第5話:紋章器、破滅か救済どちらを世界に齎すか
「世界を変えろ……、だと?」
「あぁ、お前の紋章にはその力がある。まあ、そんなもんはまだまだ先の話だ。頭の隅っこにでもおいときゃいい」
そう言いながらカカは足を崩す。
夕日は少し傾き始め洞穴の静けさに拍車がかかる。
少し湿り気を含んだ濃茶の岩肌がどこか孤独感を醸し出す。
ゆらりとした影法師が少し見える外の景色に佇むように陰る。
それにしても俺の紋章って一体何なんだろうか。
聞きたいけどカカの言う通り、これは自分自身の力で見つけなければいけないものだ。
その紋章が自分にどんな影響を与えようともどう人生に干渉していこうとも、受け入れる覚悟はしておかなければいけない。
先ほどまでの記憶を辿りながら、ふと疑問に思ったことがあったのでカカに聞いてみる。
「なあカカ。俺……、人を殺……。殺した時に何かが光ってこの刀に吸い込まれたんだ。それって何か分かるか?」
人を殺す。たったこれだけの言葉を言うだけで、精神が磨耗したような錯覚さえ覚えてしまう。
「あぁ。そりゃぁ、それも紋章だな。そっうだ、お前ちょっと手ぇ出してみろ」
ふいに、そうカカに言われ右腕を差し出す。
「いいか、これからやるのは紋章発動の基本だ。ゆっくり目を閉じて手の甲に意識を集中させろ。それから光が吸収されたときお前の頭に浮かんだイメージを思い出せ」
言われた通りに意識を集中させ、あの時の光をイメージする。
すると、突然手の甲に何かの丸い紋様が浮かび上がり、くっきりと刻まれる。
赤く光る円の中に尖突の衝撃波が螺旋を描き絡まる、一本の剣を連想させるような紋章が出現する。
そして何だろう、不思議と力が湧いてきた。
……気のせいかもしれないが。
「これは……?」
「それがおまえが殺したやつの紋章だ。浮甲使用紋って言ってな、能力を使うとき紋章が浮き出るようになってんだ。コツは甲に意識を持っていく……って、出来てんじゃねえか。……何の紋章か、分かんだろ?」
……なんとなくだけど、分かる。
紋章を見ているとうっすらと2つの文字が脳に映し出される。
この紋章の名は……、”一撃”
「これが……、紋章」
一撃ということは俺の攻撃力が上昇したりするのだろうか。だけどこの二文字があの青年の人生に何かしらの影響があったのは確かだ。
「あぁ、言っとくけどある程度使いこなさなきゃその紋章使うことできねぇからな。まあ、ずっと持ってたらそれなりに機能するようになるさ」
いつかきっと、使う時が来るのだろう。
「そっか……。じゃあどうして紋章は俺のものになったんだ?」
「それは、お前がミレノアから受け取った紋章器の力だ――」
――――紋章器。
これは迷宮塔踏破者に塔龍から与えられるものだ。
この紋章器を使用して人間……、紋章を所有するものの生命を断ったときその人間の紋章を全て吸い取る……。要するに奪うことになる。
そして……、紋章器の真の力を発動させれば国一つ滅ぼすことなど容易いという――――
その事を思うと、どうにもこの紋章器……。【神器を喰らう妖刀アマユラ】が神秘的な物に思え、矯めつ眇めつする。
だけど……。この刀は、人を殺す道具だ。
それだけは、どうにも受け入れられない。
「それにしても、こんなすごいもの……。どうして母さんが?」
「さぁな。だがあいつには何かがある。一回しか会ったことがねーから良くは分からねーがな。それに……、紋章器も使い方によっちゃぁ世界を破滅にも救済にも導けんだ。今、この世界の権力者達はこぞって紋章器の確保に勤しんでいるだろうよ」
そう言いながらカカは後ろにかけてある一本の杖を手に取る。
複雑な彫刻が施されていて杖の先端は三枚の板が重なったようなデフォルメだ。
