第51話:天主經の記されしままに「我が日用の糧を今日、世界に與へ給へ」
―――――――― 叙唱 ――――――――
――氷雨の迷宮塔、挑戦開始より約32鎡鐶
――現段階、10階層ボス【アブラッサム】勝利
――備蓄食料、4割消費
――残り階層、11
ヒンヤリとした冷気が身を包み、心臓が止まるのでは、と錯覚しそうになる。
すると、突然襲いかかってきた猛烈な寒気に俺は飛び上がった。
かけていた毛布が剥がれ、火魔法がかけられたコートが揺れる。
植物系モンスター【アブサッロム】を倒した俺たちは一先ず睡眠を取ることにしていた。
1日を超える長期戦に俺たちの心身は消耗しきり次の階へ昇る気力もなくルナートの指示でこうして休んでいた。
みんなは各々の格好でその場に寝そべり壁によたれかかっている。
だが、ボス部屋の端の方で一人だけ寝ずに起きている者を見つける。
不意に立ち上がりその人の元へと向かう。
パキッ、パキッ、という足音にその人は振り向く。
「あ、スレイアさんですか。もしかして……、起こしちゃいました?」
「いや、俺が勝手に起きただけだ」
そう言いながら目の前にいる男……、<アイアン・キングダム>の副リーダー。ルサスの持っているものを見る。
その銀色の髪が辺りの氷の光の反射に照らされ輝いている。
ルサスの手元には見事な氷の彫刻が出来上がっていた。
しかも、その彫刻で掘り出されていたのは先ほど戦った【グリジャード】そのものだった。
獰猛さが滲み出し今にも威嚇するのではないかという立体感と迫力に思わず感心する。
素材はおそらくそこら中に生えている氷結晶だろうか。
そう思って近くの氷結晶を見ると、確かにこれと同じサイズの氷塊が削り取られている。
「うまいな……」
「あはは、ありがとうございます。何だか寝れなくて……。僕、こういう地味な作業してると何だか落ち着くんですよね」
そう言いながら彫刻刀を専用のホルダーにしまい、グリジャードの彫像を床に置き眺める。
その穏やかな瞳から自分の創り出したものへの満足感が滲み出ている。
すると、頭の中に一つのアイデアが閃く。
「ルサス、ちょっと見ててくれ」
そう言いながら右手を氷の彫刻に近づける。
ルサスはキョトンとした驚きの表情をするもすぐさま期待の顔へと変わる。
「”氷結”の紋章。
特異能”結克する氷の傀晶”」
そう言いながらルサスの氷の彫刻に触れる。
すると、氷で造られたグリジャードがまるで生きているかのように動き出す。
氷のグリジャードはルサスの手元まで走り寄り、そっと腰を下ろす。
「すごい……、これが君の特異能の力?」
「あぁ、”触れた氷に意思を宿す”これが俺の”氷結”の特異能なんだ」
「ありがとう、こんな素敵なものを見られるなんて……っ」
そう言うとルサスは目を輝かせながら氷のグリジャードを手に乗せ涙目になりながら歓喜の表情を見せる。
まさかここまで喜んでもらえるとは。
”氷結”の特異能は基本的に自らの作り出した氷魔法に連鎖して使うが、こんな使い方をしたのははじめてだ。
未だに興奮が抑えられないルサスがポーチの中から氷箱を取り出し、そこからおそらくルサスが造った氷の彫像たちが出てくる。
「これも、やってもらってもいいかな?」
「もちろん」
そう言って、様々なモンスターを象った氷の彫像に”意思”を宿していく。
そして、”意思”を持った氷のモンスターたちが部屋の中を走り出す。
時節天井から粉雪が舞い、床はアイスタイルになっていて部屋全体が白く青い。
そこを自由と意思の両翼を得たモンスターたちがまるでパレードでもしているかのように踊りだす。
心が、和んだ。
殺伐とした迷宮塔で、氷の彫像たちが神秘的なパレードを繰り広げているのだ。
まだ、みんな気持ちよさそうに寝ている。
ルナートもドナーブルも初めは警戒していたらしく寝ようとしなかったが今はもう熟睡している。
今、この光景を見ているのは俺とルサスだけだ。
ふと、隣のルサスを見る。
目の前の光景が一時の奇跡であるかのようにルサスは目が涙を浮かべながら、その光景の虜にされていった。
⌘ ⌘ ⌘ ⌘
「よし、それじゃあ行くぞ!!」
ルナートが拳を掲げ、それにみんなは呼応する。
11階層もおよそ30分ほどでボスの部屋を見つけた。
格段に迷宮探索と発見速度が増している。
みんなの心の中にも”慣れ”が出てきたのか心なしか余裕があるようだ。
ルナートがゆっくりと扉を開ける。
ドナーブルが両肩の滑車の設置具合を再度チェックしながらモーニングスターを両手に持つ。
