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公主殿下の寵姫さま  作者: 有内トナミ
四章 来訪 編
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九十六、 潜入・小間物屋 三



 蝶の髪飾りが宮中から盗み出されて、それを妃嬪の一人である采嬪が身につけていた。

 実は采嬪は後宮から無断で外出しており、彼女が髪飾りを買ったという小間物屋に来てみれば――同じものが堂々と売られていた。

 その髪飾りは今、自分の頭につけられている。

 天香はここまでのことをまとめてみる。


 ――では、この髪飾りはどこから来たか。

 鏡の中できらりと光る螺鈿細工を見て天香は自問する。

 采嬪が二つ盗み、片方を手元に残した?

 否、盗難物だと告げたときの取り乱し方は、とても演技でやっているようなものではなかった。平然とそのようなことができるようなひとではない、とも思う。

 誰かが盗んだものをこの店に売り、そのうちの一つを采嬪が買い、もう一つがここにある。そう単純に考えたほうが話が通る。

 では誰が?


「――となってございます」

「奥さま?」


 はっと天香は我に返った。

 どうやら店主が何か説明をしていたようだったが、完全に聞き逃してしまった。


「仰るとおり、綺麗な螺鈿細工でございますね」

「え……ええ、本当にね」


 天香の気が逸れていたことを見て取ったらしい光絢が、完璧すぎるほど完璧な助け舟を出してくれた。光絢の機転に感謝しながら、天香は頤に手を当てて考え込むようなふりをする。


「何か、気になることがおありでしょうか?」


 恐る恐るといった感じで問いかけてきた店主に、天香は答える。


「いえ……わたくし、鷲京みやこに来て日が浅いのですけれど、お茶会にお誘いいただいた折にこれと――そう、これと同じ髪飾りをつけていらっしゃったご婦人から、こちらで買い求めたとお聞きして」

「ああ、はいはい、ええ、確かにお売りしました。はい、確かにこちらと同じものでございますよ」


 店主が言った言葉に、天香は胸中でほっと息を吐く。逆に光絢と栢里がぴくりと身を動かした――ように思った。

 采嬪は、確かにこの店であの髪飾りを買ったのだ。

 そしてそのことを特に隠しもしないということは、この店主も、この髪飾りが面倒ごとの種だとは思っていない。つまり、盗品だということを知らない。

 ということは、これをここに持ち込んだ人間を辿っていけばいい。


 さっきの言葉は、少しだけ賭けでもあった。

 しらを切られたら、あるいは適当にごまかされたら、そこまで話は動かなかった。手がかりを自然には引き出せなかっただろう。

 天香は小声で呟く。


「出来すぎよね」

「なにか仰いましたか?」

「いいえ。――ではこれと同じものは他にもあるのかしら?」

「二品物でございましたから――」


 天香が尋ねると、店主は考える様子もなく、即座に返してきた。

 ごまかすような様子でもないことからして、やはり店主もこの髪飾りの来歴など知らないのだろう。

 二品物、つまり持ち込まれたのは二つ。


「それじゃあ、対のものの片方ということ?」

「いえいえ、対ではなく、最初から同じ意匠のものを二つ仕入れたものでして――あっ」

 途中で息を呑んで、その後で慌てて店主は頭を下げる。

「申し訳ありません。同じものでは何かと触りもありましょう。いま、何か他のものを選ばせますので……」


 天香の疑問を、店主は別の意味で取ったらしい。

 親しい間柄でもなければ、まったく同じものを身につけるのは失礼にあたるとされる。ゆえに、とくに貴婦人はそれを厭う。そうと知っていながら同じものをこのまま買わせようとしている。――そう責められたと思ったのか。

 実際には天香はただ確認しようとしただけで、そんなことはなかった。そもそもこれをどこかにつけて行くつもりもないのだし。

 身を縮めるように言うのを、天香は途中で遮る。


「いいわ。これはこれで気に入りましたもの。――ところで店主どの? こちらのお品、いずれ名のある職人の作と思うのだけれど……どちらのものなのかしら」


 一気に核心に踏み込んだ。

 答えられるわけがない。これは宮中で作られたものだから。

 だからこの質問は、この髪飾りが辿った経路を逆に遡るために、その答えを引き出すための問いだった。


「と、申されますと?」

「言ったでしょう。これが気に入ったんです。同じ職人の作品があれば見せていただきたいし、名前だけでも知りたいのですけど。それとも名前が出ていないのは、どこかの工房の方だからなのかしら?」


 天香の言葉に、店主は一応納得したように頷いた。

 しかし、申し訳なさそうな顔になって言う。


「ああ、いえ……こちらは、工房と直接取引したものではなくてですな」


 職人の名はわからない、という。

 当然だ。

 むしろここで適当な工人の名を上げたりしないだけ、良心的な商人なのだろう。玉晶の店で聞いた出店の経緯は同業者を押しのけるようなやり口だったかもしれないが、それとはまた別の話だ。

