第6話:託された世界
俺は大声で叫んだ後、何も考えることなく、目の前の風景をただ眺めていた。
すると不意に、背後から声がかかる。
「何叫んでんだよ」
「カカ……っ」
恥ずかしい。
何でこのタイミングで来るんだ。
しかし、カカの表情は朗らかだった。
「ま、最初はそんくらいでいいさ。お前の思うように突っ走ってろ。そしたら、いつのまにか世界がお前に合わせて変わっているかも知んねえしな」
その言葉に、カカの一言が思い出される。
世界を変えろ、か。
何故、それを俺に言ったのか。どうして俺なのか。
そんなことは聞いても答えてくれないだろうということは、何となく察しがついた。
だけど……。
「世界を変える人間なんて、そんな大層なことを言わないでくれ」
「なぜだ? お前にはその力がある、そういった運命に憑かれている」
「違うんだ、俺は……」
俺は、そんなことを成せるような人間じゃないんだ。
母さんが死ぬ間際何も出来なかった。
そして、俺は……。
「俺は、人を殺した。そんな人間が世界を変えるなんて、いい筈がないだろ」
「たかだか人殺し程度で何言ってやがる。それに、人を傷つけることで、自分が傷つくことを怯えるような臆病者が世界を変えられるはずがない」
その一言に、心の中に何かが流れてくる。
心の臓に、黒いドロドロとした者が流れ込んでくる。
忘れようとしていた、感情だ。
「その、程度って……」
違うだろ。
拳が震える。唇を引き絞る。
カカは平然とした面持ちで、俺の方を見ている。
人を殺すことは、悪いことじゃないのかよ。
その人の全てが終わるんだぞ?
「おい、どうし――」
気づいた時には、カカのその矮躯の胸元を掴んで、叫んでいた。
「俺は……俺は人を殺したんだぞ?! 一人の人間を殺したんだ! まだ消えないんだよ、あの時の感触が! 俺みたいな人殺しに、この世界を変えろっていうのか?!」
そう罵倒されたカカは、だが。カカは表情を変えず平坦な顔つきで、一つ口を釣り上げ冷笑しながら答えた。
「どのみち、あの時お前が殺さなければ、お前が殺されていた。世界はそうやってできている。世界の変革なんて、屍を超えた先にしかねえよ」
「確かにあの時、俺は死んでいたかもしれないけど……、こんな気持ちを抱えて生きていくなら死んだ方がまし――」
すると、カカの表情が急変する。
そして、空気が怯えるほどに、恫喝した。
「甘えてんじゃねえぞ、クソガキが!」
その声に、俺は怯み、カカの胸ぐらを掴んでいた手を離す。
「お前は、人を殺したことを罪だと感じているようだが。それなら、それを一生背負ってろ! それが償いだ! 死ぬことで、自分の逃げ道を作ってんじゃねえよ」
「そんなの背負っていけない! 苦しいんだ、人を殺したと自覚している自分が。あの光景を思い出すたびに心が竦むんだ……っ」
「そりゃ、テメエが弱っちいからさ。たかが一人で、そんな怯えてんじゃねぇよ!!」
何なんだ。何なんだ、こいつは。
カカという人間に、不信感を抱く。
一人の人間の死を、たった、だと……。
お前は、お前は、自分の家族が死んだ時にも、同じことがいえるのか。
「確かにお前にとっては一人かもしれないけど、それでも、それでも一人の人間だ! 俺と同じ、人間なんだ! お前になにがわかる?!」
「分かる、さ……」
すると、カカは俺から目を背け、明後日の方向へと視線を向ける。
「わかるさ、辛いよなあ、人殺しは。痛いよなあ、殺した時の心は。人を殺した罪悪感も、それへの贖罪を求める哀れな自分の姿も」
「カカ、お前は一体、なにを見てきたんだ?」
「お前が、今から生きる中で見ていく物と同じ物さ」
