03 初日(ⅰ)
シェルター内には、本部を中心として放射状に8個のビルが立ち並ぶ。
本部以外のビルの全てが50階建てで、尚且つ全てが本部とは違い直方体のような見た目をしている。
8個のうち、本部入口から遠いところにある4つのビルは軍関連のビル、残り4つは軍の関係者の住居となっている。
この住居となっている4つのビルのうち、本部入口の正面にあるビルの44階が三坂教官の家だということを私と河原は幼い頃から知っている。
学園出身者とは思えないほど華奢で可愛らしく優しい奥さんと、今年8歳と5歳になる、やんちゃ盛りで生意気な可愛い子供が2人。
奥さんの幸那さんと教官はとても仲がいいことが伝わってきて、見ているこっちが幸せな気持ちになる。8歳の健太くんと5歳の駿くんはどことなく教官に似ていて、でもまだまだ可愛くて、私にも河原にもよく懐いてくれる。
時折訪れると優しく出迎えてくれるそんな三坂家の方が、私にとってはよっぽど楽園に思える。
無事シェルター内まで戻ってきた私たち。
私と河原は本部、教官は自宅のあるマンションへ戻る。
「それでは教官、また」
「ここで失礼します」
深く頭を下げ、本部にある寮へ帰ろうとする私たち。踵を返そうとした瞬間、教官は低い声で私たちの名前を呼んだ。
「葛西、河原、言っておきたいことがある」
聞き覚えのある声音に、横で短く息を飲む河原の声が聞こえた。
―――その声は、初等部を卒業したときに聞いたものと同じ。本当の殺し合いが始まる中等部に入学する教え子を心配する、教官としてのそんな声。
顔を上げてじっと教官を見つめる。
見慣れた鋭い目元が特徴的だが、まだ30代半ばの彼の顔にはシワもシミもない。整った顔立ちをしているからこそ、怒った時が余計に怖いのだということに気付いたのは中等部に入ってからだった。
固く結ばれていた口元がわずかに緩み、固い表情のまま言葉が紡がれる。
「……死ぬんじゃねえぞ」
たった一言。でも、その一言は重く、ずっしりと私たちの心の中で響く。
そう、この人はずっとこういう人だ。とてもかっこよくて、とてもずるい人。どれだけ出世しても、私と河原のことをいつまでも気にかけてくれる。その事実が、どれほど私たちにとって嬉しいことか。
「大丈夫ですよ、教官。俺たちを誰の教え子だと思ってるんですか?」
「そうですよ。教官が思ってるほど、私たちヤワじゃないんで」
「そうそう。教官が最後に指導して、もう6年も経ってますしね。成長はしてるはずですよ」
「成長してなかったら、その時こそそのレミントンで撃ち抜いてください?」
嬉しいけど、悟られたくない。そんな複雑な感情を隠すように、私と河原は早口でまくし立てる。
その感情を察しているのか否かはわからないけれど、教官はそんな私たちを見て呆れた様に笑みを零した。
「あぁ、そうだったな。じゃあ、気長に最高司令部で待っているとするか」
その言葉を聞いた瞬間、まるで強力な電流が身体中を流れた様な感覚がした。
雷に撃ち抜かれたというのだろうか。いや、表現なんてどうでもいい。その衝撃は、今までにないものだったのだ。
初めてだった。教官の方から、待っていると―――追いかけてこいと言ってくれたのは、9年間で初めてだったのだ。
軍人としてトップにいる、尊敬すべき人間が今、目の前にいる。
追いかけるべき人間が目の前にいて、その彼が追いかけてくるよう言ってくれている。そんな幸せなことは他にない。恩師がわずかでも自分を認めてくれているようで嬉しいと思うのは、おそらく河原も同じ。ならばその思いに応えなければならない。絶対に。
河原と顔を見合わせる。視線が交錯する。
彼もまた、教官の言葉に衝撃を感じていたらしい。強く握られた拳は震えていた。
「その期待、必ず応えてみせますよ、教官!」
「だから、くれぐれも気長に待っててくださいね?」
その言葉に教官は、また呆れた様に笑った。
教官と別れ、河原と2人で本部内へ戻る。
