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メダリオンハーツ  作者: 紡芽 詩度葉
第二章;世界追憶編
47/61

第46話:苦しみに満てる世界において、無垢なる者たちの殺戮を軽減するため平和の憐みたる嘆願を希え

―――――――― アレルヤ唱 ――――――――




 雪が、降っていた。

 赤い、雪だ。

 積もった雪も、赤い。

 何なんだ……、この感覚は。

 貫いた心臓の動きが伝わる。

 その拍動が少しずつ弱まり……、完全に消える。

 手が震えていた。

 引き抜けない。


「スレイア! 早くしてください!! 追っ手がきてます!!」


 ヒスワンお姉ちゃんの叫び声が聞こえた。

……できない、無理だ。

 殺した人間の顔が僕を見る。

 涙が溢れ出、力が抜け、尻をつく。

 真っ赤に染まる鉄の臭いが僕を染めて行く。

 お姉ちゃんたちは走って退避しようとしていた。

 任務は簡単だ、同盟交渉者の暗殺と契約書の破棄。お姉ちゃんが側近を殺し、僕を突っ込ませた。

 たまたまだ、たまたま刺さっただけだ。

 僕は……、悪く無い。


「ははっ……、あんなに特訓したのに。僕、弱いままだ」


 嫌気がする。

 僕はいつまでも弱虫で、いつまでたってもお姉ちゃんやルナートのようになれない。

 何かが走り寄ってくる音が聞こえる。


「スレイア!!」


 お姉ちゃんの絶叫のような叫び声が聞こえたと思うと、背後から鈍痛音と共に、剣が僕の胸を貫く。

 血だ。

 温かい。

 パタッ……。と地に倒れる。

 手の甲が少し熱い。


 そして僕は少しずつ自分の心の奥……、何もない、暗闇の中に引きずり込まれていく感覚を覚える。

 すると、暗闇の中に何か、青白く光るものを見つける。

 それは凛と響く声で、僕に声をかけた。



――『力が、欲しいか?』


――誰の声だ、初めて聞く声だ


――『もう一度問おう。力が、欲しいか?』


――欲しい、だけど僕は手に入れた力を奮う勇気の方が欲しい


――『汝のことはずっと見てきた。何故怯える? 何故躊躇う?』


――人、だから


――『それではお前は誰も守れない』


――それは、嫌だ


――『ならば……、心を殺せ』


――同じことを言っていた、ルナートも


――『心を、殺せ』


――誰だ、お前は誰だ


――『我は絶望を断裁し隔絶する者、主に仕えし魂』


――僕の、魂


――『なりたいだろう、彼のように』


――なりたい、僕はもうこんな自分が嫌で仕方がない


――『ならば己を殺せ、人を殺せ。人は皆、等しく罪人だ。世界に満ちているのは断罪の連鎖。汝がそれを断て』


――次々と死んでいった仲間たちの記憶がよみがえる、そして仲間が死んでいく未来が見える


――『また、失くすぞ」


――嫌だ。僕は強くなりたい……、ルナートのように。嫌だ、迷いたくない。目の前で家族が死ぬのは嫌だ


――『我が名を呼べ、全てを変えてやる。汝自身の心を……、殺してやる』


――何も感じない意識の中、朦朧(もうろう)と二つの文字が脳に流れる


――『さぁ、呼べ。契約を交わそう。もう、汝が迷うことはない。受け入れよ、汝の全てを変革する。主よ、我は汝の声を聞く』


――なら、僕に従え……、”氷結”ッッ!!




