05 初日(ⅲ)
ホームルームが終われば初日の授業は終了。授業が無ければ教室ですることはないので、ほとんどの生徒は寮の自室へ帰る。
一人一つずつ与えられた個室にはベットと机だけでなく、テレビやキッチン、ユニットバスまでついている。音声操作のできるAIアシストも設置してあるのは便利なものだ。生徒の大半は暇な時間をそんな部屋で過ごす。
しかし、成績上位者ともなればそうもいかない。
生まれ持った才能も少なからずあるだろうが、私は少なくともなんでも器用にこなす天才タイプではない。そしてそれはきっと河原も同じ。自分でいうのもなんだが、私たちは努力で今の地位を手にしたつもりだ。ゆえに何も自主練をしないと無性に不安になってしまい、一日に一度は必ず体を動かすようにしている。
それはもちろん今日も例外ではない。
―――様々な状況に対応している46階、とにかく広すぎる射撃場。
日本軍ご自慢のこの射撃場は、当然普通の射撃もあるが、シュミレーション射撃なんてものまであるのが特徴だ。そのシュミレーションが実はかなりリアルで、おそらく一般人だったら卒倒するようなものばかり。ちょっと問題のような気もするのだが、一般人はこの学園にはいないから関係ない話ではあるんだけど。
中等部のものも相当リアルだったが、高等部のものはさらにリアルになっている気がする。血の色とか質感だけでなく、標的を撃つと血が吹き出して血生臭い匂いまで漂ってくるのだから相当なものだろう。
ここで私と河原はライフル、富井は両利きをいかした二丁拳銃の訓練をする。刃物を使う財前だけが1人で寂しそうに47階の武道場に行くのは毎度のことだ。
パンッ、パンッ―――
「ありゃー……?」
射撃練習中。耳当て越しに聞こえてきた大きな唸り声に、耳当てとその下の耳栓を外して隣を覗く。そこには、パッションピンクの耳当てを外して頭を抱えている富井がいた。
「どうしたの?」
唇を尖らせた不満顔の富井が、トリガーに指にかけてくるくる回しながら私の声に反応する。
「んー?あー、藍か」
「私しかいないでしょ」
「まっ、そーなんだけどね」
えへへ、と笑った富井。彼女はおもむろにこちらに右手を差し出した。
「ん?」
「いや、やっぱ右のほうがやりやすいなぁーって」
「なるほどね。でもそれは、普段は右を使ってるんだし当然なんじゃない?」
「まあねー。でもさっ、せっかく両利きなんだしさ、それを生かしたいじゃん?」
「いかせるものがあるなら確かにね。それなら特訓あるのみよ」
「だーよーねぇー」
はふっ、と変な声を出しながら台に突っ伏した富井に苦笑をこぼしてから、再び耳栓と耳当てで頑強に防音する。
目の前に現れた標的にライフルの銃口を向けて、小さく息を吐く。
狙いをしっかりと定めて、指先に力を入れてトリガーを引く。瞬間、パンッと乾いた短い音を立てて弾が出て、それと同時に強い振動が身体中に伝わる。
的までの距離は200メートルくらいの設定だろうか。実際はもっと近いのにそう見えるのだから不思議だ。
200メートル。決して遠い距離ではない。だけど、頭上に表示されている的の映像を見れば、思わず笑みがこぼれる。
「まあでも…中心を打ち抜けたのは幸先がいい、かな」
そっと自分のライフルを撫でる。まだ熱を孕んでいるそれとはそれなりに長い付き合いになる。
これは学園から支給されたものではなく、支給されるクレジット―――この島の通貨のようなもので、島外に行く時は現金と両替できる―――を貯めて買った私物。中等部2年になれば、1階にあるインフォメーションで始めての自分の武器を買うことができるのだ。本当の意味で自分の武器であるこれもまた、私にとってかけがえのない相棒である。
「……なんて、本当はレミントンが欲しかったんだけどね」
そしてポツリとそうつぶやき、苦笑する。
