01 プロローグ
―――2040年、冬。
かつては日本最大の貿易港だったこの港も、今では寂れた鉄骨が立ち並ぶだけの巨大な廃墟と化している。そんな寂れた、けれどゆっくりとした時間の流れるその景色にすら何故か安心してしまい、私が日頃置かれている境遇がいかに普通じゃないのかということを思い知らされる。
身震いしそうなほど冷たいのにどこか心地よい海風が頬をなでる。海風を心地よく感じるなんて、一体いつぶりだろう。ギュッとマフラーを首元に寄せる。息を吐けば白い吐息が漏れた。
不意に聞こえてきたウミネコの鳴き声が聞こえた方を向く。視界に飛び込んできたのは、曇り空を飛ぶウミネコたちと、遠くで遊ぶ2人の女の子。ダウンコートを羽織った茶髪の女の子と、毛糸の帽子をかぶったショートカットの女の子は、見る限りでは年相応に鬼ごっこをしているようだった。
「何しているの?」
分かりきったことを口実に、彼女たちに近づく。甲高いヒールの音を響かせながら突然やってきた私に、一瞬怪訝な顔をした少女たち。だがすぐに人懐っこい笑みを浮かべ、キャッキャと可愛らしい声を上げる。
「あのねっ、鬼ごっこしてたの!」
「でもね、最初は楽園見てたの!きれいだよねぇ~」
「うん!いつか行きたいなぁ」
少女たちがはしゃぎながら揃って指差すその先に見えるのは、ステンドグラスでできた巨大なドームのようなもの。海の上に浮かぶ孤島を覆うそれは、太陽の光を受けてキラキラと輝いている。―――そう、まさに楽園。
「楽園、ね…」
私の小さなつぶやきに気付く様子のない少女たちは、また鬼ごっこを始める。
寂れた港に響く少女たちのはしゃいだ声は、その雰囲気にはどうやったて合うものではない。日常から切り離されたような静けさの中にはしゃぎ声の入り混じるその光景。自分にもそういえばこんな時期があったかもしれない、と不意に懐かしさがこみ上げてくる。
しばらく鬼ごっこに興じる少女たちを眺める。
(こんな時期こそあったけれど、こんなに無垢に楽しめたかは怪しいよね……)
懐かしさを追いかけるように、一抹の寂しさもこみ上げてくる。目の前の彼女たちがより一層、眩しく見えて思わず目を細める。
そんな彼女たちは、いつまでもこの場を立ち去らない女をいよいよ不審に思い始めたらしい。
「そういえば……おねーさん、誰?」
「私は、そうだね……」
「不審者?えーっ、私、初めて見た!」
「そんなはっきりと……でも残念、それは違うかな」
「えー、そうなの?じゃあ誰?」
「ただの通りすがりのお姉さんよ」
「じゃあ、おねーさんも楽園見にきたのー?」
「うーん……まあ、そんなところかな」
―――また楽園、か。
ここの人たちは、そんなに楽園が好きなのだろうか。見たこともない、夢の中の、想像の中の楽園が、そんなにも。
腰を下ろして海の上でキラキラ輝く楽園を眺める。確かにこう見れば綺麗だ。
ぼんやりそんなことを考えていたからだろうか。後ろに立っていた茶髪の少女の存在に気付いたのは、彼女に背中を叩かれた時だった。突然の出来事にびっくりを飲み込み、笑顔を浮かべて彼女を見上げる。
「どうしたの?」
「おねーさんは、楽園に行ったこと、ある?」
「うーん……どうかな?」
「えーっ、なにそれー!?」
ぷくっと頬を膨らませる。本当に可愛らしくて思わずこちらも笑顔になる。
しかし、いくら幼いとは言え、流石にはぐらかされたことには気付いたらしい。あからさまに不満げな目でこちらを睨みつける。しかしそれがまた可愛らしくて、さらに笑みが漏れる。
「ごめんね。……それで、楽園がどうしたの?」
改めて尋ねると、今度はしょんぼりとした表情を浮かべる少女。
キラキラ光る楽園を眺めるその瞳には、先ほどまでとは打って変わって憂いの色が見えた。
「ほのかのおにーちゃん、楽園に行ったまま帰ってこないんだ…。ほのか、おにーちゃんに会いたいのに…」
「へえ……お兄さん、楽園の人なの?」
「うんっ!おかーさんがね、楽園に行けるのは、すごい人ばかりなんだって言ってた!」
「そうなの。すごいね」
「でも、おにーちゃんに会えないのは寂しいなぁ…」
元気になったと思えばまた肩を落とす。忙しい少女。
ふと携帯端末に視線を移せば、ここに来て既に30分近くが経過していた。―――そろそろ丁度いい頃合いだろう。
ずっと少女たちを見ていたい気もするが、残念ながら私には時間がない。待ち人がそろそろ現れるはずの時間が迫っていた。
「…それじゃあ、私はそろそろ行こうかな」
「えー……行っちゃうの?」
「うん。十分楽園も見れたしね」
「そっかぁ」