 何かが砕け散る音と共に再び情景が戻る。

 手の甲が水色に光っていた。

 心が冷え渡っている。


 寒い。

 氷塊をそのまま胃に入れたようだ。

 すると、僕を突き刺した男が大声で叫ぶ。


「このクソガキぁ! お前のせいで俺らの国ぁもう終わり」

「だから、何」


 パキ……、パキっ、と僕の胸を貫いていた刃に付着した雪が、氷結拡散され氷の塊となる。

 それは敵の腕にまで侵食し……、氷は割れた。


「は……?」


 まだ状況が理解できていないのか片腕を砕かれ失った男の絶叫は押しとどめられる。

 すると……。

 血肉の断末魔が舞った。

 その声を聞きながら二人もの人間を殺した僕の理性と感情は相克し、自分の心は死んでいった。

 何も感じなくなった。

 熱くなった手の甲から伝わってくる、1つの言葉を……、静かに口にする。


「特異能”結克する氷の傀晶クリジエート・バリリルス”」


 先ほどまで雪であった微量の氷が、今では直剣の形へ変わり、手に収まっている。

 そして、造られた氷の剣を男に向ける。

 まだ途絶えない断末魔が地獄にまで響くのかというほどにその音を増していく。

 自分の眼光が鋭くなっていく。

 睨めつける。見下す。


「僕は……。俺はもう、迷わない」


 俺が、自らの意志で人間の心の臓に突き立てたその雪で出来た氷の剣は、氷の青と血の赤を見事に彩り俺を讃えるかのように輝く。


 心は、冷たかった。





⌘  ⌘  ⌘  ⌘





「オーラァァっ!!」


 バッカゴォォンン

 暗殺対象の顔が粉砕される。

 相変わらず無慈悲な力押しの暴力だ。


「キリーナ! 後ろっ」


 とっさにマイクが射た矢は背後からキリーナに襲いかかろうとしていた敵の耳を貫通させる。


「サンキュー、マイクー! サクヤ、あとは頼んだよー!!」


……声がうるせぇんだよ。


 そう思いながら腰の剣を引き抜く。

 心が冴え渡っている、人を殺すことに躊躇いなんてなかった。もはや殺人に快楽さえ感じている。完全に人としてのネジがぶっ飛んでいることは知っていたが、どこか、それが普通なのだと感じていた。

