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公主殿下の寵姫さま  作者: 有内トナミ
五章 重陽 編
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百、 観月 上 昭華の口火



 月が改まって十五日は仲秋節である。元々は月を祀り家内の円満を祈る祭事だったらしいが、今ではすっかり月を見ながら宴をするほうが主になっている。祭事らしいことといえば祭壇を作ってお供えを置くくらいだ。

 ちなみに月を祀って供え物をするのは女の仕事と決まっていた。『男は月を拝まず。女は竈を祭らず』という。古くからある考えで、女と月は関係が深いとされているからだ。毎月巡るものを月になぞらえているのもそうだろう。

 そんなわけで後宮でも祭壇は作るが、しかし後宮で家内円満を祈るというのも、天香にはどうも何か矛盾している気がしてならない。もちろん平穏なら平穏で良いことなのだけれども。


 話がずれたが、要するに仲秋節といえば宴の日である。それ以外でも理由をつけては宴に興じているのが宮中という場所ではあるが、現に今も宮中のどこかから楽の音が聞こえている。

 対するこっちは静かだなあ、と天香は遠く月を眺めつつ思った。騒がしい宴は好きではないがそれはそれとして、今の静かさは少し、心地のいいものではなかった。

 ふと目を下に向ければ、そこにもまた黄味がかった円い月が浮かぶ。しかしそちらは不規則に揺らめいている――闇のような黒い水の上で。


 天香は今、舟に乗っていた。


 舟、と言っても川や海を行く船ではない。

 今いるのは東徽苑の湖上だった。茶会をした涼亭あずまやが岸辺に見えている。今日は誰も使っていないらしく明かりもついていないが、降り注ぐ月の光にぼんやりと浮かんでいた。

 屋根から灯篭をいくつも吊るした座敷舟の中にいるのは、もちろん天香だけではなかった。隣にはいつものように麗瑛がいて、さらに給仕役の則耀と、先日配属された新任女官のりんが控えている。

 そしてそれ以外に――李妃・香陽と洪妃・昭華が同乗していた。

 李妃の今日の装いはやはりいつもと同じような青色。対する洪妃の装いもそれに相対するような赤色。どちらも灯篭の光の下であっても鮮やかな色合いなのがわかる。

 王侯貴族の舟遊びのために幅が広めに作られた座敷舟とはいえ、座卓の配置などを考えれば一度に同乗できる賓客は四人ほどが限度だ。つまり天香・麗瑛と両妃だけでその席は埋まっている。


 ――なんでこんなことに?

 天香は思わず自問した。

 遠からず近からずの位置に浮かぶ他の舟からも笑い声が立った。あの声は――たぶん陸嬪だろうか。



 そもそも一艘に四人ずつ乗るのなら、妃嬪は全員で十二人なのだから三艘に分かれて乗って、自分と麗瑛は二人で別の舟に乗ればいい。なんていうことを天香は思っていた。

 そんな天香の思惑が外れたのは、まさにこれから船に乗り込もうとしていたその時だった。


「あら妃殿下、こちらでご一緒しませんか?」


 洪妃こと昭華がいきなりそう誘ってきたのだ。

 もちろん、気乗りはしない。

 どう言って断ったものかと思っていると、機先を制するように麗瑛が、


「じゃあ、わたしはあちらかしら」


 そういう視線の先には、李妃に割り当てたはずの舟があった。

 どちらかに肩入れしているように見られるのはよろしくない。しかしこういう誘いは想定のうちだったから、最悪そのように分かれよう、ということは打ち合わせてあったのだ。

 ――なのに天香が断ろうとしたのは、まあその、つまりは私情だ。

 自分だって麗瑛と静かに月を見たい。もちろん近くには他の舟がいるのだからそうそう人前で見せられないようなことは出来、いや、そういうことをするつもりも趣味ももちろんないのだがいったい何を思っているんだか自分は。


「申し訳ありません蓮泉公主殿下。妃殿下を暫時お借りします」

「ええそうね、貸し賃は高いわよ」

「……心しておきまする」


 麗瑛の言い放った言葉に、昭華は頭を深く下げてみせ――しかしその頭が上がりきる前に、別の方向から涼やかな声がかかった。


「いえ、殿下にご足労いただく必要はございません。わたくしがそちらに参ればいいんですから」

「……りっ――李妃さま!? 何を仰います!」

「そうです、こちらは四人乗りですわ」


 声の主は、いつもどおり昭華と対照的な色合いの衣に身を包んだ李妃・香陽。

 思いかけない言動に、数瞬の間全員が呆気にとられる。いちばん最初に我に帰っていかにも心外そうな声を上げたのは、李妃の一番の忠臣――かのようにいつも振る舞っている寧嬪だった。それに続いて異議を差し挟もうとしたのは昭華を姉と慕う蘭嬪である。