手元のライフルは徐々に冷たくなっていく。もちろんこれにだって愛着はあるけれど、憧れとはまた別の話だ。
瞼を閉じて浮かんでくるのは、教官のライフルと一体となった美しい射撃。力強く、どこまでも美しい、芸術作品のような狙撃だ。
彼は狙撃の腕に関しては日本軍トップレベル。
遠く遠くのびる銃弾は、永遠に伸び続けるんじゃないかと錯覚するほど。しかもそれでいて威力もある。彼の狙撃を最後に生で見たのはもう数年前のことだけど、今でも鮮明にあの光景を思い出せる。それほど彼の狙撃は、人の心を捉えるものだったのだ。
数年見ていないからといって腕が落ちたとは考えられないし、何より噂で聞いた話だと、最近は射程距離の長いライフルだったら5000メートル以内の獲物は百発百中だとか。最早人間の業じゃない気がする。
さすが、かつての学年トップにして学園トップだっただけはある。
「きたきたきたきた!!!まりんの時代きたーっ!!いけいけっ!!」
再び耳当て越しに聞こえてきたその声に、一気に現実に引き戻される。
右隣から聞こえてくるその声がこんなに可愛らしくて甲高い声じゃなかったら、それが富井だなんて誰も思わないだろう。拳銃を両手でぶっぱなす姿は、とてもじゃないが普段の小動物のような姿からは想像できない。おまけにテンションが上がり過ぎたら奇声まで出すのだから、多重人格なのではと疑ったことは数知れず。
「いっけええええええ!!!」
ライフルを打つ時と同じくらいの大きなんじゃないだろうかと疑うレベルの大声。ここまで来ると、呆れるか笑うことしか出来ない。
一方、左隣からは私と同じライフルの音。奇声はもちろん聞こえてこない。
河原も同様に自分のライフルを持っている。私と同じ種類のライフルで、同じだったのは全くの偶然。
同じ音が聞こえてくるのは、同じライフルを使っているのだから当たり前だけど、それでもどこか違う音に聞こえるのは扱う人の違いだろう。無論、どちらがいいとかどちらが正しいというのはないんだろうけど。
腕を天井に突き上げ、凝り固まった筋肉を緩めてから再び的と向かい合う。古い的は自動的に新しい的に交換されるので、目の前にあるのは傷1つない真新しい的だ。狙いをしっかりと定め、トリガーを引く。新しい的に変わればまた狙いを定め、トリガーを引く。
(……まあ、上出来でしょ)
大丈夫、ちゃんと全て中心を打ち抜けている。
正確な狙撃は優秀なスナイパーへの第一歩。いつだったか教官がそんな事を言っていた。目標とする人の言ったことはなんでも試したいし、できるようになりたい。
目標は、いつか彼のそばで働くこと。それができるよう、今は目の前のことに丁寧に取り組む。それが今の私にできる唯一のことだ。
約1時間ひたすら撃って、満足したら上の階の財前と合流。そのまま下層部行きのエレベーターに乗り込んで2階にある食品店を目指す。
朝食や夕食は下層部にある食品店で食料を買って、自室で調理するのが私にとっては基本スタイル。自炊が面倒くさくて外食しかしない人もいるので、そこら辺は人それぞれだ。ちなみに昼食の時だけは学園内にある食堂を利用してもいいことになっている。
「じゃあ、とりあえず食品店で食料調達と行きますか!ねっ、一也!」
財前は河原にべったり。この2人は初等部の頃からこんな様子なので、むしろ険悪な2人の方が珍しいんだけど。
富井に似て人懐っこい財前と、彼らの前ではクールで居たいらしい河原はなんだかんだいいコンビのような気がする。
「そうだな。あと俺は他にも買っておきたいものがあるし」
「え、一也何買うの?」
「別に財前には関係ないけど?」
「えーっ、けちー!」
「けちってなー、別に大したことじゃないんだって。ただ、靴下が足りないから買おうと思ってるだけで」
「ふーん、そーなんだー?じゃ、俺も付いていこーっと」