憂いたその声音に、俺は返す言葉もなく、立っていた。
すると、カカが一つ問うた。
「なあ、セア。お前は殺す瞬間、少しでも躊躇ったか? 剣先は鈍ったか?」
その問いに、思い出す。
俺は、俺のあの一閃に、ただ一つの迷いもなかった。
「いや、それは……」
「なら、お前はそういう才に生まれついた。人を殺し、自らの生を渇望する運命にある。それだけじゃねえか」
そう、なのだろうか。
この世界では、人を殺すことは、悪ではないのだろうか。
しかし、母さんは言っていたのだ。
人の命は尊いものなのだと、例えどんな道を行くことになろうとも、人を殺めるような道を選ぶなと。
だが、母さんが言っていたその言葉に今となっては矛盾が浮かぶ。
そんなことを言うなら、どうして俺にこの刀を渡したんだ。
会って、聞きたい。
あのとき、どうしてそんなことを言ったのかを。どうして、俺に”人を殺す道具”を託したのかを。
頭の中で無数の網が絡まっていくような感覚にとらわれる。
何が正しいのか、どう思えばいいのかが分からなくなり、逡巡する。
すると、隣のカカが俺の背中を思い切り引っぱたいた。
静かな平野に、新鮮な音が木霊する。
「そんな陰鬱にしてんな。こんなクソ広い世界で、一丁前に悩んだところで、それはただの思春期の餓鬼が騒いでいるだけにすぎねえっての」
そう言われ、少しだけ俺の心が晴れた気がした。
だけど、それでも拭えない物があった。
しかし、それを少しずつ心の奥に閉じ込め、蓋をする。
いつこの罪悪感が蓋を開くか分からない。
だけど、その恐怖を吹き飛ばすほどの盛大な声でカカは言った。
「お前はせっかく今から旅に出るんだ。もっと広く大きな目で世界を見てみろよ!!」
星だ。
そう言われて初めに目に入ったのは、星だった。
「星って、あんなに綺麗だったんだな」
「今更何言ってんだっ。それよりセア、知ってたか?星ってのはその日を生きる者たちの輝き何だぜ?
天板の星は、この世界に存在してる人間と同じ数だってんだ。
お前の星もどっかにあるはずさ」
「俺の、星……」
夜空を見ていると、途方もなくなっていく。
俺はなにで悩んでいたのだろうかとさえ思わせるほどに。
俺の星、か。
あるといいな。
もしもあったら、どんな星なのだろうか。
大きい星か、小さい星か。
明るいのか、暗いのか。
そんなことを思っているとカカが再び話し始める。
「……なあ、セア。これは俺の頼みなんだが、一緒にルビンもその旅に連れてってくれねぇか? あいつは今までずっと一人だったんだ。一緒に旅してあいつに世界の素晴らしさってのを教えてやってくれないか」
「ルビンを……? もちろん、いいぜ。それに俺一人じゃ何かと不安だし」
「だろうな。それにあいつには漂霊紋になって世界を彷徨う以前の記憶がないんだ」
「漂霊紋?」
「あぁ……、言ってなかったなーー」
――――漂霊紋。
紋章は人間が肉体と精神、両方の死を迎えた時、紋章は主の体を離れる。
それから新たな生命の誕生を見つけるために世界を放浪している紋章が漂霊紋だ。
紋章が新たな主を見つけた時その生命の誕生と共にその肉体に宿ると言われている、まるで一種の精霊のように。
しかし紋章器は主を探そうと漂霊紋となろうとしているところを無理矢理取り込んでしまう。
だから、紋章器が出現したことで紋章そのものの均衡が崩れつつあるそうだ――――
「ま、そういうわけだ。ああいう人型になれる紋章も稀でな、俺もあのタイプは初めて見たんだ。あいつも謎が深いぜっ?」
「まっ、そんなもん俺が全部暴いてやるさ」
俺とカカは笑い合う。
