第55話:光榮は世界と聖神に帰す
―――――――― 主の祈り ――――――――
目の前には天をも突かんほどの鉄壁が聳え立っていた。
「これは……、すごいな」
「ここビラガ国の政令都市。鋼鉄都市ビラガルドは11年前のレピア崩壊での二次災害……、襲性生物の脅威を防ぐために造っているみたいよ」
相変わらずの物知りミサ博士に心の中で賞賛を送りながら馬から降り、門の前で半分眠りこけている門番に話しかけようとする。
これまで何度も乗り換えてきた馬だが、こいつが一番長く付き添った。
優しく背を撫でながら手綱を引き、近づく。
「ついでにこの壁を造ったのは前国王のお妃様の特異能で……」とミサ博士は説明を続けていた。
門番は近づく俺に気づき表情を険しくさせる。
その厳しさに数瞬たじろぐがすぐに言葉を脳内で選び並べる。そして、特に気負う風もなく話しかける。
「旅の者なんだが開けてくれないか?」
「旅人……?」
「あぁ、<零暗の衣>って言えば分かるかな?」
その習慣、門番は目を見開く。ここらで俺たちのギルド名を知らない者などほとんどいないはずだ。
そして、何か戸惑うような素振りを見せる……、だが一人で何かを決めたのか、
「良いであろう」
そう言いながら門を開けていく。
「ありがとう」と声をかけ門をくぐる。
それに釣られるようにそれぞれが門番に挨拶をしながら通っていく。
門番は全員通すと自分も門から中に入り、内側から門の鍵を閉めるとどこかへ走り去っていった。
俺は街並みを眺めながらゆっくりと歩を進める。
だけど……。何だろうか、この暗さは。
もうすぐ夕暮れ時で夕日が照っているものの人の気配がまるでない。
戦線都市ベリオローザとは少し違う。
地面には最近付いたような鮮やかな鮮血が飛び散っている。
「なんか息苦しい街だねー」とキリーナがマイクに話しかける。それを適当に押収しながらマイクも少し顔を歪める。マイクとキリーナは絶賛恋愛中だそうだ、非常にどうでもいい。
いくらか経つと恐らく都市の中央であろう広場へ着く。階段状になっており、中央へ向かうと共に窪んでいる。その風景を記憶に留めながら振り返る。
「取り敢えず先に宿を取って馬宿舎を探そう」
その声にミーニアが答える。
「それなら、さっき、それっぽいの、あった、よ」
ミーニアが指差す方を見ると、確かにそれらしい看板がある。それに、すぐ近くだ。
「じゃあ宿を取ってくるからみんなは少し待っててくれ」と言い残し、馬をミーニアに任せて宿らしき家へ向かう。
辿り着くとチラ、と看板を見、再度宿の看板であることを確認してから扉を開ける。
カランコロンと趣のあるベル音が鳴る。
宿で正解だな、と思うように一般的な宿のつくりになっていた。目の前にカウンター、そのサイドに階段があり左右に通路。何度も見た光景だ。
すると、女将らしき人間がペンを回しながら何かの本を読んでいた。
「すいません、ここに泊まりたいんですが」
「何人だい?」
「20人だ」
「悪いね、ここは17人しか泊まれないよ。
上に14、下に3だ」
「他の宿はあるか?」
「あぁ、城の方へ向かっていきゃあるよ」
何とも無気力な様子で応答する。
そもそも、目が合わない。何かに怯えているような、そんな気がする。
「そうか、なら取り敢えず17部屋頼む」
スレイアとサクヤでも誘って向こうに泊まるか。
そう思いながら要求された6800pを支払う。
17個の部屋の鍵を受け取りながら、一人一部屋じゃなくても良かったか。と後悔するがもう遅い。
一部屋何人かを聞き忘れたのは自分の落ち度だ。
まあ、きっと最後の宿になるだろうから一人でノンビリするのもいいかもしれない。
そのまま再びカランコロンという音を聞きながらみんなの元へ戻る。
「宿だったみたいね」
「のようだ。んでスレイアー、サクヤー、ここ17部屋しかないみたいだから俺らで向こうの宿泊まるぞー」
そう声をかけると、
「分かった」「オッケー!」と返答が返ってくる……、が。
「あ、あの……、さ。ルナート。ちょっと話があるんだけど」
「ん? どうした? エリシャ」
「ここじゃあれだから向こうで……」と、路地裏へ引っ張られる。ある程度奥へ行ったところでエリシャが顔を真っ赤に染めながら口にする。