ご機嫌に鼻歌まで歌う財前に、河原は苦笑交じりの笑みを向ける。
「なんだかんだ、この2人はこうじゃないとってかんじね」
「まぁねーっ」
楽しそうに笑みを漏らす富井。そんな彼女の視線の先を追えば、そこにいるのは私の予想通りの人物。
「富井は行かないの?」
「うーん……まりんはいいやっ」
「いいの?本当に?」
「えぇ……そんな事言われると悩んじゃう……!」
恥ずかしそうに頬を手のひらで包み込み、眉を垂らすその顔は、恋する乙女そのもの。
「全く……中等部の頃から思ってたけど、よくバレないよね」
「えーっ、そうなかな!?」
「うん。こんなにわかりやすいのに」
「うー……そんなつもり、ないんだけどなぁ……」
クリクリした大きな目が私を捉える。その瞳の奥、滲む本心はやっぱり隠しきれてない。
実は心理戦だけなら私のほうが富井よりも何枚も上手なのだ。
「……で、行くの?行かないの?」
数瞬の沈黙。えへへっ、と富井が笑いをこぼした。
「何がおかしいの?」
「ううん、ただ……藍って、まりんのことよく見てるなぁ、って思って!」
「え、そんなことはないけど」
「即答!?」
そう言ってまた笑い出す彼女。頬の赤みはさらに増し、瞳の奥はキラキラしている。比喩ではなく、本当に宝石のように見えてしまうほどの輝きが眩しい。
「ねぇ、まりんわかりやすい?」
「うーん……微妙かな」
「えーっ、なにそれ!うーん、でもやっぱり藍ってまりんのこと、よく見てるんだね!」
「前言撤回。ものすごくわかりやすいわよ」
「えーっ!?」
分かりやすすぎる反応が面白くてついついからかってしまうのはいつものこと。笑いながら、息を荒げる富井の肩をぽんっと叩く。
「まぁ、何はともあれ、しっかりつなぎ止めときなさいよ?」
「えー……それは難しすぎない?」
そう言って富井が視線を送るのは、我が相棒である河原。
―――富井まりんは河原一也が好きだ。
もっとも、そのことに気づいているのは私を含めてほんの数人だけだろう。
自分のことにはとことん疎い河原が、自分に向けられる恋心に気づいているとは到底思えないし、人の心を読むのも騙すのも苦手な財前もまた然り。個人順位上位者や相棒がこれなんだから、他の生徒も当然気づいていないだろう。
しかしよく注意して見てみれば、そのピースは普段の行動のいたるところに散りばめられている。
最初にそのピースに気付いたのは、中等部2年の時。
その時の内部生と外部生の間の壁は、今よりもずっと高かった。人を殺すことに何の抵抗もない人のことを一般人は理解できない。そんな当たり前のことは、内部生だって十分理解していた。だから互いに関わることをとことん避けていたのだった。
しかし、富井だけは違った。
財前とバディになったことも要因なのだろうが、彼女はずっと私たちと一緒にいた。富井と財前同様、内部生と外部生のバディは存在していたけれど、一緒にいるところを全くと言っていいほど見たことがなかった。それが普通なのだろうと思っていたから、富井が一緒にいることが私には理解ができなかった。
“なぜ私たちと仲良くしようとするの?”―――単刀直入に聞いたその時、富井はかなり言葉に詰まっていた記憶がある。
今でこそポーカーフェイスが上手くなってきたが、中等部のことはまだまだでわかりやすいことこの上なかった富井。初等部の教育を受けていない外部生だ。どんなに実力はあってもそういうことは苦手だったのだろう。
それがきっかけで、私はその怪しい態度の理由を探りだし、富井の気持ちに気づいたのだった。
要するに皆が恋するお姫様の心は、既に王子様に射止められてしまっているということ。しかも射止めた王子様は無意識という残念っぷり。
実際、河原の察しの良さは時々恐ろしいものがあるのに、何故か普段の河原は鈍すぎて私も呆れるほど。その鈍さは富井がさすがにかわいそうに思えてしまうくらいなのだけど。
