革細工
教会を出て、ルアは裏通りへと向かった。
クエスト報告で貰ったお金で、表通りでは変えなかった武器、防具を揃えようとしたのだ。だが、思っていたよりも値段が高い。表通り程ではないにしろ、一揃え買うには全く足りない。
「どうだ、嬢ちゃん決まったか?」
革専門店の前で並んだ防具腕組みしていると、大きな影がルアを覆った。
顔に爪痕が3本ある勇ましい男の体躯はルアの2倍はあった。
ジャイアントか。
竜人もジャイアントだが、ここまで逞しく大きくはなかった。
「なんだ、ジャイアント見るのは初めてか?」
「いや。手持ちが少なくて、武器を選ぶか防具を選ぶか決めかねていたところだ」
「そうだな。嬢ちゃんは武器は何にするつもりだ?」
「杖だ。魔法使いを目指している」
「おいおい、杖は安いのでも10万はするぞ?」
この世界ではそれでも安価に内に入るらしい。ルアの服装から裕福ではないと判断したのだろう。ジャイアントが無理だろう? と聞いてくる。確認するまでもなく持ち金ではたりない。
代わりの武器はないか? と尋ねると腕組みをして唸りをあげる。
「接近戦で使える武器はどうだ? 魔法で倒し損ねたら結局は接近戦になるしな」
「接近戦……か」
「人気は剣だが、お嬢ちゃんが冒険者になりてえならおすすめはしねえな。手入れが面倒なことと予備を数本用意しなきゃならねえ。その上に修理代が嵩むしな」
値段を聞けば、新品の5割程度が相場らしい。それも使い方と材質によって変わるらしく下手すれば杖を買う以上の出費になる。
ジャイアントはルアの体格を見て「ハンマー……は持てそうもねえな。拳じゃリーチで負けるしな」と本気で装備について考えてくれていた。
「短剣はどうだ? 手入れと予備は必用になるが修理代はそれほどかからねえし、何より魔法使いにゃピッタリだ」
短剣と聞くと盗賊やハンターが使うイメージが先行してしまう。魔法使いに短剣の組み合わせが思い付かず首をかしげるルアにジャイアントが「物は試しだ」と小型の剣を掴ませた。緩やかなカーブを描く刃は青銀。その柄には革が巻いてあり、汗かいても滑りにくくなっている。
「短剣は魔法付与がしやすいんだ」
渡された短剣に鑑定をかけると、魔法補佐Lv1という項目が見えた。
軽く振ってみると意外と扱い安い。
「簡単な魔法なんかは扱いやすくなる筈だぜ? おっと、店先では止めてくれよ。客が驚いて逃げちまう」
「種類はどれくらいあるんだ?」
「残念だが、うちは革物しか扱ってねえからな。それは柄の部分が革で出来ているから置いてるだけだ。しっかりしたもんが欲しけりゃ三件先の武器屋に行きな。剣先と同じく店主の頭も光ってやがるからすぐ分かるぞ」
幾度か振り回してみて分かったことだが、これなら切った衝撃でナイフを取り落とす事も無さそうだ。何より手にピッタリと吸い付いてくるこの感覚が気に入った。
「いくらだ?」
「3000だ。初回だけだが、魔法付与分はサービスにしといてやるぜ」
充分に払える金額にポシェットに手を入れた。ウィンドウは出ないが頭にアイテムや持ち金が流れ込んでくる。そこにある兎と狐の皮類に目を止めた。革職人ならば買い取りもしているかもしれない。
ルアは種類別に纏めたそれをジャイアントに見せてみた。
「買い取りを頼む事は出来るか?」
「お? 皮じゃねえか。こりゃ、ありがたいな。この頃増えた冒険者も皮はなかなか持ってこねえからな。おお、革も幾つか混ざってるな。どれ——」
兎の革を手にした瞬間、ジャイアントの眉が訝しげにひそめられた。
「これはお嬢ちゃんが鞣したのかい?」
「いや」
ルアが首を横に振るとジャイアントは大きなため息を洩らした。
「どこの誰がやったのかしらねーが随分と雑な仕事をしやがる。脂肪は取りきってねえし、毛皮に油を行き渡してねえ。はあ、子供のお遊びでもここまで雑じゃねえ。嬢ちゃん、悪いことは言わねえ。この革職人とは縁を切った方が良いぞ」
「それが、そうもいかないんだ」
システム上のアイテムドロップだから仕方ないんです、とは言えない。苦笑するルアにジャイアントは眉を訝しげに寄せた後、そういうことか、と悲しげに呟いた。
「うん、嬢ちゃんのような素直な子じゃ仕方ねえかも知れねえな」
「いや、え?」
「その服、お古だろうよ。その靴も……もとは立派なものだったのはこの目にちゃーんと見えてるぜ。加えて教会から着たってことは…………くうぅ、せちがれえ世の中だぜ」