カカはその杖を軽く一振りする。黄色の粉塵が舞い風に流されるようにして隣の洞穴へと漂う。すると隣の洞穴からガタゴト、と音を鳴らしながら鎧がまるで意思を持っているかのように歩いてくる。
それに続きながら見慣れない巾着袋が跳ねながらやってき、手紙が鳥のように羽ばたき目の前に舞い降りる。
「ミレノアから、お前への預かりものだ」
そう言われ隣の洞穴からやってきたものたちをみる。
不思議な現象に奪われていた目を現実に引き戻し預かり物とやらを見る。
一つは防具の様なもので一見普通の衣服に見えるが全体が鋼のような金属で編み込まれている。
紫と黒の色調をモチーフにした俺好みの配色だ。
そしてもう一つは腰につけるタイプのポーチ、最後に茶呆けた一通の手紙がそこに置いてあった。
「その防具……。”紫式を評る繊鎧”って言ってな、かなりの高性能もんだ。……って、驚いた顔すんなよ。防具無しでその辺をウロついてみろ、それこそモンスターの格好の餌食だ」
「モンスターって、やっぱり人を食べるのか?」
「もちろん、物によるがな」
そう言うと、カカは重い腰を上げ、ルビンに一つ耳打ちをする。
すると、ルビンは立ち上がり「それじゃあっ!」と何処か嬉々として隣の洞穴へと行ってしまう。
ルビンの露払いを終えたカカも、それに続こうとした時、俺の方を振り向き言った。
「セアその手紙な、ミレノアからお前宛にだ。俺らは席外すからそれ読んでろ」
カカが指差す方向に置かれているその手紙は随分年季が入っていておそらく10年は軽くたっているだろうと思われた。
「読む前に、そんな軽い手紙じゃないってことだけは覚悟しといたほうがいいぜ」
そう言って隣の洞穴へと移る。
ルビンは再び笑いを堪えながらカカについていく。
手紙か……、何が書いてあるんだろうか。そっと中を開けると、しわくちゃになった紙が二枚重なっている。
手紙を開くとしわがよっていてお世辞にも上手いとは言えない字が敷き詰められている。
……かろうじて読める、か。
そう思いながら、読みやすいよう姿勢を崩す。
母さんが書いた俺への最後の言葉……。
どんな内容だろうと全てを受け入れよう、と少しの覚悟を決める。
そして俺は静かにそれを読み始めた。
⌘⌘⌘⌘
世界って何だろうか……。
何度も脳内で反芻する。
そして手紙を読んでからずっと物思いに耽っていたため、目の前で行われていたことに気がつかなかった。
「喰わねぇの?」
「……えっ?」
ふいなカカの声に驚く。
読み終わってから結構時間が経っていたようで、気づけば目の前には簡素な食事が出されていた。
どこかの山菜と焼いた肉が広げられていて隣でルビンが一生懸命頬張っている。
「セア、手紙……。なんて書いてあったの?」
口の中でモグモグしながら聞いてくる。
なんて書いてあったか……、か。
一言で表せられるものではなかった。
たくさんの事が脳内で右往左往する、どう整理をつけたらいいのか分からない。
「まとまったらまた教えて」
こっちの意を察したのか再び食事に手をつける。
大方なくなりつつある食べ物にちょっとずつ手をつけながら考える。
……母さん。
母さんとの日常が蘇る。あの日々はもうない。
ろくに、親孝行も出来なかったけど、俺が生き残りだという事は、母さんは母さんではない……。ということなのか。
手紙では母さんは俺をレピアで拾ったと書いてあった。母さんはーー俺の本当の母親ではないんだ。
父さんだけではない。本当の母さんも……、いたんだ。
だけど、思い出そうとしても全く思い出せない。まるで、何かに阻害されているかのように。
思い出すのをやめ、黙考を続ける。
レピアが滅んだのは15年前、だが俺は17歳だ。
ということは……。俺は、”両親と2年間、レピアで共に暮らしていた”ということになる。
