勘違いフィーバー
眩しい光が差し込み、牛蛙と梟が井戸の底から助けを求めているような鳴き声にルアはベッドから飛び起きた。
何事かと周りを見渡し自分の部屋で無いことに気付く。
昨日、泊まった宿屋だ。
謎の鳴き声を追って窓の外に目を向けたルアの視界を黒いものが遮った。窓を開ければ曙の空に、蜥蜴に蝙蝠の羽が映えた生き物が何十と飛んでいる。
魔物の襲撃か!
「あら、もう、お目覚め?」
慌てて階段を降りてきたルアに昨夜の犬耳たぷん——いや、女将がのんびりとした調子で声をかけてきた。
その後ろ。
蜥蜴に蝙蝠の羽が映えてる魔物が開いた隙間から進入しようとしている。
「女将! 後ろ!」
右手にスパイダーネットの魔方陣を召喚。続いて火魔法の詠唱準備をしようとしたルアの耳に呑気な声が聞こえてくる。
「まあ、黒蜥蜴の郵便屋さんね」
「ゆ、郵便?」
ソーダーが弾けるような音を立てて、ルアの両手から魔方陣が消えていく。
「ホアサイルの朝を告げるのは郵便屋さんよ。はい、ブルタン」
女将からぷるんと震えるブルタンを複数個口に含む。喉で膨らんだそれを嬉しそうに飲み込でいく。
「怖がらなくても大丈夫よ。こんなに大人しくてお利口さんだものね」
女将に返事するように一声なくと、黒蜥蜴はテーブルの上に置いてある手紙を飲み込み、入ってきた窓から飛び去った。
窓の外では同じような風景が繰り広げられていた。
時おり、聞こえる悲鳴はプレイヤーのももなのだろう。女将が肩を竦めて怖いこじゃないのに、と繰り返した。
「確かに、野生の黒蜥蜴ちゃんは大食いだから象さんを5秒で骨にしちゃうけど」
パタン、と窓を締める。
「大丈夫よ~。集団でしか襲ってこないから」
「集団と言うと、大体、どれ程の数ですか?」
「ん~。大体、100匹単位だったかしら?」
くらり、と目眩がする。
女将話では『黒蜥蜴』と呼ぶのは調教されたものだけだ。ある一定条件で人を襲うこともあり、一匹一匹は怖くはないが集団になると打つ手がない。その食事風景が黒い霧に血を吸い取られていくように見える為、シギリ(死の霧)と呼ばれている。
聞けば聞くほどに恐ろしいように思えるのだが、元々は人懐っこい甘えん坊で一度気に入ると主人が死んでも自分命が尽きるまで側を離れないらしい。
「それはやはり怖いと思うのだが、いつ、変わってしまうか分からないのだろう?」
「山や大地が余程汚れてしまわない限りは安全よ。依然行った魔物の森みたいに瘴気が濃いところじゃないとおかしくならないわ。あ、ルアちゃんは行っちゃダメよ。人間が行ったら狂うか、死ぬかだもの」
「そんな危険なところになぜ——」
聞いた瞬間に後悔した。
良く動いていた口が止まり、女将の瞳が痛みを堪えるように細くなったのだ。
「コボルト亜種だもの。強いのよ」
どこか悲しげな声。それを打ち消そうとする笑顔が逆痛々しく感じてしまい、ルアはどうして良いのか固まってしまった。
「おい」
それを打ち消したのは厨房からの声だった。パッと女将の顔が輝き嬉しそうに声の主に近づいていく。
「コカトリスのオムレツ出来たぞ」
厨房から顔を出してたのは犬だ。
いや、正確には顔が犬、鍛え上げられた上半身を持つコボルトだ。
その全身を良く手入れされた立派な毛で被われいる。
「どう? 良いコボルトでしょう」
料理を手にテーブルに戻ってくると嬉しそうにそう言う女将に素直に頷いた。
「ああ、凄く立派な毛並みだな。女将が毛繕いを——」
「いやだぁ、もう! ルアちゃんったら見かけによらず大胆ねぇ」
言い終わる前に、ほんのりと染まった頬片手を充てながら女将が背中を容赦なく叩いてくる。
ピンと立っていた犬耳がピュコピョコと嬉しそうに動いているのを見る分には、悪いことではないのだろうが。
無言で厨房の奥に消えてしまった主人の尻尾が爆発していた事が気にかかるが、ルアは余計な口を聞かず、コカトリスのオムレツの為だけに口を動かした。
鐘の音が街に響き渡る頃、ルアは教会の門をくぐった。
依然、来た時と見た目は変わり無かったが教会奥からは子供たちの元気な笑い声が聞こえてくるようになっていた。それだけで雰囲気が明るく感じるのだから不思議だ。
教会の中には前と違い、一人の男の姿があった。神父だ。ルアをみると穏やかな笑みを浮かべ、嬉しそうに口を開いた。
「待っていましたよ、ドラゴン戦隊ルア」
「その呼び名だけは止めてください」
究極に忘れ去りたい名前を何処かの所属名のように言われ、土下座でもする勢いでルアはお願いした。
戦隊ものがないこの世界では、何処か由緒正しい所属部隊の名前だと思ったのだろうが……違うんです、神父。それは悪ふざけの勢いで思い付いた名前なんです。
あれやこれやを説明したい衝動に駆られたが、価値観と言うものは簡単に飛び越えられない。
神父はその名に値することが畏れ多い、そう、ルアが思っていると勘違いしたようで仕切りに自分を卑下する事はいけない、と諭してくれた。
優しい方だ。
けれど、もう、勘弁してください。
「それよりも、神父。クエス——天の試練の報告が此方で出来ると聞いたのですが」
「ええ。出来ますよ」
そう言うと、神父は教会のシンボルに向かって祈り出した。