目頭を抑えながら鼻水を啜り出す。その巨大な体格に似合わず情に熱いところは正にジャイアントらしい。しかし、盛大に勘違いされている気がするんだが
「すまない、何か勘違いをさせてしまったようだ。私は、ただこの革を——」
「革を嬢ちゃんが作るって?! そんなことまでされ……駄目だ、見ちゃいられねえ」
言い終わる前に、地響きのような雄叫びと共に細い目から大粒の涙がボロボロと零れ落ちてきた。間違いじゃない。確実に勘違いされている。しかも、可哀想な子をみる目からなにやらいたたまれない方に。
「分かった。このゴングに任せな。嬢ちゃんを一流の革職人に育て上げやる」
「教えてくれるのか?」
「あったりめえよ! 剥ぎ方から仕上げまでこのゴングにかかれば生きてる時と同様——いや、それ以上の毛革を作らせてやるぜ!」
目頭に残る涙を太い指で拭い取りゴングは胸に手を充て言った。聞けば少ないが給金っも出してくれるいう。実に頼もしい限りだ。主に懐具合が切羽詰まっているルアには給金がとてもありがたい。
「ありがとう。皮なら何枚かあるんだ。下手かもしれないが……それと私は——」
「言うんじゃねえ! 言わなくていいんだ。分かってるからよ。おっちゃんは全部、ちゃーんと分かってるからよ」
肩を叩かれる度に体が上下し上手く言葉紡げない。ボタボタ垂れる涙がと鼻水を避けながらルアは工房へと案内された。工房にしては広いそこに入るとむわり、と獣特有の臭いが鼻に付く。毛皮、大小さまざまのナイフが壁に掛かっておりその下に桶が幾つか並べられている。部屋の奥には二つ扉があり、片方は南京錠のようなものが付いている。
「先ずは、その皮だな。ん? 荒いがこれはなかなかのもんじゃねえか」
ルアから受け取った皮を見てゴングが唸りを上げる。渡した皮はミルクレアと竜人の三人で倒した時のものだ。殴打と吹き飛ばしで倒した事が良かったのか、それともただ単にドロップ運が良かったのか。
確認したくとも、あと一週間は戦闘出来ないのが辛い所だ。
「んん、これはお嬢ちゃんの腕をちょっくら拝見しなきゃな。ちょっと待ってろ」
奥の扉へと入っていったゴングが大きな鹿のような物体を片手に戻ってきた。首に一文字の切り傷があることから血抜きは終わっているようだが、鋭い牙から延びる吸盤のような舌と眉間から突き出た鋸のような角からこの生物がただの鹿では無いことは明らかだ。
ゴングに聞けば魔物化した鹿だという。死んだ直後に適切な処理を行えば美味な上に精が付く一品らしいとのことだ。
「本当は生き絶える前に血抜きをしなきゃ行けねえんだが人族の野郎どもと来たら、やれ野蛮だ、やれ残酷だ等とほざきやがって。爪の一つ、肉の一欠片まで残らず利用してこそ命に報いるってもんだろうが、と」
大地と生き大地に眠るジャイアントにとって、人間のそれは実に奇妙に思えるのだろう。鼻息荒く語っていたゴングがルアを見てハっと我に返った。
「すまん。嬢ちゃんには同族だったな。そうだ、解体だったな。ま、みてな」
壁に掛かっているナイフを取り出すと横たわる鹿の首下辺りに切っ先を差し入れる。血が染み出るが毛皮に付くことはなく、切れ目に沿って床に垂れていく。
「この脂肪も使うからな。出来るだけ肉に残すように、かといって薄すぎると皮に穴が空いちまう。引っ張り過ぎねえように……こうだ」
ピンク色の肉と油が均一に皮から剥がれ落ちていき、あっという間に肉と皮が別れる。そこから、肉と骨、臓器は特に慎重を帰すようだ。見ればゴルグの額にはしっとりと汗が浮き上がっていた。脳みそは後で使うべく別容器に保存された。
ゴングの太い指からは想像つかない繊細さで剥がれていく皮。それは見ているルアも夢中になる程に洗練された技だった。
「おう、ティル。肉処理頼んだぜ」
「はい」
手に付いた血を拭き取りながらゴングが声を上げると見た目15、6の少年が工房に入ってきた。ルアにちらりと視線を寄越した後、肉の下に魔方陣を展開する。聞いたことのない詠唱を終えた頃には肉にうっすらと霜が降りてくる。
「魔法?!」
それも氷——正確な位置把握に魔力の微調整迄も習得ずみの。驚くルアに面白そうにゴングは笑った。