カカはイタズラ好きの無邪気な子供のような笑顔を向けながら地面に座り込み足を延ばし同時に両手を後ろにやり支えにする。
見た目はほんとに幼い子供のようだがその実、色んなものを見て、背負ってきているのかもしれない。
「そういえば手紙の話だが……。お前紋章器集め、するのか?」
紋章器集め……、か。
手紙によると、この世界は天・魔・人界郷に分かれているそうだ。
だけど今、その均衡は壊れつつあり三郷すべてを巻き込んだ聖戦が起こると言われている。
そして聖戦が起こると間違いなく人界郷が初めに滅ぶ。
それを止めるためには紋章器を全て集める必要がある……。と、母さんの手紙には書かれていた。
母さんは、どこまで世界のことを知悉しているのだろうか。
「俺は……、やろうと思う。それが、俺が人生の中でやるべきことのような気がするから。俺一人の人生でこの世界を救えるなら、自分の人生なんて喜んで差し出すよ」
「そうか。かなり修羅の道になるけどな。まあ、一回の人生だ、人間は寿命が少ねぇんだから好きなようにやればいいさ」
人間の寿命……、か。
まるでカカが人間じゃないみたいな言い方だ。
少し冷たい風が気持ちいい、不安や恐れすべてを吹き流すかのように優しく体を吹き抜ける。
「お前はまだこの世界のことを何も知らねーから分かんねーだろーが、今の世界、俺は結構気に入ってる。まあ今でこそ崩壊で経済はメチャクチャだが、聞いたとこによりゃ王が集って戦争の計画も立ててるって話だ。だけどな、平和すぎて何も起こらなかったあん時より、今の方がずっと楽しいんだよ」
「俺には……、分からないな。世界の事なんて何にも知らないから。やっぱり15年間あそこで過ごして、得たものなんて雑多な知識と技術。後は……」
……家族。揺るぎないはずの日常。そして……。
「……居場所」
「そんだけ得てりゃ、充分だ」
カカはそう言って見上げた夜空に、まるで独り言を言うように語りだす。
「俺もな、ミレノアから言伝の手紙をもらってたんだよ。自分がしっかり刀を託してお前を旅立たせたら俺のとこに来るように言う予定だったらしくてな。しっかり世界に旅立たせてやってくれって書いてあったんだよ。足りない知識も突っ込んで思いっきり背中を押してくれって、な」
「やっぱり会ってたんだ」
「まあ、な。ありゃ確か、崩壊の次の日の話だ。突然、赤ん坊のお前と手紙を俺に預けて1日滞在した後去っていた。不思議な人間だった。どこか、魅力的だったしな」
「母さんが、俺を拾って……。カカは俺の本当の両親を知ってるの?」
「……知らねーな」
「そっか。でも、俺にとってはミレノアが、母さんだ」
広大な天板に張り巡らされた星々は点滅を繰り返す。
「聖戦も世界も、分からない事だらけだ。これからの事を考えたら、不安でしかない」
正直、聖戦を止めるためなんて言われても、はいそうですか。と旅の目的に出来るはずなどもない。
「聖戦、か。まあありゃ、簡単に言えば天界王、天神と魔界王、魔神が人界郷でガチの喧嘩をおっぱじめたっつー話だ。結局は最終戦争で天神オリュンポス達の神罰とルシフェルの死によって終わったはずだ。ま、今じゃ創世記なんてもんに大量の装飾つけて語られてるが、ありゃぁ唯の地獄だよ」
「人間は、どうなったんだ?」
「8割だ。新生した途端に8割。逃げ回るだけで何とかなるわけでもねーからな。本来、天神やら魔神と同数のはずだったがそこらで見てる神が創り方でも間違えたんだろ。人間は決定的に弱すぎた」
「そんな。でもルビンには、もう聖戦から3000年経ったと聞いたぞ」
「その聖戦がもっぺん起きるんだ。おそらく、レピア崩壊を機に、な。そいつを止めれる可能性があるのは、今んとこお前しかいねぇってだけじゃねーの」