光の玉がルアの体から浮き上がり、シンボルに吸い込まれていく。最後の光の玉が吸い込まれていくと金貨が重なる音が耳に届いた。
まだ神父は祈りを続けていた。
神父に倣う降りをして、密かにステータス表示を確認する。
名前:ルア
種族:人間
Lv :10
取得スキル
草むしりランクC 採取ランクE 薬草知識ランクF(満了) 焼き料理ランクE(満了) 火魔法ランクF(満了) げてもの食いランクD 神聖魔法F(満了)
予備スキル(練習ランク)
風魔法(Ap5) 水魔法(Ap5) 土魔法(Ap5) 魔力操作(Ap20) 身体操作(Ap10) 挑発(Ap3) 土弄り(Ap1) 空間圧縮魔法(-)
残りAp7(還元待ち8)
『神の声』バフ効果継続中
神の声スキル? と思った瞬間に頭の中に声が響いた。
《完了クエストを報告しますか?》
久々のゲームらしいアナウンスに心の中で喚声を上げながら、しきりに頷く。
《還元待ちのAPがあります。受けとりますか?》
訳が分からないがAPが増える機会を逃す訳がなく忙しく首を縦に降る。
今しかない。もう、今しかない。
切迫したこの状況で出来ることは何でもしてしまった方が良いと立て続けに流れるアナウンスに頷き続ける。
APが83ポイント増え、少しの時間を置いて8ポイント増える。いきなり増えたAPに顔がにやけるのを堪えられない。慎重にスキルポイントにAPを振り分けていると、また、アナウンスが流れた。
《特殊クエスト、世界の理クエスト2が来ています。内容を確認してください。制限時間は1分です》
え?
ウィンドウの下に書かれた秒数にAPを振り分けられるだけ振り分け、ウィンドウをクエスト確認欄へと動かした。
残り50秒。
世界の理《特殊クエスト》
システム停止 報告済
改心 クエスト未完了
???
新しい項目がある。改心? と疑問に思ったが時間がない。急いでウィンドウを開き内容を確認使用とする。
残り30秒。
《このクエストを受けますか?》
システムエラーで文字化けした画面に驚きながら、クエスト了承を心で唱える。残り10秒。
《クエストを受けました》
残り2秒のところでアナウンスが流れ、身体中の力が抜ける。
危なかった。
受ける時間制限があるクエストなど経験したことがなかったから焦ったが、なんとかなった。
「祈りは終わりましたか?」
「はい、長くなってしまい神父にご迷惑をおかけしました」
「いえ、随分穏やかなお顔で祈っておられたので感心してました」
さすが、私の表情筋だ。私の感情を総無視してピクリとも動かなかったらしい。ちょっと、教会の角で泣きたい位の鉄壁ぶりだな。
「私からのお礼をさせて頂きたいと思っているのです。ですが……お恥ずかしながら、冒険者の方にお支払するほどのお金はこの教会にはなく」
目蓋を閉じ申し訳なさそうにいう神父にルアは慌てて頭を振った。
「神父、子供たちのことなら私の我が儘を押し通しただけの話だ。寧ろ、教会敷地で暴力を奮ってしまったことは此方に非がある。礼を貰うのさえおこがましいのに、金銭を貰うことなど出来ようがない」
それに、この教会でステータス確認出来るだけでも有難い。
神父がどうしても、と言うなら時々ここでステータス確認をする承諾をさせて貰うことを報酬代わりにさせてもらおうとした時だ。
「お礼に土地を差し上げたいと思うのですが、いかがですか?」
ルアは眼を見張った。
土地。
日本とは地価は違うだろうが、従来のクエスト報酬額よりも値段が3桁ほど違う価値があるだろう。
どうしてこうも高価なものを渡したがるのか。
昨日の今日と言うのもあり眉間に皺がよるのが分かる。こういう時だけは仕事するらしいな表情筋。
「神父、さすがにそこまでして貰う訳にはいかない。気持ちだけで充分だ」
「そう、仰有ると思いました。けれど、ルア。あなたが思うよりも私は欲が深いのですよ」
首を傾げるルアに、悪戯ぽく片目を瞑り神父は言う。
「貴方にこの街に戻ってきて頂きたい。冒険者の貴方にしてみると、なかなかに我が儘なものでしょう」
真っ直ぐな好意にルアは戸惑った。土地を貰うことは出来ないが、こうまで言ってくれる神父の好意を無下には出来ない。いや、したくない。
「それでは、権利だけ頂けますか?」
いくら言われようと土地を貰うのは強欲が過ぎると言うものだ。
神父は困ったように首を傾げたが、一向に譲る気配のないルアを見て失笑した。
「ふふ、お互いに難解な性格をしていますね」
「私が難解な性格なのは自覚しているが、神父は優しいだけだ。心配になる」
こんなどこの誰とも知らない人間を信じてくれた上に、勝手にやったことの礼に土地をくれるという。お人好し過ぎる。騙されないか心配するのは当然だ。
「まるで、娘に説教される父親気分です」
「それでは、親不孝にならないように、度々顔を出さなければなりませんね」
神父の嬉しそうに笑う姿にルアも嬉しくなってくる。
この人の存在自体が既に癒しであり、救いであるような気がする。
視線をあげ、救い主が不在のステンドグラスを見上げた。
もし、そこに描かれるとしたら目の前の神父がいいな。
ステンドグラスから溢れる優しい光はこの人にこそ似合いそうだ。