豪華なシャンデリアの光がまぶしいエントランスを通り抜け、一番奥にあるエレベーターに乗り込む。エレベーターの中にも小さなシャンデリアがしつらえてあり、エントランスと変わらない眩しさに目を細めるのはいつものこと。
中等部男子寮があるのが38階と39階、女子寮があるのが40階。どの学年を見ても、やはり男子の方が圧倒的に多い。
河原は男子寮の中でも成績上位者の住む39階に住んでいるので、とりあえずそこまで一緒に向かう。その最中、ポツリと河原がつぶやいた声がエレベーター内で響いた。
「教官、なんかいつもと違った…よな」
その言葉にうつむき唇を噛む。
―――そう、感じずにはいられなかった彼の小さな変化。教官の前では考えない様にしていた。だって、教官は聡いからすぐに気づいてしまいそうで。そしたら教官はまた、悲しい顔をして笑うと思ったから。
「うん。……あのことがあったから、よね」
「あぁ…。俺たち、教官に会いに行けなかったからな、あの時」
顔を見なくてもどんな顔をしているのかは大方予想がつく。
初等部、中等部で9年を共に過ごしてきた時間は伊達ではない。
―――それはつい1ヶ月ほど前の出来事だった。
日本の同盟国が戦争に巻き込まれ、我が国からもわずかながら援軍が出た。
第二次世界大戦の終戦から10年後から今日まで、日本には徴兵制度が存在している。
しかしそれはあくまで形だけ。つまり日本軍の力を誇示するためだけで、彼らが実際の戦争に巻き込まれることはほとんどない。もし彼らが戦場に駆り出されることがあるとすれば、それは日本が直接攻撃された時だけだろう。
援軍の場合は普通、軍隊として出動するのは軍人としての階級が低い人―――下級軍人たちだけ。つまり、多くは学園関係者として働いている人たちだ。位が低いとはいえ、彼らだって実践を生き抜いて卒業した者達なのだから実力に不足はない。ただ稀に、それでも人手が足りないこともあるらしく、そういう時はそれより上の階級の軍人が駆り出されることもある。
しかし、それはせいぜい少尉くらいまで。中尉など、さらに上の階級の軍人が駆り出される可能性は限りなく低い。
上級階級の軍人の仕事は、手薄になる総務部の仕事を肩代わりしたり、本部から戦地に指令を出して援護することだからだ。
しかしあの援軍は突然だった。
少し前にも援軍を出したばかりで、戦力も思うより回復していなかったらしい。故に今回は少尉までの階級の人々も駆り出された。しかしそれでも全く足りなかった。
最高司令部が出した決断は、大尉までの階級の軍人も戦場へ駆り出すことだった。
もちろん、少将以上しか在籍することができない最高司令部の人たちは駆り出されることはなかったようだけど、軍全体で見ると相当数の人数が駆り出されたと言われている。
下級軍人も含め、駆り出された軍人の大半は20代から30代前半。教官が学生時代、ともに切磋琢磨した同級生も数多くいた。
彼の代で最も出世したのが三坂教官。次に出世していたのが、教官の親友の松本剛士教官だった。
しかし彼は、戦場で命を散らした。
彼だけじゃない。
教官の同級生はほとんどその援軍として駆り出された戦場で死亡した。
援軍を送った地で起きていたのは、小さな紛争ではなく、いくつもの国家が争い合う激しい戦争だったらしい。多くの犠牲が出るのは想像の範疇だったのだろうが、この犠牲の数は実践など無意味だと言わんばかりの悲惨な結果だ。この結果には、最高司令部は今でも苦い顔をしていると風の噂で聞いた。
幸那さんのように、卒業しても出世競争には参加せずに学園の人間として生きている人は生き残っている。
だが軍人としての出世を夢見て、卒業してからも共に切磋琢磨してきた仲間を大勢失ったという事実は教官の心に大きな傷を負わせたに違いない。
私たちは軍人としての訓練を積む過程で、仲間をたくさん失ってきている。奪ったこともあるし、この手で奪ったこともある。それは夜桜学園の出身者である教官も同じだ。