「あの……、その……。実は、さ。3人、向こうでしょ? こんなの頼めるのルナートしかいないんだけど……、その。わ、私……、今日ミリアムと一緒に泊まりたくて」
あぁ……、そういうことか。
まあ、そっとしておいてやろう。
「分かった、なら俺とミリアム、エリシャで城の方に泊まろう。俺もまあ今夜は散歩でもしておくよ」
「ありがと……」
そう言いながらエリシャはバタバタと来た道を戻る。
まあこの程度の話ならみんなの前で言った所で水臭いぞー、程度で終わりそうな話だ。
何十年と一緒にいるのだからある程度の秘密なんてすぐにバレる。
みんなの所に戻り「サクヤー、スレイアー。さっきの話なしー」と声をかけ、
「それじゃあ今日はこれで解散だな。また明日この宿前に集まろう」
そう言ってからエリシャとミリアム以外に鍵を渡し、同時に馬宿舎へ馬を置き各部屋へ向かわせる。
これでまあこの二人が一緒に泊まると知るのは後のことになるだろう。裏に馬宿舎があったので、みんなは馬を引きゾロゾロと向かっていく。
渡しながらミリアムの隣に立ち止まり「ま、上手くやれよっ」と呟く。
「ありがとう」とミリアムが言い終わる前に残りのメンバーに渡していく。
そして、最後のミサに鍵を渡そうとすると押し返された。
「私、城の方がいいのだけれど」
「え? あぁ、いやまあ……」
「大丈夫、事情は知っているから空気は読むわよ。そもそもあの二人は朝からソワソワしすぎなの」
「またお見通しかよ。じゃあまた明日、ミサ」
「えぇ、また明日」
そう言いながら俺は馬宿舎へ向かう。
「おやすみ」と消え入りそうなミサの声が届き振り向いたときには、既にミサは広場に向かって歩き始めていた。
それを見送ってから俺も馬を引き歩き出す。
路地裏が……、さっき見たときよりも暗く見えたのは、きっと気のせいだろう。
⌘ ⌘ ⌘ ⌘
朝日が街に差し込む。
道端には使い古された鉄器や銀食器が散らばっている。
北側に聳え立つビラガルド城は朝の日差しをサンサンと受け止め、その鈍色の城壁で禍々しく反射し城下を照らす。
まだ眠気まなこの者もいるが周りのみんなは張り詰めた空気を時節吐き出す。
「もう1時間……か」
そう呟くと広場の方からスレイアとキリーナが走ってくるのが視界に入る。
その表情を見て、思考する。
良的原因なら都市外の可能性、又は道はぐれ。
だが、悪的原因……。誘拐、もしくは既に。
ミサがいるのにそんなことが起こるはずがない。
そう思念するも焦りと恐怖の汗は止まない。
「やっぱり、宿にはいなかった」
「馬宿舎も馬は1匹もいなかったよー」
二人の情報に、仮定をリセット。
再び黙考にはいる。
あの3人のことなら、待ち合わせの時間に1時間も遅れるなどありえない。
ましてやミサも一緒にいるのだ。
死……。
不吉な言葉が次から次へと浮かんでくる。身に纏う黒衣がいつもより重い。
今朝方、城の方の宿に泊まったミサ、ミリアム、エリシャが集合場所に来なかった。状況は2人の報告通り。様々な可能性が潜んでいる。
唐突に仲間が消えた。だが……、それで狼狽えるようなヤワな人間はこのギルドにはいない。
「聞け。今から全員でこの都市中を探す。ツーマンセルでマップ区分の各配置範囲にある全ての痕跡を洗い出し、虱潰しに3人を探しだせ。見つけたらこの場に来て待機。正午にもう一度集合だ。……散っ!!」
何年ぶりにこんな緊迫した指示を出しただろうか。
だが冷え切った思考はまるで暗殺士時代の時のように何もない。
全員が八方に散るのを確認すると即座に足を滑らせる。走り出した足を止めず、目に付いた家の突起物に足をかけ軽々と屋根に上る。
それを黙視したスレイアは俺の意図を汲み地上からの索敵に入る。
ミサ、ミリアム、エリシャ。
都市外へ行っていると仮定したが、この3人が何も言わずにどこかへ行くはずがない。
必ず……、何か起きている。
血眼になって探す脳内に、何故かミサの笑顔を思い浮かべることは出来なかった。
どこにもいない。
そんなことは、心のどこかで分かっていた。
馬の足跡はない。
そんなことは、心のどこかで分かっていた。
血の痕跡はない。
そんなことは、心のどこかで分かっていた。
どこにもいない? 地下は? 家の中は?