 それだけに巻き込まれたのは災難とも思うし、その一方で盗品をつかまされたのは彼の脇が甘いから、ということもできるが。


「次に入荷しましたら、そのときにお知らせいたしましょうか?」

「それはいつ頃になるのかしら」

 店主の提案に、はい・いいえと明確に言わずに天香は訊ねる。


「それは……申し訳ありませんがわかりかねます。何しろ持ち込みのものでございまして」

「持ち込み?」

「ええ。手商いで作っている――まあ、だいたいは駆け出しの若手の職人ですな。それが自分の品を店頭に並べてほしい、と持ち込んでくることがありまして」

「ですが、駆け出しの職人が手を出せるような素材ではないと思うのですが」


 光絢の援護が入った。

 主人の装飾品の管理は侍女の仕事だから、自分が身につけないものでも自然と素材にも詳しくなる。そういう意味では自然な感想でもあった。


「ええまあその――こちらは、知り合いの作品を売ってほしい、と持ち込まれたものでして……どうした?」


 店主の話に、ここに来て歯切れの悪さが混じった。

 とそこに、店員の一人が店主に歩み寄って耳打ちする。その言葉を聞いた彼の表情がぱっと変わった。


「何? 奥方さまが? ――おお」


 店の入り口に立つ貴婦人に恭しく頭を下げてから、店主は天香たちに向かって晴れ晴れとした顔で言った。


「ちょうどいいところに、これを持ち込みに来た者が参ったようで。こちらに連れてまいりますので、もしよろしければ、その者からお聞きになられてはいかがでしょうか」

「ところでその者というのは男ですか、女ですか?」

 光絢が訊ねる。

女子おなごですが……何か?」

「いえ、旦那さまから奥さまを男に、若い男には特に近づけるなと厳命されておりますので。――使用人はともかくとして」

 光絢のあまりな言葉に、一瞬間を置いて店主が破顔した。


「なるほどなるほど。旦那さまのお考えはよくわかりますよ。――では、申し訳ありませんがしばらく席を外させていただきます」


 そそくさと去る店主のほうを見やって、光絢が耳打ちしてきた。


「奥方さまというのがその、犯人なんでしょうか」

「おなご、といっていたから、違うんじゃないかしら」


 同じくらいの音量で天香は返す。

 先ほど入り口にいたのは中年に差し掛かったあたりといった感じの女性だった。濃い色の上襦だけしかこちらからは見えない。結った髪に挿した銀色のかんざしの飾りがひらりと揺れた。――あの年頃の女性をおなごとはなかなか呼ばないだろう。自称ならばともかく。

 ただ、接客を一時とはいえ投げ出して優先するのだから、あの婦人はよほどの上得意か――あるいは、件の後援者なのかもしれない。その彼女と共にやってきた人間、おそらくは女が、知り合いの作だと言ってあの細工を持ち込んだという流れか。恩義も地位もある人間が仲立ちしたのなら……警戒しろというのも無理な話だ。

 一気に霞が晴れたような感じがする。正解かどうかはわからないが、大きくは外れていないだろうという予感がした。


「どうなさるんですか。問い詰めて吐かせます?」

「どこでそんな言い回し覚えてくるの……?」


 天香は呆れて言う。光絢はこれでも良家のお嬢さまだった、いや、今でもそのはずなのに。


「でも、今のところこの上なく怪しいじゃないですか。そのおなごとかいう人」


 一気に真相に近づけそうだと、手がかりをつかんだという意味ではそのとおりで。

 ――ただ、なんというか、一気に進むのはいいのだけれども。


「なんだか話が上手すぎるような、上手く行き過ぎてる気がするわ」

「お姉さまの日ごろの行いが良いからですよ、きっと!」

「いや、そういうことが言いたかったんじゃなくてね……」

 とはいえ今それ以上言ってもしょうがないので、天香は光絢の問いにあらためて答える。

「とりあえずはどこまで知っているのか、そこを確かめてみましょう。作った人を本当に知っているのか、みたいなところから始めるのがいいかな。その上で、協力してもらえそうなら協力してもらう」

「協力してもらえなかったら?」

「盗品を持ち込んだのは間違いないのだから……栢里さんに頼むしかないんじゃないかしら。……あれ? その栢里さんはどうしたの?」


 そこで天香は気づいた。

 高栢里の姿が、いつの間にか消えていた。ついさっきまで、天香たちの後ろの仕切りに身を預けるようにして立っていたと思うのだが。


「あら? さっきまでいましたよねえ。いなくなるなら一言言っていけばいいでしょうに」


 言いながら、光絢も初めて気づいたようで、ぐるりとあたりを見回した。それに従って天香も少し首をめぐらせ――こちらに歩いてくる女性の姿を見つける。

 その女性は結い上げてから垂らした髪、そばかすの散った地味めな顔立ちに、はっきりわかるほど困惑の表情を浮かべている。年のころは天香よりは上。二十歳ほどだろうか、と天香は見当をつけた。服装は薄藍色の上着、裳には桃色の小花柄が散らされている。華美ではないが、質は悪くない。ただ、奥方と呼ばれるような人間の友人と呼べる格好ではない。侍女というのもなにか違う気がした。