それでも、実践を生き抜いて、やっと共に軍人として進み出した仲間、そして親友を失った辛さ、心苦しさは計り知れない。
あの人は強い。それを表に出すことは、今までもこれからもないのだろう。
でも…、と隣の相棒を横目で見る。私なら、彼を失って正気でいられる自信はない。
エレベーターは静かに上に進む。2人きりのエレベーターの中に重苦しい空気が満ちる。
詰まった息を吐き、ドンっと音を立てて壁にもたれかかる私を河原は一瞥し、自身も同じように壁にもたれかかった。
「卒業のための実技テストが近かったから、私たちは何も援軍のことなんて聞いていなかったのよね。……そのことを知ったのは、テストが終わってからだった」
「教官は俺たちのこと、気にかけてくれてるのに、俺たちは何もしてやれてない。生き残ることが孝行だ、なんて綺麗事だよな」
「だけど、それしかしてやれることがないなら……」
グッと顔を上げ、顔を見合わせる。
「「やってやるしかない」」
何を示し合わせたわけでもなく声が揃う。それはつまり、思いは同じということ。
私たちが軍人になりたいのは、もちろん自分のためというのが一番大きな理由。それは変えようのない欲望である。
だけど、それと同じくらいに教官と共に働きたいのも事実。
教え子ではなく、同僚として少しでも力になりたい。叶うなら少しでも彼の仲間になりたい。
ぽーん、と軽い音を立てて停止したエレベーター。その上方を見れば、デジタル文字が39を表していた。
「それじゃあまたな」
「休みでも訓練はするんでしょ?」
「そりゃ、当然だろ」
ニヤリと口角を上げる河原を見て、心なしか安心する。
教官にも同じ顔をして見せていたが、今にして思えば、少々遠慮のこもったらしくない笑みだった気がする。でも、この笑みはいつもどおりの笑みだ。
“閉”のボタンを押す。ドアが閉まる数秒、河原が何か小さく呟いた。
「ありがとな、相棒」
―――小さな声だった。だけど聞こえた。
どんなに小さなつぶやきでも、河原の声なら聞き取れる自信がある。ロマンも何もないことを言うけど、相棒なのだから聞き取れないと困るからだ。
しかし彼は、頬を染めながら聞き取るのが難しいくらい小さな声で言った。
もしかしたらこのつぶやきは聞いて欲しくなかったのかもしれない。聞こえないふりをしてあげるのも優しさなのかもしれない。でも私はそんな優しさをもつほど出来た人間ではない。
ニヤリと笑い返し、はっきりと聞き取れる声で返す。
「こちらこそよ、相棒」
ドアが閉まる瞬間、最後に見えたのは相棒の真っ赤な顔。
―――2040年、春。
10年以上前のあやふやな記憶の中―――外の世界では、色とりどりの花が咲き誇る美しい季節。もちろんシェルター内でも様々な花が咲き誇っている。その花々の中でも、一際華やかなピンク色の花が桜だということを教えてくれたのもまた教官だったな、などと思いながら、中等部の時とほとんど変わらない制服に腕を通す。変わったのはネクタイの色くらいだろうか。赤ネクタイから青ネクタイに変わった。
3月の終わりには寮も高等部の寮へ移動し、私は50階の角部屋へと移った。なんの偶然か49階の真下の部屋は河原の部屋らしい。
防弾ガラスの窓越しに景色を眺める。10フロア上がればそれなりに景色も変わる。とても優雅とは言えないけれど、新学期を迎えるには気持ちのいい朝だ。
「おーい、藍ー?起きてないのー?」
私の耳に届くそんな甘ったるい声。―――前言撤回。その一瞬で静かな時間は奪われた。
部屋のドアを連打する音とともに聞こえる声。閉じた瞼の裏に見慣れた大きなツインテールが浮かんできて、それをかき消すように激しく頭を振る。
「起きてるわよ……」
そう答えれば、即座に返ってくるテンションの高い返事。
「なーんだ、初日から寝坊かと思ったのに。おもしろくないなぁー」
「別に面白さなんて求めてないって」
