02.
〔2〕
三日三晩を呆然と過ごした。
その場から一歩も動くことなく。力尽きるように膝をついたままで。
天だけを仰いでいた。ここでも太陽は一つだった……。だが、月はどんなに目を拭ったつもりになっても、いつだって複数が見下ろしてきた。時刻にもよるが、最大で八つ。原色の――青だの緑だの赤だの黄だのが輝いて、大小それぞれが天に座す。
ほかにも夜空を埋め尽くす星々の輝きが満ちて、星雲の様をなしている。それらどの星の配置にも、見知った星座や一等星の位置関係などを見いだすこともできず。
やがては認めざるを得ない。天文的に考えれば、ごく単純に……ここは地球ではないと。
だが地球ではないというのなら。そんな未知の惑星上に我が身が落とされた不可思議もさることながら、なぜ呼吸ができているのか。なぜ環境に蹂躙されるまま死に果てていないのか。
わからない。わからないが……
丸三日も自棄にして過ごすなどという贅沢が出来ていた理由ならば、あった。
危機感が湧かないのだ。
何も飲まず食わずでいて、喉の渇きなどが皆無というわけではない。しかしそれが命の危険に直結してくるような感覚はともなわなかった。もっとありていにいってしまえば、余裕があった。
身の内の、腹の底からとめどもなく溢れ出すような力強さが。全身を巡る血流の、微々たる血の一滴に至るまで直接火がついたかのごとき灼熱のパワーが。
呼吸を重ねるほどに燃え盛っていった。際限なくどこまでも。だがそれは新たに何かが増えたというものとは違った。それは整理の感覚に似ていた。この地に落ちてくるまでに通り抜けた狭間のようなどこか。そこから引きずるままに身の内に巻き込まれていた、“粘性の混沌”とでも呼ぶしかないような、なにか。
その何かが、この地の呼吸と混ざり合うほどに、より具体的なパワーに“変換”されていっている……とでも言えるだろうか。しかも変換比率がとんでもない。一滴の混沌から太陽でも灯せるのかというようなパワーが生まれる。小石から山脈をなし、水滴から大海を生成するかのごとき、馬鹿げた規模の外れ方。この身は炉のごとく熱されながら、少しずつ“燃料”が飲み干されてゆく。
そのおかげで内から破裂するようなこともなく落ち着きを得られつつあるとも言えたが。
ともかく、そうした肉体面の充溢感と、相反するかのごとき精神面の衰弱があわさった結果、まんじりともせぬまま天を仰いで、ただ時を流す、それしかできない三日だったが。
四日目の朝に。
山麓の岩肌の向こうから顔を出した太陽の照らす眩さに――そして暖かさに。
むかっ腹が立った。心底から。
そうではないか? なぜ。日の温もりだけはどこでも変わらないのだとでも言うつもりか? 夜になれば月が八つもあるくせに。その度に、ここが故郷とは違うのだと、もうどうにもならないのだと思い知らせてくるくせに!
「くそがっ!!」
吐き捨て、思わず地面を殴りつければ。
粉砕した。爆発したかのように土壌と砂礫が吹き飛んで。小さなクレーターと化した。
ふざけている。
こんな――意味不明の腕力だけが手に入ったからと。それが何になるつもりだ!