あの夜……、一体何が起こったんだ。もしさっき見た夢が崩壊の時のものなら、どうして俺は両親に抱きかかえられて死んでいたんだ。
疑問が疑問を生み、その連鎖は断てない。
だが、俺はあの夜の真実を知りたい。紋章器を集めた先に、それが見えるのなら……、俺は人生を懸けてでもその真実を知りたい。
母さんに……、ミレノアの手紙に世界を託された。
俺にしか出来ないこと……、なのか。
それにしても、母さんではなかったミレノアとは一体……、何者だったのだろうか。
……自分が、あのレピア崩壊の生き残りだということに、母さんが二人もいるということに、あの夜の見えない真実に、母さんの死に動揺し混乱している。
少しだけ、心からこみ上げてくるものに目頭が熱くなる。
例え、実の母でなくても、ミレノアは俺の母さんだ。母さんは……、死んでないと心の片隅で叫ぶ俺がいた。
だが、僅かな可能性も、隣で飯を頬張るルビンを見ると全て消し飛んだ。そういえば、ルビンは集落に大技を打ち込んでいた。あれなら……、生きていてら助かるのだろうか。
高揚感と失望感が相克し、混濁した精神を懸命に抑え、気持ちを切り替えようとする。
いつまでも陰鬱になっていてはいけない。それこそ、母さんに前を向け、と言われそうなものだ。
悲哀を無理やり押しやり、これからのことを考える。
……少しだけ、ワクワクしていた、この世界を救うそして変える。
そんな大それたことより大きな冒険が待っていると思うと無性に楽しみになってくる。
何せ全てが初めてなのだ。
俺の人生を賭けて世界を巡ってその中で運命とやらを受け入れる。
その先に何があろうと……。
「んだよセア、ニヤニヤしやがって」
……カカの一言で台無しになった良い感じの雰囲気の喪失感を埋めんと返事を返さず肉を頬張り、どこから仕入れて来たのか分からない粗雑な馬乳酒を飲み干す。
……口の中で両者は一時相克するも、互いに互いを認めたように縫合し口の中でとろけていく。なかなか美味い。
「それじゃっ、私もう寝るねっ!」
すると、突然ルビンが寝転ぶ。
食べてからすぐ横になると豚になる……。いや、牛になるぞといいかけてやめる。
一応ルビンも女の子だ……、紋章とは言えど。
いつの間にやら用意してあった寝具を下に引き横になる、そのまま寝る体制になる。
「なんかテンション高いな、ルビン」
「だってヒトの姿で寝るのは初めてなのよ! 気持ち良く眠れるってカカ様も言ってたから楽しみなの!」
そう言ってウズウズしながら横になる。
これはちょっと間寝れないやつだな……。
「ちょっとセア、あんた私が寝るまで見てるつもり?」
なんか変態でも見るような目でみられ軽く傷つきながらそろっと立ち上がる。
「なわけないだろ! ちょっと外出てくる」
そう言って洞穴から外へ向かう。
細長い通路を抜け外に……。
サァッ……。
風が、吹き抜けた。
バサッ、髪がなびく。
長く生えた草の感触が、足に伝わる。
澄んだ空気を、胸いっぱいまで吸い込む。
辺りは、一面草原だった。
そして夜空の天板には、満点の星たち遍き広大な大地を藍色に染める。
こんな荘厳な景色……、初めて見た。
「……すごい」
なんて……、綺麗で壮大な世界なんだ。
この世界に、向かって大声で叫びたい衝動に駆られる。
一気に色んな事が起こりすぎて、心が安定しない。
母さん……。
思い出そうとすると涙が溢れそうになる。
「俺はっ、この世界で!! 生きるんだッッ!!!! 薄っぺらかった人生に……、俺の生きた重みを乗せるんだ――っ!!」
夜空の天板に向かって、空よ裂けよとばかりに叫ぶ。渺茫とした平野一帯に、俺の声が響き渡る。
全てを吐き出し、少しだけスッキリしたような気がした。
執筆開始してから一ヶ月が立ちました……早いようで短い……。