「おう、このドワーフの小僧め何をとちくるったかジャイアントの弟子になりてえと押し掛けて来やがったのよ。雇ってみたら魔法が使えるし働きもんだし。いい拾いもんしたぜ」
「ひよっこにもなっていないのに褒められても嬉しくないですよ。いつか、おやっさんを越える革職人になってから言ってください」
「かあーっ、これだ。おい、ティル。生意気言ってねえで、ちょっくら、こいつも洗ってくれ」
宙に投げられた皮にティルの指先が向けられる。途端、シャボン玉のような薄い膜が毛皮を包み込んだ。
『清浄なる水よ、汚れを洗い清めよ』
毛皮が水に包まれ中でグルグルと回り始める。まるで洗濯機のようなそれにルアはハッとして少年を見た。
「まさか、あなたはプレ——」
言いかけた言葉にしっと目配せされルアは口を継ぐんだ。
「おお、んじゃここからだな。毛皮に付いた脂肪や肉をこの包丁で削ぎ落とすんだ。やり過ぎると穴が空くが残ってると腐るから慎重にな」
ゴングはそう言ってルアにナイフを渡した。ゴングがティルと呼んだ少年が洗ってくれた皮を立て板に張り付けてくれる。頭がこちらを向いてないことが何よりの救いだ。
渡された曲刀を短くしたようなナイフを皮脂の部分に充てる。軽く動かすとバターのような油がナイフの上に溜まっていった。直ぐに刃が駄目になり新しいナイフに代える。親方は二回の交換で終わったが、ルアは二度三度と代えてなければならなかった。慎重に肉を削る作業にじっとりと背中に汗が浮かぶ頃になってやっと白い皮膚が見えてくる。
「そこまでだ。時間がかかったが悪くねえ出来だな。そしたら鞣し液に浸けるぞ。その間は休憩——」
『休憩』の言葉に身体中の力が抜けた。カラカラの喉を潤いしたいのは当たり前だが、何よりも鞣し液の匂いが堪らなかった。鼻に付いた匂いを外の空気で洗い流したい。
ルアがホッとしたのを見抜いたようにニヤリと親方の口がつり上がる。
「と思ったら大間違いだ。まだまだ獲物はあるからなやっとけよ」
休憩を願おうと思った時には姿はなく、店先に戻る親方ゴングの笑い声だけが残った。
ティルが奥の扉から鹿を運び出してくる。手伝いを申し出るルアを一瞥すると、気を使ったのか、比較的小さいものを持ってくるよう指示してくれる。
それでも、十二分に重い。
5、6体運んだ時点で筋肉が悲鳴を上げだした。足と腕が痛みに動く事を放棄したがり、ティルに5分の休憩を願い出た。
肩で息を切らしているルアを見るティルの覚めた目が痛い。空腹時や時間経過、生産や戦闘、スキル使用時以外でスタミナは減らない。勿論、疲れや痛みなどもないのだ。通常は。
システム停止という特殊状況おいてのルアの行動はティルにとって奇妙なものに思われただろう。
「早くこなさなければ腐ります」
呼吸が整い始めた頃にかけられた声に頷き、ルアはティルの前に横たわる鹿へ向かった。肉を捌くにもナイフを取りに向かうのも面倒だ。ゴングから買ったナイフを取りだし、鹿の首に充てる。
頭に浮かぶのは先程のゴングの解体作業。芸術的な手の動きに鹿の体を撫でるように剥いでいく刃。ぼう、とそれらを思いながら肉にナイフを差し込んだ瞬間、風が吹き、肉を真っ二つに切り分けた。
突然の現象に二人揃って後ろに下がればナイフは鹿の上に音もなく落ちる。
「スキル発動した?」
「ええ? 僕、まだ解体スキル取ってないですよ」
考えられる事は1つだ。
『想像力や願いの強さが魔法を生み出す根本になる』
ルアは程のゴルグの解体を頭に思い浮かべる。肉と皮、骨と臓器、そして、脳みそ。すべきことを頭に思い浮かべると風がルアの頬を撫で鹿の下に魔方陣が現れる。
『捌け』
詠唱を口にするルアの手が鹿にナイフを差し入れた瞬間、風が吹き上り鹿の体を縦横無尽に駆け巡った。肉から骨が、臓器が飛び出し、脳みそがゆっくりと管の中に収まる。
「ティル君、洗浄を」
「え、あ、はい。『清浄なる水よ、かのものの汚れを——』
『剥ぎ取れ』
被せるように詠唱を重ねれば風の刃が皮の表面を擦り落とした。数回それを繰り返し水の中で風が泡となり消えると皮は導かれるようになめしえきの中に落ちていった。
「これは——」
「合成魔法」
便利だなと続けようとしたルアの言葉にティルが後尻を変えた。
「合成魔法?」
何、それ?
首を傾げるルアの前で口をぱくぱく動かすティルの顔が真っ赤になっていることから、何か不味いことをしてしまったのは間違いないだろう。