「くそ、くそっ。――くそがっ!!!」
うめいて、わめいて。そして再び吐き捨てては地面を殴る。轟音が響き、その度にクレーターが深まる。何の意味もなく。
それを為している当人は土砂の噴き返りを正面から浴びているはずなのに、目が痛くもならないどころか服が汚れもしない。まるで……不可視の力場にでも守られているかのよう。
でたらめにまみれて。
穴の底にうずくまって衝動を吐ききったならば、少しは見えてくるものもあった。ここが地球ではないならば……惑星環境が違うどころか、ひょっとすれば銀河以上の大きな規模で宇宙の座標が異なるならば。物理の顕在表層における働き具合が異なることもあるだろう。未知の素粒子なりなんなり――ゲージ粒子でもフェルミ粒子でも何でもいい――が濃いのかもしれないし、特殊な電磁波干渉を起こすような微細金属粒子が大気成分に混じっているのかもしれない。それこそ異星人文明が散布した環境常駐型ナノマシン群だのとてありうる。
なんだっていい。
可能性を言い立てるだけならば余地などいくらでもあるのだ。物理の教えは万能ではなく、現代科学は全知ではない。
重要であるのは、そこに意味などないということだった。目先のサバイバルだけを考えるのであれば手段としては役立つだろうが、それだけだ。救いにはならない。
なぜなら、背景を失ってしまったから。連なる先を失ってしまったから。
故郷に帰れないなら、たとえどんなに金銀宝石のたぐいを手にしたところで価値がない。その価値を共有する先がないのだから。どんなに超人めいた異能力を獲得したところで意味がない。その力を働かせる先がないのだから。
もう剥ぎ取られてしまったのだ。
生きる意味も、歩んできた道のりも。その先に見据えていたはずの、生涯をかけ、受け継ぎ、そしてまた託して行くはずだったもの。そうした背景に連なる一切を失ってしまった。ここには帰るところがない。ここでは歴史が語れない。
ならばそれは、人間としての在り方を――“貌”を、剥ぎ取られたに等しい。ただ死んではいないというだけの肉人形ではないか。何が違う?
生きているというだけの死人が。
腐臭を放つ虚ろを抱えて。
意味なく動くだけの。
デッドマンだ。
◆
五日目の朝に立ち上がった。
ここに何らの意味もないということは、いまこの場で死に果てる意味もないということだった。大地に骨を埋める意味がない。その魂と呼びうるものの帰りつくべきところさえないのだから。
ならば餓死など馬鹿馬鹿しい。
そう思えば、億劫なりといえども、足が一歩も動かぬということもなくなった。喉の渇きがいいかげん不快になってきていたということも一因だが。
しょせんはそんなものだ。といっても、この地で何を口にして栄養などが吸収できるものかは知らないが。
だがやはり、危機感はなかった。どうとでもなる、そんな感覚が根っこのところで絶えない。
まずは水源から探すべきか? サバイバルというならそれがセオリーだろう。この場から周囲を見渡せば、岩肌とまばらに生える樹木ばかりの地形で、要するに高山地帯の奥地なのだろうということが見て取れる。
当然のごとく人気はない。これが、山奥であるからなのか、それとも人類に相当する知的文明種族が存在しないからなのか、いまの時点では見分けようもないが。
とりあえず、南へ歩を進めてみるかと考える。なぜなら北側は地形的に高山の連なりが険しくなるばかりで、しかも山頂が積雪しているように見えるからだ。万年雪の寒冷地帯にわざわざ向かう必要もないだろう……。寒さに凍える趣味もない。
東西南北の方角に関しては、この五日間の日の出と日の入り、月と星の動きなどから、大ざっぱながら見当がついていた。加えて、地磁気の向きと流れのようなものがなぜか肌感覚に似たものとして感じ取れる……。これも意味が分からない出来事ではあったが、いまはいい。少なくとも今後は道に迷うことはなさそうだった。
地磁気はわずかに傾いているようで、こんなところは地球に似ていた。いま時点ではむかつく話でしかないが。もし惑星の公転軌道が真円に近いのであれば、気候に四季の違いもあるのかもしれない。
ともかく、南へ向けて歩を進める。途中で水源なり沢の流れなり見つけたならば、そこで改めて考えればいいだろう。もし人類に似た種族や文明が栄えているとすれば、それは地勢的には水源に沿った形になるだろうと予測できるからだ。
