。

 これだから、その目はずるいのだ。



お待たせしました。読んでいただきありがとうございます。

伸ばし伸ばしになっていましたが、次回からやっと重陽の宴が始まります。

不定期すぎる不定期更新で申し訳ありません。

そしてブックマーク&評価ありがとうございます。頑張ります。

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