プロローグ
世界が白一色で塗りつぶされた空間に一つの球体が浮かんでいた。
シャボン玉のように七色に輝くその中には、一人の人間が膝を抱えて眠っている。髪もなく、なにも着ていない姿は胎児のようだ。
生きてるのだろうか? と、球体に近付いてみれば、胸だろう部分がゆっくりと上下している。
体の大きさからして15歳ぐらいだろうが、容姿はおろか性別さえも分からない。胸の膨らみもなければ性器もない。加えていえば顔には、目も、耳も、口も無い。かろうじて、顔の中央部分にある二つの穴が鼻だろうと分かるくらいだ。
——のっぺらぼう……。
妖怪の一人を思い浮かべ頷く。だが、不思議と怖いとは思わなかった。
胎児のように眠るこの『のっぺらぼう』に意志は全く感じられない。無垢、と言うよりはまるで人形のようだ。
しげしげと見ていると、球体の上部に青いウィンドウが現れた。
【生体エネルギーを確認します。メニューと念じながら、球体にふれて下さい】
言われた通りにすると、のっぺらぼうがその形を変えていく。
紙のように白かった肌に赤みが差し、顔の中心に凸みが出来るとその両側に楕円形、鼻の下に唇の形が現れ丸みを帯びだした。みるみるうちにのっぺらぼうは人の顔になった。
それに合わせるように頭部から生えた黒髪が背へと伸びていく。肩、指先、臀部は丸みをおび、腰のくびれが際立つ。胸も——かろうじて膨らんだ程度だが——出来ていた。
「これは、また……凄いな」
鏡から抜け出してきたような自分の分身に苦笑いが浮かぶ。瞼は閉じたままだが、この分では瞳の色までおなじだろう。
【性別以外の変更を行って下さい】
上下左右にフレームが増える。
試しに髪の色に触れば基本色のグラデーションが現れた。
ワキワキと指を動かして、ものは試しと憧れのピンクにしてみる。
髪から黒が剥がれ落ち、柔らかな光と共にピンク色に染まっていく。それに合わせ、目、口、髪形、と変えていった。
気分は人形遊びだ。
出来上がったのは甘いお菓子が似合いそうな女の子。
年齢も最年少の12歳にした所為か可愛いらしい印象にほんわかとする。……のだが、これが自分だと言われると違和感だらけだ。
その後も、完璧美人さんや、元気娘など完全にお遊び気分的で作ってみた。だが、やはり自分だと言うには違和感が残った。
首を傾げ、デフォルトに戻すと違和感が払拭される。
やっぱり、自分の身体が一番と言うことだろうか。
ファンタジーライフで変身気分を味わえないのは少々勿体ないが、色々と遊び終えたので気分的には大満足だ。
【デフォルトのままでよろしいでしょうか?】
了承するとのっぺらぼうが入っていた球体が割れ、その破片がそれぞれの色を持つ球体へと変わった。
その数、七つ。
人間、エルフ、ジャイアント、ドワーフ、コボルト、魔種族、聖種族。
各種族は一部の地域を除き、対抗種族の地域に侵入する事は出来ない。
例外は人間種族。
全ての種族と友好関係を築け、全ての地域を自由に行き来できる。
また、スキルや職業についても——労を厭わないならば——制限がない。
自由性に置いては突出した種族だ。
だが、そのステータスが平均的なために器用貧乏になりやすい。
他種族のステータスには特長がある。
エルフならば、魔力と素早さ。そして器用さ。
ジャイアントならば、筋力と体力。
ドワーフならば、物作りと筋力。
コボルトならば、知能と器用さ
得意分野が決まっていれば、目指す方向性も戦い方も決まる。
【エルフ:弓と魔法に長け、自然と共に生きる長寿種族。その美貌と知識の豊富さから、無知蒙昧なものを嫌う傾向がある。対抗種族:ジャイアント・ドワーフ】
エルフに触れれば耳がとがり、髪に艶が増し、肌が綺麗になる。閉じられた瞳は知性を称え、その瞳は心の深淵さえも見通すことだ出来るかのようだ。
【ジャイアント:己の身体を武器とした戦闘に長け、大地と共に生きる種族。涙もろく情に厚い者が多い。その力から脆弱な者を嫌う傾向がある。対抗種族:エルフ】
筋肉モリモリの精悍な顔つきになる。
男性だったならば「兄貴!!」と叫んで転がり回りたくなるだろう。だが、元が女性だった故に悲しくなる結果となった。
うん、ジャイアントは止めておこう。主に、見た目的な意味で。