身体は軽く、体力に不足はない。もし気合を入れて走ったならば馬が草原を走るよりも高速に移動できそうな気もしたが、急ぐ理由もないのでゆっくり歩く。というより、そんな意気はとても込められる状態ではないといったほうが正しいか。ふらふらと、傍目に見れば倒れかかるような歩み方かもしれない。あるいは酔っ払いの千鳥足か。
……ひょっとしたら、その気になれば空中を浮遊したり飛行したりもできるのではないかという気さえしたが、試す気にはなれなかった。そんな空想じみた発想に頭がめぐってしまうこと自体からして億劫のもとだったからだ。
やがて山峰を一つ越えたころ。
いいかげんうっとうしくなってくるものがあった。二対の、それは視線にたとえられるものだった。
ただし、人間のものではない。北と東、それぞれの高空かつ遠方から。北のそれは、鷲にも似た姿の、やたらと巨体な――もし近くによって見たならば島が浮いているのかと印象を受けそうな――猛禽類めいた鳥のようだった。東のそれは、同じく巨体であるものの、見た目の姿形でいえば硬質な翼が生えたトカゲのような生き物だった。赤褐色の鱗が力強く陽光にきらめいている……。彼我の距離は地平線の向こうを仰ぐかのごとく遠く離れており、常人の視力では存在に気づくことすら難しかっただろうが、いまの超人めいた視力であれば余裕をもって見定められた。
あるいは、どこまでも馬鹿げた話でしかなかったが、幻想のお伽噺に則るならばこう言い表すこともできるのかもしれない。――ロック鳥とドラゴン、と。
「……くだらん」
一言に切って捨てる。だがうっとうしいことに変わりはなかった。奴らは二日目の朝方あたりからこちらのことを“見て”いたようだった。近寄ってくるでもなく遠目に観察しているだけのようだったから、いちいち気を向ける余裕がなかったこともあって捨て置いていたのだが。しかし、移動した先にまで追尾してくるのであれば話は別だった。
睨み返す。いいかげんにしろと“圧”を込めて。
途端、両者とも慌てるように身をひるがえして遠のいてゆく。……半ば墜落しているようにも見えたが。まあ、これで余計が済むならば、構うまい。
問題を指すなら、遠方よりも手前だった。つまり、遠距離の奴らに届かせるため“圧”を強く込めた結果か、それぞれ前方であった方角の直近において、一定の範囲が塵のごとく消し飛んでいたのだ。岩石も樹木も、もろとも砂か灰かという“崩れ”の様を呈して、それは滅びの光景だった。
――脆い。弱い。
それが第一印象だった。この地のなにがしの、なんと小さく、取るに足らないことか。蟻を踏み潰すよりも手応えがない。
この考えが危ういという自覚はあったが、さりとて自重するような理由もなかった。さて、これはこちらの“出力”なりが強すぎるということか。それとも惑星上の重力加速度なりが不自然に小さいということか。
それもわからない。だがどうでもいい。
そうだろう? そんなことの考察に何の意味がある?
◆
南へ向かって歩み出してから、五日が過ぎた。
その間、峰をいくつも越えたし、山間の谷になっている地形にちょっとした森林地帯などもあった。岩清水などが湧いていたし、果樹や木の実がなっている樹木もあったため、それぞれ採取していた。
果たしてこの未知なる地における生物群が、栄養吸収可能なアミノ酸分子構造などを備えているものかはわからないが。しかし、手に取ってみれば不思議と食べられるものかどうかの判別がついた。直観といってしまうこともできるが、より細かく言及すれば何らかの波紋のような波動のような手応えの“返り”から、内部の分子構造やその特性などを解析できているようだ。また、口に入れてみて、消化の力が及ばないという気もしなかった。というより……これこそ馬鹿げた話かもしれないが、なんとなれば分子どころか原子未満にまで“還元”してエナジーを取り込めそうだった。
加えて、あまり大食する必要もなさそうだった。山桃のような果実の数個、あるいは胡桃のような木の実の数個。その程度で半月やそこら問題なく行動できるだろう。飲料水に関しても、数口飲んでおけばやはり半月は保ちそうだ。無理を押せば一月以上だって耐えられるかもしれない。これは睡眠も同様で、ごく短時間、少量の休眠で問題なかった。
何の体質変化だか超人化だか知らないが、もはや気にすること自体が馬鹿らしくなっていた。ここには他に人間もいないのだし、ならば己が人間でなくなったからといって何だというのだ? だったら便利でいいじゃないか。なあ?
