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07 初夏(ⅰ)

窓から空を見上げれば、真っ青な空に白く立派な入道雲が天高く上っていた。

季節は初夏、もう5月も半ばに差し掛かっている。

雲の下、何も遮るもののない視界の先に小さく見えるのは、冬のあの日に訪れた古びた貿易港だろうか。あの時は少女たちがいたが、今日はその姿は見えない。もっとも、遠すぎて見えないだけだろうけど。



甘めのカフェオレを飲みながら、目の前に座る三坂教官に話しかける。


「120階って、こんなに眺めいいんですね。あと、教官の部屋ってモノトーンな感じなんですね。想像通りですけど」

「そうだろうな。120階は軍の人間でもそうそう来れる場所じゃない。ちなみに滅多に来れないのは俺の部屋もだ。感謝しろ」

「あはは、自分で言っちゃうんですね、それ」


鋭い目元を緩め、やわらかな笑みを浮かべた教官は、少し得意げな顔をしながら気持ちよさそうに外を眺めている。


「その事なんですけど……本当に私、ここに来て大丈夫ですか?」

「なんだ、厚意を受け取れないのか?」

「いや、そういうことじゃないですけど……」


教官はにやりと笑い、残りのコーヒーを飲み干す。

その笑みを見ていると、出会った頃は彼のこんな表情が見れる日が来るなんて思っていなかったな、と不思議な気持ちになる。今でも出会った頃の険しい表情の印象が強いけれど、実際には優しい表情をしている時の方がずっと多いのだ。


「何ニヤニヤしてんだ、葛西……」

「えっ、そんな顔してました?」

「無自覚かよ」


そんなこと言われても、嬉しいのだから仕方がない。

少々強引だな、とは思いつつも無理やり話の流れを戻す。


「あはは……そ、それより、大丈夫なんですか?」

「ん?あぁ、大丈夫だ。バレなきゃいいんだよ」

「そう言う問題……?」

「あぁ、当然だろ」


そんなことを堂々と言い放ち、教官はコーヒーのおかわりを取りに向かう。

そんな彼の後ろ姿をしばし呆然と見送り、やがて苦笑が漏れた。



―――夜桜学園本部120階。

私が軍の人間の中でも、選ばれた人間しか入ることの出来ないこの空間に、何故私なんかがいるのか。


答えは簡単。教官に呼ばれた、ただそれだけだ。

なんども言うが、120階は私のような一生徒が普通に来れるような場所ではない。軍の人間でさえ、立ち入るにはとても勇気がいる場所なのである。

オープンスペースである100階なら用事があれば行くことはできるけれど、それでも生徒は普通は立ち入ることはできない。120階は当然今日が初めてだし、しかも教官のような上級軍人に与えられる個別の部屋に、なんて滅多にないだろう。


「それにしても、本当にいい眺め……」


白い入道雲、青い空。地上は遥か遠く、広場の青々とした芝生がうっすらと見えるだけ。

ゆっくりと確実に、季節は春を過ぎ、夏へと向かっていた。



この1ヶ月での死者は10人。

高等部に上がれば雲をつかむような話だった未来も、徐々に現実味を帯びてきて今まで以上に死ねなくなってくる。せっかく見えてきた未来を自らの手で潰すことは出来ないのだ。

そういう気持ちが生んだ結果だろう。中等部の時なんて死者数十人の月もあったのだから、それと比べればなかなかの少なさだと思う。


しかし、言ってしまえば1ヶ月で10人も死んだのだ。ただでさえ少ない人数なのに、その中から10人も。

現実味を帯び始めた夢を追いかけるまもなく、たった1ヶ月で死んだ10人は、一体何を思ったのだろう。


「……なんて、私が考えたって意味無いけどね」


そうだ、私だっていつそうなるかはわからない。

自分は個人順位3位で、バディ順位1位だってことを盲信してはいけないのだ。



「何難しいこと考えてんだ葛西」

「あ、おかえりなさい、教官」


不意にかかった声に顔を上げる。そこに立っていた教官は両手にカップを持っていた。


「1人で2つも飲むんですか…?」

「馬鹿か。お前の分だ。もうほとんどねぇだろうが」

「え……あ、本当だ」


言われて初めて自分のカップが空だということに気付く。でも、飲み干したのは彼が席を立った後のはず。

この人はそれを見越して私の分も持ってきてくれたんだろうか。そういえば、私が難しいことを考えていることも察している。


「やっぱり、教官はすごいですね」

「それはどうも。一応言っとくが、褒めても何もでねぇぞ」

「分かってますって」


ぶっきらぼうに見えるその態度の裏に、たくさんの優しさを持っている。

家族にだって、私や河原にだって。本当はすごく優しい人だし、実は結構かなりの人がそれを知っている。まあそんなことを言ったとしても、とてつもなく照れ屋なこの人は絶対否定するんだけど。