「ノリ悪いってば!もーっ、そんなんから藍はこんなに美人なのに男子が寄ってこないんだよー。一也が相棒してるのもあるけどさっ」
間延びした口調で、どうでもいい言葉を言い連ねる扉の向こうの相手にイライラしつつ身支度を済ませ、ドアを勢いよく開け放つ。
ドアのすぐ前にいたはずの彼女は、私がドアを開け放つのと同時に軽いフットワークで後ろに下がる。
「へえ……さすがね、優等生?」
「えーっ!?最早苗字でも呼んでくれないの!?結構妥協してるのにっ!?」
目の前で大きく揺れる明るい茶髪のふわふわのツインテール。大きなショッキングピンクのリボンは、私なら邪魔で仕方がないと思うけれど、彼女の可愛らしい顔によく似合っているから否定はしない。
「あ、今まりんのツインテール、邪魔くさいって思ったでしょ?」
「別に思ってないわよ」
心を読まれたようで思わずドキっとする。心理戦は苦手なくせに、なんで気づくのか。
しかし、そのことを悟られてはいけない。のちのち面倒なことになる。
仕方がないから、その話題から逃げるように話題を転換する。
「…で、こんな朝早くから富井が私を訪ねてくる理由ってのはなによ?」
―――富井まりん。
小柄な体に可愛らしいルックス。軍人を目指す硬派な男子生徒をも虜にする美少女。ふわふわしたツインテールがチャームポイント、らしい。
何が面白いのか、私にばかり構ってくる小動物のような彼女を邪険にできないのは、富井が個人順位1位の優等生だから。中等部の頃からなんだかんだ関わりが多く、今では一応友人の1人だとは思っている。
ちなみに学年順位の話をしておくと、河原が2位、私は3位なので、富井には勝てていない状況。
さらに彼女は中等部からの外部生。外部生は適当にクジで選ばれるため、良い人材が入ってくることはめったにない。つまりエリート組の養成のための駒。
その中からこんなエリートが出てきたのだから、学園からすれば予想外の掘り出し物だろう。
聞いてみれば、寝坊した私をからかいたかった、なんてどうでもいい理由で私を訪ねて来た富井の話を右から左に聞き流しつつ、改めてその小柄な体を眺める。
私が160センチなので逆算して、富井はおそらく150センチくらい。
トレーニングの鬼と呼ばれた時期もあるくらい筋トレをする私は、体重も見た目より随分重い。
対して富井はものすごい軽い。中等部の時、アクシデントで彼女を抱えて走ることになったことがあった。その時、軽々抱えることができて少々驚いたものだ。
「それでさー…―――って、藍!聞いてないでしょー!?」
ピョンピョン跳ねながらキャンキャン吠える富井。犬とうさぎが合体させれば彼女になるだろうとくだらないことを考えてみて、バカバカしくなってため息をつく。
「聞いてた聞いてた。で、用事はもう済んだでしょ?私、もう行きたいんだけど」
正直なところ、あまり聞いてはいなかったがそれを言うとまた面倒なのでスルー。
携帯端末を確認すれば、もうそろそろ出てもいい時間になっている。右手でベットの上に置いてあったカバンを、左手で部屋のカードキーを取る。
無理矢理富井を部屋から追い出し、カードキーで部屋をロックする。振り返れば、不満げに頬を膨らませる富井の姿。
「藍ー、つーめーたーいーっ!てかどこ行くのっ!?」
「高等部。富井も行くんじゃないの?」
「えっ、行くっ!藍、一緒に行ってくれんの!?」
優等生だが、ものすごくわかりやすいのが富井まりんという少女だ。
優等生でわかりやすい点は、河原に似ていなくもない。私は意外と、この手のタイプに弱いのかもしれない。
富井とエレベーターに乗り込んで、50階の廊下を見た瞬間、ふと思考が至る。
―――あと何回、この部屋に帰って来れるのだろう、と。
自分が恐怖を感じているということは、意外と冷静に受け止めることができた。だが、そこで立ち止まるわけには行かない。私たちは進まなければいけない。
進むことでしか、正解が得られないのなら、やってやるしかない。