1話:おいでませナインテイル自治領ナカスの街へ
いよいよ大災害です。
深く深くコールタールのように粘土質のような、どす黒い何かに精神が沈むような感覚、そのコールタールのようなどす黒い何かからズルリと零れ落ちるような感覚と共に“冴子”の意識がクリアになる、否まだ彼女の思考は混濁していた。
(…どうなってんの?)
真っ先に口から出掛かった言葉を飲み込み、一通り辺りを見回した“冴子”は自身の身体に異常が無いかを確認する。腕や指、掌、甲に怪我も無ければ、打撲などの痛みもない。脚や下半身も同様だ…だが、全く問題が無い訳ではない、着ていた筈のパジャマは真っ赤な男物の着物に変わっている。
「なんね?これ?どげんしたと?」
「は?あんた達ゃ何でそんな恰好しちょるん?」
「何しな?何し、俺ん身体がこげん毛深いとね?」
「<F.O.E>は何ばしょっとな?大概にしとかんとボテクリ転かすぞ?貴様!」
其処彼処でB級パニック映画のワンシーンのような光景をコスプレイヤーがエキストラとして参加して騒いでいるような様が“冴子”の目の端々に映る、然も台詞の大半が“九州訛り”という有様。
…(う~ん…集団“エンクルマ”?それともヱ○ァよろしく、エンクルマの細胞培養して…ってここはナカスの街?)
ネタ的になるべくなら、『際どいネタ発言は止めたまえ』と云いたくなるような思考に耽る“冴子”昔、所属していたギルドの九州出身で九州訛りの酷い仲間を思い出しつつ自分の置かれている“異常事態”に気付き始めるが、此処まで方言が飛び交う中に身を置いた事が今までの人生で無かっただけに、なんとなく苦笑して冷静さを取り戻す。
(しっかし、ネタよねぇ~…どうみてもファンタジーの世界なのに九州訛りの言葉が飛び交うこの状況…そして場違いな位、浮いて無いかい?私の恰好?っで“静香”は何処だろう?)
鮮やかな真紅の着流し腰には、俗に云う“日本刀”を一振り差し、やはり、真紅の美しい紅髪をポニーテールに結い上げた自身の容姿(姿見などが見当たらない為、見える範囲と触れて分かる範囲)がこのトンデモな状況で浮いて無いかを考えるくらい心に余裕が在るのか?逆に余裕が無いからこそ、そんな考えに至るのか…。
「…スミマセン、どなたか存じ上げませんが私の上に座り込んで考え込むのやめて頂けませんか?」
「アレ?ご、ごめんなさい!って…アレ?!」
“冴子”が座り込んで居たその場所にはとてもファンタジーで真っ赤な重鎧を着た150cm有るか無いか位のショートヘアの女の子が横たわっていて器用に此方に顔向けて睨んでいる。なんとなく見知った顔…否、多少美化されてはいるが間違い無く“冴子”の義妹、“静香”だ、その事に気付くとあからさまに眉を眉間に寄せガッカリした表情を見せる“冴子”。
「…なんだ、静香そんな所に居たの?心配して損した…あと、今の謝罪の言葉はノーカンね…謝って損した…あ~阿呆らし!」
「なっ!聞き覚えの有る声だと思ったらお義姉ちゃん?!って阿呆らしいって何よ?早く退いて!身動きが取れない!!」
“冴子”のお尻の下でひっくり返された陸亀の如く短い手足をジタバタさせてもがく義妹の“静香”その様子が加虐心を煽り地獄の獄卒すら裸足で逃げ出しそうな笑みを浮かべる“冴子”、ふと気が付くと懐かしいモノが目の前に浮かぶ。
◇◇◇
伊庭八郎
種族:ハーフアルヴ
メイン職:武士:LV90
サブ職:剣狂LV90
HP--
MP--
所属ギルド:なし
◇◇◇
(…あっちゃ~…何?ラノベやSF映画じゃあるまいし…本当に異世界に転移?召喚?10代だったら浮かれてハシャいだかも知れないけど、旦那様も居る26歳の私にはちょっと無理が無い?この状況…、せめてタイムスリップで幕末とかさぁ…よっぽどそっちの方が心躍るわね。)