馬の足跡はない? 抜け毛は? だ糞は?
血の痕跡はない? 他の血に紛れてないか? 血の彩度で経過日数を測る方法は教えてもらっただろう?
次々と皆の報告に疑問符が足され、混濁する。
だが、リックのオラクルで三人の源素力を探知したところ少なくともこの街に反応はなかった。
だが、微量のルーンがビラガルド城に張ってあるらしくそこだけは確実ではないそうだ。
考えられるのは……、都市外、城内。
「全員馬の用意をしろ、都市外を探す。もしも誘拐の類ならそう遠くへは行っていない。次はスリーマンセルだ。集合は明朝。俺は城に潜入する、ミカも付いて来い」
俺とミカはみんなが地下都市から解放され転職したとき、敢えて暗殺士のままここまで来ていた。
だからこそ、勘は鈍っていないはずだ。潜入は、今のみんながやるには荷が重い。
それぞれが、何かを言いたそうな顔をしているがグッと堪えている。
仲間の死は、何度も経験している。平和な日々が続いたせいか、それが当たり前ではなくなっていたせいか……、心の穴が再び開いているようだった。
「散」
俺のその声に再び、全員が走り出す。
黒衣を靡かせながら、苦衷を押し殺し、己の心を殺していく。
この感情は何年ぶりだろうか。全身の血液がゆっくりと、凍りついていく。
「ミカ、行くぞ」
その声に頷くミカの表情に戸惑いと疑念がよぎる。
「迷うなら、置いていく」
「悪い」
ミカの紅の髪が太陽の光を浴び燃えるように煌めく。
鋭利な瞳の奥に朧な光が宿っている。
俺たちは路地裏へと入り込み隘路を颯爽と走り抜ける。
途中、道端に蹲ったり足を抱えたりしている浮浪児や路上生活者、果ては死に崩れた死体が積み重なっている。
門番や街の様子からあの城に正面から入るのは不可能だと感じていたが……、嫌な臭いがする。
まるで見えない糸に手繰り寄せられているような、裏で何かに操られているような。
猜疑心が思考回路を蝕んでいく。
だが、今はただ……。ミサたちを見つけ出すだけだ。
見慣れていた黒の衣が一段と陰るかのように黒く染まる。
空の光は少しずつ陰りいつしか曇天がかかり、ビラガルドは暗く包まれていった。
⌘ ⌘ ⌘ ⌘
城の中には、ミサたちの痕跡となるものは何もなかった。
食堂らしき場所で食料を頂戴しミカと城壁塔にて暖を取りながら腹を満たしていると、唐突にその現象は起こった。
街の中心……。おそらく階円広場と呼ばれるそこに、突然篝火が焚かれたのである。もうすぐ日が沈むため、その為かとも思うが違う。
俺とミカは咄嗟に食料を胃に詰め込み、再びパルクールの用意を整えるがしばらく身を潜め様子を見ることにし、ゆっくりと階円広場へと向かっていく。
夜空の天板には煌々と星々が瞬き、身を切る風がいつもより鋭利に肌を裂く。
少しずつ光源が近づいてゆく。
屋根伝いに来たが一度路上へと飛び降り、裏路地の影から覗きこむように階円広場の光景を見る。
――だが……。その情景を見、状況を把握した時には、既に己の自我はなかった
ミサが、ミリアムが、エリシャが皆、黒き十字架にロープで吊るされており、足元には裁断鋏を持った処刑人らしき人間が待機している。
初めて見る住人たちが、まるで亡霊のようにそれを取り囲み処刑のようなそれを静かに眺める。
そして、視線を移すと豪華な玉座が目に入り、幼い少年がそこに座している。
国王か……。
まさか、これから公開処刑でもしようと言うのか。
ふと、隣に立つ側近であるかのような男を視界に捉え、脳でその人間の容姿を確認した途端。未だ嘗て感じたことのない悪寒と恐怖の鉄塊が体中に重しのようにのしかかる。
必死に抑えていた混乱、焦燥、憎悪という感情が溢れ出し、今にも駆け寄ろうとするのをミカに止められる。
何故だ……。何故!?
何故――”イスラル”が、ここにいるッッ!?