 その後ろで、店主がこちらに笑顔で会釈を送ってくる。奥方さま、とやらの相手をするのでこちらには戻ってこられないらしい。

 店主は結局この髪飾りについて何も知らなかった。確実に何かを知っているだろうと思われるこの女性を問い詰めるのには、彼がいないほうがむしろ都合がいい。

 改めて女性を観察する。商人のようには見えない。女商人といえば天香が一番に思い出すのは玉晶だが、あるいは市場の行商や屋台にもいる。彼女達はどんな相手にもまず笑顔で――その裏で儲けの算段をしながら、とは玉晶の言葉だが――接してくる。商談の相手と紹介されて、不安をあらわにする人間はいない。商家生まれで、銘茶金針鳳華きんしんほうかを持ち込み、『後宮には商談に来ました』などと言ってのけたあの郭嬪もそういえば女商人のようなものか、と天香は思った。


「あなたがこの髪飾りをこちらに持ち込んできた、と店主どのに聞いたのですけれど、合っていますか?」


 会釈した彼女が口を開く前に、天香は先んじて声をかけた。もちろん責めるような口調にはしない。柔らかく、柔らかく。

 いっぽうで戸惑いを隠さずに彼女は応じる。


「あ――はい」

「それはよかったわ。わたしね、この髪細工がとても気に入ったの」

「それは……ようございました」


 いぶかしげに、突き放すように答えが返ってきた。

 それでなぜ自分が引っ張り出されたのか、という顔だ。――やはり、商機を前にした商人の顔ではない。玉晶ならば一気に食いついてくる。先ほどの店主もそうだったが。


「それで、これを作った職人さんについて聞いてみたいと思ったのよ」

「は、はあ」

「察しが悪いですね。奥様はあなたに次も品物を納めて欲しいとおっしゃっているんですよ? ……申し訳ありません、言葉が乱れました」


 光絢はしれっと取り繕う。本当にどこで勉強したんだろう。

 疑問を置いておいて、天香はさも今思いついた、というような顔で手を打ち合わせた。


「ああ、それとも、あなたがお店に来たということは、何か新作があるのかしら? 是非見せていただきたいわ。――重陽節にはお城に上がるから、そのときにつけられるようなものならなお良いわね」

「お、お城というと――」

「もちろん、天子様がいらっしゃるお城よ。他に何があるの」


 城と聞いたとたんに、彼女の顔色がさっと変わった。訝しむ顔から、明らかに不安に。


「どうかしら?」

「その、申し訳ないのですが……わたし、郷に帰ることになっていて、これ以上の仕入れは……」

「そう、それなら仕方ないわ。じゃあ、もう盗まれることはない・・・・・・・・・のね」


 その言葉を聞いて、視線を落としていた彼女の体がビクリと跳ねた。

 仕入れられない。つまり、彼女は仕入れ方を知っている。そして郷に帰るという言葉が、天香に更に一歩を飛ばして踏み込ませた。


「それじゃ、聞かせていただきましょうか。この髪飾りがどうしてここにあるのか」


 彼女はがばっと顔を上げる。目を見開いて、信じられないものをみるような目で天香を見つめて、ついでせわしなく視線を天香と光絢の間で往復させて。

 がたり。

 椅子を蹴倒す音が、小間物屋の中に大きく響いた。

 はっと我に返れば、身を翻して駆け出す女の背中が見える。店の中にいた人間の視線が、自分と彼女と倒れた椅子に集まっている。

 棚や卓の合間を抜けて、入り口に迫って良く彼女を追おうと天香も慌てて立ち上がった。それよりも早く、天香の襦裙よりも軽くて動きやすい襦裙を着て、そして天香とは違って立ったままでいた光絢が追おうとする。

 間に合わない。

 立ち上がりの遅さも致命的だったが、慣れない店の中で裳裾をひらめかせて走るわけにもいかず、走る速さ自体が全く違う。このままでは逃げられてしまう。せっかくつかみかけた手がかりが。彼女はもう広く開いている店先から外に出ようとしている。外に出れば、そこは市の雑踏の中だ。

 天香は息をすっと吸うと、声を張り上げる。正確には、そうしようとした。


「誰か、その人を捕まえ――え?」


 入り口から飛び出したところで見たのは、逃げようとした彼女の腕をがっちりとつかんだ、栢里の姿だった。




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