また、採取した物の持ち運びに関して、ちょっとした実験を行っていた。鞄は肩がけのものを持っていたのだが通勤用のものであり中身が半ば埋まっていたため(そして果実などを入れておいて潰れた際にでも内から汁まみれになられたら嫌だったため)、この身の無駄に溢れている“力”を利用できないものか、試してみたのだ。
空間を“捻じ曲げ”ながら引き込むことで一種の圧縮空間を形成し、手に持つ必要なく大量の物品を収納しておくことができないかといった、どこぞのSFロボットアクションゲームから発想を拝借した試みであったのだが。(ベクタートラップならぬベクターエフェクトと個人的には呼ぶことにした)
結果としては、さして苦もなく成功した。おまけに、体積だけでなく重量まで誤魔化せられ、また重ねて“凍結”もしくは“停滞”を施すことで物品に対する見かけ上の時間経過をほぼなくす……つまり、食料が腐らない措置を講じることも可能だった。ただし、それだけでは熱量は抜けてゆくようだったが。
ちなみに加熱や冷却はそれこそ簡単で、対象の熱振動系を直接的に加速もしくは減速させてやることが可能だったため、調理するなどといった場合に火をおこす必要すらなかった。
こうして、生存に関する当面の問題はあっさり解決した。拍子抜けすることはなはだしい。いかなる配剤のつもりか、これこそまさに…………いや、もう何もいうまい。
そのような道中であったが、明けて六日目の朝に。
また山峰を一つ越えたところ、その向こうの景色が開けていた。
山脈地帯が終わり、裾野には豊かな森林が広がっており。そして、森林地帯も途切れた向こうには、小規模ではあったが家屋らしき建造物の連なりが見受けられた。
木造の、粗末な――いかにも人力だけで工法したかのごとき、田舎の農村なり開拓村なりといった風情だったが。もちろん問題はそんなところにはない。
文明の技術レベルこそ未開的であるかもしれないが……人類に似通った様態の文明種族が存在している可能性、それが見えた。
仮の目的地として目指す。
◆
その日の夕暮れには、発見した村の近傍に着いた。
目的地が見定められたことで多少足早に急いてみた結果だったが。体力的な消耗はほとんどなく、特に変わらなかったため、移動速度にこだわる理由がないならば気分次第でどうとでもすればいいということだろうか。
村の様子を探るため、気配を殺しつつ光学的にも迷彩を施して近づく。この光学迷彩は、反射を細かく操るのではなく空間歪曲を大ざっぱにまとうことで光線入射そのものを回避してしまうという、これも某SFゲームからの拝借に近い技だったが。もちろん自身の視覚に関わる部分は別途調整を要するし、大ざっぱな“回し避け”に過ぎないため透過率や結像面のズレなど完璧ではなく、もし気取られて注視されたならば不自然さが明らかに見て取られるだろうシロモノに過ぎなかった。とはいえ、夕暮れの薄暗がりと伸びた影が助けとなっていたし、そもそもの気配が“力”の強度に物をいわせて押し込めておりほぼ完封状態と評せる域だったため、特別武芸の修練などを積んでいるわけでもない一般人であればまず気づくことはできないだろう。
村の外観は、典型的な田舎の農村のごとく見えた。ただし木製ではあったが外壁が築かれている(高さは二メートルほどに過ぎず大仰なものではなかったが)。ということは、脅威の侵攻が身近であるということか。まあ、空の彼方といえどもドラゴンめいたファンタジー生物が飛んでいることもある環境だ。もしかしたらもっと小粒の陸生生物としてもモンスターじみた敵性存在がはびこっているのかもしれない。
それ自体はどうでもいいし、別に驚きもしない。ただ改めて気になった点としては……ここ数日の移動過程において、まともに動物類を見かけなかったことだ。あの空を飛んでいた始めの二匹だけだ。特に探していたわけでもなかったため気にしていなかったが……考えてみれば奇妙かもしれない。とはいえ、最後の峰を越えてこの場所の村を見やるまでは気配を抑えてなどもいなかったため、単にこちらの周囲からこぞって逃げ出していただけかもしれない。
ともかく村の外壁だが、時刻的な問題か門扉が既に閉ざされていた。辺鄙な位置にある山村としては当然だろう。門からは外れた位置の壁に身を寄せて、人目の気配がないことを探りつつ跳び越える。
影伝いに村の中を見てまわる。さして広くもない。数箇所の井戸を囲うように、せいぜいが五十戸ほどか。感じ取る気配の大小からすると人口は老若男女あわせて数百名いても千には大きく届かない、といったところか。農地は壁の外であり、壁の中には生活用の家屋があまり余裕なく押し込められている印象だった。これは外壁を囲う労力上から面積を狭めざるをえなかったといったところか。
家屋は木造が主軸だが一部にはレンガも使われていた。どちらというなら断熱材としての補強だろうと見受けられた。
家屋の外には人気がほとんどない。人工の街灯などまったく見当たらないことから、夕暮れの頃ともなればもはや寝支度している時刻なのだろう。そうして夜が早い分、朝も早い。近代化以前の田舎暮らしなどそんなものだ。