 この程度の猟団の壊滅など楽勝だ。

 悪を排除する、オレの磨き上げた力が倒すべき敵の血と死によって実覚される。

 それが、何よりも快感だった。


 目の前の女は恐怖に竦み上がっている。

 オレは何の気もなく、剣を振り下ろした。

 血だ。

 女の顔を見る。

 美人だった、胸の奥で何かがズキッと痛む。

 男を殺した時にはなかった感覚だ。

 だけど、そんなことはどうでもいい。


「よっし任務達成!! 近くに商店街もあるしチャチャっと食いもんもらって帰ろーぜー!」

「オラも腹減ったよ」

「サムエル、お前今度盗みに失敗したらタダじゃおかないからな」


 そう言いながら返り血で染まった手を拭う。

 レルエッサにもらったこの黒い団服(コート)は何かの能力か血が付着するとそれを吸い込み黒く染まる。

 不気味な衣だ。

 まるでいつも自らが手にかけた死者を体に身につけているような、そんな気がしてならない。


「あれ商店街じゃないっすか?」


 エズラがキャッキャと振り返り言う。

 そばかすを頰につけ、天然パーマのエズラは残念ながらオレの好みではない。

 このチーム<チンクエ>には生憎俺の好みの女の子はいなかったのである。

 それに男女比4:2だ。


 他のチームだとミサかメイかハナかフルールかヨナかスララかエレミヤかエリシャ辺りが可愛いく狙い目だ。

 まあ全員、オレが言いよればすぐに落ちそうなのでいつでもアタックできるようにシチュエーションとセリフを練っている。


 ふむ……、多すぎて困る。

 そんなことを考えながら猟団がいた岩の洞窟から出て行く。

 入り口の反対側にまで回り込んでいたエズラの元へ行くと眼下に小さな商店街が並んでいた。

 そして、チームメイトに言う。


「んじゃっ、こっから商店街を一気に走り抜けんぞ! んで、最後のゴールで誰が一番食料盗めたかで勝負な!!」


「オッケー!」と他の5人は口々に言いながら走る体制を整える。


「よーい、スタートっ!!」


 そして、オレたちは6人は一斉に走り出した。







 人混みを掻き分ける。

 これはダッシュなんてむりだな。

 なんて思いながら近くにあった屋台の梨を二つ引っ掴み一つを(かじ)りながらもう一つをポーチにつっこむ。

 丁度客と交渉してたらしくかなりチョロい。

 今日は何かの催しなのか、人通りが多い。

 武装した者も多く、何度かぶつかりすごく睨まれた。

 走る脚を止めずただひたすら屋台から食べ物を盗みながら進んでいると、後ろからキリーナが「サクヤー! これ見てー!!」と呼び止められる。


 何だよ……、と思いながらキリーナの方へ再び人混みを掻き分け来た道を戻る。

 すると、ドンッ、と何かにぶつかる。

 ぶつかったものを確かめようと見渡すと、小さな男の子が尻餅をついていた。


「おいおい、大丈夫か」


 すると、その男の子は少し涙目になりそうな目をこすりながら立ち上がり尻を(はた)く。

 そのまま近くにいた女……、恐らく母親であろう人の背にギュッと抱きつく。

 その母親が「よしよし、痛いの痛いのとんでけ〜」なんて言いながら男の子をあやし、俺に微笑みかけながら一つ会釈を置いて男の子の手をつなぎながら歩いて行った。


……胸が、締め付けられた。

 俺にもいたんだ、あんな母親が。

 もう、記憶のどこを探しても見当たらないけどいたんだ。親が、家族が。

 胸が、熱い。

 何かにすがりたい、抱きつきたい。俺が一人じゃないと証明できる何かが欲しい。

 拍動が強くなり締め付けられた心臓を抑えながらキリーナの元へ向かう。


 思考を振り切りながら走ると、その先にキリーナがいた。

 キリーナはオレと目が合うと同時何かを指差す。

 その方向にあるものを見た途端……。


……心が、震えた。


 月光の中で静かに佇み、刃に反射した光が俺の目を()く。

 刃の元につけられた威厳のある毛束に漆黒の柄。

 オレの身長の2倍はあるかというその薙刀に俺は我を忘れて見惚れる。


 心臓が早鐘を打つ。

 何だ、この湧き上がってくる感情は?


 これは、欲か。

 何かが欲しいという物欲。

 そんなもの体験したことがなかったのに、震える。

 欲しい、これが欲しい!!

