システム不備
それも路地裏を過ぎ教会に近付くにつれ、変わっていった。
子供達は会話が少なくなり、その足どりが早くなる。
教会の門が見えた頃には足はピタリと止まった。その前にいる男の人が子供達を見て、その両手を広げる。
「神父様!」
神父の姿を見た瞬間に子供達は泣きながら駆け出していた。強がりを言っていた男の子も元気に笑っていた女の子も、力の限り神父に抱きつき泣き出していた。子供達を抱き締める神父の表情は俯いて分からなかったが、肩を震わせ子供達を強く抱き閉めている様子を見れば想像が付く。
「良かった」
「本当に」
子供達と神父の再会に水を差さないよう、遠くから見守る。それでも嬉しさに涙する様子は手に取るように、身近にあるように感じた。
だが、思いの外近くで鼻を啜る音が聞こえる。ミルクレアと顔を見合わせ音がする方向を振り返った。
「竜人。泣いてるんですか?」
「ち、バカ! これは違がーよ! ちょちょ、ちょっくら汗をかく場所を間違ってしまっただけで、断じて泣いてなんかないんだからな」
「あら、汗をかく場所を間違うなんて器用な事をしますね」
「おう! 俺は生まれた時から器用な人間だぜ!」
「竜人、目も赤いぞ?」
「ちが、うさぎさんも目が真っ赤だと——お前ら、そのニマニマ顔やめなさい! あ、あれだ、そうだ、打ち上げだぜ、打ち上げいくぞ!」
グシグシと腕で涙を拭う竜人の肩を叩くと真っ赤になった顔で路地裏を早足で歩いていく。
「バカもするんですが、ああいう所は憎めないんですよね」と笑うミルクレアにルアは頷いた。
泡が半分を占めるビーモ(ビールのようなのみ心地の水。味は水道水)を飲み干し、ふはーと一息を付く。
体中、砂だらけだ。身体中の水分という水分が砂に吸収され、渇ききった喉にピリッと痺れるような刺激が心地好い。
「砂蜥蜴の照り焼きとマンモスごはん」
「おばちゃん、まん丸ドロンコと毒キノコごはんね!」
「二人ともすっかり慣れましたね」
そう言いながら、ミルクレアも金魚鯨の蒲焼きとトルネードサラダを注文していた。
先に頼んでいたツマミ変わりのブルタンの実は、木の根っこに丸いゼラチンが付いたものだ。口に入れると、ぷるん、と震えだす。最初は驚いたが、勇気を出して噛み潰すと中からチョコレートの甘味が溢れ出てきた。
ミルクレアは即リタイアしたが竜人は面白がって何個も口の中に頬張り、一斉に震えだす感触を楽しんでいた。それも、一個に固まり喉を詰まらせようとするブルタンに白旗を挙げる前の話だ。
女店主に二個以上口にすると、スライム化するんだよ、と呆れながら教えられてはさすがの竜人も食べる気にならない。
「あの誘拐犯が言ってた奴隷商ってのも気になるけど、このゲームにそんな設定あったけ?」
「クエストに出てくるぐらいですから、あるにはあるんでしょうね。このゲーム自体正式サービスが始まって日が経っていませんから。まだ、明かされていない部分が多いですし」
「聞く分には、システム停止もクエストの一分なんだろう? クエスト名聞く分にはけっこう、メインイベントぽいのにな。中身は鬼畜。社会人には無理クエ過ぎる」
「今月の仕事で請け負っている分は終わっているから、一週間位なら問題ないが——肉体的にもつか、と言う問題が」
「スリーピングカプセルならではの荒業ですね。知ってますか? 年を取らないまま眠り続けた、という男性の映画があったんですよ」
「可能なのか?」
「映画の中では……ですが、目覚めた瞬間に今までの年齢を一気に取り始めました」
「うえぇ。きっついな、それ」
「だが、死にはしない、ということか?」
「そうですね。映画と現実は違いますからなんとも言えません。運営に確認メールは出しておきましたからなにかしら対応があるでしょう。最終的には、私が外部から外しても良いのですが」
「俺も、俺も行く!」
「ルアが男性ならその方が良いでしょうね」
ちらり、と視線を送られる。
このゲーム事態ネカマは可能だ。それを心配しての発言だろう。そうなると、ミルクレアも性別はそのまま女性なのか。
「性別はこのまま女だよ」
「ならば、私だけ行った方が良いですね」
「えー。俺も行きたい!」
「私は助かるが……二人とも無理してないか? いや、嫌じゃないんだ、だが、リアルが忙しいと負担になるかもしれない」
話していく内に段々と不安になっていく。信用してない訳ではない。だが、上手く真意が伝わる自信がない。うつむきがちになるルアの頭にポンと手が置かれた。思わず頭をあげると楽しそうに笑う竜人の顔があった。
「水くさいぜ、ルア。友達ならあったり前じゃないか! ミルクレアだってこのまま大人しく待ってるだけなんか出来ないって言ってたんだぜ?」
竜人に頭をかき撫で回されながら、ミルクレアを見る。