ドワーフになれば背は縮みどっぷりとしたお腹が愛くるしい姿となる。
コボルトは獣人族の一種だ。
頭に生えた耳で音をとらえると言うのが今一馴れない。
生産もやりたいと思っていた自分はこの二種族が本命でもあったのだが、この馴れないと言う感覚が二の足を践ませていた。
基本的に選べないものは灰色で表示される。
残り二種族がそれだ。灰色にはなっているが、どんな種族かを確認する事は出来そうだ。
課金で種族変更出来るのだろうか? お試しで気に入ったら課金してね、て言うことなら良心的だな。
魔種族に指を合わせた瞬間に、部屋に満ちあふれていた光が薄れていく。
のっぺらぼうはその手足を丸めるだけで外見に変化は見られなかったが、変わりに魔種族の球体が大きさを変えた。
球体の影から生み出された漆黒が蔓のように本体へとに絡まり、頂上に辿り付くと一滴の滴を零した。
それが、人の形を取る。
魅惑的な姿態、漆黒に見えるその瞳と髪はよく見れば、濃い赤だと知る。
【魔種族:新規ではこの種族を選べません】
禁忌の美貌と魅力。
身体の芯がぞくり、と波打つ。
振れていた指が球体に弾かれたような勢いで胸へと戻る。意思よりも先に体が動いた、と気付いた時には、部屋の明るさは元に戻っていた。
だが、胸の鼓動と額に浮かぶ汗は元に戻らない。
もう一つの球体へと視線を移す。
【聖種族:新規ではこの種族は選べません】
触れることなく読み取った情報だけでも魔種族と同じ変化があるのだろうと推測した。
自分が自分では無くなってしまうような感覚だ。
それは、二種族程ではないにしろ他の種族でも感じていた。
ゲームの世界を楽しむ為——いわゆるロールプレイがしやすいように感情が変化する。
それは、この『リアルグラウンドVRMMO』の謳い文句でもある『この世界の住人』に成るための配慮だと思っていた。
確かに、他の誰かになりたい変身願望はある。
だが、二種族の自分が書き換えられるかのような強烈な印象を受けた後では、他の種族を選ぶのに二の足を踏むのも仕方ないと思う。
何も強くなりたい訳ではない。
程々の戦闘が出来る、現実では出来ない魔法なども打ったりして、珍しい植物を発見したり、世界の新しい物をこの手で作り出したり、のんびり観光したり。
考えてみれば自分が望む方向性がぴったりなのは一つの種族だ。
青色の球体を選ぶと、周りの球体は砕け散りのっぺらぼうへと降り注いだ。
【種族:人間に確定しました。名前を入力して下さい】
名前:ルア
種族:人間
職業:ニューマン
Lv:1
スキル:なし
称号 :なし
【各項目を変更しますか?】
左右にくびを振ると、のっぺらぼう——ルアの身体が優しい光に包まれた。
その光は自分に延びる。
ルアと自分を繋ぐ光は温かく不思議に心地よかった。安心感が身体を包み眠気に瞼が重くなる。
【ようこそ、ルア。この世界へ】
リアルグラウンドVRMMOは近年、人気を集めるVRMMOの一つ。
そのキャラメイキングは身長・体重差による現実の違和感を払拭したことで、現実になれなかったもう一人の自分になれる。
7つの大種族とその眷属が住む世界には、膨大なスキルとそれに付随する職業がある。そこには制限がなく、それこそジャイアントで弓師やエルフでハンマー使いなどプレイヤーが目指したいライフスタイルを実現できることが魅力だった。
しかし、ルアが一番惹かれたのは生活——いわゆる生産職の自由さだ。
伐採や採取などの第一次産業や鍛冶や料理などのMMOでは馴染みぶかい生産から、『寝相』や『食す』などの——必要あるのか首を傾げるが——生活スキルもある。
その上、一定の条件下で取得出来るプレイヤースキルや融合スキル、上位変化などがある為にその総数は未知数となっている。
スキルを伸ばすAp【アビリティーポイント】は別途必要になるが、スキルの取得数は制限がない。
やろうと思えば、戦闘から生産まで完全な自給自足も可能もだった。
初めてのVRで戦闘に不慣れな上、仕事の都合上誰かと一緒にプレイするには時間が不規則なルアにはこのシステムは丁度良かった。
一戸建てに住んでのんびりファンタジーライフなんていうのも悪くないな。
軽い気持ちでログインしたルアが、次に目を覚ましたときは見渡す限りの草原の中だった。