富井はむー…、と唸りながら前を歩く河原を見つめている。
―――しょうがない。高等部初日だ。少しくらい手伝ってあげてもいいか。
「……新学期初日くらいは4人で外食でもいいんじゃない?」
「へ……?」
富井の間抜けな声。横を見れば声にお似合いな間抜け顔。
「これでもバディだからね。河原の扱いなら私が一番長けてるはずだから、約束取り付けるなんて簡単だ思うの。……迷惑なら別にいいけど、どう?」
「いっ、行くっ!」
富井はピョンピョン飛び跳ねながら、勢いよく私に抱きついてくる。
「藍っ、大好きーっ!」
「ちょ……ちょっと、富井!抱きつかないで!」
そんな嬉しそうな顔をされると、こっちまで嬉しくなってしまう。教官が私たちに甘いのと同じように、私も彼女には甘いのかもしれない。
人付き合いがあまり得意ではない私がこの偽りの楽園で日々退屈せずに過ごせているのは、彼女が一緒にいてくれるからだ。どんどん土足で人のパーソナルスペースに踏み込んで来るくせに、不思議とそれが嫌ではない。これもまた、彼女の才能なのかもしれない。
騒ぐ私たちに、前を歩く河原と財前が気づかないわけがない。富井が私に抱きついて嬉しそうな声をあげるのを見て、河原と財前が首をかしげる。
「葛西、富井になにしたんだ?」
「なんでも。ただ、今夜は一緒に食べようって言っただけよ」
「えーっ、なにそれ!ずるい!一也、俺たちも!」
「そうだな。まぁいっか」
財前が羨み河原が承諾する。この展開は読めていた。そして―――
「葛西、一緒に食べてもいい?」
―――誘ってくるこの展開も。
横目でちらっと富井を伺う。
頬はバラ色、瞳は星を散りばめたように輝いている。その視線の先には思い人。恋する乙女とはやっぱりこんな感じ、というかまさにこれなのだろう、と改めて思う。
「当然。最初からそのつもり」
「それじゃあ決まりだな。ちょうど2階に着いたし、適当なところにでも入るか」
「そうね」
再度富井を伺う。
何やら口をパクパクしている。唇を読め、ということだろうか。
“あ り が と う”
ありがとうなんて、普通に声に出していえばいいのに。でもまあ、変なところで恥ずかしがる富井らしいか。
おかしくて小刻みに震えていると、面白がられていることを感じたのか、不満げに頬を膨らませながら私を睨みつけた。その姿が何かの小動物のマスコットに見えてしまい、どうにもおかしくて思わず吹き出してしまう。
「ふふっ、いいのよ、全然」
「もーっ!何笑ってんのーっ!」
今にも湯気が出そうなほどに顔を真っ赤して、舌をベーっと出した富井。
その幼稚園児か小学生か、と突っ込みたくなるような姿にまた吹き出してしまう。私は決して悪くない。
「ちょっと!またまりんのこと笑ったでしょ!?」
「あー、ごめんごめん。ものすごく可愛くて」
「今可愛いとか言われても嬉しくないんですけどっ!?ていうか、絶対そんなこと思ってないでしょ!?自慢じゃないけど、心理戦苦手なまりんが分かるくらいに演技下手だからね、藍っ!?」
鈍すぎる我が相棒と“恋する乙女”のお姫様。
こういう状況下ゆえ、普通の恋愛はできないのかもしれないけれど、それでも恋するのはいいことで、そうやって人間は成長すると教官も言っていた。
きっと教官も奥さんである幸那さんとそんな幸せな恋愛をして、あんな幸せな家庭を築いたのだろう。
―――私には、そんな相手が現れるのだろうか。
一瞬心に浮かんだそんな疑問。なんでそんなことが浮かんだのかはわからないけれど、ハッとして思わずその場に立ち止まってしまう。
「葛西?どうかしたのか?」
「え……あ、ううん、なんでもない」
その疑問をそっと自分の胸の中にしまい込んで、前を歩く3人のもとへ小走りで向かう。
明日も未来もわからないまま、高等部初日はいつも通りに過ぎていくのだった。