少し重い腰を持ち上げると、少女が少し寂しそうな顔をする。そんな少女の頭を軽く撫でながら、ふと思い出してポケットから飴玉を取り出す。
赤、黄、オレンジ―――カラフルな飴玉は太陽の光を受け、楽園と同じように輝いている。ただ、似ているようで、楽園と飴玉は全く違う。この飴玉は本当の意味で美しい。
「はい。これあげるわ」
「わぁ、飴玉!綺麗!ありがとう、おねーさん!」
「いえいえ」
そして、喜ぶ彼女の横顔を眺めながらふと思いつく。
「…そうだ。ほのかちゃん、お兄さんに言いたいこととかある?」
私のその言葉に、目の前の少女の瞳がパッと輝く。
「おねーさんっ、おにーちゃんのこと、知ってるの!?」
「うーん、それは内緒。でも、伝えられたら伝えたいと思って。ほのかちゃん、名前は?」
嬉しくてたまらない表情を浮かべた、太陽のような笑顔の少女は答える。
「河原ほのか!おにーちゃんは河原一也っていうの!それでね、えっとね…あっ、ほのかは元気だよって言ってほしいの!」
目の前の少女から発せられたその名前は、思いもよらないもので。
予想もしていなかった聞き飽きたその名前に、何度か目を瞬かせる。
「“河原一也”ね。……わかった、伝えておく」
「ありがとっ、おねーさん!」
「いえいえ。じゃあ、もう時間だから……」
またね―――そう言って踵を返そうとしたその時、小さな違和感に気付く。
身動きが取れない。怪訝に思って下を見ると、その小さな少女の手がコートの裾を掴んでいた。
「…おねーさん、本当に行っちゃうの?」
眉をへの字にして悲しむ少女。私はその頭を優しくなでる。
「そうだね。でもきっと、またいつか会えるよ」
「…本当?」
「本当よ」
「じゃあね、指切り!」
「え……」
そう言われて差し出された小指。正直指きりなんて気恥ずかしいけれど、彼女の笑顔を見ているとそんなのどうでもいいような気がした。
「わかった。はい、指切りね」
「うんっ!」
楽しそうに、嬉しそうに指切りをする少女。
「はーり千本のーますっ!指切った!」
語尾を弾ませながら歌を歌って、可愛らしい笑みを向ける彼女の頭を今一度撫でる。そしてゆっくり手を離し、今度こそ背を向けて歩き出す。少女はそれで満足したらしく、振り返った時には既に鬼ごっこに戻っていた。
少女達のところから100メートルほど歩くと、今は使われていない錆び付いたコンテナが大量に放置されている。縦に高く積まれたコンテナはまるで立体迷路。その迷路を少し歩けば、目の前には1人の男子がいた。
「思ったより早かったのね」
「あぁ。一通り見て回れたしな」
「それなら良かった。さて、そんなあなたに伝言よ」
「え……?ていうか、あの子たちと何を話してたんだよ?」
「別に?……”ほのかは元気だよ”、だってさ。―――よかったわね、お兄ちゃん?」
―――大きな瞳を見開いて口をあんぐり開けているのは、我が相棒の河原一也。
えっ、えっ、と間抜けな声を漏らしながら、コンテナの影から遠くの少女を眺める河原。
「え、あれ、俺の妹!?」
「そうみたい。私もびっくりしちゃった」
「そうかぁ……。俺が楽園に行った時は母さんの腹の中にすらいなかったのに。存在も手紙で知ったくらいだけど……でも随分でかくなったんだなぁ」
「当然でしょ。9年も経ったんだからね、私たちが楽園に来てから」
「まあそっか。あと、俺のこと知ってたことにびっくりした」
「それはお母様が教えたんでしょう。それで、返事は?」
「それ、葛西に言って意味ある?」
「いや、全く。ただ一応、返事くらい聞いておこうと思ったまで」
考え込む河原をジッと見つめる。
よく見れば、確かにほのかという少女と河原は似ているような気もする。兄弟は雰囲気が似るとよく言うが、10年近く離れていてもそれは通用するらしい。
そういえば私、子供の頭を撫でるなんて慣れないことをしたっけ。そんなことをした自分に若干の驚きを今更ながら感じる。それは、ほのかという少女が目の前の彼に似ていたからだろうか。
「まあ、ゆっくり考えるよ。いいだろ、相棒?」
「何よ、唐突にカッコつけちゃって。まあいいけどね、相棒?」
「ははっ、そう来なくっちゃな!」
私―――葛西藍と河原一也は、初等部1年からの付き合いの相棒。
夜桜学園―――通称“楽園”。
毎晩のパレード、天国のような学園生活。楽しいことだらけと噂されるその学園は、まさに地上の楽園だと噂されているらしい。しかしそれは真っ赤な嘘。
―――夜桜学園は、軍人を輩出するための軍事学園なのだ。
私たちに与えられた選択肢は2つ。―――学園での殺し合いを生き抜くか、殺されるか。