…26歳とン十ンヶ月の間違いだろう?あとタイムスリップだったら良かったとか贅沢を云うな!というツッコミも無きにしもあらず、…それは横に置いといて!観えてしまったステータス画面をアレコレと操作して『GMコール』と『ログアウト』の項を何度もクリックするが(指先で虚空をタッチするような仕草で)全く反応が無い、“冴子”…否、『伊庭八郎』は何となく予想通りではあったが淡い期待を裏切られ軽く失望する。
「さて…ログアウト出来ません、GMコール繋がりません!っと来ましたか…いよいよ、絶望的な事態だねぇ…。」
頬杖を突いて視界に入る風景や身体に触れる感覚を確認する、肌に少し潮っ気の混じった風が触れる、地面に生えた雑草が足首辺りを擽る、その感触は現実その物だ。さほど高く無い荒廃したビル群、鳥の鳴き声、澄み渡る蒼い空、どれもゲームとは思えない。露天のNPCに怒鳴りつけているのはやはり、自分達と同じ境遇のプレイヤーなのだろう。
「だけん!運営は何処な?聞きよろうがしかしかモノ喋らんね!!」
「運営と云われましても…わ…私共には判りません…。」
「どうなっとうと?おかしかろうもん!!ねぇ誰か教えてよ!!」
「何か貴様コラ?NPCの癖になん人間のごと喋りようとや?」
「何ね!なんでこげんちゃっちゃくちゃらなん?」
(ダサっ…バットにボール、グラブも持たず…)
みっともない(ミットも無い)彼らや、道端にうずくまり、泣き叫ぶ者を観て腹の中で毒吐く八郎、彼等を観て段々自分の思考が冷めていくのが分かるし、段々自身の眉間にしわが寄るのが分かる。
(状況が呑み込めないのは、判るけど…だからってヤサグレてりゃ帰れる訳じゃないだろうに…)
「いい加減にお・り・ろ・!30代!」
「きゃっ」
不意に八郎の身体が下から持ち上がり、吹き飛ばされ尻餅を突く。先ほどまで八郎が尻に敷いていた、義妹の“静香”…PC名エボリューション、通称『ランエボ』が強引に起き上がり、地面に座り込む形になった義姉を仁王立ちで見下ろし身に纏った真紅の鎧よろしく、真っ赤な顔で八郎を睨み付け、愛用の騎乗鎗を抜き放ち義姉である八郎の喉元に突き立て怒鳴り付ける。
「お義姉ちゃん!さっきから退いてって云ってるじゃない!耳が塞がってるの?それともその安定感抜群の安産型のお尻が重くて立てなかった?」
ピキッ
「…痛たたたっ“静香”!いや、こっちなら“ランエボ”だっけ?何か私は貴女に怒鳴られるような事したかしら?」
ピキッピキッ
尻をさすりながら、ゆっくりと立ち上がり愛刀[銘:大和守安定]の鯉口を切って抜き放ち『正眼の構え』を取る八郎。
ビキッ!ビキビキッ!バチッバチッ!
武器を抜き、殺気立つ2人の頭上から硝子が割れるような音がし、空間が裂けその裂け目から濃紺の重鎧を身に纏い長大な鉈のような大剣を携えた『衛兵』が現れる。
『タウン内デ無法ヲ働ク者ニ裁キヲ…』
「「え゛…衛兵さん?」」
-衛兵-
本拠地~戦闘禁止区域内~で暴力行為が発生すると現れ、問題対象を捕縛しようとする。
「ちょっ…衛兵さん!話せば判る!今のノーカン!ノーカン!刀仕舞うから!ノ~カ~ン!!」
「そ、そうですよ!武器仕舞ますからノーカン!」
慌てて武器を収めるが時、既に遅く衛兵は聞く耳など持たない。
『禁止区域ニオケル準戦闘行為ヲ確認、規定ニ基ヅキ12時間ノ拘束ヲ実行ス…』
「だ~!“話せば判る!話せば判る”と犬養首相も云ってましたよ?衛兵さん?!」
テンパって515事件にて青年将校の一団に総理邸で暗殺された首相の台詞と名を口走る八郎。
「お義姉ちゃん!こんな時にボケても誰もツッコミ入れないよ!」
ランエボの云う通りである。
『イヌカイシュショウナド我ハ知ラヌ…』
全く取り付く島もなく、2人は衛兵に猫のように襟首を摘ままれ何処と無く消えた。
こうして2人は後に『大災害』と呼ばれた初日をほぼ、牢獄で過ごす事となった…。