 李妃派洪妃派それ以外の嬪たちの視線を集めて小さくざわめきが起きる中、李妃はその人形のように整った顔をことりと傾げて。


「なにか?」


 きょとん、と音がしそうな彼女の反応に、かえって周囲の人間が反応に困ってとっさに言葉を継げないでいた。

 その中で、次に動いたのは昭華だ。思案を解いて、すぐ脇に向かって声を掛ける。


「じゃあ――蘭、あなた他の舟に乗りなさい」

「えっ……ええ?」


 急に命じられて、蘭嬪が不満げな声を漏らす。自分と同じような思惑があったのだろうな、と天香は見当をつけた。気の毒といえば気の毒だが仕方がない。


「妃が二人に殿下と妃殿下が乗るのに、一人だけ嬪の貴女が乗るというの?」


 昭華が言うと蘭嬪は言い返せずに引き下がり、天香と麗瑛に加えて二人の妃の四人が同舟という組み合わせが決まったのだった。


 ――――


 そして今に話は戻る。

 舟に乗り込んだはいいものの、天香は話の接ぎ穂が見つからずになかなか切り出せずにいた。昭華もまた、こちらはどちらかというと出方をうかがっているような表情で、積極的に話しかけようとはしていない。


「お体は、もういいの?」

「ええ、おかげさまで。そういえば、あのときは貴女にも見舞いのお品をいただきましたね」


 見かねたように麗瑛が先陣を切って李妃へと話しかけた。それに答えた言葉は今度は洪妃に向き、向けられた当の本人がむしろ意表を突かれたように応じる。


「え、ええ。美味しかったでしょう? そちらのお口に合ったかどうかは知らないけど」

「そうですね。とても美味でした」

「あら、そ」


 ひと言付け足さずにいられないのか、それとも慌てたあまりつい口から出てしまったのか、どちらかはわからない。しかし李妃は昭華の言葉に気分を害した様子もなく、むしろ素っ気ない口調で返した昭華の方が決まり悪そうに髪の毛先を指でいじっている。


「そういえば公主妃殿下には――」

「はっ、はい!」

「落ち着きなさい天香。恥ずかしいわよ」

「あうう」


 つい声が上ずって、麗瑛に呆れ顔でたしなめられた。頬に血が昇る。その感覚が少し久しぶりだと思いながら、李妃に向けて頭を下げた。


「すみません……それで、な、なんでしょう?」

「いえ、妃殿下にもお見舞いに来ていただきましたし、それからわたくしのお友達の命を救っていただいたとも聞いていますから、お礼をしなければと思っていたのです」

「お友達……あ、いえ、あれはそのー、結果的にそうなってしまったというかですね」

「その結果が大事じゃない。采嬪だってあんなに感謝してるのだし」


 しどろもどろの言い訳をしそうになったところに、麗瑛が助け舟を出してくれる。

 その言葉通り、あれから采嬪は非常に精力的に・・・・・・・天香に救われたこととその恩義とを触れて回っていた。結果、二妃を筆頭に妃嬪の全員と後宮の侍女・女官の大半が一連の事件について知るところとなり、正直にいうと天香としては面映いどころの騒ぎではない。あまり触れて回るなと釘を刺すべきだったかと思ったが、それはもはや後の祭りだった。

 ただそれよりも、天香は李妃が采嬪を友人と呼んだことが気になっていた。そもそも李妃派は友情というよりも主従の関係に近く見えるのだ。寧嬪がいい例――というか、彼女の印象が強すぎるからかもしれないが。


「どうかされまして?」

「あっ、な、なんでもないです」


 不思議そうに問われて、天香はとっさに笑みを浮かべてごまかす。麗瑛がお見通し、という感じの表情で茶杯を傾けているのがちらりと見えた。

 そこから雰囲気はやや和らいだ感じになった。ぎこちなさは残るものの、始まったばかりのときのしーんと静まり返った感じではなくなっている。ただ、昭華はその節々で何事か考えるように眉根を寄せたり、李妃のほうを見据えていたりした。


「なにか?」

「……何が?」


 そんな昭華の視線に気づいてか、李妃が問いかける。


「いいえ、そのようにこちらをじっと見られているから、お話があるのかと思ったのですけれど」

「……それは、こっちの台詞よ」

「はい?」


 昭華は一拍溜めるようにして、そして口火を切った。




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