「最初から期待してませんから、大丈夫ですよ」


ふふっ、と笑ってみせれば、教官はわざとらしく盛大に溜息をつく。


「はぁ……そうかよ」

「そうです」

「あのなぁ…はぁ…もういい」

「そうですか?と言うかそもそも私、なんで呼ばれたんですか?」


教官が持ってきてくれたカフェオレを飲む。程よく甘く、わずかに苦い。ミルクと砂糖の割合が絶妙だ。実は甘党な私の舌に絶妙にマッチする味。さすが、よく分かっている。


「別に大した理由じゃない。幸那がスコーン焼いたから、お前ら連れてこいって言ってただけだ。で、ついでに高等部に入学したことだし、120階に招待でもしておこうと思ってな」

「えっ、嬉しいです!でもよかった、何かしちゃったのかと思ってびっくりしました」

「ほう?何か心当たりがあるのか?」

「ないからびっくりしたんですって!」

「ムキになるな。まあ、何かしたとしてもそれを言うのはお前らの担任の教官だろ」

「あ、そっか。それもそうですね」


彼が担任でなくなってもう6年。けれどそれが今だに実感できず、慣れていない自分がいる。

本人に言われて実感するたびにちょっとさみしい気持ちになる。けれど、ただの教官と生徒じゃこんな風に部屋で話すことなんてできないだろうから、それは嬉しくて。毎回変な気持ちになる。



そしてそこでようやく、この場の状況と教官の言葉の矛盾に気づく。


「ん……?お前らってことは、河原も呼んでるんですよね?」

「まあ、一応な」

「……なんで河原はいないんですか?」

「さぁ、なんでだろうな?」


そう言って外を眺める教官。ポーカーフェイスが上手な教官だけど、今はわざと表情を崩している。


ソファから立ち上がり、教部屋のドアを少し開ける。静かな廊下の奥、エレベーター覗き見ると、そのデジタル数字が増えている。それはつまり、誰かが上の階へやってきているということ。

その“誰か”が誰なんて、言うまでもない。増えるデジタル数字を一瞥して、そっと扉を閉める。


「はぁ……なるほど、どうせまた寝坊でしょ。違いますか?」


遠くでポーン、と誰かが到着した音がした。

それを聞いた教官は、肩をすくめて大げさにため息をつく。


「大正解だ、葛西」


部屋に響くノック音。教官が開いた扉の向こうには予想通り、申し訳なさそうな顔の河原がいた。



「あー……葛西、いたのか」

「当然でしょ。待ってたよ、河原」

「あはは……すいません、教官」

「悪いと思ってるの、本当に?」

「思ってる思ってる!っていうか教官、寝坊って葛西にバらしたでしょ!?葛西は確かに勘が鋭いけど、でも普段の教官のポーカーフェイスなら見抜けないと思うんですけど!?」

「さあな。勝手に思っとけ」


顔を真っ赤にして反論する河原を横目に、教官はそう言って逃げるように席を立つ。


「ちょ、教官、どこいくんですか!?」

「おまえのコーヒー取りに行ってやるんだよ。河原はブラックでいいか?」

「あ…はい、そりゃどうも…」


途端にクールダウンした河原は、ぎこちなく歩みを進め、私の隣にストンと収まった。壊れた人形のような一連の動きに、思わず笑いがこみ上げてくる。

富井や財前の前ではしっかり者で掴みどころのない、飄々とした性格の河原。しかし実際の河原はやはり、初等部のころから全く変わらない、少し天然で抜けたところのある意地っ張りな性格なのだ。教官と一緒にいてあわてふためく様子を見ると改めてそれを感じる。



河原がコーヒーを1杯飲んで落ち着いてから、教官の家へ向かう。今日は休日だから、2人の可愛い子供たちも家にいるのだろう。

やんちゃ盛りで、あの教官ですら手を焼く男の子が2人。私たちも色々いたずらをされたりするが、何をされても結局可愛くて許してしまうのだ。

そしてスコーンを焼いて待っててくれる、教官と同級生には見えない、どちらかというと表情の乏しい教官とは真逆の、ふわふわした、コロコロと表情の変わる可愛らしい奥さんの幸那さん。

