砂時計と
何もない休日の、何もない1コマ。
鉛や鉄が飛びかわなければ、笑い声も遠くの世界…
陽射しは暖かくなり、めっきり寒さも弱まってきた。窓を開けていても差し支えない。明後日からまた試験が始まると言うことを考えなければ、何もせず一日を浪費できるのにと思う。
穏やかな風が入り込み、髪を撫で、微睡みを誘う。試験に備えなければならないし、滞っているワタリムシの生態についての論文も書かなければならない。やるべき事は尽きを知らない。でも…全部がどうでもいい。
綺麗で艶やかな木目の机には何枚もの羊皮紙や分厚い本が散らばっている。その上に伏して、手を伸ばせば砂時計に指先が触れる。14の誕生日に贈られた、木とガラスでできたそれ。天板と底板を2本の棒が繋ぎ、その間でくびれたガラスの器がふわりと浮いている。
最後の一粒が落ちたのを見届け、指先でガラスを小突く。砂を蓄えた透明な器がゆっくりと回り、砂が再び時間を刻みだす。これで何回目だろうか。30回を数えた時には、もうあやふやになっていた。
ああ、そう言えば──
ふ、と、開け放たれた窓の傍の、白い小さな友人と目があった。
「アズルハ──」
このヒューダの町で一人暮らしを始めて、最初にできた友人の名を呼ぶ。青白い羽毛を纏った彼は、待ってましたと言わんばかりに机の上へと、そして砂時計にとまった。
「頼まれてくれる?」
転写の陣が書かれた羊皮紙に適当な紙を重ね、ペンを走らせながら彼を伺う。
空色のハトは友人の怠慢を呆れる様に見ながらも、宛名に喜びを禁じ得ないでいた。
「暗くなる前に帰ってこいよ」
それが裏を返すと「暗くならない内ならゆっくりしてこい」と言う意味なのはアズルハもよく分かっているだろう。
机の一角に置いてあるケースから小指ほどもない大きさの小枝を抜き出し、紙の下に引いた陣の、ちょうど中央に立てる。
「─────」
手をかざし短く呪文を唱えると、陣が光り紙の文字が浮かび上がった。
「──」
仕上げの一言で、文字は枝に吸い込まれる。
それをアズルハの足に括り付け、彼を送り出す。意気揚々と飛び去った背中に微笑ましさを感じながら。
再び砂時計を見やる。砂は半分ほど落ちていた。
「アリス…」
ふと呟いたのは、砂時計の送り主の名前。
深海の様に深い藍色の瞳と、日の下で青く煌めく長い黒髪。陶器を思わせる白い肌。活発な少女のようで、落ち着いた大人の顔を覗かせる女性。
立ち上がり、先ほどアズルハが出ていった窓にもたれる。この部屋からでは、遠くにリデリアの塔が見えても、彼女の家は見えない。
彼女は今、何をしているだろうか。そんな事をふと考えてみた。
陽射しが穏やかだ。風も優しい。煉瓦の目立つヒューダの町は、休日と言うのに相応しい和かさに溢れていた。
「っはぁ──」
至るところ、大きな背伸びを一つ。再び机に戻り、頬杖を付きながら広げた資料に向かう。あくびが出た。
『ローリア動植物目録』、『ワタリムシにまつわる伝承〜リデリア編』、『ユスティニ祭儀集』、……。
無造作に並べられた分厚い本の数々を前に、二度目のあくびを噛み殺すことはできなかった。
少しずつ入り込む陽射しは砂時計に当たり、眩しく光を屈折させる。天の砂はずいぶん少なくなっていた。
もうそろそろ、小突いてやらないと。
───