 これを使って悪い奴を殺すんだ。

 立てかけてある薙刀に宝玉のようなものが埋め込まれておりそれがチカチカと点滅する。


……あれは、オレのものだ。


「サクヤ! これすごくな……」

「……キリーナ! こいつ持ってくぞ!!」


 俺の声と表情に突き動かされたのかキリーナは目の色を変え即座に”怪力”の紋章を発動させその薙刀を持ち上げる。


 一瞬キリーナがよろける。

 それほどまでに重いのか。

 だが……、腕がなる。


「キリーナ、リーダー命令だ!! こっから一気に走り抜けろっ!!」

「ラジャーっ!」


 そう言ってオレとキリーナは笑顔で走り抜けて行った。




 ちなみに刃を向けていたからか、道はかなり空いていた。





⌘  ⌘  ⌘  ⌘





「聞け聞けぇ!!」


 何だ何だというようにみんなは帰ってきたサクヤの方を見る。


「これを見ろっ!!」


 そう言ってキリーナが入って来、背中に背負った薙刀を立てかける。


「「「おぉー!」」」

「かっこいいだろ? オレの武器だぜ?」

「サクヤ、持てる、の?」

「ミーニア、うるせぇよ。持てねぇよ」

「ださ」

「くそ……、喋れるようになったからって調子のいいことばっかり」


「まあまあ」とルナートが仲裁しながら「お疲れ、んでおかえり」とサクヤの肩を叩く。





 俺は……、”氷結”の紋章を認知してから何かが変わった。

 スレイア・キルレイズの元の歯車が少しだけ狂ったかのように。

 心が前にも増して冷え切っていた。

 ”僕”という一人称が弱さの象徴だという気がして、あれから使わなくなった。

 ルナートは心配してくれたが、紋章のことだけを説明した。

 何人かに話し方がルナートに少し似た、なんていうことも聞いたが別段そんな風もない。

 それだけだった。





 家の中が賑やかだ。

 このアットホームな雰囲気を手に入れるのにそう時間はかからなかった。

 レルエッサの修行が終わり食事と住む場所を自分で手に入れるとなった時、真っ先に出たアイデアが”奪う”だった。


 それが決まると後は早い。

 手頃な大きさの家を見つけ家主を暗殺、それだけでこの家は俺たちのものになった。


 この地下都市インペルダムでは弱い者は淘汰(とうた)され強者のみが生きの残れる。

 ここは、そういう場所だ。


 みんなはガヤガヤとしながら夕飯の準備をし始める。

 サクヤのチームが盗んできた食料をチェックしながらヒスワンが分ける。


「スレイアも手伝ってください」


 ヒスワンが水色の長髪をくくりながら俺の名前を呼ぶ。

 「今行く」と俺は椅子から立ち上がり持ってきた食料を貯蔵庫に入れたりしながらわける。

 今の姉ちゃんは昔と違い俺に無理に関わろうとしなくなった。もうそのことが慣れたしどこか……、当たり前のような、昔からそうてあったような気がしてならない。

 ついでに料理も手伝って欲しそうな目をするがそこにサクヤが「俺がやるー」なんて割り込んでくる。

 ヒスワンは渋々という表情でサクヤに手伝わさせる。


 サクヤは料理の手伝いがメインなのか、お姉ちゃんと話すことがメインなのか。

 前まではよく分からなかったけど最近は露骨(ろこつ)でわかりやすい。


 再び椅子に座り人心地ついていると弾んだ会話が聞こえてくる。


「んでさー、私が囮で馬の行列の前に転んだのよ。そしたら馬が急に止まってさー」

「あの時のハナは焦ったぜ、引かれると思ったからな」

「でねでね! そのあと急停止した標的にルナートが颯爽と一撃で始末していってねカッコよかったのよー!」

「おいハナ、俺も殺ったぞ?」

「マグドは黙ってて。でねでねー!」


 そこからは完全にガールズトークへと発展していく。


 ルナートとミサが二人でソファに座り話している。

 そっと耳を傾ける。



「で、ミサ。どうやったらあんなに大量に食料が手に入ったんだ?」

「スララが紋章を使えるようになったのよ、”透過”の紋章だったかしら……。まあそれのおかげで私たちは透明人間。暗殺も盗みも楽勝だったわ」

「あれあれー! 私の話ー!? イチャイチャしてるとこ邪魔するよー!?」

「イチャイチャはしていないわよ、スララ」