それでも数名の、足早に出歩いているものや、家の戸口そばで立ち喋っている主婦らしき組み合わせが見かけられた。そして困った。
言語が不明だったからだ。予測はしていたが。
近場の影から耳をそばだててみたが、何を喋っているかまったく意味がわからない。都合よく英語やらに近い言語ということもない。単語も発音も、既存の知識に噛み合ってくれるところがない。
お手上げだった。もし丁寧に発言と身振り手振りや対象物品などの記録を重ねていったならば、言語構造を解析するといったことも不可能ではないのだろうが。そんな労力をわざわざひねり出すほどの気力など、いまのところ持ち合わせていない。
つまるところ、異星人――エイリアンどもの言語だの文化だの、へりくだってまで取り入れてやる筋合いなど、こちらにはないのだ。あちらにもないだろうが。
とはいえ、興味深い点があるといえばある。認めること自体から一種の業腹ではあったものの、地球の人類と少なくとも見た目は非常に似通っている。二足歩行で頭髪以外の体毛が薄い。体色は薄めで、顎や額の骨格がしっかりした、いわゆる彫りの深い顔つきをしている。おおむねとしてはコーカソイドの特徴に近いといえるだろう。(ということは、いまいる地方は比較的寒冷な、北国・雪国の気候地帯なのかもしれない)
なぜこれほど似通っているのか。もし重力や大気圧などの環境要因に大差がないと仮定できるならば、進化の自然収斂説などによって説明できるものなのだろうか。
わからない、わからないが……。言葉が通じない以上は確かめようもない。かといって、いまのごとき隠密状態を維持したまま何年も観察を続けるなどと、そんな根気はない。
よって、棚上げか。
村を去るか……。この村に見るべきものは少ない。そう思ったが、最後に目端にかかってくるものがあった。
村の奥地側に建てられた、おそらくは神殿のたぐいではないかと見受けられる。あまり大きな建て幅ではないが、石造りのいかにも頑丈そうな、そして手間と費用のかけられていそうな建造物だった。
神意の象徴らしき彫刻が表入口上部に彫りこまれており、要素を取り出すと、山と森を背景に立つ熟年の女性が中央、素足で地に立つ片足から肩上にかけて蔦と蛇がそれぞれ絡みつく。片腕に水瓶を抱え上げておりそこからは無尽の水流があふれ、やがて川をなす。もう片手には麦穂の束を抱えている。また周囲には鎌や鍬など農具と思しき図案もある。
これらから勘案すると……大地の女神、水の恵みと豊穣を司る、といったところか。まあ自然を擬人化した神の崇拝など、どこにでもあるものなのだから、家を建てる程度に頭脳と想像力が備わっているならば崇拝や信仰があること自体は驚くにも値しない。ただ、図案が理解可能だったということは、案外に精神構造も似通っているということか。個人的には反吐が出そうだが。
神殿の表入口は開け放たれており、内部には少数ながら灯火が見受けられた。ロウソクの立てられた、燭台の灯りだ。また、建屋高部に採光用の窓でも取られているのか、夕陽の角度が深まった橙色がまだらに差し込んでおり、陰影の織り成しが幻想的な雰囲気を醸しだしていた。
その奥側を見通せば。
石造りの女神神像がおわす最奥より数歩ほど手前の位置に、両膝をついた姿勢で祈りを捧げている、一人の女の姿があった。背中向きであるため断言はできないが、おそらく両手も組んでいるのだろう。目も閉ざしているのだろう。
この女の、年の頃などはわからない。顔が見えないし、祭司服めいた清潔な白布のローブだかヒマティオンだか、ゆったりと余裕のある布地で織られており肌の露出面があまりない。よって皺の見定めなども難しいため年齢の手がかりが少ない。
だが中年ではないかというなんとなくの直観があった。疲れた女の背中であるように思えたのだ。人生に疲れ果てた……。伸ばされた栗色の髪も、丁寧に編まれこそしていたが、くすんだ色合いが心身の疲弊を表しているように見えた。
こういうのも同病相憐れむというのだろうか? いまのこちらの心境にぴったりすぎて、この上なく敏感に察せられてしまう。だからかもしれない、女の背中の疲れの先に、それだけではないもう一つが垣間見えたのは。
祈り、疲れ、なお祈り。内なるどこかの折れてしまった己が無様を自覚しながらも、それでも捨てきれない何か一線を抱え続けて、祈り上げる先へと昇華している。苦しみも悲しみも、わずか一握りの喜びも……。生きることの重荷も知らぬ子供の無邪気ではなく、谷底の暗闇の深さ、どうしようもなさを思い知ってなお、届かぬ彼方の灯火を諦めていない。傷だらけの手を、それでも伸ばし続けることをやめていない。折れながらも、折れきらずに踏み止まっている。姿勢が、背筋の立て方が、美しかった。
気高いと思った。
その背中に惹かれかけた。
思わず半歩を踏み出していた。ともに祈りを捧げられたなら、この心にあるいは救いを求められるだろうかと。だが半歩で踏み止まった。祈ったところで、いまの己に救いの余地など……ありはしない!