ルサスが蒼い鉄槍をゆっくりと持ち上げながら大きく深呼吸をする。
ミサはいつもと同じように平静で冷静にコートを右手で払う。
目の前の扉が開き視界が開ける。
そして俺たちは小隊を崩さずゆっくりと入っていく。
ボスの部屋に入ると中心に巨大な赤色の豪華な宝箱が置いてあった。
みんなはたじろぐが宝箱はビクともしない。
すると、ハナが突然走り出した。
「これさっ、絶対普通の宝箱じゃん!!」
そう言いながら宝箱を開けようとする。
「おいハナ待てって! それ絶対やべぇやつだろ!!」
「サクヤは黙っててよっ」
「ぜーったいボーナスとかなんだから……っ」と言いながら宝箱を開けていく。
すると宝箱の中から光が溢れ出し、一瞬目をくらませる。
その光がおさまると……、ハナの姿が消えていた。
「おい……、ハナ! ハナっ?!」
焦燥に駆られたルナートが突然駆け寄っていく。
何が起こった――?!
ルナートが鬼気迫った様子で宝箱の中を覗き込もうとする。
他のみんなも息を殺してルナートを見守――
「ぅぅうわおっっっ!!!!!!」
「ぅぐぉぉわのあつ?!?!」
ハナが両手を広げ覗き込んだルナートを盛大に驚かす。
それにルナートは腰を抜かし、ただただ箱の中から飛び出したハナを見上げる。
そして、俺たち一同は、
「「「はぁ?!?!」」」
……と、驚嘆の声を上げるのだった。
……さて、説明しよう。
今の怪奇現象について。
罪人はハナ・クラン、女性。
かれこれ今年で14歳になる。
なるほど、この年齢ならこの程度のイタズラがしたくなる時期であろう。
職士は狩人士、だが残念ながら彼女に戦う気は毛頭ないようで普段は傍観。
そして、よく戦闘を掻き乱す。
それだけで充分罪な女だが、彼女はまたしても罪を犯した。
半心臓麻痺による完全迷惑罪。
ルナートは謎ポーズを取ったままハナを見る。
<アイアン・キングダム>の一部から悪質な空気が流れる。
ハナはいつもあんな感じなのである程度見過ごすかと思ったが……。
「ルナート、ナイスリアクションっ。あと宝箱の中には何にもなかったよー」
ルナートは答えない。
体制を立て直し体を震わせている。
だが、堪えきれなくなったのかルナートはハナに向かって……、叫んだ。
「ハナぁぁぁぁあああああ!!」
ルナートが叫ぶ……が。
その瞬間宝箱が脈動するかのように震えると……、突如、何本もの棘が箱の中から飛び出してくる。
「な……っ?!?!」
咄嗟にルナートがハナを庇いながら棘を払う。
ミサが咄嗟にルーンを張り俺たちを守るが<アイアン・キングダム>には届かない。
今にも貫ぬかんと突進してくる棘の群れにアイアン・キングダムは戸惑う。
自らの得物で弾く者、交わすもの、重厚な鎧で防ぐ者……。だが、その中で何もできずに無慈悲に貫かれる者が二人。
「エミヤ! サワラ……っ!!」
誰と知れず絶句する。
襲いかかってきた棘は二人を突き刺したまま、他の棘とともに一斉に宝箱の中へと戻っていく。
そして二人が箱の中に吸い込まれた瞬間……、蓋の内側に長大で鋭利な牙が生える。
「おい……。待て、待て!!」
<アイアン・キングダム>の一人が走り出す。
その顔は悲痛に歪んでいた。
「待て、頼む待ってくれ……っ!!!!」
――宝箱が、勢いよくしまった
――悲鳴なんてない
――宝箱の隙間から飛び散る血と肉片が俺たちに現実を思い知らせる
「くそ……っ!!」
再び男が走り寄り宝箱を開けようとするが、
「ハック、待つんだ! お前も呑まれるぞっ」
ルサスが走り出しハックという男の背後から羽交い締めにする。
「ルサスさんっ、止めんな! 俺が助けだす!」
「やめろ、お前一人が好き勝手していいとこじゃないんだぞ!」
「なら……なら何であの女はまだヘラヘラしてんだ?!」
「それは……」
ハナを見る。
怯えたような顔、だが必死さはない。
当然だ……。俺たちは仲間の死を何度も見てきた。
どこかネジが飛んでいる、壊れている。
すると、ルナートが大声で指示を出す。
「全員臨戦態勢を取れ! 戦闘はもう始まっているぞ!!」
その声に全員が動き出した。
得体の知れない敵と、ハナのおふざけ、仲間の死により<アイアン・キングダム>に不穏な空気が走る。
「お前らあ! 取り敢えずあの女の始末と仲間のことは後だあ、これ以上被害を出さねえように注意しろお!」
ドナーブルが声をかける。
<アイアン・キングダム>が動き出すが動きが鈍い。
次に蓋が開くまでにあの宝箱を破壊しないと……っ!!