「はいはい、ミサは黙ってて。あ、あとルナートー、この能力さ私自身には効かないんだよねー何故か」


 そう言うといきなり立ち上がり、鼻唄交じりにヒスワンの超至近距離で楽しそうに料理をしているサクヤの耳を突然引っ張り引きずりながらルナートの所へ向かっていく。


「サクヤあんたは罪人よ。あのさルナート、こいつさこの前能力かけてって頼まれたから透明人間にしてやったら私たちの風呂覗いてんのよ?!」


「お前はまた性懲りも無く……」と呆れるルナートをよそにスララは直訴を続ける。サクヤは明後日の方角を向いていた。


「サクヤに何か罰を与えるべきよ!! まあ私の能力は水気を含んだとこじゃ無効ってことが判明したから収穫といえばそうなんだけどね」

「あー、サクヤ、トイレ掃除一週間」

「ちょ……、はっ?!?! ルナートそれはねぇって!!」

「自業自得よ」


 スララのその声とともにサクヤは泣き崩れ、他のメンバーは歓喜する。

 俺だってトイレ掃除は嫌だ。

 廃棄物もろともあの臭いゴミ袋を何往復もしてダストボックスに入れなければいけない。

 その時ばかりは襲われる心配はしなくてもいいというのが利点だ。

 何せ、近寄るだけで臭うのだから、襲おうという気にもならない。


「そういえばイザヤたちのチーム遅いね」

「たぶんタイミングが合わなかったから明日にでも持ち越したんだろ。それにしても不利になる情報を掴まれたってだけで情報ギルドの壊滅とはな」

「ま、任務内容に関しては私たちは何も言えないわよ」


 そう言って夕飯を食べだす。

 今日は珍しく肉の入ったシチューだ。

 ヨダレのすたたる音がしたと思った瞬間、みんなは一斉にガッつき始めた。





⌘  ⌘  ⌘  ⌘





……2日が経った

 イザヤたちはまだ帰ってこなかった。


 みんなの雰囲気が沈んでいた。

 きっと、もう勘付いているのだろう。

 そんなこと、分かっていたことだ。

 そうなることの決意くらいしていたはずだ。


 レノンが「ねーねー、みんな喋んないのー?」と口に出す。

 最年少のレノンには分からないのだろう。

 あの修行の一年を経てもやはり子供は子供だ。


 すると家の前から慌ただしい駆け音がする。

 それにみんなは一斉に顔を上げイザヤ達の帰還かと目を見張る。


 バンッ!! と強くドアが開かれる。


 立っていたのは、息を切らせたリックだった。


 リックはみんなの落胆の表情を見て全てを察したのか……、小さく首を横に振る。


 その反応に何人かが泣き崩れる。


「……ゴメン」

「なんでリックが謝んのさ」


 フルールがリックに駆け寄る。

 崩れ落ちるリックを支えながら肩をさする。


「任務……、失敗だって。6人とも……、生死不明で……。でも、多分もう……」


 静寂が場を包んだ。

 何人も仲間を失ってきたが今回は6人も同時だ。

 まだ、実感が湧かない者も多いだろう。


 すると泣き崩れていた何人かが立ち上がりフラッと外へ出て行った。

 きっと気持ちの整理をつけるためだろう。

 この状況なら頭を冷やすのが一番いい。


 そう思いながら静かに目を瞑る。

 今日はもう寝よう。


 そう思いながら後ろ手にソファに掛けてある毛布を取りながら被る。


 その一瞬に垣間見えたルナートとミサの表情。

 ルナートは顔を埋めていた、ミサは表情を変えずいつものような冷静な表情をしていた。

 だけど……、二人ともどこか、いつもと変わってしまっていたような気がした。





⌘  ⌘  ⌘  ⌘





 また、2日が経った。

 次は……、ヨナが帰ってこなかった。

 俺たちは各チームに分かれて街中を探し回った。


 まだ立ち直れない者は家に残し、ユウに留守を任せた。

 イザヤ達の件で少しだけ立ち直ったメンバーで捜索に出た。


 4つの街を全て探した。

 リックのオラクルでヨナの源素力(マレナス)を頼りに察知したが見つからなかった。


 俺たち全員が諦めかけ、最後の頼みの綱を引くかのように訪れた。

 全てが始まり、俺たちを狂気の世界へ陥れたイスラルの屋敷へ。




 コンコン、とノックをすると、間も無くしてイスラルが扉を開ける。


「オヤオヤ、皆様お久しぶりですねえ。ワタクシの屋敷を好きに使って良いと申し上げたのに誰一人訪れない寂しさで野垂れ死にそうだったのですよ」