「はは……っ、いきなり全人類の命運を背負わされたのか、俺。何か、全部嘘みたいな気がするよ」
「だといいがな。ま、人生をかけるって意気込みは嫌いじゃねーがな」
カカは寝転んでいた体勢を起こす。
「ま、こんな過去の話なんて俺らにゃどーでもいーんだよ! この世界は今、確実に歩を進めてる。その内俺の見解じゃ図りえないようなどデカイ事が起こるさ」
「どデカイ……、こと?」
「あぁ、例えば全世界を巻き込んだ戦争……。とかな?」
「戦争って。それじゃあ結局、人は……」
「死ぬさ。どの時代でも結局人間共は常に同じ種族が死ぬことを欲している。まとまらずバラバラの思考でな。そういうぶっ飛んだ訳が分からなさが俺を彷彿とさせやがる」
「でも、やっぱりそれを良しとしない人もいるんじゃないか? バラバラなのも、まとめあげる人がいないからなんじゃ」
「そう。そうだよ、そこだよ。今のこの世界には王がいない! レピア王が死んで、各国の王に権力は分散されたはずだが今なお世界情勢は大きく動いている! 何より各大陸で最も強い権力者達が息を潜めて覇権を狙ってるんだからな!」
すると、カカは爛々と目を輝かせる。
「いいかよく聞け! 今の世界はまさにバトルロイヤル状態! ハクラン大陸の《第六天魔王》織張信王! ディルヴィア大陸の《偉大なる帝王》ハールー・バッ=ザシード! カナビシ大陸の《劉皇叔》劉漢! パルディア大陸の《聖騎士王》ペンドゥラム・アーサー!! こいつらだけじゃねえ。全世界の王が今も力を蓄えて来る戦争に備えてやがんだ! それにほぼ全員が紋章器使い! もうワクワクが止まんねえよ!」
興奮して語るカカの表情は、初めて身長相応の子供らしさが溢れ出していた。よほど好きなのだろう、声のトーンが強い。
捲したてるように言われたため、しばし言葉に詰まるが。
「すごい……」と感嘆の吐息を零す。確かに今、この世界は大きく動き出しているのかもしれない。
「本当、羨ましいよ、お前が。こっから自由に好きなだけ色んなとこに行けんだからな。俺ぁもうここでチマチマ入ってくる情報で想像するしか出来ねえんだからな……」
カカの表情が悲哀さに転化していく。
かける言葉が見つからず逡巡していると、カカはそれを吹っ切りながらまた夜空を見上げて人知れず呟いた。
「ぜってー、見てやるからな。この世界の全てを」
「カカ……。いつかまた、お前に会えた時、世界の色んなことを話してあげるよ」
「ふっ……。そりゃ楽しみだ」
すっかり夜の帳も落ち再び眠くなってくる。
「セア、お前もそろそろ寝ろよ」
「わかった」
俺はそう言って洞穴に戻ろうとするが。
「っと、そうだ待て。今日はここで寝な。ちぃとばかし寒いが火魔法があるから何とかなる。野宿の訓練もしとかねぇといけねぇだろ。見張りは俺がやっとくよ」
まるで寝なくても平気かのようにそう言う。
「それじゃあ……、お言葉に甘えて」
草を褥にし、横になる。
草がしんみり冷たい、植物特有の香りが鼻をくすぶるが直ぐに慣れる。
まるで俺を包み込むかのように草原は静かに夜の風にうたれる。
そして俺は、ゆっくりと瞼を閉じていった。
さて、ルシフェルやらアーサーやら、色んな名前が出てきましたが登場するのはもう少し先です。
紹介文にもありましたが、この作品は”この世界”をモチーフにしています。
なので至る所に歴史の史実や、詩文、エピソードなどがコッソリ紛れていたり堂々と出てきたりしています笑
そんな小ネタも楽しんで頂けると幸いです^ ^
次回は一章の最後です。お楽しみに!