「え? ええ。当たり前と言うか。その、それは、心配ですし」
ミルクレアは目を合わせられずに視線を落としてしまった。だが頬はほんのりと赤らんでいる。そんな反応をされると逆にこちらの方が照れ臭くなるのだが。
「おお、美少女が顔赤らめ合ってるのは眼福も——ッ! ミルクレア、HP減ったぜ、今の!」
見事なアッパーを竜人の顎に叩き込んだ拳をそのままに、ミルクレアは、それでですね、と口を開いた。
「睡眠障害の治療用に開発されたのがスリーピングカプセルの始まりです。医師ではないので断言できませんが、知ってる範囲では2週間は眠ったまま過ごした経歴があります。その後、開発に開発を重ねて出来たものがスリーピングカプセルですから、ルアの場合、母親の胎内で眠る胎児のような状態になっている筈ですよ」
「ああ、確かにログアウトした時はゆっくり眠った後のような爽快感があったな。長時間動いていない割には何処も痛くないし」
「それだよなあ。俺のは本当にカプセルベッドだから起きた時が悲惨だぜ? 頭はクラクラするし、腰は痛いわ、生理的現象が辛いわで」
「竜人、ルアの狐丸焼き食べさせますよ」
「それだけは勘弁デス。まだ、見た目破壊的なこっちの方が良いぜ」
そう言うと竜人は運ばれてきた料理を慌て口に運んだ。
ミルクレアもルアも空腹覚え始めていた為にそれに続く。
相変わらずに見た目が壊滅的な料理だ。
砂蜥蜴の照り焼きは皮を通してネオンのような光が点滅していた。派手な上に動き回る光に舌が縮こまる。勇気を出して、木のフォークを刺すと、プスリという音と共に光が立ち上っていく。
湯気が立ち上るのは分かるが、この蛍光ネオンの光が立ち上っていくのは初めての経験だ。
以外に中は普通の肉に見える。だが、食べた瞬間、驚いた。
甘い。
肉の甘味ではない。砂糖の甘味だ。クリームのようにこってりとした脂肪にパイ生地のようにパリ、とした感触が堪らない。
ミルクレアに食べさせたところ、目尻がとろん、と垂れ下がる。
うん、甘いものを食べた女の子の表情は可愛い。
マンモスごはんは想像通りだった。見た目はカラフルだが味も普通に美味しい。
真ん丸ドロンコに関しては食べた瞬間は上手いの嵐だったが、食べた断面を見て顔色が変わった。ちらりと覗き混んだそれは目玉のような物が見え、ルアはそれにそっとハンカチを被せた。毒キノコごはんは山椒のように舌がピリピリと痺れるが、その食感が格別らしい。
ミルクレアの金魚鯨の蒲焼きは金色に輝く以外は普通の蒲焼きだ。味は秋刀魚と豚肉を足したものだという。
「馴れればこちらの食事も楽しいな」
電流が走る葉っぱに赤紫のドレッシングをかけると勢いよく燃えだしたトルネードサラダから上半身を引きながら話す。
何故か唐揚げの匂いがする。
「けれど、最悪一週間もゲーム内生活は不便ですね。まだ、初心者ですからゲーム内通貨もないわけですし」
確かに。
アイテムドロップ品を売ればなんとか宿に一泊出来る程度のお金にはなるだろう。食事はホアサイル周辺の狐丸焼きで食い繋ぐしかないが。
「リアルマネーと言う手もありますが」
ミルクレアの指がテーブルの上で四角を描くと、起動音と共にウィンドウが出現する。そのウィンドウの中にはアイテムと金額が並べられてあった。
「このゲーム、課金自体がお洒落装備と便利グッズだけでAp増加やステータス増加がないんです。精々が経験値5%増加位なものですし」
「あ、これ、可愛いな」
ルアが見たのはベージュのたて襟コートだった。騎士の制服みたいだが腰回りに施されている金と赤の装飾は後ろの部分だけが腰から足首辺りまで続いている。システム停止中では見れないそれに思わず口にしてしまったのだが、ミルクレアは頬に手を充てるとコクリと頷いた。
「似合いそうですね」
ミルクレアがウィンドウを操作するとポン、っと音がした後に目の前にラッピングされた箱が現れた。
「後、これとこれも良いですね」
続いて購入の音が鳴り響き、目の前に箱が山積みになっていく。
「ミ、ミルクレア?」
「おいおいおい、ちょっと落ち着け! すげえ金額になってるぞ!」
「そうですか? 現実に買おうとしたらこの20倍はしますよ」
「分かった! 分かったから、ゆ、指止めてから話そうか! うん、そうしよう!」
テーブルから滝のように流れ落ちるラッピングされた箱に竜人が悲鳴をあげ始めた辺りで、渋々と言った風情でミルクレアが指を止めた。
「確かに開けるのも大変ですし、この辺りにしておきます」
「分かってくれて嬉しいよ」
合計金額をちらり、と見るとゼロが5個並んでいるのを見て血の気が引いた。竜人を見れば『3ヵ月分の給料が……』と頭を抑えて唸っている。