すると、ミサの声がかかる。
「あった……っ!! 幻惑系モンスター【パンドラボックス】。攻撃可能部位は宝箱の金の金具ではないところ、そして箱の中。攻撃パターンは箱が開いた時の棘攻撃……そして――」
その声がかかるより先にパンドラボックスが膨張し今までのボスと同じくらいにまで脹れる。
そして蓋が開き牙が生え……、思い切り噛み付いた。
不快な音とともに地面が抉れ氷塊が飛ぶ。
フルールの小隊は危うくだが全員が避ける。
「獰猛な嚙み砕き……」
その声が終わるか終わらないかパンドラボックスは嚙み砕きを繰り返しながら暴れまわった。
グリジャードと同じく予測不能な動き。
それに翻弄される。
「マズイ……っ!!」
ルナートが背後から斬りつける。
だが、金属で出来ているのか弾かれる。
「どけえええ」
ドナーブルがモーニングスターを頭上から叩きつける。
それは見事に直撃するが少し凹むだけだった。
ドナーブルのモーニングスターの旋回は鎖が邪魔となるので大規模戦闘では圧倒的に不利だ。
だから、ドナーブルは常に近距離でないと戦えない。
すると、パンドラボックスは停止し蓋を閉じる。
それを見計らいフルールとサクヤが思い切り斬りつける。
フルールの攻撃は弾かれ、サクヤの紋章器の攻撃はわずかに金具にヒビを入れる。
「こいつっ、斬撃効かないじゃんっ!」
フルールの声に遠撃型から魔法の練撃が繰り出される。
近接型は咄嗟に下がる。
だが、魔法は全て直撃する手前で霧散する。
動揺の色が走る。
「魔法遮断膜……」
ミサが口にする。
見逃していたらしく、少しの焦りを見せる。
「んっじゃ、まだ試してない打撃で行くよ!」
キリーナが思い切り走り出した。
手の甲が光っている。
”怪力”の紋章を使おうというのか。
「ミサ!」
「ルーンスキルIII、アーマープロテクト!」
その声にキリーナの両手両足がルーンに包まれる。
キリーナは常に肉体で直接戦うため、プロテクトは必須だ。
この時ばかりはキリーナも寒波遮断手袋を外している。
そして、キリーナが今にも殴りかかろうとした途端……。
「うそっ?!」
パンドラボックスの蓋が開いた。
大量の棘が飛び出しキリーナに襲いかかろうとする……が。
「”速射”の紋章!
”一矢報いて仇となれ”……っ!!」
マイクが何本もの弓を連続で射放ち棘の軌道を逸らす。
「オラクルスキルXIV、神の贖罪!」
リックの起術に数瞬だが時が止まる。
キリーナは驚愕的な身体能力で棘の間を縫い背後へ陣取る。
リックがスキルを解除しその場に膝をつくと同時……
「特異能”千人力”!