この地に祭られた神は、己の知るところにある神ではない。一片もだ。だから祈ったところで、その捧げられた心の行き着く先がない。ないのだ。人の魂と呼びうるものが、たとえ死して後も、帰り着くべきところがない。故郷から切り離されるとはそういうことだ……。終末が救いとなる一片の余地すらも損なわれる。死ぬことさえもできなくなる!
呪いとはこれだ。真に……まみれている。もしこれが呪いでないのなら何こそが呪いか。
歯を食いしばり、拳を握り締めて。踵を返すことしかできない。ここに居場所はない。どこにだってないが、それでも、ここは辛いだけだ……
走って、跳び越え、村から逃げ去った。そうだとも、格好のつけようもない。
無様に、敗北して、ただ逃げ出したのだ。
南へ、南へ。道なき森の奥へ。夜の闇の中へ。
村から延ばされていた土街道は西向きだった。だから南へ。これまで通りに。
見たくないものから逃げるならそうするしかない。
◆
一晩かけてしゃにむに駆け抜け、森二つと稜線二つを越えた。
道中、気配を抑えるような気遣いはそぞろだったため、森や山を多少騒がしてしまったようだが。知ったことではない。ただ、何度か力加減を誤って……いや、正直に言おう。八つ当たりで蹴りの力を強くこめて、跳躍の踏み台にした大樹を数本、蹴り折ってしまっていた。不思議とそのことには素直な罪悪感があった……。人型のエイリアンどもがどうなったところで苛立たしさが先に立つだろうというのに。
動物と植物とでは扱いの感性が異なるのだろうか? それもまた勝手な話に思えるが……
そんな物思いにこそ意味がない。そうだ、意味がないのだ。
走ればいい。いまはただ走り続けて、汗の流れに任せていればいつか枯れ果てられるかもしれない。
朝日を背に受けながら三つ目の稜線と森を越えて。
昼が近くなったころ、山と山の隙間――谷間というよりは、“低い峰”なのだろう――のごとき地形で、ちょうど沿うような木立の切れ目にあたった。人工的に整えた跡が見受けられたため、おそらくはこれも街道の一種だと判断できた。
その山街道の南東方向から騒がしさが届いていた。ありていにいってしまえば悲鳴に聞こえた。人の悲鳴に。叫ばれる言葉の意味はわからないが。
また、注意を向けて耳を澄ませば、この身の超人的な知覚力が、金属のこすれる音(おそらく鎧など武装のそれ)や、雑多な獣の息遣いやうなり声などを聞き分けさせた。体重の重さを思わせる地を踏む響きからは大型獣の多さが察せられる。
風向きが横合いになる角度(南西の風)のため血臭こそ届いていないが、切羽詰った悲鳴と怒号の具合からは状況の余裕のなさがうかがい知れる。
人が襲われている。それも多人数が危機的状況だろう。
だが……そいつらはエイリアンだ。
縁もない。筋合いもない。益するところとて、究極のところではないにもない。
関わっても面倒が増えるばかりだろうと予測は容易だ。
それでも、気づいた。知ってしまった。
知ってしまったことをなかったことにはできない。
ならば。
どうする?