高等部にあがっても、昔と変わらず私たちによくしてくれる三坂家が私と河原は大好きなのだ。



「そういやそういう服を葛西が着るのって、なんか珍しいな」


120階から降りるエレベーターの中、ふと河原にそんなことを言われた。


「え……?」

「いや、いつもシャツとか、ニットとかカーディガンとかセーターとか、なんていうか、動きやすそうなものばかり着てるイメージがあって」


確かに私はそういう系統の服を好む。単純に着替えやすく、動きやすく、着ていて楽だからだ。

しかし今の私が着ているのは、それとは正反対のふわっとしたシルエットのシフォンワンピース。


「そういう感じの服ってさ、確か…」


色も形も私の好みとは異なる。1人で買い物に来ていたら、絶対に買わないだろう代物だ。なら尚更、なんで私がこんな服を着ているのか。

その答えも簡単、自分で選んでいないからだ。この服を選んだのは、なぜか一緒に買い物について来て、とキャンキャン吠えていたあの彼女。


「あ、そうだ。富井だ。富井がこういう服着てるイメージがある」

「そう、ご名答。これは富井が勝手に選んでプレゼントしてくれたの。確かに好みとは違うけど、でも嫌いなわけじゃないし、たまにはいいかなって思って」

「なるほどな。確かに富井だ。ふわふわした裾とか富井っぽい」

「そんなに富井っぽい?今日の私」

「あぁ、すっごく」


こんなに富井の話を河原がしていると知ったら、富井はどんな反応するんだろう。

そんなことを考えて、にやけそうになる口元をぎゅっと締める。まあ、いつかこの話をしてみよう。きっと面白い反応が見れるだろうし。



そんな雑談をしつつ、1階まで降りて教官の住むビルへと向かう。

その途中にある花壇。咲いた色とりどりの花に思わず目を取られていると、隣の教官が小さな声でつぶやいた。


「黄色と白のチューリップとアネモネか、あれは……」


その一言に勢いよく教官を見てしまう。

―――教官、花に詳しかったんだ…。意外な事実。


そう思ったのは河原も同じらしい。目を丸く見開いてぱちくりしている。


「教官、花に詳しいんですか?」

「ん?…まぁ、それなりにな。昔、花に詳しい人がいてな」


教官はここじゃない、どこか遠くを見ているような、そんな瞳で色とりどりの花々を見つめている。



「教官だって人間だもんな」


数歩前を歩く教官を見て、ふと河原がそんなことを言う。


「そりゃ、そうだけど…どうしたの、急に」

「いや、何ていうか…教官にも俺達と同じくらいの歳の時代があって、生き残りをかけて戦ってた時代があったんだよな…って思って。あの戦争があって、仲間はたくさん死んでしまって、俺達はもうその人達とは……松本さんとかとは、もう会えないけど、でも今の教官を作ったのはあの人達なんだと思うと、何ていうか…もっと、話したかったな、って思ってさ」


あの戦争の援軍のせいで、教官は少し変わった。

塞ぎ込んだというよりは、むしろ元々仕事人間だったのに、さらにそれに拍車がかかったという感じ。幸那さんも私たちも無理をしていないか心配している。でもそれも含めて、今のそんな教官を作っているのは彼らなのだ。


「……そうだね。確かに、もっと話したかったな。松本さんとか、話す機会いっぱいあったはずなのにね」


一体彼はその背中に、どれだけのものを背負っているのだろう。例えば花に詳しかったその人は、今の教官にどれだけ影響を与えたのだろう。

私たちは、どれだけの影響を教官から受けて、どれだけの影響を教官に与えられているのだろう。


「お前ら、何やってんだ」


気づけば教官と私たちの間は10メートルほど開いていた。


「あっ、すいません!」

「今行きます!」


慌てて自分のところへ駆けてくる私たちを見て、教官は呆れたように笑ってペースを少しだけ落とした。


私たちと教官の距離は、きっと昔も今も縮まらない。ずっと、ずっと、教官は先を歩き続ける。時々止まってくれても、私たちが止まることの方が多くて、どんどん広がるばかり。―――そう、まるで今のこの距離のように。


「葛西?おーい、葛西ー。かーさーいー!葛西さーん?」

「はいはい、聞こえてる。何度も呼ばなくていいよ」

「そうかよ。なんかまた、難しいこと考えてんのかと思ったけど」

「え……」


“難しいこと”―――今日、その言葉を聞くのは2回目。


「ん?どうした?」

「ううん、なんでもない。なんか、河原と教官、似てきたなーって思ったの」

「なにそれ光栄!……いや、光栄、だよな?」

「どういう意味だ河原?」

「聞こえてんのかよ!とにかく、早く行くぞ葛西!」


私の前を走っていく河原と、ゆっくりと先を歩く教官。少しずつ似ていく2人の後ろ姿をみていると、笑みが漏れてしまうのは仕方がないことだ。



2人が同時に振り返って、同時に口を開く。


「「おい、葛西!!」」


見事にシンクロした2人の声。咄嗟のことにびっくりして、一瞬歩みを止めてしまう。その当人たちは、同時に嫌そうな顔をして互いを見ている。


「うわっ、被った!」

「うわっ、とは何だうわっとは」

「いやっ、えーと、その」

「何だ、河原?」

「す、すいませんでしたー!!」


一目散に、しかしちゃんと教官の家の方へと逃げ出していく河原に笑いが止まらない。


「ふふっ…はは、あはは…っ!」


河原を追いかける足を止め、私を見た教官の顔を、私は一生忘れないだろう。まるで悪魔のような、その瞳と笑み。見据えられた私の顔は、おそらく―――否、確実にこわばっていたはずだ。


「…もちろんバディであるお前もだぞ、葛西?連帯責任だ」

「えっ、な、なんでですかー!?もー!!」



それは、夏の気配を背中に感じた日のことだった。




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