すると、驚懼する思考を逆撫でするような、ずっしりとした粘着質な声が俺の真髄をしゃぶる。
「お久しぶりですねえ、お二方」
嫌悪衝動を掻き立てる不気味な声でイスラルは俺たちに大声で声をかけた。
気づかれている……っ。
隠れるのをやめ、俺とミカは路地裏の影から出て行く。
住人たちはチラリと俺たちを見る。
その中でも一人、全てを諦め死んだような目をした、右耳に銀色のピアスを付け赤色の服を着た金髪の少年が目に入る。
昔の自分を見ているようだ。
この世の不条理に嘆くこともままならず、ただ流れ廃れていく時に身を任せていたあの頃の俺と同じだ。
恐怖の表情を浮かべていたミリアムとエリシャの顔が急激に明るくなり、ミサはまるで来るのが分かっていたかのように冷静な表情を崩さず俺を見る。
すると、玉座に座る国王らしき人間が口を開く。
「イスラル卿。あの二人は?」
「ンフフフ。彼らはワタクシの実験材料ですよ。まさか再びお目にかかることになるとは……。世の中狭しとはまさにこのことですねえ、ンフフフ」
その歪んだ笑顔を見せたその瞬間、俺とミカは同時に両翼へ展開しイスラルを回り込むようにしてねらい撃つ。
仲間を人質に取られ状況把握が困難なケースでは、主犯格を割り出した後、即座に最優先排除するのがもっとも効果的だ。
暗殺士時代に教わったその教訓をミカとのアイコンタクト一つで直様実行。
左翼から俺、右翼からミカ。
瞬発の不意打ち。
これには――イスラルも対応できないはずっ!!
そう踏み、目の前にイスラル、その奥にミカの姿を捉えたその刹那――
――ミカの腕がまるで魚を捌くかのように爽快な擦過音を残し、肉が弾け飛んだ
――橈骨、尺骨、上腕骨。順々に姿を表す骨に血飛沫は秒単位で遅れ、舞う
――俺は鈍く働く思考をフル回転させ、現状把握をしようとするも……、追いつかない
――まるで全てが初めから骨の上に被せてあった皮のように、次から次へとミカの体は骨と化し肉は皮は血は筋肉は……、身体から剥離していく
――嘔吐感に耐え切れず俺はその場で立ち止まる
「ンフフフ。解体完了です。オヤオヤ、ビラガルド王よ。この程度で萎縮していては人肉嗜食など夢のまた夢ですぞ、ンフフフ」
「済まないな。だが……、良いものを見せてもらった!」
カランカラン、という音と共にかつてミカだった骨は真っ白な姿で頽れる。
俺を見つめる頭蓋骨からは……、その、表情が、読み取れ、ない……。
剥離した肉塊は原型を留めながらイスラルの周りで浮遊している。
「ンフフフ。いい肉を手に入れました。今夜の味噌汁には肉団子を入れましょう。やはり鍛え方の違う肉体ですと味も一級品。いい素体が手に入りましたねえ」
体が動かない。
イスラルはゆっくりも俺に嗤いかける。
殺せるものなら、いつでも来いと。脅すように見下し、嘲笑する。
「イスラル卿、残りもやれ」
「ああ、しばしお待ちください猊下。ワタクシ、少し享楽に浸りたい所存でしてねえ。あの三人から一人いただいてもよろしいでしょうかな?」
「構わん、だが二人の処刑は今すぐ始める。ウズウズしてならんからな。やはり、夜に見るとまた格別なものになりそうだ」
「ありがたきお言葉。ワタクシには勿体ないですねえ」
そう言うと暗闇の中でも尚、赤々と燃えるような緋色のローブを引きずりながらゆったりと俺に近づいてくる。
「改めて、お久しぶりですねえ。アレクトス殿。また、いい表情になっておいでで」
「何故、お前は生き残っている?! あのギルドは全滅したんじゃ……」
「生憎、その日は地上で食材探しをしておりましてねえ。オット、今はそんなことはどうでもいいのですよ」
イスラルは手に持っている肢体の絡まった杖の先端をつつきながら言い放った。
「ンフフフ。久しぶりにあったのですから、少しワタクシと楽しく遊びませんかな。アレクトス殿?」
「悪いが、俺は……っ」
溢れ出す怒りという名の感情が、今にも噴出しそうで。選び取られた非情な現実を受け入れられない自分を。
錯覚しそうなほど眩しかった日々を追想しながら。
何を考えているのかすら分からず。
目の前の光景を受け入れられず、何もできないまま時は流れ。
……いつしか、俺の頭の中は真っ白になり、何も考えられずにいた。