ナックルスキルXVI、鬼神連打!!」
そこからキリーナの動きは追えなかった。
殴り、蹴り、頭突き、ぶつかり、嬲り、殴り、殴る。
肉体限界をすでに超えており本来なら手足が壊れるところだがキリーナは楽しそうに連打を繰り返す。
パンドラボックスは少しずつ凹み、ヒビ割れ、壊れていく。
棘の攻撃が再び襲いかかるがそれを他のメンバーがカバーしキリーナとの一切の接触を断つ。
そして……。
「とぉぉぉりゃぁぁっ!!」
その気合いパンチに……、パンドラボックスは粉々に砕け散った。
「っしゃぁぁーー!!!!」
キリーナが勝鬨を上げながら両手を天に突き出す。
顔は清々しいほどに晴れやかだ。
だが……、その後力が抜けたのか大の字に倒れこむ。
「そういえば、これ。使ったらちょっと間動けないんだった、あははっ」
その陽気な声に、みんなは安堵の息をついた。
「おい」
ハックがハナに声をかける。
それにみんなは反応し話すのをやめる。
「お前、俺らにやることがあるだろうが」
「え、あ……。ごめんね」
ハックの表情が憤怒の色に変わる。
「お前そんなんで済むと思ってんのかっ?! 俺らは仲間が死んでんだぞ?! お前が出しゃばらなきゃあ死ななかったかもしれねぇんだぞ!?」
ハックが喚き散らす。
「俺はなあまだお前らとの共闘に納得が行ってねえんだよ! ちょっと強いからってチヤホヤされてんのか知らねえが迷宮のモンスターはほぼお前らが狩り尽くし素材を独占。指揮権があるからってちょっと名前があるからって道中ペチャクチャ喋りやがって! お前らはここに、何しに来たってんだ!? ガキの遠足じゃねえんだぞ!? 俺はもうお前らに命預けんのはこりごりなんだよ!!」
「だから、ごめんって……」
ハックは完全にぶちぎれたのか拳を振り上げ殴りかかる……が。
「おいコラ、テメェ。うちのギルドの女の子に手を出すとは舐めたことしてくれんじゃねェか」
サクヤがハックの拳を握り、睨む。
「あぁ? どけよ、テメェ。何かっこつけてやがる」
「女の子の前じゃカッコつけなきゃいけないんでねぇ!」
「クソがどけやゴラァ!」
「やんのか?! あぁ!?」
今にも殴り合いになりそうなハックとサクヤを……
「やめい」「やめろ」
……ドナーブルとルナートが制する。
このままだとギルド同士の不和で共闘が出来なくなる。
二人が納めてくれるだろうと成り行きを眺める。
「じゃが、ルナート。儂もまだあその小娘を許しとらあせんからなあ」
その声にハナは震えルナートの後ろへ隠れる。
ルナートはハナに一言話す。
すると、涙目のハナはコクッと頷く。
「ドナーブル、いや……。<アイアン・キングダム>のみんな、聞いてくれ。今回の件はうちのハナが……、悪かった。仲間を死なせたのは俺たちのせいだ。だから、リーダーとして責任は取る。いくらでも償う、だから……、ハナを責めるのはやめてくれ。本当に……、すまなかった!!」
両膝をつき頭を下げる。
初めて見た、ルナートの土下座だった。
「ルナート……」
ハナが目を見開く。
涙が流れていた。
「ふん、まあ死んだのは何も全部、お前さんらのせいじゃないわい。じゃがな、二度とそういうことはなくせえよ。その誠意に免じて今回は見過ごすがあ、墓立てと弔い、埋葬。最後まで付き合ってもらうからあのう」
「あぁ」
それを言うとドナーブルは身を翻し、部屋の隅に<アイアン・キングダム>を集め何やら話し出す。
「ルナート、その……、ごめ」
「いいんだ、ハナ。確かにお前のその性格が周りの迷惑になるかもしれない。だけど、ギルドの中でそれをわざわざ潰さなくていい。お前はお前のままでいろ。ギルドも共闘も、性格のぶつかり合いで出来上がる。だから、そう泣くな」
「ふ……、ぅ……」
「ぅえぇぇええんんん」とハナが泣きながらルナートの前にしゃがみ込み見上げる。
ハナの顔はいつも以上に真っ赤に火照っていた。
――それから12階層もクリアし俺たちは約1日を掛け19階層に到達
――そこのボス【スライム・スライム・メリーズ】に大苦戦を強いられ約6鎡鐶もかけ、死者を出さずに何とか倒した
――そして、つい先ほど20階のボス部屋の前へと辿り着いた
――21階層。頂上に続く最後のボスだ
――艱難辛苦、共闘不和たくさんのことがあった
――全員が疲労困憊、だがもう最後だ
――ルナートが俺たちに向かって頷く
――そして、ゆっくりと扉を開けた