「やはり、有料倉庫が先ですね。1人10枠でしたか? 竜人とミルクレアも最大数で良いですよね」
「有料倉庫?! 要らないよな? ルア!」
必死の形相の竜人にコクコク頷く。が、ミルクレアはキョトンとした顔のまま小首を傾げた。
「便利ですよ? ほぼ無限に近い収納数になりますし」
「そんなに、アイテム集められないから!」
「ご利用は計画にだぞ?! ミルミル…………あ」
ミルクレアの指が軽やかに動くと同時に覚えのない金庫が頭に浮かぶ。
「買っちゃいました」
「アナウンスが、アナウンスがあぁァァァ」
「この頭に無理矢理ねじ込まれる感覚……酔いそう、だ」
バ○スを唱えられたかのように絶叫する竜人の気持ちも分からないでもない。
1枠1万というゲームではあり得ない金額の有料倉庫だ。確かには機能性、安全性、サポート共に他とは一線を置いている。だが、無料倉庫でも2百種類は預けられるのだ。その上、ゲーム内通貨で家や店、ギルドなどを作ればそこに預けることも可能である以上有料倉庫にリアルマネーを使う必要性は感じない。
笑って誤魔化そうとするミルクレアが可愛いからいいか、などというけしからん考えが頭を過っていってしまう。そういう問題ではない。
「ミルクレア、こういうのは会ったばかりの奴にすることじゃない」
もちろん、よく知ってても良くはない。
竜人もミルクレアもこれ幸いと集る性格ではないが、そうでない人達だっているのだ。心配にもなる。
山のように積み重なったそれはミルクレアの労働の時間で買ったものだ。どんな仕事だろうが苦労はある。楽ではないはずだ。そうして稼いだそれを簡単に受け取れる訳がない。
だが、ミルクレアは拗ねた表情でルアを見上げた。
「勿論です。ルアと竜人——特別だと思った人だから出来るんです」
「うん。宜しい」
「良くないわ!」
なんとか話し合った結果。有料倉庫のお金はミルクレアに返すこと、お洒落装備は——数が多かったのもあり——数点買い上げ、後はレンタルと言うことで使う度に一定のゲーム通貨を渡すということになった。
店を出る頃には街は柔らかな光に包まれていた。
竜人とミルクレアがログアウトをするのを見送り、ルアは街をブラブラと歩きだした。
メインストリートの両側にある商店は看板の下に自ブランドの模様が刻まれたランプをかけ始め石畳を挟むように設置されている街灯はその時間を表すように色を変える火が灯っていた。
夕暮れにはレッドからオレンジ、オレンジから淡いブルーへ。魔道具というものなのだろう街灯の光は街を両断するように光を灯し外門で終わる。
活気に溢れていた街も夜となれば顔色を変えるものだ。酒場からは賑やかな声と鼻を擽る食事の匂いが漂ってくる。ぶらぶらと歩いていたルアも今日の宿を取らなくてはならない。
「いらっしゃいませ。お泊まりですか?」
宿屋『ホルン』と看板が掛かっている扉を開けると優しそうな女性がルアを見て微笑んだ。それだけならば珍しくないのだがその頭には犬耳がピョコピョコと動いているのだ。
「あら、人族の方がいらっしゃるなんて珍しいわ。一泊二食付きで800Gだけど大丈夫かしら?」
唖然としたままコクコク頷くルアに、ちょっと待っててね。と言いカウンターの中に入っていく。その後ろ姿ーー服の上からでも分かる細い腰から見事なラインを描く豊満なお尻にはふわふわの長い尻尾が生えていた。
「お連れの方は? 何名になられます?」
「いや、私、一人だけだ」
「あら? そうなの。う~ん、確認したいのだけど……おいくつ?」
現実の年齢だろうか? ゲーム年齢だと12歳から20歳まで選ぶ事が出来た。ルアは年齢に目を止めずデフォルトの15歳で始めた。確か、その年で成人だと認められた筈だ。
「一応、成人は迎えている」
現実もゲーム年齢もどちらも成人済みだから嘘ではない。
「まあ、そんな怖い顔しなくても大丈夫よ。うちの宿みたいなところだと色々うるさいの。気を悪くしたらごめんなさい」
「夕御飯はどうする? この時間だと余り物しかないのだけど」
「昼に回すことも出来ますか?」
「ええ、勿論。うちの主人が作ってるの。とても美味しいのよ」
自慢気に胸を張る女性のたわわな膨らみがふるん、と揺れる。
これは挑戦状か。はっきり言って羨ましい。
風呂はないとのことでそのまま部屋に入る。日本のビジネスホテルでいうシングルぐらいの広さだが、木造独特の暖かさがあった。
木で作られたベッド。お揃いの小さな木のテーブルには水差しと携帯型のランプがある。中に灯っているのは油でつく火なのだろう。ほんのりと油特有の匂いが部屋に漂っていた。
窓の外に灯っている火は紺近い色へと変わっていた。
深夜になれば黒へと変わるのだろうか?
それを知ることはなく、ルアはベッドに横になるとそのまま眠りに落ちた。