 そのまま死ねばよかったのに、という言葉を抑えイスラルに問う。


「イスラル、ここにヨナは……、女の子は来なかったか?」

「ンフフフ、やはり来ましたねえ。予想通りです。彼女なら晩餐室にて保護していますよ。ですが……」


 その次の言葉を待たず俺たちは晩餐室へと走って行った。







 晩餐室の扉を開けると、初め座っていた席と同じ場所にヨナが座っていた。


「ヨナ……、良かった、無事だったのか」


 そう言いながら駆け寄る。

 返事がない……。


「おい、ヨナ?」


 そう言って揺さぶるとバタン……、と椅子ごと倒れこむ。

 咄嗟に心臓部分に耳を押し当てる、心臓の脈動が伝わってくる。

 よく耳をすますと

 フシュー、フシュー、と虚しい息遣いが聞こえる。

……ヨナの瞳には光がなかった。

 あるのは、底の見えない深淵なる黒だけだ。


「ルナート、ヨナは……?」


 ミサが心配そうに聞いてくる。

 ヨナはミサのチームメイトだ。


「生きてはいる、息もしてる。だけど……、何かが変でっ」


 咄嗟にイスラルを見る。

 みんなの目線もイスラルへ向かう。


「お前が……、何かしたのか」

「ンフフフ。アレクトス殿、残念ながら彼女はワタクシの屋敷へ来た時から植物状態ですよ」

「なら……、何があったんだ」

「ンフフフ、さしずめ一人でいるところを破落戸(ごろつき)たちにレイプでもされ玩具にされ弄ばれていたのでしょう。彼女が何を思ってワタクシの屋敷へ来たのかは不明ですがもう彼女は使い者になりませんよ。今の彼女は魂のない汚れた人形でしかないのですから、ンフフフ」

「玩具……、だと?! そんなフザけたことがあってたまるか!! お前が……、お前が何かしたんだろぉがっ!!」


 そう叫びながらサクヤがイスラルに剣を振るう。

 だが、それを人差し指で軽く受け止めイスラルはサクヤを凝視する。


「ンフフフ、この都市のルールを忘れましたかな? 弱い者は淘汰されるのですよ。それに、彼女を守れなかったのは貴方がたでしょう?」


 言葉なく立ち尽くす。


「自業自得というやつですよ、ンフフフ。あぁ、彼女はもう”欠陥品”ですので洗零者(ボス)との約束通り彼女はワタクシの者ですよ、ンフフフ」


 いつもより甲高い耳に障る声で笑う。


「久々の実験体ですねえ。今からワクワクしますよ。今夜のスープに入れるのも悪くありませんねえ。肉も久々に食したいですねぇ、冷蔵して熟成させるとしましょうか、ンフフフ。

 ワタクシは歓喜に浸っておりますよ。おぉ、ワタクシは主を褒めたえますよ! ほら、ミナサンもご一緒にいかがですか?」


 ブツブツと言いながら俺たちを誘う。

 その顔がいつにも増して異形だった。

 イスラルは手を広げアレルヤを賛美し連呼する。

 気分が悪い。

 ヨナを見る。

 血色も感情もない。


 一昨日まで笑って生きていたヨナは、見る影もない。


 何でだ、何でまた失う?

 俺は……、みんなのリーダーだ。

 俺が……、みんなを、もっと!!


 こみ上げてくる自責と後悔の念は後を絶たず、息が詰まりそうになり咄嗟に屋敷を飛び出す。

 それにつられたのかみんなも屋敷の外へ出ていく。

 もう何度も見た暗い天井を見上げる。

 荒い息遣い、吐瀉音、涙と嗚咽の声。

 もう、仲間の死には慣れたはずなのに、何度も経験して分かっているはずなのに。


 止めどなく溢れる涙は、終わることのないこの日々を嘆く。



 この閉ざされ、地獄に堕ちた''人間''という名ばかり屍達が徘徊するこの都市で。

 俺たちは……、一体いつまでいなければいけない?


 俺たちを包む空気に重りでも乗ったように、その表情は沈んでいく。


 だが……、一人だけ。

 ミサだけは、いつもの表情を変えず空を……いや、地上へと続く天井を静かな面持ちで見上げていた。




 誰も動かない。

 誰も話さない。


 だが絶えずどこかで涙を堪える音がしている。



 この地下都市に決して降るはずのない雨が、俺たちを打ちただ黒く……、心の中を塗りつぶして行った。






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